学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

41 きれいにしたつもりでも…

 感染症予防のため、正しい手洗いのしかたを身につけることをねらい、養護教諭の先生と担任がTTで、学級活動を行いました。3年生と4年生で実施しました。手洗いの大切さを学んだ後は、手洗いの実験をしました。ローションをウイルスに見立て、手にまんべんなく塗り広げた後、いつものように手洗いをしました。そして、きれいにしたはずのその手にブラックライトを当ててみると…きれいに落としたと思っていた手の指の間や爪のところ、手首など、落とし残りがあることに気付きました。一人一人が、自分の落とし残りの場所を確認し、その後、落とし残りがあったところに気をつけて、きれいに手洗いすることが出来ました。

 今回のように、きれいにしたつもりでいるけれど、実はそうでないことは、他にもあります。それは、歯磨き。以前、むし歯は病気という話をしました。できましたら、是非、お子さんの口の中の歯を見てみて下さい。歯にはご存じのように、乳歯と永久歯があります。乳歯は、中央から左右に5本ずつ、上下で合計20本です。乳歯が抜けると、その後に生えてくるのが永久歯ですが、乳歯の外側の歯は、最初から永久歯で生えてきます。その中で、特によく見てほしい歯があります。それは、中央から数えて6本目の歯、乳歯のすぐわきに生えている歯です。その歯は、「第一大臼歯(だいいちだいきゅうし)」といいます。別名、「6歳臼歯」。その名の通り、6歳頃、ちょうど小学1年生頃の時期に生えてくる歯です。なぜ、この歯を見てほしいと言ったかと言うと、実は、この第一大臼歯は、「むし歯に最もなりやすい歯」だからです。(次回に続く)

42 きれいにしたつもりでも… (その2)

 なぜ、この第一大臼歯がむし歯になりやすいかというと、前述したように、この歯は乳歯の外側に生えてきます。それも、奥歯の奥に。だから、生えてきているのに気付きにくいのです。さらに、臼歯ですから、食べ物をすりつぶす役割のため、表面がでこぼこしています。そこに、食べかすが残ってしまうのです。そして、一番の理由は、5歳から6歳頃に生えてきても、子ども自身では、そこまできれいに落とせないというのが原因です。ですから、この第一大臼歯は、むし歯になりやすい。この歯は、永久歯ですから、むし歯になって抜けたら、もう生えてきません。そして、この歯は、体育の時間の列の先頭のような役割もしていて、この歯を基準に、他の歯が並んで生えてきます。ですから、この歯がむし歯になることで、当然、歯並びも悪くなります。

 結論、小さいお子さんは、自力で第一大臼歯をきれいに磨くことはまず無理です。ぜひ、お家の方が仕上げ磨きをしてください。第一大臼歯は上下で4本あります。それから、乳歯はいずれ抜けるからといって、むし歯になっても大丈夫と思っている人がいますが、それは大きな間違いです。乳歯の下には、その後生えてくる永久歯があるのですから、乳歯がむし歯になると、その下の永久歯にも影響が出ます。歯は、一生使うものです。お子さんの歯の健康は、お家の方の愛情で守ってほしいと思います。

43 感覚過敏

 6/10付の朝日小学生新聞に、「感覚過敏」について載っていました。実は以前、あるテレビのニュースでそのことを取り上げていました。それは、触覚過敏の人にとって、顔にマスクを付けるということは、激しい痛みを伴い、とても苦痛であるということ。それで、マスクをしないでいると、周りの人から、変な目で見られたり、注意されたりするので、とてもつらい思いをしているということでした。そこで、自分自身が触覚過敏である千葉県に住む中学生の加藤さんが、触覚過敏でマスクを付けられない人向けの意思表示カードを考えました。そこには、「触覚過敏のため、マスクをつけられません」の文字と、ハリネズミをモチーフにしたかわいいイラストが描かれています。それを付けて、周りの人に「触覚過敏」であることを知らせられるようになっています。新聞には、他にも「聴覚過敏」「視覚過敏」「嗅覚過敏」「味覚過敏」についても、それぞれどうぶつのイラストで伝えるようなマークが紹介されていました。

