学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

01 入学・進級おめでとうございます!

 3月末に退職された三浦校長先生に代わりまして、今年度、この野木沢小学校の校長に着任いたしました、佐藤康二と申します。これから、この『野小っ子だより「LIVE」』を発行していきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 令和2年度がスタートしました。社会情勢としては、まだまだ先行きが不透明で、今後もいろいろと制約があるかもしれませんが、4/6(月)野木沢小学校は、全校児童102名、教職員16名でスタートしました。

 始業式で子どもたちに話したことの一つは、学校は学ぶところという話です。学校でのいろいろな体験を通して、子どもたちはたくさん学び、自分をどんどん変えていきます。これは、入学式でも話したことですが、子どもたちは、学校生活での体験を通して学び、その学びを通して、成長します。どんどん賢くなりますし、どんどん体もたくましくなります。そして、心もどんどん優しく思いやりのある心に変わっていきます。「学ぶこと」は「変わること」です。今の自分が、この一年でどのように変わるのか、わくわくしてほしいと思いますし、変わることをためらわずに、取り組んでほしいと思っています。

 二つ目は、新型コロナウイルスの話をしました。こういう状況ですので、しっかりと予防はしていく。しかし、必要以上に怖がらないこと。手洗いうがい、マスクの着用等、確実に行うこと。ただ、それ以上に大事なのは、自分自身の免疫力を高めること。そのためには、しっかりと栄養をとる。運動をする。そして、夜はしっかりと休むこと。しかし、それでも、かかってしまう人はでるかもしれない。場合によっては、濃厚接触者として休まなければならない人も出るかもしれない。そうした時、大切なのは、誰が一番大変なのかを考えること。それは、かかったその人であり、休まなければならない人自身。だから、他の人は、そのことで、差別したりいじめたりは絶対にしないこと。

 刻々と教育環境が変わっていく恐れは、今後も十分にあります。しかし、どんなに教育活動に制限を受けようとも、子どもたちの成長は、誰にも止められません。ですから、学校としては、これからもできる範囲で、できることを、確実に取り組んでいきます。各御家庭におかれましても、どうぞこれからも教育活動に御理解と御協力をお願いいたします。

02 よく学び よく遊べ

 学校がスタートして、一週間が経ちました。いろいろと配慮しながら始まった学校生活ですが、これまでのようにできないところも多少ある中、できる活動を粛々と行っているところです。これから一体どうなるのか、という不安はまだありますが、それでも、子どもたちは毎日元気に学校に来てくれますし、休み時間は、これまでの運動不足を解消するかのように校庭を、そして大好きな希望ヶ丘を、走り回って遊んでいます。

 本校の日課表を見ると、給食後、12時35分から13時20分までの45分間が「自由遊び」となっています。授業時間が45分間ですので、授業と同じ45分間、遊び時間が設定されているのです。私は、これまでいろいろな学校で勤務してきましたが、これだけたっぷりと昼休み時間を「遊び時間」として設定している学校は初めてです。

 昔から「よく学び よく遊べ」と言われます。調べてみると、昔の文部省唱歌に「よく学びよく遊べ」という歌があったようです。歌詞は、次のような歌でした。

 よく学びよく遊べ(文部省唱歌)

 一、机の前では一心に 何も思はずよく学べ。 遊びながらの勉強は 時間を無駄にするばかり 学べ学べ 一心に。 学べ学べ 一心に。

 二 、課業が済んだら一心に 何も忘れてよく遊べ。 ただ面白く遊ぶのが 元気をつけるよい薬。 遊べ遊べ 一心に。 遊べ遊べ 一心に。

 昔の人も、学ぶことと同じくらい遊ぶことを重視していたことが分かります。子どもたちは、授業時間、一生懸命学習に取り組みます。だからこそ、休み時間は、授業のことを忘れて、思いっきり遊ぶのです。大事なのは、この「忘れる」ことです。授業のことを引きずらずに、ただ夢中に遊ぶ。野木沢小では、天気がよい日は、ほとんど、校舎内に子どもはいません。みんな外で遊びます。追いかけっこしたり、希望ヶ丘を散策したり、様々です。先生方も一緒になって遊びます。授業時間と遊び時間の切り替えこそが、子どもたちを健康に育てるポイントでもあります。そういう意味で、子どもたちに、毎日、自由に遊べる時間を保障しているこの日課表は、よくできているなあと改めて感心するのです。  

03 育児は育自なり

 石川町は、子どもの健やかな成長を願い、その実現のために、「いしかわ 子ども子育て応援宣言」をしています。そして、次の4つの応援をしていくことを宣言しています。

 いしかわ 4つの応援
 「い」 いつも元気な子どもの笑顔があふれるまちをつくります。
 「し」 しあわせを感じる子育てができる環境をつくります。
 「か」 かんしゃの気持ちを育て、成長を見守ります。
 「わ」 わがまちを愛する人を育てます。

 さて、この4つの応援の中の、「感謝の気持ちを育て、成長を見守ります。」について考えてみたいと思います。

 ここで言っている「感謝」は、誰が、誰に対する感謝なのかということです。おそらく、子どもたちに、お世話になっている人たちに対する「感謝」の気持ちを育てる、という意味になると思います。それはそれで、とても大切なことです。しかし、感謝の気持ちを持つのは、果たして、子どもたちだけでよいのでしょうか?

 結論から言うと、否です。感謝の気持ちを持つべきは、「親」であると考えます。親にとって、子育ては「目的」ではありません。「いや、子育ては目的です。子どもを育ててやっているのです。」という声が聞こえてきそうです。しかし、子育ては目的ではなく、「手段」です。親は、子育てという経験を通して、自分自身を、人として大きく成長させるのです。曰く、「育児は、育自なり」。育児という経験を通して、自分自身を育てる。子育てをしてやっているのではない。子育てをさせてもらっているのです。子どもは、親に、育児という経験をさせるために産まれてきてくれたのです。だから、親は、自分の子どもに感謝しなければならないのです。「子育てさせてくれて、ありがとう」と。
 しかし、私たち親は(私も娘をもつ親ですので)、子育てを目的にして、子育てをしてやってる、という思いで、子どもに接してしまいます。中には、自分の思いを、子どもに強制してしまう場合もある。そういう親に育てられた子どもは、自分に自信を持てず、常に不安で、おどおどして、親や周りの人の顔色を伺いながら、生活してしまいます。しかし、逆に、「子育てさせてくれてありがとう」と親から感謝されながら育った子どもは、自分が愛されている実感を持ち、自信を持って生活し、そして、他の人に優しく接することができるようになるでしょう。

 上記の話を、「親」を「教師」に置き換えても、同じことが言えます。私たち教師は、子どもたちの教育を通して、自分自身が教師として成長することができるのです。だから、子どもたちには、「教育をさせてくれて、ありがとう」「担任をさせてくれてありがとう」と感謝しながら、この仕事をしていかなければならないのです。

04 親の心が軽くなるハッピーな子育て術(その1)

 私がかつて田村市の学校に勤務していたとき、教員と保護者対象の教育講演会が行われました。講師は、明治大学教授の諸富祥彦(もろとみよしひこ)氏。演題は、「親の心が軽くなるハッピーな子育て術」。とにかく笑いの絶えない、とても楽しく、それでいて納得してしまう内容の講演会でした。以下に話の概要を抜粋して掲載します。

 子育ては・・・なるようにしかならない。まさに、子育ては運。いつ、いかなる時に、子どもがよくもわるくも変わるかは、正直わからない。ただ、言えることは、なるようにしかならない。言い換えると、なるようになることが大事。つまり、親の立場から言えば、親が子どもの成長を邪魔しないことが一番。それは、親として子どもに「してはいけないこと」をしないことである。

 子どもの成長にとって、一番大事なことは、親の心が安定していること。だから、してはいけないことの一つ目は、「イライラ、カリカリを子どもにぶつけないこと」。もし、いらいらしてきたら、親の方が子どもから一歩引く。場合によっては、子どもから離れること。そして、場所を変え、イライラカリカリを解消してくる。いらいらして、子どもと対等にやり合うということは、親が「子ども」と同じ立場になっているということ。親は、「大人」なのだから、「子ども」になってはいけない。

 やってはいけないことの二つ目は、「否定的なことを言わないこと」何やってるの、ダメなんだから、馬鹿、しょうがない等の否定的なことを言われ続けた子どもは、自分自身そういう子なんだと受け止めてしまう。そうではなく、肯定的なことを子どもには言うことが大事。さすが、いいね、じょうずだね、大丈夫、きっとできるよ、ここまでできたね、すごいね等。

 してはいけないことの三つ目、「兄弟と比較しないこと」。全くおまえはダメなんだから、等と比較されて否定的なことを言われた子どもは、自分に自信を持てない子になる。だから、全ての子に「自分が一番愛されている」と感じさせることが大事。

05 親の心が軽くなるハッピーな子育て術(その2)


 これら、してはいけないことを親はしないこと。そして、子どもがどんな悩みも打ち明けられる親になること。そのためには、親自身が、人間的に成長することが大切。それは、本気で生きている姿や深く自分を見つめる姿を、子どもに見せること。親が子どもに本気で仕事に打ち込み、深く自分を見つめ、悩み、それでも前に進もうとする姿を見せること。

 男の子を育てている親へ。将来、息子が就職、結婚等で自立できるように、男の子にこそ、しっかり家事を手伝わせること。そうして、フットワークのいい子に育てる。

 女の子を育てている親へ。人間関係で悩んだ時、ちゃんとSOSを出してもらえるように、弱音を吐ける家庭を作っておくこと。そのためには、親自身が家庭内で弱音を吐くモデルになること。

 家庭内で、肯定的な言葉「ごねんね、おねがいね、ありがとうね」を循環させる。親自身のスキンシップを大事にする。そして、自分のことが自分でもわからない思春期でも、会話を大事にし、子どもにはそうした方がいいことを伝える。そのキーワードは「あなたなら、できるよね~」

 いかがでしょうか。思い当たることは何かありましたか。前号でも書きましたが、親は子育てを通して、自分が人間として大きく成長しなければなりません。なぜなら、子どもにとっての、「人間としての生き方のモデルは親」だからです。一緒に過ごす時間の多い身近な親が、子どもの人間としての生き方のモデルになるのは当然です。だから、「こういう子どもになってほしいなあ」と思うことがあれば、まずは、親自身がそういう人間になることです。

 そういう意味で、私は、野木沢小の子どもたちの優しさやあいさつについて、感心しています。友達に対して優しく接することができる子どもがたくさんいます。自分からあいさつができる子どももたくさんいます。これは、きっと、お家の方々が、「優しさのモデル」、「あいさつのモデル」になっているのだと思います。

