学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

01 入学・進級おめでとうございます!

 3月末に退職された三浦校長先生に代わりまして、今年度、この野木沢小学校の校長に着任いたしました、佐藤康二と申します。これから、この『野小っ子だより「LIVE」』を発行していきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 令和2年度がスタートしました。社会情勢としては、まだまだ先行きが不透明で、今後もいろいろと制約があるかもしれませんが、4/6(月)野木沢小学校は、全校児童102名、教職員16名でスタートしました。

 始業式で子どもたちに話したことの一つは、学校は学ぶところという話です。学校でのいろいろな体験を通して、子どもたちはたくさん学び、自分をどんどん変えていきます。これは、入学式でも話したことですが、子どもたちは、学校生活での体験を通して学び、その学びを通して、成長します。どんどん賢くなりますし、どんどん体もたくましくなります。そして、心もどんどん優しく思いやりのある心に変わっていきます。「学ぶこと」は「変わること」です。今の自分が、この一年でどのように変わるのか、わくわくしてほしいと思いますし、変わることをためらわずに、取り組んでほしいと思っています。

 二つ目は、新型コロナウイルスの話をしました。こういう状況ですので、しっかりと予防はしていく。しかし、必要以上に怖がらないこと。手洗いうがい、マスクの着用等、確実に行うこと。ただ、それ以上に大事なのは、自分自身の免疫力を高めること。そのためには、しっかりと栄養をとる。運動をする。そして、夜はしっかりと休むこと。しかし、それでも、かかってしまう人はでるかもしれない。場合によっては、濃厚接触者として休まなければならない人も出るかもしれない。そうした時、大切なのは、誰が一番大変なのかを考えること。それは、かかったその人であり、休まなければならない人自身。だから、他の人は、そのことで、差別したりいじめたりは絶対にしないこと。

 刻々と教育環境が変わっていく恐れは、今後も十分にあります。しかし、どんなに教育活動に制限を受けようとも、子どもたちの成長は、誰にも止められません。ですから、学校としては、これからもできる範囲で、できることを、確実に取り組んでいきます。各御家庭におかれましても、どうぞこれからも教育活動に御理解と御協力をお願いいたします。

02 よく学び よく遊べ

 学校がスタートして、一週間が経ちました。いろいろと配慮しながら始まった学校生活ですが、これまでのようにできないところも多少ある中、できる活動を粛々と行っているところです。これから一体どうなるのか、という不安はまだありますが、それでも、子どもたちは毎日元気に学校に来てくれますし、休み時間は、これまでの運動不足を解消するかのように校庭を、そして大好きな希望ヶ丘を、走り回って遊んでいます。

 本校の日課表を見ると、給食後、12時35分から13時20分までの45分間が「自由遊び」となっています。授業時間が45分間ですので、授業と同じ45分間、遊び時間が設定されているのです。私は、これまでいろいろな学校で勤務してきましたが、これだけたっぷりと昼休み時間を「遊び時間」として設定している学校は初めてです。

 昔から「よく学び よく遊べ」と言われます。調べてみると、昔の文部省唱歌に「よく学びよく遊べ」という歌があったようです。歌詞は、次のような歌でした。

 よく学びよく遊べ(文部省唱歌)

 一、机の前では一心に 何も思はずよく学べ。 遊びながらの勉強は 時間を無駄にするばかり 学べ学べ 一心に。 学べ学べ 一心に。

 二 、課業が済んだら一心に 何も忘れてよく遊べ。 ただ面白く遊ぶのが 元気をつけるよい薬。 遊べ遊べ 一心に。 遊べ遊べ 一心に。

 昔の人も、学ぶことと同じくらい遊ぶことを重視していたことが分かります。子どもたちは、授業時間、一生懸命学習に取り組みます。だからこそ、休み時間は、授業のことを忘れて、思いっきり遊ぶのです。大事なのは、この「忘れる」ことです。授業のことを引きずらずに、ただ夢中に遊ぶ。野木沢小では、天気がよい日は、ほとんど、校舎内に子どもはいません。みんな外で遊びます。追いかけっこしたり、希望ヶ丘を散策したり、様々です。先生方も一緒になって遊びます。授業時間と遊び時間の切り替えこそが、子どもたちを健康に育てるポイントでもあります。そういう意味で、子どもたちに、毎日、自由に遊べる時間を保障しているこの日課表は、よくできているなあと改めて感心するのです。  