 このニュースを知って、なるほどなあ、と思いました。私たちは、「感覚」は人それぞれ違うものであるということを、知っておく必要があると思いました。そうでないから、自分と違う人に対して、批判的に見たり、攻撃的になったりすることがあるのだと思います。加藤さんは「だれもが違うことを知り、『みんなちがっていい』を認め合えるような社会になってほしい」と言っていました。

 やはり、これからの社会を生きていくのに必要なキーワードは「寛容」です。他の人の行動や言動に対して、「違う」という尺度だけで批判したり攻撃したりするのではなく、その「違い」も含めて、その人のことを受け止められる「寛容」な気持ちが大切なのだと、改めて思いました。すべての人が、「寛容」さを持ち、どんな人も認められて、その人らしく生きることができる世の中は、きっと優しさでいっぱいの世の中になることでしょう。そういう社会を築いていける人間に、子どもたちを育てていきたいと思いました。

44 避難訓練は、100点か0点

 11日(木)避難訓練をしました。その全体会で、次のような話をしました。

「もし、避難訓練に点数をつけるなら、100点か0点しかありません。
 避難訓練に、『おしい、95点』はないのです。
 避難訓練は、命を守るための学習ですから、ちゃんとできなければならないのです。
 おさない、かけない、しゃべらない、もどらないを守って、真剣に、本気・全力で取り組んだら、100点。少しでも、そうでなかったら0点。
 それが、避難訓練なのです。
 今日は訓練なので、火も出ていません。煙もありません。
 しかし、実際の火事の現場は、火が出てて、煙が立ちこめていて、もしかしたら、真夜中で真っ暗かもしれません。それでも、慌てず、冷静に行動し、安全な場所に避難しなければなりません。そのために、この訓練があります。
 今日の避難訓練を、まずは一人一人、自分の取組を振り返り、次に学級みんなの取組を、よく振り返っておきましょう。」

 避難訓練は練習です。このように、練習と本番があるものは、他にもたくさんあります。この練習と本番に、どのように取り組めばよいか、大切なキーワードがあります。それは、

 「練習は本番のように。本番は練習のように。」

 練習で大事なのは、練習を練習と思わないことです。練習では、常に本番と同じような気持ちで行うことが大切です。練習だからといって、適当に中途半端な気持ちでやらないことです。
 そして、いざ本番を迎えたら、今度は、その本番を一回こっきりの本番と思わないことです。本番では、いつも練習でやってきたようにやることだけを考えます。特別に、力む必要はないのです。これまで練習でやってきた通りにやるだけ。本番だからといって、緊張しすぎたり、慌てたりすると、実力が出せなくなります。

 だから、「練習は本番のように。本番は練習のように。」なのです。

45 青少年赤十字登録式

 15日(月)青少年赤十字登録式を放送で行いました。そこで、校長より、次のような話をしました。

「青少年赤十字を、英語で言うと、Junior Red Cross。その頭文字をとると、JRCになります。
 青少年赤十字のことを、JRCともいます。

 さて、青少年赤十字の目標は3つあります。一つは「健康・安全」。二つは「奉仕」。三つは「国際理解・親善」です。わかりやすく言うと、いのちと健康を大切にすること。だれかのためになることを実行すること。そして、世界中の人となかよく助け合うことです。ちょっと難しそうと思う人もいるでしょう。しかし、実は、もうすでに、みなさんはやっていることなのです。

 先日の避難訓練、あれは、いのちを守るための活動ですから、青少年赤十字の活動です。清掃活動や委員会活動、募金活動なども、誰かを助ける活動ですから、青少年赤十字の活動です。6年生のみなさんが、毎朝行っているボランティア清掃。あれは、立派な青少年赤十字活動です。6年生のみなさん、ありがとうございます。外国語活動は、英語を通した国際理解ですから、青少年赤十字の活動なのです。