 私たち教師も同じです。日々、子どもたちと関わりながら、子どもたちのモデルとして、人間としての生き方を追求しています。ある学年の先生は、学年経営の柱に「人間力」を掲げています。人として、当たり前のことを当たり前にできること。人として、他の人と関わりながら生きていくことができること。学力も大切ですが、そういう人としての魅力を、人間力を高めていこうとしています。私も同感です。人として未熟な子どもたちだからこそ、私たち大人が、人としての弱さ、醜さを越えた、人としての健気さ、尊さを教えていかなければならないのだと思います。

06 新入生を迎える会で…

 今年の新入生を迎える会は、内容を見直し、時間短縮で行うことになり、集会委員長の6年矢内玲緒さんの歓迎の言葉の後、1年生の自己紹介とじゃんけん大会となりました。じゃんけん大会は、ステージ上の集会委員長とのじゃんけんでした。1回目、最後は、3年生と4年生の男の子が二人勝ち残りました。その二人で決勝戦をすることになり、フロア中央へそれぞれ出てきました。その時、4年生の男の子と、じゃんけんをする相手の3年生の男の子が、握手をしたのでした。私が見た限り、4年生の男の子から手を出して握手をしたように見えました。それを見て、「いいなあ」と思いました。お互いに最後まで勝ち残ったことをたたえ合うような自然な握手。そして、結果、3年生が勝ち、素直に喜びを表現する3年生の男の子。さらに、それを自分事のように喜び、戻ってきた仲間をハイタッチで迎える3年生の他の子どもたち。2回目は、途中、1年生だけ再度チャレンジでき、結果、1年生の男の子が勝ちました。その子に、全員が送る祝福の拍手…。
 握手をしたり、素直に勝利を喜んだり、仲間の喜びを共感したりするなど、こういう行動が素直に取れる子どもたちは素敵です。じゃんけん大会は遊びです。その遊びを心から愉しむ子どもたちでした。参加していて、心がほっこりするひとときでした。

07 あいさつの距離

 野木沢小学校の子どもは、登校中、街頭指導している地域の方々に自分からあいさつをします。私も街頭指導に立つときがあり、その姿を見るにつけ、その時、いつも感じることがあります。それは、子どもたちのあいさつの距離についてです。
 向こうから子どもが歩いてきます。その子が、どこまで近づいたらあいさつをするか、ということです。私の経験上、野木沢小の子どもたちは、かなり離れた距離からでも、あいさつをする子が多いです。つまり、あいさつの距離が長いということです。このあいさつの距離が短いと、自分より先に相手からあいさつをされてしまいます。けれども、野木沢小の子どもは、あいさつの距離が長いので、結果、相手がしてくるより先に、自分からあいさつをすることになります。あいさつは、言われてやるのではなく、自分からできるのが理想です。そういう意味で、自分からあいさつをしてくる子どもたちがたくさんいることは、とても素晴らしいことです。

08 給食に想う

 結論から言いましょう。野木沢小学校の給食は、美味しいです。きっと、野木沢小学校の子どもたちは、ここしか食べたことがないので、これが当たり前と思っているでしょう。しかし、いろいろな学校の給食を食べてきている先生方は、「ここの給食はうまい」と思っているはずです。

 学校の調理室で、調理員さんが作ってくれる給食を、自校給食と言います。野木沢小は自校給食です。毎日、二人の調理員さんが作ってくださいます。聞くと、石川地区のすべての小中学校は、自校給食だそうです。ですから、ここを卒業した後も、石川中学校の自校給食を食べることになるので、9年間は美味しい給食を食べられるようです。 

 自校給食でない学校は、センター給食となります。学校には調理室がなく、その地区に、給食センターがあり、そこで全ての学校の給食を作り、出来上がりを各学校に搬送します。センター給食と自校給食の一番の違いは、作ってから食べるまでの時間の長さです。自校給食は、出来たてに近い状態で、食べることができます。しかし、センター給食は、運ばれる時間がかかるので、出来たてというわけにはいきません。それでも、センター給食を作っている方々も、美味しい給食を作って下さっていることに違いはありません。

 給食が美味しいというのは、とても重要です。きっと、子どもたちの中には、毎日の献立を覚えていて、給食が楽しみだという子どもがたくさんいると思います。午前中、4校時の授業を頑張った後に、美味しい給食が待っているとしたら、子どもたちは頑張れます。もしかしたら、先生方もそうかもしれません。休むと、美味しい給食が食べられないので、毎日、休まず、学校に行きます。美味しい給食なので、残さず食べます。実際、野木沢小学校の給食の残さいは、ほとんどありません。もりもり食べて、休み時間は、たっぷり遊ぶ子どもたち。こうして、健康な体づくりは進められています。毎日、美味しい給食を作って下さる調理員さんには改めて感謝です。

09 コードF-10中止!

 きっと「コードFって何?」と思われる方はいると思います。コードFは、福島県内のあちこちに隠された宝物を探し出すイベントです。10年前から毎年この時期に開催され、今年は10回目なので、コードF-10です。宝を探す手がかりがかかれた冊子もあります。何日もかけて、福島県内を巡り、全ての宝を探し出すことができると、なんとも言えない達成感があります。経験上、子どもより大人がはまっているケースが多いようです。
 このイベントが、残念ながら、中止となってしまいました。始まったばかりでしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためです。不要不急の外出は控える状況だけに、仕方ないと思いますが、延期でなく中止なのが残念です。このイベントは、単に宝を探すだけでなく、その近辺の観光もでき、ふるさと再発見的な楽しみ方ができました。是非、また再開することを願うばかりです。

10 新型コロナウイルス感染拡大防止に関して

 政府は「緊急事態宣言」を全都道府県に拡大しました。これにより各都道府県の知事は、さまざまな要請・指示ができるようになります。また、東京、大阪、北海道、茨城、埼玉、千葉、神奈川、石川、岐阜、愛知、京都、兵庫、福岡の13都道府県を、感染拡大防止の取り組みを重点的に進める「特定警戒都道府県」に指定しました。期間は、5月6日までです。これに関連して、今後、福島県、福島県教育委員会、さらに石川町、石川町教育委員会としての対応が示されます。それを受けて、野木沢小学校の児童、教職員の安全確保のための具体的な対応を、保護者の皆様へお知らせしますので、今後、メール等の内容を御確認いただき、御理解・御協力をお願いいたします。

11 二つの詩から

 ここに二つの詩があります。一つは、坂村真民(さかむらしんみん)の「本気」、もう一つは、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」です。

本気  坂村真民

 本気になると 世界が変わってくる
 自分が変わってくる

 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ

 本気な恋 本気な仕事

 ああ 人間一度 こいつを つかまんことには

みんなちがって、みんないい  金子みすゞ

 わたしが両手をひろげても お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥はわたしのように 地面(じべた)をはやくは走れない

 わたしがからだをゆすっても きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんなうたは知らないよ

 鈴と、小鳥と、それからわたし みんなちがって、みんないい

 今年のある学年の学級経営のテーマは「本気」です。何にでも本気で取り組む子どもを目指しています。真民は、「本気になると、自分が変わる」と言っています。このLIVEで、かつて、学ぶことは変わることだと書きました。本気で学べば、自分が変わる。もし、変わらないとしたら、真民の言葉を借りれば、それは、「まだ、本気になってない証拠だ」ということです。子どもたちには、本気で学び、本気で遊び、本気の取り組みから、どんどん自分を変えていってほしいです。
 同じく、ある学年の学級経営の柱の一つに、「みんなちがって、みんないい」があります。子どもたちは、みんなちがいます。それが当然なのですが、自分に自信がないと、人とちがうことに抵抗を感じ、みんなと同じでないと不安になります。しかし、みんなちがっていいのです。ちがうからいいのです。子どもたちには、自信を持たせたいです。自分が他の人とちがっていることを、堂々と主張できるような自信を育てたいです。そして、自分とちがう人を認められる寛容な心も合わせて育てていきたいです。

12 鼓笛顔合わせにて…

 本校の鼓笛隊は、4年生以上で編制されています。先日、今年度の鼓笛の顔合わせが行われました。4年生以上が体育館に集まり、担当の五十嵐先生から練習や今後の取り組みについて話を聞きました。

 ほぼ全員が集まって、顔合わせが始まってすぐに、別用で遅れてきた児童が2名いました。その時、二人とも、体育館に入って来るや「遅れてすいません。」とあいさつしたのでした。その態度を見て、(すごいなあ)と思いました。こういう時は、こういうふうにあいさつするのだと教えられてきたのだと思います。しかし、教えられていても、できないことはあります。それをきちんとできていることが素晴らしいです。

 さて、鼓笛の発表は、例年、運動会で行われます。5月の運動会は、10月に延期になりましたので、その時に披露される予定です。しかし、今から練習は始まります。練習は、昼休みの15分間に行います。短時間の練習に集中して取り組むことになります。だらだらと長く練習するより、効率的で、効果的だと思いました。

 鼓笛隊は、学校の伝統の一つです。毎年、4年生から6年生が担当しますので、順々に鼓笛隊に入り、順々に鼓笛隊を卒業していくことになります。そうして、代々受け継がれていくのです。曲は多少、変更はありますが、鼓笛隊としての取り組みは、伝統です。そういう意味で、今年の鼓笛隊のみなさんは、来年鼓笛隊に入る下級生たちが、「素敵だなあ」「自分も早くやりたいなあ」と思われるような取り組みになるといいなあと思います。

 最後に、鼓笛隊のパートは、どのパートも重要です。なくていいパートはありません。どのパートも大切なパートです。ですから、自分のパートに誇りを持って、取り組んでほしいと思います。

13 「衛」はぎょうにんべん?