03 育児は育自なり

 石川町は、子どもの健やかな成長を願い、その実現のために、「いしかわ 子ども子育て応援宣言」をしています。そして、次の4つの応援をしていくことを宣言しています。

 いしかわ 4つの応援
 「い」 いつも元気な子どもの笑顔があふれるまちをつくります。
 「し」 しあわせを感じる子育てができる環境をつくります。
 「か」 かんしゃの気持ちを育て、成長を見守ります。
 「わ」 わがまちを愛する人を育てます。

 さて、この4つの応援の中の、「感謝の気持ちを育て、成長を見守ります。」について考えてみたいと思います。

 ここで言っている「感謝」は、誰が、誰に対する感謝なのかということです。おそらく、子どもたちに、お世話になっている人たちに対する「感謝」の気持ちを育てる、という意味になると思います。それはそれで、とても大切なことです。しかし、感謝の気持ちを持つのは、果たして、子どもたちだけでよいのでしょうか?

 結論から言うと、否です。感謝の気持ちを持つべきは、「親」であると考えます。親にとって、子育ては「目的」ではありません。「いや、子育ては目的です。子どもを育ててやっているのです。」という声が聞こえてきそうです。しかし、子育ては目的ではなく、「手段」です。親は、子育てという経験を通して、自分自身を、人として大きく成長させるのです。曰く、「育児は、育自なり」。育児という経験を通して、自分自身を育てる。子育てをしてやっているのではない。子育てをさせてもらっているのです。子どもは、親に、育児という経験をさせるために産まれてきてくれたのです。だから、親は、自分の子どもに感謝しなければならないのです。「子育てさせてくれて、ありがとう」と。
 しかし、私たち親は(私も娘をもつ親ですので)、子育てを目的にして、子育てをしてやってる、という思いで、子どもに接してしまいます。中には、自分の思いを、子どもに強制してしまう場合もある。そういう親に育てられた子どもは、自分に自信を持てず、常に不安で、おどおどして、親や周りの人の顔色を伺いながら、生活してしまいます。しかし、逆に、「子育てさせてくれてありがとう」と親から感謝されながら育った子どもは、自分が愛されている実感を持ち、自信を持って生活し、そして、他の人に優しく接することができるようになるでしょう。

 上記の話を、「親」を「教師」に置き換えても、同じことが言えます。私たち教師は、子どもたちの教育を通して、自分自身が教師として成長することができるのです。だから、子どもたちには、「教育をさせてくれて、ありがとう」「担任をさせてくれてありがとう」と感謝しながら、この仕事をしていかなければならないのです。

04 親の心が軽くなるハッピーな子育て術(その1)

 私がかつて田村市の学校に勤務していたとき、教員と保護者対象の教育講演会が行われました。講師は、明治大学教授の諸富祥彦(もろとみよしひこ)氏。演題は、「親の心が軽くなるハッピーな子育て術」。とにかく笑いの絶えない、とても楽しく、それでいて納得してしまう内容の講演会でした。以下に話の概要を抜粋して掲載します。

 子育ては・・・なるようにしかならない。まさに、子育ては運。いつ、いかなる時に、子どもがよくもわるくも変わるかは、正直わからない。ただ、言えることは、なるようにしかならない。言い換えると、なるようになることが大事。つまり、親の立場から言えば、親が子どもの成長を邪魔しないことが一番。それは、親として子どもに「してはいけないこと」をしないことである。

 子どもの成長にとって、一番大事なことは、親の心が安定していること。だから、してはいけないことの一つ目は、「イライラ、カリカリを子どもにぶつけないこと」。もし、いらいらしてきたら、親の方が子どもから一歩引く。場合によっては、子どもから離れること。そして、場所を変え、イライラカリカリを解消してくる。いらいらして、子どもと対等にやり合うということは、親が「子ども」と同じ立場になっているということ。親は、「大人」なのだから、「子ども」になってはいけない。

 やってはいけないことの二つ目は、「否定的なことを言わないこと」何やってるの、ダメなんだから、馬鹿、しょうがない等の否定的なことを言われ続けた子どもは、自分自身そういう子なんだと受け止めてしまう。そうではなく、肯定的なことを子どもには言うことが大事。さすが、いいね、じょうずだね、大丈夫、きっとできるよ、ここまでできたね、すごいね等。

 してはいけないことの三つ目、「兄弟と比較しないこと」。全くおまえはダメなんだから、等と比較されて否定的なことを言われた子どもは、自分に自信を持てない子になる。だから、全ての子に「自分が一番愛されている」と感じさせることが大事。