  それから、みなさんは、困っている人をみかけたら、その人を助けようとすると思います。その行動も、青少年赤十字の活動です。まず、困っている人に気付くこと。次に、その人のために、自分に何が出来るか考えること。そして、考えたことを、実行すること。この気付き、考え、実行することの3つも、青少年赤十字の目標なのです。

 このように、これまでも行ってきている普段の学校生活は、多くの青少年赤十字の活動でもあったわけです。野木沢小学校は、今年、この青少年赤十字JRCに登録しました。これから、青少年赤十字の活動を積極的にやっていくことになります。ですから、これからも、自分で気付き、自分で考えて、いいと思ったことは、どんどん進んでやっていきましょう。そうして、みんなで、この野木沢小学校を、思いやりのある、素敵な学校にしていきましょう。」

46 自負と自信

 「自負」は「じふ」と読みます。

 見た感じ、自分に負けるみたいですが、「自負」の意味は「自分の才能・業績・仕事などに自信や誇りを持つこと」です。全然自分に負けていないのです。

 最近、先生方と話をしていて、話の中でこの言葉が登場しました。「子どもたちに『自負』を持たせたい。」その時、「自負」は、すごく大事だなあと思いました。私は、子どもたちに、「自信」を持たせることは大事だと、常々、思っています。自信と自負は似ています。

 「自信」は「自分で自分の能力や価値などを信じること」
 「自負」は「自分の能力や価値を信じるだけでなく、誇りを持つこと」

 こう見ると、「自負」は、「自信」よりさらに、崇高な意識です。だから、まずは、「自信」を持たせる。そして、その意識をさらに、「自負」まで高める。そういうことになります。

 どちらにしても、自分に対して、どういう思いでいるか、すごく大事になります。この世に、たった一人しかいない自分という存在を、どう思っているか。前にも述べましたが、子どもたちの中には、自信が持てない子どもが多いように思います。自信が持てない子どもは、「自己肯定感」、「自尊感情」が低いです。

 「自己肯定感」は、自分の存在を肯定的に受け止めること。例え、失敗して上手くいかないことがあっても、それでも、自己否定して自信をなくすのでなく、前に向かって進んでいける。それが自己肯定感。
 「自尊感情」は、「自己肯定感」とほぼ同じようなもので、簡単に言うと、「自分が好き」「自分は大切な存在」という感情です。自分の長所も短所も全て受け入れて、自分をかけがいのない存在であると思うこと。

 「自己肯定感」や「自尊感情」が高いというのは、自分の欠点も含めて自分を受け入れる余裕があるので、他人のことも認められます。結果、人に優しく出来るとも言えます。
 「自己肯定感」や「自尊感情」が低いと、自分のことさえ、否定的に考えるわけですから、他の人のことを受け入れる余裕はありません。結果、優しくすることはできないとも言えます。一概に言い切れないところもあるとは思いますが、概ね、そのような傾向が見られると言うことです。

 結論、子どもたちの「自己肯定感」「自尊感情」を高めていきたい。そして、自分に自信を持って、物事に取り組めるようにしたい。そして、いずれは、自分という人間の生き方に、自負をもって生きるような、そんな人間になってほしい、と思います。

47 6/25(木) 授業参観です

 すでにプリントでお知らせしましたが、来週25日(木)は、授業参観です。
参観後、体育館で「PTA全体会」を行います。職員の紹介やPTA役員紹介、学校のこれからについて、説明をします。その後、学年ごとに懇談会を開きます。お忙しいとは思いますが、どうぞおいで下さい。

 これまで、保護者の皆様に会う機会がありませんでしたので、やっと直接会ってお話しすることができるのが楽しみです。保護者の皆様も、このLIVEを書いてる校長は、一体どんな校長だ?と思っている方もおられるかと思います。どうぞ顔を見に来て下さい。PTA全体会では、スクリーンを使って、いろいろとご説明します。ですので、体育館のお席は、是非、前の方から詰めておかけになって下さい。

 最後に、日程を載せます。

  13:00~13:15 受付(体育館の玄関からお入り下さい。)
  13:20~14:05 授業参観
  14:20~15:00 PTA全体会(体育館)
  15:10~16:10 学級懇談
  16:15~      PTA執行部会(校長室)