 6年生の書写の時間、指導されていたのは、衛先生。授業の中で、衛先生が、子どもたちにご自身の名前の漢字の問題を出しました。それが、「衛は、ぎょうにんべん?」です。一見、行や役と同じようにも見えます。しかし、答えは、「ぎょうにんべん」ではなく、「ぎょうがまえ」。同じ仲間に、街や術などがあります。「かまえ」は、国や団などのくにがまえと同じく、周りを囲むようになっているのですが、衛は、中の部分の上と下がないわけです。この一連のやりとりを見ていて、なるほどなあと思いました。ただ単に形を覚えるのでなく、そのしくみが分かると、より理解が深まると思いました。

14 校章について

1973年(昭和48年)11月7日、野木沢小学校創立百周年記念式典が執り行われました。その時に、発行された記念誌「百年の歩み」の中で、校章の由来について書かれています。以下、原文のまま紹介します。

校章の由来
 郷土の特色と学校教育のめざす理念と人間社会の姿を象徴しようとした。即ち自由、博愛、平等、正義の四つを以てあるべき人間社会の姿とし、ひな鳥としての子ども達はやがて東西南北に羽ばたき活躍する。そのように成す事は学校教育の理念である。十字形はこれらの事を象徴している。また、野木沢の伝統と郷土愛を象徴できる植物として菜の花を配した。十字科植物であるこの花は特に「友愛」を表す花として親しまれている。

 本校の校章は、二つの十字形が重なってできています。上記の説明からすると、手前の十字形は、子ども達が未来に向かって羽ばたいていく鳥の羽をデザインしたもので、後ろの十字形は、友愛・郷土愛を意味する「菜の花」をデザインしてものになります。
 そして、これら十字形の指し示す四つの意味は、人間社会において大事な「自由」「博愛」「平等」「正義」をそれぞれ表していることになります。

 また、菜の花について調べると、菜の花は十字形に花が咲くので、十字科植物と言われるそうです。ちなみに、本校の特別支援学級の名前は「なのはな」です。ちょうど、今の季節、至る所できれいな菜の花が咲いています。自然界では、新型コロナ…など関係なく、当たり前に季節が進んでいるのですね。

15 校歌について

 野木沢小学校の校歌は、昭和48年11月7日に制定されました。それは、ちょうど創立百周年記念式典の中で発表されました。

 野木沢小学校校歌    作詩 小林金次郎  作曲 紺野五郎

一 つつじ いろどる 希望ヶ丘で

  呼べば はるかな 那須山が 元気に 育てと 声かける
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 伸びるのだ
   大きな雲が 湧くように

二 光る ゆたかな 阿武隈川は
  胸に 希望の 火をもやし 仲よく 学べと 歌ってる
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 進むのだ
   大きな朝日 のぼるように

記念誌の中に、作詩者、作曲者からの言葉が載っていました。

作詩のことば  小林 金次郎

 わたくしが学校のために作ってきた歌だけを数えてみると、野木沢小学校の校歌がちょうど111番目になります。この校歌は、校庭の一角にある「希望ヶ丘」に立って那須山を眺めている時に自然と生まれてきた歌です。ふしぎにもここが、わたくしに詩情を湧かしてくれたものです。みなさんも、つつじが一面に咲きみだれるこの丘が好きだと思います。小さな町、小さな学校、そこから生まれる大きな夢、大きな希望が大切なのです。それは那須山に湧き上る雲のように、阿武隈川の上に輝く太陽のように、仲よく力を合わせて勉強し、未来に伸びて行くりっぱな人になって行く姿を示しているのです。この校歌はそういう願いをこめて作ったのですから・・・。

作曲のことば  紺野 五郎

 この曲は行進曲風で大型のものです。詩の終わりに「大きな雲がわくように-、大きな朝日のぼるように」とあるので、この精神を曲の中に生かして作曲しました。野木沢小学校の児童がすくすくと大らかな人物に育つようにお祈りします。

 作詩された小林金次郎氏は、福島市生まれ、詩人の北原白秋に師事し、童謡や詩を学びました。その後、福島師範学校卒業し、小中学校に勤務。退職後は県内の幼小中高大学校の校歌を作詩しました。
 作曲された紺野五郎氏は、安達郡東和町出身。東京や福島で小中学校教諭をされ、退職後、ピアノ指導をされました。小林金次郎氏の詩には40曲ぐらい作曲しました。

 わたしたちが毎日歌っている校歌は、このような作詩・作曲をされた方々の思いがつまった素敵な校歌です。

16 「テキシコー」って何?

「テキシコー」というNHKのEテレの番組があります。今回、休校中のおすすめとして紹介した中にありました。最初、「テキシコーって何?」と思いました。この番組で取り上げているのは「プログラミング的思考」。この「的思考」が番組名の「テキシコー」だったのです。

 では、プログラミング的思考とは何か。文科省では、次のように説明しています。「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」
 つまり、簡単に言うと、「自分がやりたいことをやるために、必要な条件を考え、それらをどうしたら一番自分がやりたいことに近いことができるのかを考える力」。この番組では、このプログラミング的思考を、分解・組み合わせ・一般化・抽象化・シミュレーションととらえています。

 この番組を制作した一番のねらいは、「コンピューターを使わずにプログラミング的思考を育む」です。実際に見て頂くと分かるのですが、この番組には、コンピュータを使った内容は出てきません。代わりに、思わず頭の中で手順を組み立て、先を予想したくなるような興味深い実験や、手順の組み合わせを改善していく楽しさを伝えるアニメーション、さまざまな仕事や物の中にプログラミング的思考が活かされていることを伝えるコーナーなどで構成されています。コンピューターへの苦手意識やICT環境を問わず、誰でも楽しくプログラミング的思考を育め、コンピューターを使ったプログラミングへの導入としてはもちろん、実際のプログラミング体験をした後でも、活用できる番組として作られています。(番組HPより)

 この、「コンピュータを使わない」というところがみそです。例えば、「ダンドリオン」というコーナーがあります。ここで扱うのは、まさに「段取り」。いかに効率的に考えるかということ。床のゴミを集めるのに、いかに効率的に集められるか考える。これも、プログラミング的思考。また、「こんなところにもプログラミング」のコーナー。ここでは、身近な生活の中や一般的な仕事の中にあるプログラミングについて触れています。例えば、花火職人の作る花火。たくさんの火薬をどのように配置して打ち上げ花火を作るかは、まさにプログラミング的思考。

 この番組を見ると、私たちが日頃何気なく行っていることの中に、実はプログラミング的思考を駆使してやっていることがあることに気づかされます。家事においても、買い物したり、料理をしたりすることは、かなりプログラミング的思考だと思います。遊びの中でも同じ事が言えます。例えば、将棋やオセロなどでは、駒をどこにどう置くか、その結果、どうなるかを考えて遊びます。まさに、プログラミング的思考です。そう言えば、コンピュータ対将棋や囲碁の棋士が対決することがあるくらいです。
 そういう意味で、コンピュータなど使わなくても、プログラミング的思考は育てられるし、鍛えることはできそうです。そして、このプログラミング的思考を育むことで、物事の見方や自分の考え方を論理的にとらえ、相手に分かりやすく伝えたり、表現したり、課題を要領よく処理したりできるようになることも期待できると思います。

 「テキシコー」。是非、一度見てみてはいかがでしょうか。「テキシコー」は、パソコンでも視聴することができます。

17 石川町は鉱物の町

 石川町は鉱物の町です。マスコットキャラクターの「キララちゃん」は、紫水晶がモチーフになっています。
 石川町は、昔から有名な鉱物の産出地で、ペグマタイトと呼ばれる、大きく結晶化した鉱物が採れるエリアがあることで知られています。日本三大ペグマタイト産地にもなっています。
 学区内にも、「和久観音山ペグマタイト鉱床」と呼ばれる場所があります。ここでは、許可を得れば、鉱石の採取が可能で、本校のクラブ活動でも取り組んでいます。
 実際に、和久観音山ペグマタイト鉱床に行ってみました。中には入れなかったので、周りからの観察でしたが、山全体が採石できるような感じでした。入口の説明板によると、石川町では、明治の終わり頃から昭和40年半ばまで長石と珪石を掘り出した町として有名で、とても賑わったそうです。長石は瀬戸物の焼き物の釉薬(うわぐすり)になり、珪石はガラスやレンズの原料です。
 現在では、長石や珪石は採れなくなりましたが、石英・白雲母・黒雲母・ざくろ石・電気石などの鉱石が採集できるようです。今度は、事前に連絡をして、かつての坑道に入ってみたいと思います。

18 ウイルスと共存

 私の故郷、会津の郷土玩具に「赤べこ」があります。きっとみなさんも一度は見たことがあると思います。あの赤べこをよく見ると、体の周りに、黒と白の丸い模様がついています。諸説ありますが、その中に、あれは、天然痘という病気にかかった時にできる「あばた」の痕だと言われているものがあります。平安時代頃、日本では天然痘が大流行しました。当時はワクチン治療がなく、多くの人が亡くなりました。そんな中、赤べこの人形を持っている子どもは、天然痘にかかりにくいといううわさが広がりました。赤べこの体の色の「赤」は、魔除けを意味していたからです。だから、子どもの身代わりの意味もあったのでしょう。

 さて、ある日の朝日小学生新聞に、ちょっと興味深い記事が載りました。それは、「私たち人間は、昔から感染症、ウイルスと長い付き合いをしている」というものでした。

・古代エジプト時代から、先程紹介した「天然痘」が流行しました。
・14世紀のヨーロッパでは「ペスト」が流行し、世界で1億人が死亡し、「黒死病」とも言われました。
・1918年には、アメリカとヨーロッパで「スペインかぜ(新型インフルエンザ)」の流行が始まり、世界で2千万から5千万人が亡くなりました。
・2002年、中国香港を中心に、「SARS(サーズ、重症急性呼吸器症候群)」が流行し、世界で8千人以上が感染し、約800人が亡くなりました。
・そして、今、「新型コロナウイルス」が世界で大流行しています。24日現在で、世界で感染者が270万人以上、亡くなった人も19万人以上になっています。

 感染症に詳しい長崎大学の山本教授は、こう話しています。「このように大昔から人に感染する病気はありました。そして、人が集落を作り、多くの人が一緒に生活をするようになり、病気は広がるようになりました。また、人間が開発などで、むやみに自然の中に入っていったことで、新しい病気のウイルスと出会うようになりました。ウイルスも人間も、自然の一部という意味では一緒です。今回の、新型コロナウイルスがどういう形でおさえられていくか分かりませんが、今後も、新しい感染症は発見され、流行はこれからも続くことが考えられます。」そして、最後にこう言っています。「最終的にはウイルスと共存していくべきでしょう」

 地球を一つの大きな生命体と考える「ガイア理論」という考えがあります。それは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げているという考えです。ウイルスと人間も、同じ地球上の自然の一部として相互に関係しながら生きていることになります。そういう意味で、最後はどちらかの絶滅ではなく、共存という考えになるのでしょう。

 今回の新型コロナウイルスのワクチンの開発は待たれますが、それまでは、やはり、各自の免疫力を下げないこと、そして、爆発的な流行にならないように行動を注意することです。

19 野小っ子チャンネル作成裏話

 きっかけは、県教育委員会が作成した「学びのサイト」の動画でした。「学びのサイト」は、県教育委員会のホームページよりアクセスするのですが、動画サイトがPDFファイルにリンクされており、それを開くのにパスワードが必要になっています。そのパスワードを入れると、PDFファイルが開けて、そこにリンクされている動画サイトが視聴できるようになっています。なぜ、そのようなしくみなのか、校長と教頭で探りました。その結果、そのしくみは、動画サイトの「限定公開」というしくみになっていることが分かりました。それにより、パスワードを知っている人だけが、指定の動画サイトにアクセスすることができるというわけです。そこで、校長と教頭の間で、このしくみを使えば、学校でも、パスワードを知っている保護者(児童)だけが視聴できる動画を作成してアップできるかもしれないという話になりました。そこで、試しに子ども達向けの応援動画を作成してみようということになったのでした。
 そこから先が早かったです。次の日、在宅勤務期間でもあったため、出勤していた先生方だけで、とりあえず簡単な動画を作成することになりました。当初は、1人1分程度の子ども達へのメッセージを撮る予定でした。しかし、先生方で話し合う中、ペープサートを使って語りかけたり、実際に簡単な運動を呼びかけたりしてはどうか、生活リズムが崩れているかもしれないから、基本的な日課表を示してはどうか、といろいろアイディアが出て、結果、5分ほどの番組が完成しました。先生方それぞれが役割分担し、シナリオを考え、小道具を準備し、撮影して、最後は編集してと、まさに「チーム野木沢」で作り上げた産物でした。
 作れそうだ、という話になってから、翌日制作、2日後には動画サイトにアップできたスピード感がすごいと思いました。今、学校現場は、できることの手探り状態で、予定していたことが急遽、変更になることがざらです。だからこそ、思い立った時に、とりあえず、やってみようと行動することが求められていると思います。
 野小っ子チャンネルの第1弾は完成しました。これを基にして、次はどうアレンジしたものができそうか、また手探りの日々が続きます。