05 親の心が軽くなるハッピーな子育て術(その2)


 これら、してはいけないことを親はしないこと。そして、子どもがどんな悩みも打ち明けられる親になること。そのためには、親自身が、人間的に成長することが大切。それは、本気で生きている姿や深く自分を見つめる姿を、子どもに見せること。親が子どもに本気で仕事に打ち込み、深く自分を見つめ、悩み、それでも前に進もうとする姿を見せること。

 男の子を育てている親へ。将来、息子が就職、結婚等で自立できるように、男の子にこそ、しっかり家事を手伝わせること。そうして、フットワークのいい子に育てる。

 女の子を育てている親へ。人間関係で悩んだ時、ちゃんとSOSを出してもらえるように、弱音を吐ける家庭を作っておくこと。そのためには、親自身が家庭内で弱音を吐くモデルになること。

 家庭内で、肯定的な言葉「ごねんね、おねがいね、ありがとうね」を循環させる。親自身のスキンシップを大事にする。そして、自分のことが自分でもわからない思春期でも、会話を大事にし、子どもにはそうした方がいいことを伝える。そのキーワードは「あなたなら、できるよね~」

 いかがでしょうか。思い当たることは何かありましたか。前号でも書きましたが、親は子育てを通して、自分が人間として大きく成長しなければなりません。なぜなら、子どもにとっての、「人間としての生き方のモデルは親」だからです。一緒に過ごす時間の多い身近な親が、子どもの人間としての生き方のモデルになるのは当然です。だから、「こういう子どもになってほしいなあ」と思うことがあれば、まずは、親自身がそういう人間になることです。

 そういう意味で、私は、野木沢小の子どもたちの優しさやあいさつについて、感心しています。友達に対して優しく接することができる子どもがたくさんいます。自分からあいさつができる子どももたくさんいます。これは、きっと、お家の方々が、「優しさのモデル」、「あいさつのモデル」になっているのだと思います。

 私たち教師も同じです。日々、子どもたちと関わりながら、子どもたちのモデルとして、人間としての生き方を追求しています。ある学年の先生は、学年経営の柱に「人間力」を掲げています。人として、当たり前のことを当たり前にできること。人として、他の人と関わりながら生きていくことができること。学力も大切ですが、そういう人としての魅力を、人間力を高めていこうとしています。私も同感です。人として未熟な子どもたちだからこそ、私たち大人が、人としての弱さ、醜さを越えた、人としての健気さ、尊さを教えていかなければならないのだと思います。

06 新入生を迎える会で…

 今年の新入生を迎える会は、内容を見直し、時間短縮で行うことになり、集会委員長の6年矢内玲緒さんの歓迎の言葉の後、1年生の自己紹介とじゃんけん大会となりました。じゃんけん大会は、ステージ上の集会委員長とのじゃんけんでした。1回目、最後は、3年生と4年生の男の子が二人勝ち残りました。その二人で決勝戦をすることになり、フロア中央へそれぞれ出てきました。その時、4年生の男の子と、じゃんけんをする相手の3年生の男の子が、握手をしたのでした。私が見た限り、4年生の男の子から手を出して握手をしたように見えました。それを見て、「いいなあ」と思いました。お互いに最後まで勝ち残ったことをたたえ合うような自然な握手。そして、結果、3年生が勝ち、素直に喜びを表現する3年生の男の子。さらに、それを自分事のように喜び、戻ってきた仲間をハイタッチで迎える3年生の他の子どもたち。2回目は、途中、1年生だけ再度チャレンジでき、結果、1年生の男の子が勝ちました。その子に、全員が送る祝福の拍手…。
 握手をしたり、素直に勝利を喜んだり、仲間の喜びを共感したりするなど、こういう行動が素直に取れる子どもたちは素敵です。じゃんけん大会は遊びです。その遊びを心から愉しむ子どもたちでした。参加していて、心がほっこりするひとときでした。

07 あいさつの距離

 野木沢小学校の子どもは、登校中、街頭指導している地域の方々に自分からあいさつをします。私も街頭指導に立つときがあり、その姿を見るにつけ、その時、いつも感じることがあります。それは、子どもたちのあいさつの距離についてです。
 向こうから子どもが歩いてきます。その子が、どこまで近づいたらあいさつをするか、ということです。私の経験上、野木沢小の子どもたちは、かなり離れた距離からでも、あいさつをする子が多いです。つまり、あいさつの距離が長いということです。このあいさつの距離が短いと、自分より先に相手からあいさつをされてしまいます。けれども、野木沢小の子どもは、あいさつの距離が長いので、結果、相手がしてくるより先に、自分からあいさつをすることになります。あいさつは、言われてやるのではなく、自分からできるのが理想です。そういう意味で、自分からあいさつをしてくる子どもたちがたくさんいることは、とても素晴らしいことです。