 ※上履きをご持参下さい。校舎内は、マスク着用でお願いします。

48 わらべうた考

「おにきめ、おにきめ、おにはだれかな?」

 ある晴れた日の休み時間、校長室の窓の外から、そのような歌?が聞こえてきました。歌っていたのは、そこで遊んでいた子どもたちでした。そのあと、「わぁーっ」と駆け出す声が聞こえたので、(ああ、鬼ごっこの鬼を決めていたんだな)と分かりました。

 私は、これまで、この「おにきめ、おにきめ…」の歌は聞いたことがありませんでした。野木沢小に来て、初めて聞きました。そこで、インターネットで調べてみたら、この「おにきめ」は、わらべうたであることが分かりました。昔からあったんですね。しかし、そこで紹介してある「おにきめ」の歌は、

「おにきめ、おにきめ、おにじゃないよ」

というものでした。(あれっ、ちょっとちがうなあ。わたしの聞き違いだったのかな。)と思いました。

 わらべうた「おにきめ」は、まず、おにごっこをする子どもたちが、全員、輪になって、その輪の中心に、片方の足を出します。その並んだ足を、一人の子が「おにきめ、おにきめ…」と歌いながら、指で指していきます。そして、「おにじゃないよ」の「よ」で最後に指された子はオニではないので、輪から外れていきます。そうやって、一人ずつ輪から外れていき、最後に残った子がオニになるというものです。なかなかスリルがありそうな、オニの決め方です。

 でも、私が聞いたのは、最後は「おにはだれかな?」というもので、そして、何回も「おにきめ…」とは歌っていなかったような気がしました。すると、もしかしたら、オリジナルの「おにきめ」ではなく、一発でオニを決める、アレンジした「おにきめ」だったのかもしれません。今度、もう少し注意して聞いてみようと思いました。(次回へ)

49 わらべうた考(続き)

 さて、わらべうたの中に、「ずいずいずっころばし」というものがあります。これは、先程のおにきめのアレンジ版と似ています。手で作った輪の中に、一人の子が指を入れながら、歌を歌っていく。そして、最後に、「…だぁれ」で指が入った子が負け。このわらべうたは、結構みなさん、ご存じだと思います。この「ずいずいずっころばし」の歌の歌詞は次のようなものです。

  ずいずいずっころばし ごまみそずい
 茶壺に追われて とっぴんしゃん
 抜けたら、どんどこしょ
 俵のねずみが 米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう
 おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ
 井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ

 この歌の歌詞の意味は、諸説ありますが、江戸時代の「茶壺道中」の様子を歌っていると言われています。「茶壺道中」は、京都の宇治茶を江戸の将軍様に献上するために、壺に入れ、駕籠に乗せ、大名行列のように運んだものです。そのため、この茶壺道中が通る間は、街道沿いにいる人は、通り過ぎるまで何もできなかったようです。ですから、茶壺道中が来ると分かると、みな家の中に入って、戸を閉めて家の中で通り過ぎるのを待った。それが歌詞の「茶壺に追われて とっ(戸)ぴんしゃん(締めた音)」そして、茶壺道中が「抜けたら どんどこしょ(ほっと一息、ちょっとした騒ぎ)」なんです。

 私の故郷会津にも、秋になると「身知らず柿」という美味しい柿がありまして、毎年、天皇家に献上していますが、「柿道中」とは聞いたことがありません。
おそらく、お殿様に献上する程、歴史が古くないのかもしれません。

50 PTA全体会

 やっと保護者のみなさんの前で、直接お話しする機会を得ました。これまで、学校だよりLIVEでいろいろとお伝えしてきましたが、やはり、直接顔を合わせて、お話しすることは大事だと、改めて思いました。その時、使用したスライド(パワーポイント)の資料を添付しますので、もし、見ることが出来る方は、どうぞご覧下さい。また、近日中に、その時の動画を、保護者限定で「野小っ子チャンネル」にUPしますので、そちらもご覧下さい。