20 世界最古のクイズとは?(前編)

 紀元前18世紀に考案された、おそらく「世界最古のクイズ」というものがあります。今から3700年くらい前になります。そんな大昔に、クイズなんか考えたのか?と思いますが、当時の残された記録にそうあったようです。世界史の授業を思い出してください。古代メソポタミア文明、聞いたことがあるかと思います。現在のイラクにあたる場所で、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えたのが、メソポタミア。そこで生まれた文明が、古代メソポタミア文明と言われています。その初期に栄えた民族が、シュメール人。そのシュメール人が用いていた文字が、古代シュメールくさび形文字。このくさび形文字が、世界最古の記録文字と言われています。

 文字通り、くさびの形が組み合わさった形をしていて、記録媒体は紙ではなく、粘土板を用いていました。その粘土板に記録されたくさび形文字を解明していった中に、今回紹介する「世界最古のクイズ」があったというのです。
 あんな記号を解明するのは、とても大変な作業だったと想像できます。まさに、人間の努力の素晴らしさです。
 さて、本題の「世界最古のクイズ」はどういう問題だったのか?それは、次のような問題でした。

 問題 建物がある。
    そこに入る時、人は目を閉じている。そこから出る時、人の目は開かれている。
    この建物とは何だろうか?

 いかがでしょうか。世界最古のクイズ。解けますでしょうか。
 ヒントを言います。この建物は、みなさん、よく知っています。おそらく、みなさん、入ったことがある建物です。どうでしょうか。お分かりになりましたか?
 では、答えを言います。答えは…次回へ。

21 世界最古のクイズとは?(後編)

答えは、「学校」です。

 学校は「学ぶ」ところです。学校に入る前、学ぶ前は、物事についてあまり分からず、何も見えていない。つまり、目を閉じた状態。しかし、学校で学ぶことで、できるようになったり、分かるようになったりする。つまり、目を開けた状態で、学校から出る。小学校で考えれば、1年生として、目を閉じて入学した子どもが、6年生として卒業する時は、いろいろ分かり、できるようになり、目を開けて卒業していく、ということを表していると思います。また、短く考えても、朝、目を閉じて分からない状態で登校してきた子どもが、一日学校で、先生や友達と関わりながら過ごすことで、いろいろと理解でき、わかり、できることが増え、目を開けた状態で、その日を終えて、学校から帰っていくということも当てはまります。
 こんなに大昔の人たちも、学校の重要性を意識していたのだなあ、と思うと、感慨深くなります。

22 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!

 日本赤十字社のホームページに、表題の内容が紹介されていました。
 新型コロナウイルスの3つの顔って、何だと思いますか?次に、紹介します。

 新型コロナウイルスには、怖い「3つの“感染症”」という顔があります。

  1の“感染症”は、「病気」そのものです。
  2の“感染症”は、「不安と恐れ」です。
  3の“感染症”は、「嫌悪・偏見・差別」です

 この3つの“感染症”が、「負のスパイラル」になって広がるのです。

 「病気」→①未知なウイルスで分からないことが多いため、不安が生まれる。

→「不安」→②人間の生き延びようとする本能により、ウイルス感染にかかわる人を遠ざける。

→「差別」→③差別を受けるのが怖くて熱や咳があっても受診をためらい、結果として病気の拡散を招く。

→「病気」へ

 この感染症の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。
 では、負のスパイラルを防ぐためには、どうしたらよいのでしょうか。

 「病気」は、手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど。

 「不安」は、気づく力を高め、聴く力を高め、自分を支える力を高めること。

 「差別」は、差別的な言動に同調しないこと。感染防止のために頑張っている全ての方々に、ねぎらいと敬意を払うこと。

 まだまだ、終わりが見えない日々が続きそうです。このウイルスとの戦いは、長期戦になるかもしれません。だからこそ、正しく知り、きちんと対応していかなければならないのだと思います。このことは、各学年で子どもたちに指導しましたが、今後も継続して指導します。
 ここで紹介した内容を、もっと詳しく説明した資料を、学校のホームページにリンクしておきますので、是非、見てみて下さい。

23 登校日の話

 久し振りに、元気な子どもたちの姿が見られました。子どもたちも今日の日が待ち遠しかったのか、早くから学校に来て、朝から校庭を走り回っていました。

 次は、帰りのなかよし班下校での、校長の話です。

「今朝、街頭指導をしていて、すてきだなあと思うことがありました。道路を横断しようと手を上げていたお友達が、道路を渡り終わった後、停まってくれた車の運転手さんにおじぎをしていました。そういうことをしていた人が今朝は6人見ました。きっと、もっとたくさんいるのだと思います。いいことは、ずっと続けて下さい。そして、いいことは、真似をして、やってみましょう。

 自転車に乗る人にお話しします。自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。ヘルメットはみなさんの頭を守るためにかぶります。ですから、道路でも、家の庭でも、自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。

 今日はいい天気です。今日のような晴れている日に「雨降れ」と叫んでも、雨は降りません。雨の日に「晴れろ」と願っても晴れません。私たち人間は、残念ながら天気をコントロールできないのです。自然の力の前で、人間は無力です。きっと、このコロナウイルスも同じなのだと思います。今のところ、治す薬も、かからないためのワクチンもありません。だから、かからないように気をつけるしかないのです。そのためのマスクであったり、手洗いであったりします。しかし、薬やワクチンがなくても、私たち人間には、生まれながらに持っている免疫力をあります。体内に入ってきたウイルスをやっつけてくれる仕組みです。この免疫力を高めるために、栄養と運動と睡眠です。自然はコントロールできませんが、自分のことは、自分でコントロールできます。規則正しい生活リズムで、お家でも生活しましょう。」

 一日も早く、普通の学校生活ができることを願ってやみません。

24 注文をまちがえるレストラン

 みなさんは、宮澤賢治の「注文の多い料理店」というお話はご存じですか。二人の紳士が猟に出て、山奥で道に迷い、突然現れたレストラン「山猫軒」に入ります。そこは、注文が多い料理店で、入口からひとつずつ部屋に入る度に、「くつをぬいでください」「金物をはずしてください」「瓶の中のクリームを塗って下さい」等と書かれています。最初、紳士たちは、一流のレストランのしきたりだと思い、それに従うのですが、実は、このレストランは、お客を料理するための注文を出すレストランだったのです。それに気づいた紳士たちは…という展開のお話です。

 これは、「注文の多い料理店」ですが、最近、似たような名前のレストランのことを知りました。そこは、「注文をまちがえる料理店」。えっ、注文を間違えるなんて、ふざけたお店かと思ったら、そうではないのです。なんと、この店のスタッフは、全員、認知症の方々なのです。だから、注文したことを間違えてしまうことがある。それは、お客さんも分かっていることなので、そのことはとがめられない。これは、認知症の方々を笑い者にしているのでは決してなく、認知症になったことで自信をなくしていた人たちが、働くことで再び生きる喜びを取り戻すことができる場所になっているのでした。


 すてきだなあと思いました。このレストランでは、認知症の人の様々な問題が解消しているわけではなく、しかし間違えても「ま、いいか」と思える寛容さが、温かい雰囲気を作り出している。そういう寛容な雰囲気が、そこにいる人たちを安心させ、笑顔にしていると思いました。寛容さは、優しさでもあるわけです。
 学校でも、同じようなことが考えられます。教室で授業中、問題を解いている時に、誰かが間違えた答えを言った時、それをすかさず、「違います」と指摘したとします。確かに、間違いではあるのですが、しかし、正しいか間違いかだけで授業を進めると、誰も安心して発言できなくなってしまいます。例え、間違いでも、それも一つの考えとして、みんなが寛容に受け止めたら、きっと間違えた発言をしても大丈夫だと安心して、授業に参加できると思います。

25 人間の究極の幸せ

 チョークを作っている会社で、「日本理化学工業」という会社があります。この会社では、多くの知的障害者を雇用しています。その背景には、この会社の理念があります。その理念とは、ある禅寺の住職の言葉です。それは、「人間の究極の幸せ」についてです。

 その住職は、次のようなお話をされたそうです。「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです。」

 世の中には、働きたくても働けない人はいると思います。今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの人が職を失う状況にあります。ですから、一概に「働くことで幸せを得る」と言えないところはあります。早く、この状況が改善されることを願ってやみません。

 しかし、それでも、この住職の話した内容には、考えさせられます。と言うのも、学校生活においても、同じようなことが言えるからです。学校では、子どもたちは、それぞれの学級学年において、役割を担います。それは、学級の係活動であったり、当番活動であったりします。学年が上がると、委員会活動やボランティア活動もそうです。それらの活動を通して、自分が役に立つこと、自分が必要とされていること、そして、自分が感謝される存在であることを体験することができます。それは、やはり、人としての幸せを感じることにつながっていると思うのです。

 ある人がこんな話をしていました。「人は、子どもであろうと、大人であろうと、若者であろうと、お年を召されてあろうと、健康であろうと、病気をされてあろうと、障がいをもってあろうと、障がいをもってなかろうと、自分の存在が誰かの喜びにつながっていることを感じた時、人としての最高の喜びを感じることができる。」「不幸のほとんどは、何々してくれない、何々してくれ方が足りないという、自分中心の考え方から来るのである。何々してくれない、何々してくれ方が足りないという考え方でいる限り、その人は人としての最高の喜びを感じないまま、一生を終えていく。」これは、前述の「注文をまちがえる料理店」の話にも通ずる話です。

 子どもたちにとって、学校は、自分の未来に希望を抱き、夢を描くところです。そういう意味で、働くことの意味を考えさせ、今の自分にできることを、実行できるような子どもたちに育てていきたいと思います。

26 未来は変えられる (その1)

 20日付福島民報に、次のような、内堀県知事のコメントが掲載されました。

福島県知事 内堀雅雄

 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大により、日本中、世界中が前例のない困難に直面していますが、そんな時だからこそ、思い返したい言葉があります。

「私たちに変えられることが二つある。一つは自分自身。もう一つは未来だ」

 これは、本県が生んだ世界的医学者、野口英世博士の言葉です。博士は、貧しい農家に生まれ、幼少時には左手に大やけどを負うという過酷な境遇にありながらも、不断の努力で逆境を乗り越え、自らの未来を切り拓かれました。