08 給食に想う

 結論から言いましょう。野木沢小学校の給食は、美味しいです。きっと、野木沢小学校の子どもたちは、ここしか食べたことがないので、これが当たり前と思っているでしょう。しかし、いろいろな学校の給食を食べてきている先生方は、「ここの給食はうまい」と思っているはずです。

 学校の調理室で、調理員さんが作ってくれる給食を、自校給食と言います。野木沢小は自校給食です。毎日、二人の調理員さんが作ってくださいます。聞くと、石川地区のすべての小中学校は、自校給食だそうです。ですから、ここを卒業した後も、石川中学校の自校給食を食べることになるので、9年間は美味しい給食を食べられるようです。 

 自校給食でない学校は、センター給食となります。学校には調理室がなく、その地区に、給食センターがあり、そこで全ての学校の給食を作り、出来上がりを各学校に搬送します。センター給食と自校給食の一番の違いは、作ってから食べるまでの時間の長さです。自校給食は、出来たてに近い状態で、食べることができます。しかし、センター給食は、運ばれる時間がかかるので、出来たてというわけにはいきません。それでも、センター給食を作っている方々も、美味しい給食を作って下さっていることに違いはありません。

 給食が美味しいというのは、とても重要です。きっと、子どもたちの中には、毎日の献立を覚えていて、給食が楽しみだという子どもがたくさんいると思います。午前中、4校時の授業を頑張った後に、美味しい給食が待っているとしたら、子どもたちは頑張れます。もしかしたら、先生方もそうかもしれません。休むと、美味しい給食が食べられないので、毎日、休まず、学校に行きます。美味しい給食なので、残さず食べます。実際、野木沢小学校の給食の残さいは、ほとんどありません。もりもり食べて、休み時間は、たっぷり遊ぶ子どもたち。こうして、健康な体づくりは進められています。毎日、美味しい給食を作って下さる調理員さんには改めて感謝です。

09 コードF-10中止!

 きっと「コードFって何?」と思われる方はいると思います。コードFは、福島県内のあちこちに隠された宝物を探し出すイベントです。10年前から毎年この時期に開催され、今年は10回目なので、コードF-10です。宝を探す手がかりがかかれた冊子もあります。何日もかけて、福島県内を巡り、全ての宝を探し出すことができると、なんとも言えない達成感があります。経験上、子どもより大人がはまっているケースが多いようです。
 このイベントが、残念ながら、中止となってしまいました。始まったばかりでしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためです。不要不急の外出は控える状況だけに、仕方ないと思いますが、延期でなく中止なのが残念です。このイベントは、単に宝を探すだけでなく、その近辺の観光もでき、ふるさと再発見的な楽しみ方ができました。是非、また再開することを願うばかりです。

10 新型コロナウイルス感染拡大防止に関して

 政府は「緊急事態宣言」を全都道府県に拡大しました。これにより各都道府県の知事は、さまざまな要請・指示ができるようになります。また、東京、大阪、北海道、茨城、埼玉、千葉、神奈川、石川、岐阜、愛知、京都、兵庫、福岡の13都道府県を、感染拡大防止の取り組みを重点的に進める「特定警戒都道府県」に指定しました。期間は、5月6日までです。これに関連して、今後、福島県、福島県教育委員会、さらに石川町、石川町教育委員会としての対応が示されます。それを受けて、野木沢小学校の児童、教職員の安全確保のための具体的な対応を、保護者の皆様へお知らせしますので、今後、メール等の内容を御確認いただき、御理解・御協力をお願いいたします。

11 二つの詩から

 ここに二つの詩があります。一つは、坂村真民(さかむらしんみん)の「本気」、もう一つは、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」です。

本気  坂村真民

 本気になると 世界が変わってくる
 自分が変わってくる

 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ

 本気な恋 本気な仕事

 ああ 人間一度 こいつを つかまんことには

みんなちがって、みんないい  金子みすゞ

 わたしが両手をひろげても お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥はわたしのように 地面(じべた)をはやくは走れない