 PTA全体会資料.pptx

51 本物のLIVE!演劇の世界

 26日(金)鑑賞教室がありました。演劇はおもしろいです。限られた空間の中で、限られた人数で、見る人に何かを伝えようと、演出する。演劇を見る方には、それなりの「想像力」が必要です。リアルな世界を好む子どもたちにとっては、演劇の世界は、かなり新鮮かもしれません。

 今回、公演して下さった「劇団風の子」は、全国に活動拠点が5カ所あるそうです。その中で、今回、本校に来て下さったのは、「劇団風の子関西」のみなさんでした。なんと今回、京都から来て下さいました。そんな遠くから、私たちのために来ていただけて、有り難いです。ですから、感謝の気持ちで公演を見ました。

 演目は「風の少年シナド」。どんな演劇だったかは、是非、お子さんに聞いてみてください。自然とは、人間とは、そして、命とは何か、考えさせられるストーリーでした。そして、演出は非常に楽しく、見ていて飽きることなく満喫することができました。テレビでもない、動画でもない、録画して後でもう一回見ることもできない、一回こっきりの生の舞台。まさに、LIVEの演劇の世界を、十分楽しむことができました。

52 ありのままを、受け入れる覚悟

 お忙しい中、授業参観、PTA全体会、学級懇談に参加いただきまして、ありがとうございました。

 いろいろと制約がある中で、今年度初めての授業参観でした。お子さんの授業の様子や担任の先生の指導の様子など、直接ご覧いただき、いかがだったでしょうか。百聞は一見にしかず。直接、学校での様子を見ていただけて、よかったと思っています。子どもたちは、至って元気に、楽しく、落ち着いて、毎日の学校生活を送っています。

 さて、PTA全体会では、私よりいろいろとお話しさせていただきました。学校の教育活動のこと、子どもたちに対する教育のこと、学校と家庭でしっかり連携していきたいことなど、お伝えしたいと思っていたことを、ぎゅうっと詰め込んでお話しさせていただきました。その中で、「子どもをありのままに受け入れる」という話をしました。子どもたちは、日々、いろいろなことをします。中には、やってはいけないことをしてしまうことがあります。そういう時、どうしたらよいのでしょうか。ありのままを受け入れるとは、そうしたよくないと思われる行動をしてしまうことも含めて、まるごと、その子を受け入れることです。では、そうしたよくない、変えたい行動については、どうしたらよいでしょうか。それは当然、そのことについて、話をしなければなりません。ただ、話の中で、どうすればよかったか、考えさせることが必要です。そうでないと、注意されて終わりになってしまうからです。注意されなければいいと思うようになるからです。そして、これが大事なのですが、「あなたなら、できると思うよ。」と、その子の人格を否定せず、逆に、信じていることを伝えることです。

 そんな簡単なことではない、という声も聞こえてきそうですが、「あなたが悪い」と「あなたがしたことは悪い」では、似ているようで、全然違うのです。昔から「罪を憎んで、人を憎まず」と言う言葉もあります。相手は子どもです。まだ、人格形成は途中なんです。だからこそ、やったことの善し悪しは教えますが、教えたからできるとは限らない。それで、「何度言ってもだめだな」と言われるのと、「そのうち、きっとできると信じているよ」と言われるのでは、全然違うのです。行動に問題があるとしても、その子自身に問題があるわけではないのです。「あなたのことは信じられない」と言われ続けるのと、「あなたのことは信じているよ、大丈夫だよ」と言われ続けるのとでは、その後が全然違うのです。そこには、その子をとことん信じ切る覚悟、ありのままを受け入れる覚悟みたいなものが、私たちには必要なのかもしれません。