 細菌という目に見えない敵と対峙し、気の遠くなるような数の実験を繰り返された野口博士。そんな博士の座右の銘は「忍耐」でした。博士の考える忍耐とは、単に耐え忍ぶというものではなく、夢や未来に向かって「あきらめない」との強い思いが込められていたそうです。

 現在の私たちも、幼少期の博士と同様、二重、三重の困難に見舞われています。しかし、博士が体現されたように、私たち一人一人が、「現状を変えたい」という強い思いを抱き、共に力を合わせれば、必ずやこの困難を乗り越えることができると、私は確信しています。

「未来をあきらめない」「未来は変えられる」

 先人の言葉を胸に、全県一丸となって、感染拡大の防止に取り組みましょう。自分自身の未来のために、そして自分の大切な人の未来のために。

 会津若松出身の私にとって、野口英世博士はやはり地元のすごい偉人です。若松市内には英世博士と関連のある場所がいくつかあります。かつての旧市民会館(現会津稽古堂)の前には、大きな英世博士の銅像が建っていて、そこにも「忍耐」の文字が刻まれていました。生誕百年のお祝いでは、当時小学生だった私は、若松市内の各学校から集められた代表児童にまざり、唱歌「野口英世」を歌った記憶があります。

 

27 未来は変えられる (その2)

 文部省唱歌「野口英世」。こんな歌詞の歌です。

   一 磐梯山の動かない/姿にも似たその心/
     苦しいことがおこっても/貫きとげた強い人
 二 やさしく母をいたわって/昔の師をばうやまって/
     医学の道をふみきわめ/世界にその名をあげた人
 三 波路も遠いアフリカに/日本のほまれ輝かし/
     人の命すくおうと/じぶんは命すてた人

 英世博士のお墓は、アメリカのニューヨークにあるウッドローン墓地にあります。その墓碑には、「科学への貢献を通して、人類のために生き、亡くなった。」と刻まれています。

 英世博士の生家は、猪苗代町の野口英世記念館の一角にあります。火傷したいろりもあります。その家の柱には、医者になることを決意して、上京するにあたり、思いを刻んだ跡が残っています。そこに刻まれた言葉が「志を得ざれば再び此の地を踏まず」です。自分の願い(医師になる)が叶うまで、ここには戻らないという、強い気持ちが込められた言葉です。先程の歌詞の中にも「苦しいことがおこっても、貫きとげた」とあります。これが、前述の内堀知事も言っている「あきらめない」心です。

 来週から短縮ではありますが、毎日、全校生が登校になりました。そして、6月からは、通常日課での学校生活が再スタートです。感染症対策に気をつけながらの日々は続きますが、それでも、子どもたちの健やかな成長のために、「あきらめずに」教育活動を進めていきます。

28 野口英世語録(その1)

 前回に引き続き、今回も野口英世関連の内容です。前回、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」「忍耐」などの、野口英世にまつわる言葉を紹介しましたが、調べてみると、野口英世はいろいろな言葉を残しているようで、気になったいくつかを紹介します。

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」
・忍耐について、このようなことを言っています。確かに、耐え忍ぶのは、つらいことです。まさに今、いろいろと耐え忍ばなければならない日々が続いています。しかし、このつらい日々が過ぎれば、きっといい結果が待っているはず。そう信じて、頑張りたいと思います。

「目的 正直 忍耐」
・これは、英世が日本に一時帰国した際、猪苗代にある母校の翁島尋常小学校で講演を行い、その時、黒板に記した文字です。英世自身が、自分の経験を通して、子どもたちに伝えたい言葉が、この3つに表れているのだと思います。自  分の夢を叶えるためには、目的を持ち、それに向かって努力し続けることです。時には、耐え忍ぶ場面もあります。そして、何事も自分に正直に生きることが大事だと、英世は言いたいのだと思います。

「正直であることが最高の手段だ。」
・「正直」とは、「心がまっすぐで言動に偽りのない」状態ですから、その反対は、「嘘や偽りに満ちた心と言動」で「虚偽」となります。人間は弱い生き物なので、時に嘘やごまかしに負けてしまうことがあります。しかし、それでも嘘偽りなく、正直に生きようとする健気さもあります。それこそが、人間の尊さです。子どもたちには、素直で正直に生きることの尊さを感じてほしいと思います。

「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。」
・英世の一生をふり返ってみると、まさに、この言葉に凝縮された人生だったと思います。医者になりたいと願い、その実現に向けて、必死に努力し、世界中の病気の研究に没頭し、その結果、世界中の多くの人たちの命を救ってきた。人としての最高の幸せを手にしたのだと思います。(次回へ続く)

29 野口英世語録 (その2)

「人は能力だけではこの世に立つことはできない。能力と共に徳義を持つことが必要である。」

・「徳義」とは、人として守るべき道徳上の義務のことです。前述した「正直」とも通じると思います。例え、どんなに素晴らしい能力をもって、他の人ができないことができたとしても、徳義なく、他の人から尊敬されないような人は、やはり世の中から認められないということでしょう。 

「人の一生の幸せも、災いも自分から作るもの、周りの人間も、周りの状況も、自分が作り出した影と知るべきである。」

・なかなか深い意味の言葉です。私たちは、生きていて、思うようにうまくいかないと、他人のせいにしてしまうことがあります。中には、自分が損をしたと感じると、腹を立てて怒る人もいる。そして、そういう人に限って、そういう状況は、自分でそうしているのだということに気づいていません。人生は、自分一人で、脚本も演出も、そして主役も演じるライブです。だから、自分の見方、考え方一つで、いくらでもいいライブ、楽しいライブにすることができます。そして、自分以外の人は、その自分が主役のライブに登場してくれた脇役のみなさんなのです。だから、例え、うまくいかなくてつまらないことがあっても、それを脇役のせいにしてはいけません。うまくいかなくてつまらないのは、脚本も演出も主役も行っている自分自身が、そういうつまらないライブにしているのですから。

 

 言葉は、その人自身を表す、と言われます。英世が発した言葉の数々は、英世の生き様を表しています。私も、文字としての意味だけでなく、その奥にある真意をしっかりと感じて、言葉を発していきたいと思いました。

30 太陽の話

 今日の全校集会は、給食時に放送で行いました。次は、その時の校長の話です。

「太陽の話をします。
 まず、太陽の一番外側の光の輪の部分をコロナと言います。コロナとは、ギリシャ語で王冠の意味もあります。コロナウイルスを顕微鏡で見ると、外側に王冠のような突起物が見られることから、コロナと名付けられました。
 さて、みなさんは、あの太陽がどのくらいの大きさか知っていますか。地球上から見ると、太陽は、月と同じくらいの大きさに見えますね。しかし、実際は、太陽は月の400倍の大きさがあります。では、なぜ、そんなに大きいのに月と同じように見えるのでしょう。それは、地球からの距離の違いです。地球から太陽までの距離は、地球から月までの距離のやはり400倍です。太陽は月と比べて、400倍の大きさで、400倍離れたところにあるので、同じように見えるのです。
 ちなみに、ちょっとイメージしてみましょう。今、みなさんの教室の黒板の前に30cmぐらいの大きさのボールがあるとします。それが地球です。そうすると、そこから9mくらい離れたところ、教室の後ろの壁ぐらいのところに、月があります。大きさは、ソフトボールくらいです。月はけっこう近いですね。では、太陽はどこかというと、みなさんのいる、この野木沢小学校から3.6km離れたところ、だいたいメガステージの少し先あたりになります。そこに、太陽があります。大きさは、直径33mぐらいですから、校庭の半分くらいの大きさです。かなり大きいですね。それが太陽。すごく大きいですが、すごく離れているので、見え方は月と変わらないというわけです。
 今度、太陽や月を見た時は、今日の話を思い出してみて下さい。月や太陽の見方が少し変わって見えるかもしれません。今日は、太陽の話をしました。」

31 アムンゼン隊に学ぶ(その1)

 5/26日付福島民友に、興味深い記事が載っていました。それは、今からおよそ100年前の20世紀初めの南極点到達を目指した争いについてです。当時、まだ、人類は誰も南極点に到達していませんでした。ですから、誰が初めに到達するか、世界は注目していました。その中で、ノルウェーのアムンゼン隊とスコット隊が競っていました。そして、1911年12月14日、南極点に一番乗りをしたのはアムンゼン隊でした。アムンゼン隊に遅れること34日後の、1912年1月17日にスコット隊は到達しました。問題はここからです。一番乗りしたアムンゼン隊は、その後無事帰国を果たしましたが、スコット隊は、その帰途全員死亡したのでした。

 どうして、そのような対照的な結果になったのか。両隊を比べて一番の違いは、組織の在り方でした。アムンゼン隊は、各隊員が自ら考え行動する参画精神と、チームで問題解決に当たる事を重視していました。一方、スコット隊では、隊員は隊長の命令に従順に、そして忠実に行動することが求められました。
 その結果、アムンゼン隊は、極限の地で起こる予期せぬ事態を想定して事前の訓練も万全、本番での対応もチームワークが発揮されました。これに対して、指示待ちのスコット隊員にはチームワークも創意工夫も期待できず、最終的に雪上車の修理ができず、人間がそりを引く過酷な作業を強いられ、さらに事前のチェック不足が燃料の欠乏を招き、凍傷の体を温める事ができず、肉体的な打撃を受け、結果、隊員は一人、二人と死に、最後は全員死亡という悲劇になったのでした。

 この記事を読んだ時、我が野木沢小の先生方は、アムンゼン隊だと思いました。4月からスタートした学校生活の中で、取り巻く環境が次々と変化し、その状況に対応する日々が続いています。その中で、先生方一人一人が、自分のやるべき事、そして、お互いに協力して取り組むべき事を判断し、仕事に当たってきました。指示待ちの人はいません。逆に、自分に今、何ができるか考えて、行動しています。その一例が、あの「野小っ子チャンネル」作成です。これまでやったことのない、新たな取り組みに対して、前向きにそして創造的にチャレンジする力が、野木沢小の先生方にはあります。とても、素晴らしいことです。新型コロナウイルスによる影響は、これからも続きます。しかし、その中で、今、できることを全職員で探りながら、少しでも子どもたちの学校生活が充実するよう、進んでいきたいと思います。(次回に続く)

32 アムンゼン隊に学ぶ(続き)

 そして、学校でも、子どもたちをアムンゼン隊のように育てていきたいと思います。子どもたちに身につけさせたい力は、「生きる力」。問題に直面した時に、自分で判断し、決断し、行動できる力。一人でできない事は、他の人に助けてもらいながら、どんな人とも協力して活動できる力。そういう力を身につけさせるために、日々の学習があり、学校生活があります。そのためには、自分で考えさせるという機会が必要です。一から十まで、全て先生が指示し、言われた事しかしないようでは無理です。どうしたらよいか、どうしたいか、自分で考えて行動する。考えて行動すれば、例えそれがうまくいかなくても、そこから大事な事を学べます。そして、それは次に生かせます。しかし、自分で考えないで、言われたからやったことは、うまくいかないと、失敗したという事実しか残らず、結果、そこから学ぶ事はできません。
 