 わたしがからだをゆすっても きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんなうたは知らないよ

 鈴と、小鳥と、それからわたし みんなちがって、みんないい

 今年のある学年の学級経営のテーマは「本気」です。何にでも本気で取り組む子どもを目指しています。真民は、「本気になると、自分が変わる」と言っています。このLIVEで、かつて、学ぶことは変わることだと書きました。本気で学べば、自分が変わる。もし、変わらないとしたら、真民の言葉を借りれば、それは、「まだ、本気になってない証拠だ」ということです。子どもたちには、本気で学び、本気で遊び、本気の取り組みから、どんどん自分を変えていってほしいです。
 同じく、ある学年の学級経営の柱の一つに、「みんなちがって、みんないい」があります。子どもたちは、みんなちがいます。それが当然なのですが、自分に自信がないと、人とちがうことに抵抗を感じ、みんなと同じでないと不安になります。しかし、みんなちがっていいのです。ちがうからいいのです。子どもたちには、自信を持たせたいです。自分が他の人とちがっていることを、堂々と主張できるような自信を育てたいです。そして、自分とちがう人を認められる寛容な心も合わせて育てていきたいです。

12 鼓笛顔合わせにて…

 本校の鼓笛隊は、4年生以上で編制されています。先日、今年度の鼓笛の顔合わせが行われました。4年生以上が体育館に集まり、担当の五十嵐先生から練習や今後の取り組みについて話を聞きました。

 ほぼ全員が集まって、顔合わせが始まってすぐに、別用で遅れてきた児童が2名いました。その時、二人とも、体育館に入って来るや「遅れてすいません。」とあいさつしたのでした。その態度を見て、(すごいなあ)と思いました。こういう時は、こういうふうにあいさつするのだと教えられてきたのだと思います。しかし、教えられていても、できないことはあります。それをきちんとできていることが素晴らしいです。

 さて、鼓笛の発表は、例年、運動会で行われます。5月の運動会は、10月に延期になりましたので、その時に披露される予定です。しかし、今から練習は始まります。練習は、昼休みの15分間に行います。短時間の練習に集中して取り組むことになります。だらだらと長く練習するより、効率的で、効果的だと思いました。

 鼓笛隊は、学校の伝統の一つです。毎年、4年生から6年生が担当しますので、順々に鼓笛隊に入り、順々に鼓笛隊を卒業していくことになります。そうして、代々受け継がれていくのです。曲は多少、変更はありますが、鼓笛隊としての取り組みは、伝統です。そういう意味で、今年の鼓笛隊のみなさんは、来年鼓笛隊に入る下級生たちが、「素敵だなあ」「自分も早くやりたいなあ」と思われるような取り組みになるといいなあと思います。

 最後に、鼓笛隊のパートは、どのパートも重要です。なくていいパートはありません。どのパートも大切なパートです。ですから、自分のパートに誇りを持って、取り組んでほしいと思います。

13 「衛」はぎょうにんべん?

 6年生の書写の時間、指導されていたのは、衛先生。授業の中で、衛先生が、子どもたちにご自身の名前の漢字の問題を出しました。それが、「衛は、ぎょうにんべん?」です。一見、行や役と同じようにも見えます。しかし、答えは、「ぎょうにんべん」ではなく、「ぎょうがまえ」。同じ仲間に、街や術などがあります。「かまえ」は、国や団などのくにがまえと同じく、周りを囲むようになっているのですが、衛は、中の部分の上と下がないわけです。この一連のやりとりを見ていて、なるほどなあと思いました。ただ単に形を覚えるのでなく、そのしくみが分かると、より理解が深まると思いました。

14 校章について

1973年(昭和48年)11月7日、野木沢小学校創立百周年記念式典が執り行われました。その時に、発行された記念誌「百年の歩み」の中で、校章の由来について書かれています。以下、原文のまま紹介します。

校章の由来
 郷土の特色と学校教育のめざす理念と人間社会の姿を象徴しようとした。即ち自由、博愛、平等、正義の四つを以てあるべき人間社会の姿とし、ひな鳥としての子ども達はやがて東西南北に羽ばたき活躍する。そのように成す事は学校教育の理念である。十字形はこれらの事を象徴している。また、野木沢の伝統と郷土愛を象徴できる植物として菜の花を配した。十字科植物であるこの花は特に「友愛」を表す花として親しまれている。