53 想像して楽しむ

 演劇の楽しさは、演者の演技そのものの楽しさもありますが、想像する楽しさでもあります。演劇は、演劇ならではの演出があります。例えば、先日の鑑賞教室で観劇した舞台でも、命の玉が風に揺られてふわふわと漂うシーンがありました。実際は、役者さんが玉を手に取って、ふわふわ漂っているように動かしています。その時、球を持っている人は、黒子のようなもので、姿は見えていますが、見えていない立場であります。他にも、嵐が暴れ狂っているシーンは、実際の風など吹かず、丸い輪がつながったようなものを、二人で動かしながら嵐を表現しています。そういう演出を理解しているかどうかで、演劇の楽しさは変わります。実際に目に見えているものだけしか理解できないと、あの玉を持っている人はだれ?とか、あの丸い輪は何?となってしまいます。公演が終わってから、劇団の人と話す機会がありまして、演劇の演出について話題になりました。その中で、劇団の方は、演出を考える際、子ども向けの演目だと、「わかりやすさ」をつい求めてしまうそうです。しかし、わかりやすい演出が本当にいいのかというと、そうではないとのことでした。子どもたちにとって、一見理解しがたいような演出だとしても、それが演劇の楽しさ、面白さだとすれば、あえて、それをわかりやすく変えるのは、返って、見る子どもたちを甘く見ていることになる、と言っていました。話を聞いて、それが「本物」の力だと思いました。

 鍵は、想像力。この想像力がやはり必要なものが、「読書」です。絵本は、絵を見て、そこから、物語の世界を想像します。文章の本なら、文章を読んで、そこに描かれていることを、頭の中で映像化して、その本の世界を想像して楽しみます。だから、よく原作のある話が、映画化されると、最初に本を読んでいた人は、映画のキャストが、自分のイメージした人物像と違くて、がっかりすることがあります。本を読んで、自分で想像していた登場人物像があるということです。映像化していないからこそ、自分で自由に想像できるのです。これは楽しい。しかし、最初から映像化されていると、そこに想像する必要性はありません。テレビや動画などは、そこに映し出されているものが全てなので、想像する必要性がないのです。それでは、想像する楽しさも味わえませんし、想像する力も育ちにくい。

 テレビや動画は、映像という力で、私たちを楽しませてくれますし、必要な情報を分かりやすく伝えてくれます。そういう特徴を分かって、有効に利用すればいいのです。ただ、そればかりではなく、テレビや映像では補えない部分を、新聞や本などの文字情報から必要な情報を得たり、読書活動を通して、本の世界を想像して楽しんだりすることは、やはり大事だと思います。

54 休日の外出にはご注意を!

 いよいよ他県への移動も増えてくるようになりました。そこで、保護者の皆様に気をつけていただきたいのが、「休日の過ごし方」についてです。子どもたちはこれまで、かなり限定された人の中で過ごしてきたと思います。実際、学校と家庭の間であれば、これまで同様、感染リスクはかなり低く抑えられると思われます。ですが、それ以外の場所であれば、やはり、感染リスクは高くなります。さらに、そこに、不特定多数の他県から移動してきた人が混ざっていると思われる場所なら、なおさらです。1学期も、のこり一ヶ月となりました。7月は、全ての学年でバスによる校外学習を予定しています。この校外学習も、感染リスクには十分注意して行います。どうか、各御家庭におかれましても、休日の外出においては、これまで同様、マスクの着用や手洗い・消毒等、感染防止に努めてくださいますよう、お願いいたします。

55 行ってきました!修学旅行

 当初、5月29日に予定されていて、その後、9月に変更された修学旅行。しかし、その後、状況の変化に伴い、再度実施を検討して、先週3日、実施することができました。この修学旅行を実施するにあたり、実に多くの方々に御支援、御協力を頂きました。それがなければ、とてもやれなかったと思っています。ですから、今は、修学旅行が実施できて、ほっとしています。さて、実際の修学旅行の様子ですが、ホームページには、子どもたちの様子を写真入りで紹介してありますので、可能でしたら、そちらを是非見ていただければと思います。(「野木沢小学校」で検索すれば見られます。スマホでも見られます。)