 大事なのは、うまくできたか、できなかったかではないのです。自分で考えてやったか、どうかです。子どもの成長に、焦る必要はありません。まずは、私たち大人がどんと構えて、子ども自身に自分で考えて、思うようにやらせてみることです。是非、御家庭でも、子ども自身に考えさせてやらせてみる機会をとってみてほしいと思います。

33 「ウイルスの次にやってくるもの」

 これは、日本赤十字社が作成したオリジナルアニメーションのタイトルです。3分ほどのそのアニメーションでは、新型コロナウイルス感染の次に、我々に襲いかかってくる“そいつ”について紹介しています。さて、“そいつ”とは何者だと思いますか。

 そいつは、暗いニュースや間違った情報が大好きで、それらをたくさん食べて、どんどん育ち、そして、私たちにこうささやきます。
 先の見えない状況を「もうみんな助からない」と。
 誰にもまだ分からないことを「誰かが隠しているのだ」と。
そいつは、人から人へ広まっていきます。
 「あの人が病気になったのは、誰のせい?」
  「ウイルスが広まったのは、あいつのせいだ!」
 「世界がこうなったのは、あいつのせいだ!」
そいつは、まわりに攻撃を始めます。そして、そいつは脅かします。
 「もしも感染したら、どうする?」
 「あんなふうに言われたら、どうする?」
みんな、熱があっても、隠すようになる。具合が悪くても、元気なふりをするようになる。もう誰が感染しているか分からない。ウイルスはどんどん広がっていく。鏡を見ると、そこに、もう、あなたは、いない…。

 そいつの名前は、…「恐怖」。ウイルスの次にやってくるもの。もしかしたら、ウイルスよりも恐ろしいもの。

 アニメーションでは、この後、「私たちが恐怖に飲み込まれる前にできること」について、紹介しています。実際、コロナウイルスに感染した人やその家族に対して、差別や偏見があることが報道されています。人がそういう行動を取るのは、「恐怖」の心だからです。人間の持つ防衛本能がそうさせているのです。私たちが本来持っている防衛本能が、無意識に自分にとって害のあるもの、危険なもの、命の危機を招くものを排除しようとするのです。しかし、過剰な反応は時に、人権問題にまで関わります。

 緊急事態宣言が解除になり、少しずつ前のような生活に戻ろうとしています。しかし、新型コロナウイルスの感染リスクがなくなったわけではありません。また、いつ、感染者が急増して、再び、緊急事態宣言が出されるなんてこともあり得ます。そうなった時、私たちは、恐怖に対して、きちんと対応できる事が求められます。

 このアニメーションは、最後にこう言ってます。
「恐怖は誰の心の中にもいる。だから、励まし合おう。応援し合おう。人は、団結すれば、恐怖よりも強く、賢い。恐怖に振り回されずに、正しく知り、正しく恐れて、今日、わたしたちにできることを、それぞれの場所で」

35 あいさつに想う

 野木沢小学校の校舎は3階建てで、1年から3年の教室が2階、4年以上が3階にあります。朝、登校してきた子どもたちは、昇降口横の階段は上がらずに、そのまま一階の廊下をまっすぐ進み、校長室と職員室の前を通り、その時、中にいる先生方に向かって、「おはようございます。」とあいさつしてから、東側の階段を上がって教室に行きます。帰りは逆のルートで、やはり同じように職員室と校長室、保健室の先生方に「さようなら。」とあいさつをして昇降口へ向かいます。

 校長室にいると、全校生のあいさつを受ける形になっています。まだ、そんなにお互いの事をわかっていない関係ですが、子どもたちは、そんな私にも毎日あいさつをしてくれます。律儀で健気な子どもたちだなあと、愛おしく思えます。そして、校長室で子どもたちにあいさつを返したり、その様子を見ていたりしていると、なかなかいいあいさつをしている子どもたちに気付きます。廊下を歩きながら、あいさつをしていく子どもたちの中には、校長室の扉の前で立ち止まって、あいさつをしていく子どもがいます。あいさつせずに通り過ぎたと思ったら、思い出したように戻ってきて、顔を出してあいさつしていく子どももいます。あいさつは一人一人違っていて様々です。ちがってていいんです。あいさつはこうでなければならない、なんてありません。あいさつにもその子らしさが出るのだと思います。

 朝、「おはようございます。」とあいさつする子どもをみていると、あいさつと一緒に(今日も元気に学校に来ました!)と報告してくれているように感じます。また、帰りに「さようならー。」とあいさつする子どもは、(今日一日、頑張りましたー)と言っているように感じます。

34 漢字の書き順、大丈夫ですか?

 最近、テレビ番組にクイズ番組が多いように感じます。それも、小学校で習う内容を扱っているものをかなり見かけます。大人が小学校で習った内容の問題を解く。できて当然かと思うと、意外とそうでないんですね。その辺りが、番組制作側のねらいでもあるのでしょう。忘れてしまっていたり、間違えて覚えていたり…。実は、見ていると、自分でも「あれっ、なんだっけ?」という問題があります。特に、漢字の書き順を問う問題。自分ではこうだろうと思っていた書き順が、実は違っていた!ということがあるのです。やはり、最初にどう覚えたかということです。

 これに関して、私には忘れられない思い出があります。それは、高校1年生、現代文の授業中の出来事です。ノートを書いている私に、机間指導で回ってきた先生が声をかけてきました。「おい、佐藤。今の字、もう1回書いてみろ。」そう言われた私は、指摘された漢字をもう一度ノートに書きました。すると、それを見た先生が一言、「佐藤、その字の書き順、違ってるぞ。」と言ったのです。「えっ?」私が驚いていると、先生は、正しい書き順を教えてくれました。それを見て、私は「えっ、そうなんですか。」と二度驚いたのでした。さて、私が書き順を間違えて覚えていた漢字は何だと思いますか。

 それは、「必」です。私はそれまでこの字を、心を書いて、最後に左払いを書いていたのです。しかし、正しくは、真ん中の点から書き始めます。次に左払い。次に右の曲げからの跳ね、そして左の点、右の点の順です。この字は小学4年で習う字ですから、9歳から16歳までの7年間、ずっと間違えた書き順で書いていた事になります。そして、実際に書いて比べてみると分かるのですが、書き順が変わると、字形も異なります。そこが正しい書き順で書くポイントなんです。つまり、正しい書き順で書く事は、正しい字形で書く事につながっているのです。だから、勝手に自分の書きやすい書き順で書いてはいけないのです。

 最後に、間違いやすい書き順の漢字をいくつか紹介します。みなさんは、正しく書けますか?
1年 右 左 土 九 年
2年 米 母 何 馬 長
3年 区 式 乗 様 世 皮 発
4年 希 成 臣 兆 飛 必
5年 非 版 比 布 武
6年 我 革 劇 座 冊 衆 垂 収

書き順の答えはこちらです。→書き順(答え).pdf

36 “ぶたはしゃべる”って何?

 全国で毎年12000人程の小学生が、交通事故に遭っています。これは、毎日30人超の子どもたちが事故に遭っている事になります。いつ、自分が事故に遭ってもおかしくない数字です。ですから、まずは、今度事故に遭うのは、もしかしたら自分かもしれないと思うことが大事です。自分は事故に遭うはずがないという油断が事故を招くのです。今度、自分が事故に遭うかもしれない。だから、絶対に事故に遭わないように、車には気をつけなければならない。歩いて帰る時は、自転車に乗る時は、それぞれ、どんなことに気をつければいいのか。それを学ぶための交通教室でした。交通専門員の金内さんと塩沢さんにご指導いただきました。その中で、自転車の点検や安全な乗り方について、次のような話がありました。

 自転車点検の5つのポイント「ぶたはしゃべる」
  ①ブレーキはきくか?
  ②タイヤの空気は大丈夫か?
  ③ハンドルは曲がっていないか?
  ④車体(ライトや反射材等)は大丈夫か?
  ⑤ベルは鳴るか?

 自転車の正しい乗り方5つのポイント
  ①スピードを出し過ぎないこと。
  ②一列で乗ること。
  ③ふざけて乗らないこと。
  ④自分の家から出る時は、必ず止まって安全確認すること。
  ⑤道路の左側を走ること。(自転車は車と一緒)
   ※小学生は歩道を乗ることができるが、歩行者優先。

 1・2年生は、道路の歩き方を学びました。道路の右側を歩くこと、一列で歩くこと、道路を渡る時は、左右の安全確認をすること等、実際の道路で教えていただきました。

 野木沢地区には、信号がありません。交通専門員の方は、「信号がないから、逆に、ドライバーも歩行者も安全確認をするので、事故が少ない。」とおっしゃっていました。なるほどと思いました。信号があると、その信号に頼ることで、逆に無理な運転や不十分な安全確認で、事故が起きやすくなるということです。信号があっても、自分の目と耳で、しっかりと安全を確認することが大事なんだと思いました。

 最後に、先日、道路交通法が一部改正され、「あおり運転」に対する「妨害運転罪」が成立しました。これにより、あおり運転がなくなってくれることを期待しますが、私たち自身、ゆとりをもって運転することを心がけたいものです。

37 万物皆師

 3年生の総合学習は、リンゴ栽培の体験学習を行います。ふるさと教育の一環で、野木沢地区でリンゴ栽培をされている相樂さんを先生に、いろいろと教えていただきます。

 例年ですと、5月初旬にリンゴの花が咲いた時に、受粉作業から体験するのですが、今年は臨時休業中であったため、先日、摘果作業から体験しました。摘果は、一つの大きな実を残して、他の実を切り落とす作業です。説明を聞いた後、一人一人摘果の体験をしました。慎重にはさみを使って、摘果しました。その後、実際に摘果した小さい実をかじらせてもらいました。どんな味だろうとおそるおそるかじってみると、その苦いこと!とても食べられたものではありません。子どもたちは、この貴重な体験から、今は小さくて、とても苦く美味しくないリンゴの実が、この後、どのように大きくなって、どのくらい美味しい実になるのか、興味を高めることができました。

 子どもたちの体験は1時間ほどでしたが、相樂さんのリンゴ畑にはリンゴの木が何百本とあるそうなので、この作業は実際は何日もかかります。そして、この後、袋かけや収穫、枝切りなど、秋まで継続して学習していきます。美味しいリンゴが収穫できる日を楽しみに、学び続けます。

 今回は、相樂さんがリンゴの先生でしたが、「万物皆師」、3年生は、リンゴの木からも学ぶ事になります。そして、実は3年生に限らず、他の学年も、学校の花壇や畑、自分のプランター等を使って、様々な植物を育てていますので、それぞれ育てている植物も、子どもたちにとっても、いろいろと学ぶことが出来る先生なのです。