 本校の校章は、二つの十字形が重なってできています。上記の説明からすると、手前の十字形は、子ども達が未来に向かって羽ばたいていく鳥の羽をデザインしたもので、後ろの十字形は、友愛・郷土愛を意味する「菜の花」をデザインしてものになります。
 そして、これら十字形の指し示す四つの意味は、人間社会において大事な「自由」「博愛」「平等」「正義」をそれぞれ表していることになります。

 また、菜の花について調べると、菜の花は十字形に花が咲くので、十字科植物と言われるそうです。ちなみに、本校の特別支援学級の名前は「なのはな」です。ちょうど、今の季節、至る所できれいな菜の花が咲いています。自然界では、新型コロナ…など関係なく、当たり前に季節が進んでいるのですね。

15 校歌について

 野木沢小学校の校歌は、昭和48年11月7日に制定されました。それは、ちょうど創立百周年記念式典の中で発表されました。

 野木沢小学校校歌    作詩 小林金次郎  作曲 紺野五郎

一 つつじ いろどる 希望ヶ丘で

  呼べば はるかな 那須山が 元気に 育てと 声かける
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 伸びるのだ
   大きな雲が 湧くように

二 光る ゆたかな 阿武隈川は
  胸に 希望の 火をもやし 仲よく 学べと 歌ってる
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 進むのだ
   大きな朝日 のぼるように

記念誌の中に、作詩者、作曲者からの言葉が載っていました。

作詩のことば  小林 金次郎

 わたくしが学校のために作ってきた歌だけを数えてみると、野木沢小学校の校歌がちょうど111番目になります。この校歌は、校庭の一角にある「希望ヶ丘」に立って那須山を眺めている時に自然と生まれてきた歌です。ふしぎにもここが、わたくしに詩情を湧かしてくれたものです。みなさんも、つつじが一面に咲きみだれるこの丘が好きだと思います。小さな町、小さな学校、そこから生まれる大きな夢、大きな希望が大切なのです。それは那須山に湧き上る雲のように、阿武隈川の上に輝く太陽のように、仲よく力を合わせて勉強し、未来に伸びて行くりっぱな人になって行く姿を示しているのです。この校歌はそういう願いをこめて作ったのですから・・・。

作曲のことば  紺野 五郎

 この曲は行進曲風で大型のものです。詩の終わりに「大きな雲がわくように-、大きな朝日のぼるように」とあるので、この精神を曲の中に生かして作曲しました。野木沢小学校の児童がすくすくと大らかな人物に育つようにお祈りします。

 作詩された小林金次郎氏は、福島市生まれ、詩人の北原白秋に師事し、童謡や詩を学びました。その後、福島師範学校卒業し、小中学校に勤務。退職後は県内の幼小中高大学校の校歌を作詩しました。
 作曲された紺野五郎氏は、安達郡東和町出身。東京や福島で小中学校教諭をされ、退職後、ピアノ指導をされました。小林金次郎氏の詩には40曲ぐらい作曲しました。

 わたしたちが毎日歌っている校歌は、このような作詩・作曲をされた方々の思いがつまった素敵な校歌です。

16 「テキシコー」って何?

「テキシコー」というNHKのEテレの番組があります。今回、休校中のおすすめとして紹介した中にありました。最初、「テキシコーって何?」と思いました。この番組で取り上げているのは「プログラミング的思考」。この「的思考」が番組名の「テキシコー」だったのです。

 では、プログラミング的思考とは何か。文科省では、次のように説明しています。「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」
 つまり、簡単に言うと、「自分がやりたいことをやるために、必要な条件を考え、それらをどうしたら一番自分がやりたいことに近いことができるのかを考える力」。この番組では、このプログラミング的思考を、分解・組み合わせ・一般化・抽象化・シミュレーションととらえています。

 この番組を制作した一番のねらいは、「コンピューターを使わずにプログラミング的思考を育む」です。実際に見て頂くと分かるのですが、この番組には、コンピュータを使った内容は出てきません。代わりに、思わず頭の中で手順を組み立て、先を予想したくなるような興味深い実験や、手順の組み合わせを改善していく楽しさを伝えるアニメーション、さまざまな仕事や物の中にプログラミング的思考が活かされていることを伝えるコーナーなどで構成されています。コンピューターへの苦手意識やICT環境を問わず、誰でも楽しくプログラミング的思考を育め、コンピューターを使ったプログラミングへの導入としてはもちろん、実際のプログラミング体験をした後でも、活用できる番組として作られています。(番組HPより)

 この、「コンピュータを使わない」というところがみそです。例えば、「ダンドリオン」というコーナーがあります。ここで扱うのは、まさに「段取り」。いかに効率的に考えるかということ。床のゴミを集めるのに、いかに効率的に集められるか考える。これも、プログラミング的思考。また、「こんなところにもプログラミング」のコーナー。ここでは、身近な生活の中や一般的な仕事の中にあるプログラミングについて触れています。例えば、花火職人の作る花火。たくさんの火薬をどのように配置して打ち上げ花火を作るかは、まさにプログラミング的思考。

 この番組を見ると、私たちが日頃何気なく行っていることの中に、実はプログラミング的思考を駆使してやっていることがあることに気づかされます。家事においても、買い物したり、料理をしたりすることは、かなりプログラミング的思考だと思います。遊びの中でも同じ事が言えます。例えば、将棋やオセロなどでは、駒をどこにどう置くか、その結果、どうなるかを考えて遊びます。まさに、プログラミング的思考です。そう言えば、コンピュータ対将棋や囲碁の棋士が対決することがあるくらいです。
 そういう意味で、コンピュータなど使わなくても、プログラミング的思考は育てられるし、鍛えることはできそうです。そして、このプログラミング的思考を育むことで、物事の見方や自分の考え方を論理的にとらえ、相手に分かりやすく伝えたり、表現したり、課題を要領よく処理したりできるようになることも期待できると思います。

 「テキシコー」。是非、一度見てみてはいかがでしょうか。「テキシコー」は、パソコンでも視聴することができます。

17 石川町は鉱物の町

 石川町は鉱物の町です。マスコットキャラクターの「キララちゃん」は、紫水晶がモチーフになっています。
 石川町は、昔から有名な鉱物の産出地で、ペグマタイトと呼ばれる、大きく結晶化した鉱物が採れるエリアがあることで知られています。日本三大ペグマタイト産地にもなっています。
 学区内にも、「和久観音山ペグマタイト鉱床」と呼ばれる場所があります。ここでは、許可を得れば、鉱石の採取が可能で、本校のクラブ活動でも取り組んでいます。
 実際に、和久観音山ペグマタイト鉱床に行ってみました。中には入れなかったので、周りからの観察でしたが、山全体が採石できるような感じでした。入口の説明板によると、石川町では、明治の終わり頃から昭和40年半ばまで長石と珪石を掘り出した町として有名で、とても賑わったそうです。長石は瀬戸物の焼き物の釉薬(うわぐすり)になり、珪石はガラスやレンズの原料です。
 現在では、長石や珪石は採れなくなりましたが、石英・白雲母・黒雲母・ざくろ石・電気石などの鉱石が採集できるようです。今度は、事前に連絡をして、かつての坑道に入ってみたいと思います。

18 ウイルスと共存

 私の故郷、会津の郷土玩具に「赤べこ」があります。きっとみなさんも一度は見たことがあると思います。あの赤べこをよく見ると、体の周りに、黒と白の丸い模様がついています。諸説ありますが、その中に、あれは、天然痘という病気にかかった時にできる「あばた」の痕だと言われているものがあります。平安時代頃、日本では天然痘が大流行しました。当時はワクチン治療がなく、多くの人が亡くなりました。そんな中、赤べこの人形を持っている子どもは、天然痘にかかりにくいといううわさが広がりました。赤べこの体の色の「赤」は、魔除けを意味していたからです。だから、子どもの身代わりの意味もあったのでしょう。

 さて、ある日の朝日小学生新聞に、ちょっと興味深い記事が載りました。それは、「私たち人間は、昔から感染症、ウイルスと長い付き合いをしている」というものでした。

・古代エジプト時代から、先程紹介した「天然痘」が流行しました。
・14世紀のヨーロッパでは「ペスト」が流行し、世界で1億人が死亡し、「黒死病」とも言われました。
・1918年には、アメリカとヨーロッパで「スペインかぜ(新型インフルエンザ)」の流行が始まり、世界で2千万から5千万人が亡くなりました。
・2002年、中国香港を中心に、「SARS(サーズ、重症急性呼吸器症候群)」が流行し、世界で8千人以上が感染し、約800人が亡くなりました。
・そして、今、「新型コロナウイルス」が世界で大流行しています。24日現在で、世界で感染者が270万人以上、亡くなった人も19万人以上になっています。