38 むし歯は病気

 6月4日は「むし歯予防デー」でした。今年は、新型コロナウイルスの影響で、まだ、歯科検診が行えていないのですが、今後、検診をすると、中には、むし歯が見つかるお子さんもいると思います。

 結論から言いますと、むし歯は病気です。それも、放っておけば自然に治ることはない病気です。頭痛や腹痛のように、休んでいたらよくなるような病気ではなく、歯医者さんで治療してもらわないと治らない病気です。ですから、もし、今後、お子さんにむし歯が見つかったら、早めに受診をしてください。早ければ早いほど、完治も早いです。放っておけばおくほど、むし歯はどんどん悪化します。痛くない内がチャンスです。むし歯の痛みを知っている人は分かると思いますが、むし歯の痛さは、もう他に何もできなくなる痛さです。そうなる前に、治療してしまうのがベストです。そして、むし歯の怖さは、放っておくことで、むし歯の菌が全身に回って、他の病気を引き起こすことがある点です。それだけ、むし歯は怖い病気なのです。

 最後に、もう一度言います。むし歯は治療が必要な病気です。お忙しいとは思いますが、早めの受診・治療をお願いします。

39 水泳学習の話

 放送によるプール開きで、校長より次のような話をしました。

 みなさんの中には、水泳学習が苦手だなあ、心配だなあと言う人がいると思います。
 なぜ、小学校では、水泳学習を行うのでしょうか。
 それは、陸の上と水の中では運動のしかたが違うので、どう違うのか正しく知って、水の危険から身を守るためなのです。

 私たちは、陸の上で生活しています。
 ですから、水の中での活動に慣れていません。
 そのため、もし、水の中でも、陸の上と同じように動けると思っていると、大けがをしたり、場合によっては命にかかわる事故につながったりします。
 水の中と陸の上では、体の動きがかなり違います。
 例えば、水の中では、私たちは呼吸ができません。水の中では、陸の上のように早く走ることもできません。他にも、陸の上で出来ることが、水の中ではできないことが、たくさんあります。
 そのことを、自分の体で体験して、しっかりと分かることが水泳学習のねらいです。
 水泳学習は、自分の命を守る大切な学習というわけです。
 ですから、水泳学習はふざけてはいけません。
 そして、苦手だから、心配だからといって、水泳学習を休まないようにしてください。

 最後に、私たち人間は、みんな、この世に生まれてくる前、お母さんのお腹の中では、羊水という水の中にいました。どういう状態でいたかというと、体の力を抜いてリラックスした状態でいました。ですから、プールで、体が沈んでしまう、体が思うように浮かないと思っている人は、もしかしたら、緊張して、体に力が入っているからかもしれません。体の力を抜いて、リラックスすると、私たちの体は、水に浮くように出来ているのです。今度、試してみて下さいね。

 文科省の「水泳指導の手引」には、各学年、段階的に次のような指導内容が載っています。
  低学年は、「水遊び」です。十分に水に慣れ親しみ、水中での動きを楽しく身に付けるようにします。
  中学年は、「浮く・泳ぐ運動」です。泳法につながる初歩的な泳ぎを楽しく学ぶようにします。
  高学年は、「水泳」です。心地よく泳いだり、泳ぐ距離を伸ばしたりする泳法学習を行います。
 このように、低中高の発達に応じて、段階的な学習の積み重ねをしていきます。

40 時計の時間と心の時間

 このタイトルは、6年生国語の教科書に載っている教材文のタイトルです。筆者は、一川誠さんという心理学者です。
 簡単に紹介すると、時間には、「時計の時間」と「心の時間」の二つがあり、心の時間の特性を知り、そのことを分かって、時計の時間を使うことが大切だと言っています。では、この心の時間とはどういうものなのでしょうか。そのことも、教材文の中では、事例を挙げて説明しています。楽しいことをしている時、時間が経つのを早く感じ、逆に、退屈な時間は長く感じます。忙しい朝は、昼間より時間が早く過ぎるように感じます。そして、他にも環境や人によって、時間の進み方には違いがあると、筆者は言っています。こういう心や体の状態、身の回りの環境や人それぞれの違いによって、進み方がちがうのが、心の時間なのです。私たちは様々な集団の中で日常生活を送っています。そこには、常に正確に時を刻む時計の時間だけでなく、いろいろな影響を受けてずれを生じる心の時間の二つが存在し、この二つの時間と共に私たちは生活している。だから、この心の時間の存在を意識することが大切だというわけです。

 6年生は、先日、この教材文を使って、研究授業を行いました。文中の言葉やグラフや図、授業では映像なども手がかりにして、一人一人、心の時間の特性をとらえていました。なかなか一読では理解できないような難しい内容の読解に、諦めることなく、取り組んでいました。

 私は、この教材文を読んで、ふと思い出したことがあります。それは、有名なアインシュタイン博士の唱えた相対性理論です。その理論によると、運動する物体は、時間の流れが遅く流れるというものです。地球上にいると、その実感はありません。しかし、宇宙空間を光速で飛ぶロケットの中では、時間の進み方が地上の10倍遅くなるそうです。
 例えば、A少年とB少年の二人の12歳の少年がいたとします。A少年は、そのロケットに乗り、5年間、宇宙空間を飛び続けてから、地球に戻ったとします。A少年は、その時17歳になっています。これは分かりますよね。しかし、実は、A少年がロケットで飛び続けた5年間と言う時間は、地球上では10倍の50年経っていることになるのです。ですから、17歳のA少年は、戻ってきたら、62歳のB少年(B老人)と再会するというわけです。
 これに似たような話を知っている人がいると思います。そうです、浦島太郎のお話がこれに似ていますね。ほんの数日、竜宮城で過ごした浦島太郎が、地上に戻ってきたら、何十年も経っていた。そうなんです、実は先程の宇宙空間の話は、別名「ウラシマ効果」というらしいのです。時間とは、なんとも不思議な、興味深いものです。

41 きれいにしたつもりでも…

 感染症予防のため、正しい手洗いのしかたを身につけることをねらい、養護教諭の先生と担任がTTで、学級活動を行いました。3年生と4年生で実施しました。手洗いの大切さを学んだ後は、手洗いの実験をしました。ローションをウイルスに見立て、手にまんべんなく塗り広げた後、いつものように手洗いをしました。そして、きれいにしたはずのその手にブラックライトを当ててみると…きれいに落としたと思っていた手の指の間や爪のところ、手首など、落とし残りがあることに気付きました。一人一人が、自分の落とし残りの場所を確認し、その後、落とし残りがあったところに気をつけて、きれいに手洗いすることが出来ました。

 今回のように、きれいにしたつもりでいるけれど、実はそうでないことは、他にもあります。それは、歯磨き。以前、むし歯は病気という話をしました。できましたら、是非、お子さんの口の中の歯を見てみて下さい。歯にはご存じのように、乳歯と永久歯があります。乳歯は、中央から左右に5本ずつ、上下で合計20本です。乳歯が抜けると、その後に生えてくるのが永久歯ですが、乳歯の外側の歯は、最初から永久歯で生えてきます。その中で、特によく見てほしい歯があります。それは、中央から数えて6本目の歯、乳歯のすぐわきに生えている歯です。その歯は、「第一大臼歯(だいいちだいきゅうし)」といいます。別名、「6歳臼歯」。その名の通り、6歳頃、ちょうど小学1年生頃の時期に生えてくる歯です。なぜ、この歯を見てほしいと言ったかと言うと、実は、この第一大臼歯は、「むし歯に最もなりやすい歯」だからです。(次回に続く)

42 きれいにしたつもりでも… (その2)

 なぜ、この第一大臼歯がむし歯になりやすいかというと、前述したように、この歯は乳歯の外側に生えてきます。それも、奥歯の奥に。だから、生えてきているのに気付きにくいのです。さらに、臼歯ですから、食べ物をすりつぶす役割のため、表面がでこぼこしています。そこに、食べかすが残ってしまうのです。そして、一番の理由は、5歳から6歳頃に生えてきても、子ども自身では、そこまできれいに落とせないというのが原因です。ですから、この第一大臼歯は、むし歯になりやすい。この歯は、永久歯ですから、むし歯になって抜けたら、もう生えてきません。そして、この歯は、体育の時間の列の先頭のような役割もしていて、この歯を基準に、他の歯が並んで生えてきます。ですから、この歯がむし歯になることで、当然、歯並びも悪くなります。

 結論、小さいお子さんは、自力で第一大臼歯をきれいに磨くことはまず無理です。ぜひ、お家の方が仕上げ磨きをしてください。第一大臼歯は上下で4本あります。それから、乳歯はいずれ抜けるからといって、むし歯になっても大丈夫と思っている人がいますが、それは大きな間違いです。乳歯の下には、その後生えてくる永久歯があるのですから、乳歯がむし歯になると、その下の永久歯にも影響が出ます。歯は、一生使うものです。お子さんの歯の健康は、お家の方の愛情で守ってほしいと思います。

43 感覚過敏

 6/10付の朝日小学生新聞に、「感覚過敏」について載っていました。実は以前、あるテレビのニュースでそのことを取り上げていました。それは、触覚過敏の人にとって、顔にマスクを付けるということは、激しい痛みを伴い、とても苦痛であるということ。それで、マスクをしないでいると、周りの人から、変な目で見られたり、注意されたりするので、とてもつらい思いをしているということでした。そこで、自分自身が触覚過敏である千葉県に住む中学生の加藤さんが、触覚過敏でマスクを付けられない人向けの意思表示カードを考えました。そこには、「触覚過敏のため、マスクをつけられません」の文字と、ハリネズミをモチーフにしたかわいいイラストが描かれています。それを付けて、周りの人に「触覚過敏」であることを知らせられるようになっています。新聞には、他にも「聴覚過敏」「視覚過敏」「嗅覚過敏」「味覚過敏」についても、それぞれどうぶつのイラストで伝えるようなマークが紹介されていました。

 このニュースを知って、なるほどなあ、と思いました。私たちは、「感覚」は人それぞれ違うものであるということを、知っておく必要があると思いました。そうでないから、自分と違う人に対して、批判的に見たり、攻撃的になったりすることがあるのだと思います。加藤さんは「だれもが違うことを知り、『みんなちがっていい』を認め合えるような社会になってほしい」と言っていました。

 やはり、これからの社会を生きていくのに必要なキーワードは「寛容」です。他の人の行動や言動に対して、「違う」という尺度だけで批判したり攻撃したりするのではなく、その「違い」も含めて、その人のことを受け止められる「寛容」な気持ちが大切なのだと、改めて思いました。すべての人が、「寛容」さを持ち、どんな人も認められて、その人らしく生きることができる世の中は、きっと優しさでいっぱいの世の中になることでしょう。そういう社会を築いていける人間に、子どもたちを育てていきたいと思いました。

44 避難訓練は、100点か0点

 11日(木)避難訓練をしました。その全体会で、次のような話をしました。

「もし、避難訓練に点数をつけるなら、100点か0点しかありません。
 避難訓練に、『おしい、95点』はないのです。
 避難訓練は、命を守るための学習ですから、ちゃんとできなければならないのです。
 おさない、かけない、しゃべらない、もどらないを守って、真剣に、本気・全力で取り組んだら、100点。少しでも、そうでなかったら0点。
 それが、避難訓練なのです。
 今日は訓練なので、火も出ていません。煙もありません。
 しかし、実際の火事の現場は、火が出てて、煙が立ちこめていて、もしかしたら、真夜中で真っ暗かもしれません。それでも、慌てず、冷静に行動し、安全な場所に避難しなければなりません。そのために、この訓練があります。
 今日の避難訓練を、まずは一人一人、自分の取組を振り返り、次に学級みんなの取組を、よく振り返っておきましょう。」

 避難訓練は練習です。このように、練習と本番があるものは、他にもたくさんあります。この練習と本番に、どのように取り組めばよいか、大切なキーワードがあります。それは、

 「練習は本番のように。本番は練習のように。」

 練習で大事なのは、練習を練習と思わないことです。練習では、常に本番と同じような気持ちで行うことが大切です。練習だからといって、適当に中途半端な気持ちでやらないことです。
 そして、いざ本番を迎えたら、今度は、その本番を一回こっきりの本番と思わないことです。本番では、いつも練習でやってきたようにやることだけを考えます。特別に、力む必要はないのです。これまで練習でやってきた通りにやるだけ。本番だからといって、緊張しすぎたり、慌てたりすると、実力が出せなくなります。

 だから、「練習は本番のように。本番は練習のように。」なのです。

45 青少年赤十字登録式

 15日(月)青少年赤十字登録式を放送で行いました。そこで、校長より、次のような話をしました。

「青少年赤十字を、英語で言うと、Junior Red Cross。その頭文字をとると、JRCになります。
 青少年赤十字のことを、JRCともいます。

 さて、青少年赤十字の目標は3つあります。一つは「健康・安全」。二つは「奉仕」。三つは「国際理解・親善」です。わかりやすく言うと、いのちと健康を大切にすること。だれかのためになることを実行すること。そして、世界中の人となかよく助け合うことです。ちょっと難しそうと思う人もいるでしょう。しかし、実は、もうすでに、みなさんはやっていることなのです。

 先日の避難訓練、あれは、いのちを守るための活動ですから、青少年赤十字の活動です。清掃活動や委員会活動、募金活動なども、誰かを助ける活動ですから、青少年赤十字の活動です。6年生のみなさんが、毎朝行っているボランティア清掃。あれは、立派な青少年赤十字活動です。6年生のみなさん、ありがとうございます。外国語活動は、英語を通した国際理解ですから、青少年赤十字の活動なのです。

  それから、みなさんは、困っている人をみかけたら、その人を助けようとすると思います。その行動も、青少年赤十字の活動です。まず、困っている人に気付くこと。次に、その人のために、自分に何が出来るか考えること。そして、考えたことを、実行すること。この気付き、考え、実行することの3つも、青少年赤十字の目標なのです。

 このように、これまでも行ってきている普段の学校生活は、多くの青少年赤十字の活動でもあったわけです。野木沢小学校は、今年、この青少年赤十字JRCに登録しました。これから、青少年赤十字の活動を積極的にやっていくことになります。ですから、これからも、自分で気付き、自分で考えて、いいと思ったことは、どんどん進んでやっていきましょう。そうして、みんなで、この野木沢小学校を、思いやりのある、素敵な学校にしていきましょう。」

46 自負と自信

 「自負」は「じふ」と読みます。

 見た感じ、自分に負けるみたいですが、「自負」の意味は「自分の才能・業績・仕事などに自信や誇りを持つこと」です。全然自分に負けていないのです。

 最近、先生方と話をしていて、話の中でこの言葉が登場しました。「子どもたちに『自負』を持たせたい。」その時、「自負」は、すごく大事だなあと思いました。私は、子どもたちに、「自信」を持たせることは大事だと、常々、思っています。自信と自負は似ています。

 「自信」は「自分で自分の能力や価値などを信じること」
 「自負」は「自分の能力や価値を信じるだけでなく、誇りを持つこと」

 こう見ると、「自負」は、「自信」よりさらに、崇高な意識です。だから、まずは、「自信」を持たせる。そして、その意識をさらに、「自負」まで高める。そういうことになります。

 どちらにしても、自分に対して、どういう思いでいるか、すごく大事になります。この世に、たった一人しかいない自分という存在を、どう思っているか。前にも述べましたが、子どもたちの中には、自信が持てない子どもが多いように思います。自信が持てない子どもは、「自己肯定感」、「自尊感情」が低いです。

 「自己肯定感」は、自分の存在を肯定的に受け止めること。例え、失敗して上手くいかないことがあっても、それでも、自己否定して自信をなくすのでなく、前に向かって進んでいける。それが自己肯定感。
 「自尊感情」は、「自己肯定感」とほぼ同じようなもので、簡単に言うと、「自分が好き」「自分は大切な存在」という感情です。自分の長所も短所も全て受け入れて、自分をかけがいのない存在であると思うこと。

 「自己肯定感」や「自尊感情」が高いというのは、自分の欠点も含めて自分を受け入れる余裕があるので、他人のことも認められます。結果、人に優しく出来るとも言えます。
 「自己肯定感」や「自尊感情」が低いと、自分のことさえ、否定的に考えるわけですから、他の人のことを受け入れる余裕はありません。結果、優しくすることはできないとも言えます。一概に言い切れないところもあるとは思いますが、概ね、そのような傾向が見られると言うことです。

 結論、子どもたちの「自己肯定感」「自尊感情」を高めていきたい。そして、自分に自信を持って、物事に取り組めるようにしたい。そして、いずれは、自分という人間の生き方に、自負をもって生きるような、そんな人間になってほしい、と思います。

47 6/25(木) 授業参観です

 すでにプリントでお知らせしましたが、来週25日(木)は、授業参観です。
参観後、体育館で「PTA全体会」を行います。職員の紹介やPTA役員紹介、学校のこれからについて、説明をします。その後、学年ごとに懇談会を開きます。お忙しいとは思いますが、どうぞおいで下さい。

 これまで、保護者の皆様に会う機会がありませんでしたので、やっと直接会ってお話しすることができるのが楽しみです。保護者の皆様も、このLIVEを書いてる校長は、一体どんな校長だ?と思っている方もおられるかと思います。どうぞ顔を見に来て下さい。PTA全体会では、スクリーンを使って、いろいろとご説明します。ですので、体育館のお席は、是非、前の方から詰めておかけになって下さい。

 最後に、日程を載せます。

  13:00~13:15 受付(体育館の玄関からお入り下さい。)
  13:20~14:05 授業参観
  14:20~15:00 PTA全体会(体育館)
  15:10~16:10 学級懇談
  16:15~      PTA執行部会(校長室)

 ※上履きをご持参下さい。校舎内は、マスク着用でお願いします。

48 わらべうた考

「おにきめ、おにきめ、おにはだれかな?」

 ある晴れた日の休み時間、校長室の窓の外から、そのような歌?が聞こえてきました。歌っていたのは、そこで遊んでいた子どもたちでした。そのあと、「わぁーっ」と駆け出す声が聞こえたので、(ああ、鬼ごっこの鬼を決めていたんだな)と分かりました。

 私は、これまで、この「おにきめ、おにきめ…」の歌は聞いたことがありませんでした。野木沢小に来て、初めて聞きました。そこで、インターネットで調べてみたら、この「おにきめ」は、わらべうたであることが分かりました。昔からあったんですね。しかし、そこで紹介してある「おにきめ」の歌は、

「おにきめ、おにきめ、おにじゃないよ」

というものでした。(あれっ、ちょっとちがうなあ。わたしの聞き違いだったのかな。)と思いました。

 わらべうた「おにきめ」は、まず、おにごっこをする子どもたちが、全員、輪になって、その輪の中心に、片方の足を出します。その並んだ足を、一人の子が「おにきめ、おにきめ…」と歌いながら、指で指していきます。そして、「おにじゃないよ」の「よ」で最後に指された子はオニではないので、輪から外れていきます。そうやって、一人ずつ輪から外れていき、最後に残った子がオニになるというものです。なかなかスリルがありそうな、オニの決め方です。

 でも、私が聞いたのは、最後は「おにはだれかな?」というもので、そして、何回も「おにきめ…」とは歌っていなかったような気がしました。すると、もしかしたら、オリジナルの「おにきめ」ではなく、一発でオニを決める、アレンジした「おにきめ」だったのかもしれません。今度、もう少し注意して聞いてみようと思いました。(次回へ)

49 わらべうた考(続き)

 さて、わらべうたの中に、「ずいずいずっころばし」というものがあります。これは、先程のおにきめのアレンジ版と似ています。手で作った輪の中に、一人の子が指を入れながら、歌を歌っていく。そして、最後に、「…だぁれ」で指が入った子が負け。このわらべうたは、結構みなさん、ご存じだと思います。この「ずいずいずっころばし」の歌の歌詞は次のようなものです。

  ずいずいずっころばし ごまみそずい
 茶壺に追われて とっぴんしゃん
 抜けたら、どんどこしょ
 俵のねずみが 米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう
 おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ
 井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ

 この歌の歌詞の意味は、諸説ありますが、江戸時代の「茶壺道中」の様子を歌っていると言われています。「茶壺道中」は、京都の宇治茶を江戸の将軍様に献上するために、壺に入れ、駕籠に乗せ、大名行列のように運んだものです。そのため、この茶壺道中が通る間は、街道沿いにいる人は、通り過ぎるまで何もできなかったようです。ですから、茶壺道中が来ると分かると、みな家の中に入って、戸を閉めて家の中で通り過ぎるのを待った。それが歌詞の「茶壺に追われて とっ(戸)ぴんしゃん(締めた音)」そして、茶壺道中が「抜けたら どんどこしょ(ほっと一息、ちょっとした騒ぎ)」なんです。

 私の故郷会津にも、秋になると「身知らず柿」という美味しい柿がありまして、毎年、天皇家に献上していますが、「柿道中」とは聞いたことがありません。
おそらく、お殿様に献上する程、歴史が古くないのかもしれません。

50 PTA全体会

 やっと保護者のみなさんの前で、直接お話しする機会を得ました。これまで、学校だよりLIVEでいろいろとお伝えしてきましたが、やはり、直接顔を合わせて、お話しすることは大事だと、改めて思いました。その時、使用したスライド(パワーポイント)の資料を添付しますので、もし、見ることが出来る方は、どうぞご覧下さい。また、近日中に、その時の動画を、保護者限定で「野小っ子チャンネル」にUPしますので、そちらもご覧下さい。

 PTA全体会資料.pptx