 感染症に詳しい長崎大学の山本教授は、こう話しています。「このように大昔から人に感染する病気はありました。そして、人が集落を作り、多くの人が一緒に生活をするようになり、病気は広がるようになりました。また、人間が開発などで、むやみに自然の中に入っていったことで、新しい病気のウイルスと出会うようになりました。ウイルスも人間も、自然の一部という意味では一緒です。今回の、新型コロナウイルスがどういう形でおさえられていくか分かりませんが、今後も、新しい感染症は発見され、流行はこれからも続くことが考えられます。」そして、最後にこう言っています。「最終的にはウイルスと共存していくべきでしょう」

 地球を一つの大きな生命体と考える「ガイア理論」という考えがあります。それは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げているという考えです。ウイルスと人間も、同じ地球上の自然の一部として相互に関係しながら生きていることになります。そういう意味で、最後はどちらかの絶滅ではなく、共存という考えになるのでしょう。

 今回の新型コロナウイルスのワクチンの開発は待たれますが、それまでは、やはり、各自の免疫力を下げないこと、そして、爆発的な流行にならないように行動を注意することです。

19 野小っ子チャンネル作成裏話

 きっかけは、県教育委員会が作成した「学びのサイト」の動画でした。「学びのサイト」は、県教育委員会のホームページよりアクセスするのですが、動画サイトがPDFファイルにリンクされており、それを開くのにパスワードが必要になっています。そのパスワードを入れると、PDFファイルが開けて、そこにリンクされている動画サイトが視聴できるようになっています。なぜ、そのようなしくみなのか、校長と教頭で探りました。その結果、そのしくみは、動画サイトの「限定公開」というしくみになっていることが分かりました。それにより、パスワードを知っている人だけが、指定の動画サイトにアクセスすることができるというわけです。そこで、校長と教頭の間で、このしくみを使えば、学校でも、パスワードを知っている保護者(児童)だけが視聴できる動画を作成してアップできるかもしれないという話になりました。そこで、試しに子ども達向けの応援動画を作成してみようということになったのでした。
 そこから先が早かったです。次の日、在宅勤務期間でもあったため、出勤していた先生方だけで、とりあえず簡単な動画を作成することになりました。当初は、1人1分程度の子ども達へのメッセージを撮る予定でした。しかし、先生方で話し合う中、ペープサートを使って語りかけたり、実際に簡単な運動を呼びかけたりしてはどうか、生活リズムが崩れているかもしれないから、基本的な日課表を示してはどうか、といろいろアイディアが出て、結果、5分ほどの番組が完成しました。先生方それぞれが役割分担し、シナリオを考え、小道具を準備し、撮影して、最後は編集してと、まさに「チーム野木沢」で作り上げた産物でした。
 作れそうだ、という話になってから、翌日制作、2日後には動画サイトにアップできたスピード感がすごいと思いました。今、学校現場は、できることの手探り状態で、予定していたことが急遽、変更になることがざらです。だからこそ、思い立った時に、とりあえず、やってみようと行動することが求められていると思います。
 野小っ子チャンネルの第1弾は完成しました。これを基にして、次はどうアレンジしたものができそうか、また手探りの日々が続きます。

20 世界最古のクイズとは?(前編)

 紀元前18世紀に考案された、おそらく「世界最古のクイズ」というものがあります。今から3700年くらい前になります。そんな大昔に、クイズなんか考えたのか?と思いますが、当時の残された記録にそうあったようです。世界史の授業を思い出してください。古代メソポタミア文明、聞いたことがあるかと思います。現在のイラクにあたる場所で、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えたのが、メソポタミア。そこで生まれた文明が、古代メソポタミア文明と言われています。その初期に栄えた民族が、シュメール人。そのシュメール人が用いていた文字が、古代シュメールくさび形文字。このくさび形文字が、世界最古の記録文字と言われています。

 文字通り、くさびの形が組み合わさった形をしていて、記録媒体は紙ではなく、粘土板を用いていました。その粘土板に記録されたくさび形文字を解明していった中に、今回紹介する「世界最古のクイズ」があったというのです。
 あんな記号を解明するのは、とても大変な作業だったと想像できます。まさに、人間の努力の素晴らしさです。
 さて、本題の「世界最古のクイズ」はどういう問題だったのか?それは、次のような問題でした。

 問題 建物がある。
    そこに入る時、人は目を閉じている。そこから出る時、人の目は開かれている。
    この建物とは何だろうか?

 いかがでしょうか。世界最古のクイズ。解けますでしょうか。
 ヒントを言います。この建物は、みなさん、よく知っています。おそらく、みなさん、入ったことがある建物です。どうでしょうか。お分かりになりましたか?
 では、答えを言います。答えは…次回へ。