 6年生の子どもたちは、この修学旅行に向け、計画的に準備を進めてきました。班を編制し、見学場所や体験場所やコースの計画を立てる話し合いを、何度も持ちました。その中で、メンバーの意見がうまくまとまらず、思うように進まないこともありました。しかし、そういう経験をすることも、この学習の一環でもありました。そのようなことも全て乗り越えて、出かけた会津若松への修学旅行でした。
 最初の見学先でバスを降りてから、子どもたちは、グループで計画したコースに沿って、それぞれスタートしました。順調に、予定どおりに進むグループ。予定どおりにバスが来なくて、あせったグループ。お店に入り、会津名物のソースカツ丼やみそ田楽をおいしくいただくグループ。体験活動で、起き上がり小坊師や赤べこなど、ていねいに絵付けするグループ。中には、手作りパフェの体験をするグループも。それぞれのグループで、何か起きても、自分たちで話し合って問題を解決しながら、活動しました。そして、最後は、予定どおり、全てのグループがゴールの鶴ヶ城に無事たどり着きました。その時の子どもたちは、みな、最高の笑顔でした。
 活動中に、新聞社の取材を受けたグループもありました。質問されたことに、代表児童がしっかりと答え、記者の方も大変感心していました。

 学校に着いてから、私は子どもたちに次のような話をしました。
「今回は、今までと違う修学旅行でした。団体で同じところを回るのでなく、自分たちで行きたいところを決め、自分たちで体験したいことを体験し、自分たちで食べたいものを食べてくる、まさに、自分たちの修学旅行でした。そして、どの班も何が起きても自分たちで話し合って、解決することができました。 私は、今回の修学旅行を、6年生のみなさんのために、是非やりたいと思っていました。ですから、やれてよかったと思っています。しかし、今回、会津に行き、みなさんが会津の町を散策し、体験し、味わい、そして、会津の人とふれ合う様子を見て、私自身、気付くことがありました。

 それは、2班の人たちが体験したパフェ作りのお店の人の話を聞いた時でした。そのお店の人は、「今年、初めての小学生のみなさんでした。だから、来てくれて本当にうれしかったです。」とお話ししていました。会津の町の人たちは、このコロナの影響で、お店もやれない時がありました。だから、今回、みなさんが会津に行ったことで、(ああ、また、以前のように子どもたちが来てくれるかもしれない。)と喜びと希望を持ったに違いありません。そういう意味で、今回、行ってよかったなあと思いました。自分たちがしたことが、だれかの喜びにつながっているとしたら、それは、とてもうれしいことです。みなさんの修学旅行がそういう旅行になり、とてもよかったと思います。
 さて、みなさんの修学旅行は終わりました。また、行きたくてももう行けません。それが、みなさんにとっての小学校生活なのです。今日のような大きな活動のある一日もあれば、特別なことは何もないような平凡な一日もある。しかし、どちらも、みなさんにとってはかけがいのない一日なのです。さあ、来週から、また、みなさんには、野木沢小学校の6年生として、頑張ってもらいます。みなさんに残された小学校生活は、あと151日です。」

 6年生の子どもたちの一人一人のよさと、6年生の子どもたちの持っている力が十分に発揮された、とてもいい修学旅行でした。

56 七夕の話

 集会委員会が企画運営して、七夕集会を行いました。授業時間は使わずに、2時間目の休み時間を使い、20分という短い時間で凝縮した楽しい集会でした。クイズをしたり、歌を歌ったりしました。その中で、各学年の願いが発表されました。今年の願いは次のようなものでした。

 1年 長い5分、短い5分、時間を守りたい。残さずマナーを守ってしっかりと食べたい。
 2年 やさしく素直であきらめない人に成長しますように。相手のことを考えて、笑顔で話を聞く人になりますように。
 3年 1、2年生のお手本になれますように。健太郎先生が幸せになれますように。
 4年 みんなにやさしくて、きりかえできるクラスになれますように
 5年 コロナウイルスが早くおさまりますように。みんなが健康で安全に過ごせますように。
 6年 みんなで仲良く1年間過ごせますように!!

 私は、子どもたちの前で「七夕のお話」をしました。織り姫と彦星の七夕伝説の話です。最後に、天の川にカササギがたくさん飛んできて橋をかけ、そこを渡って二人が会えたという、あのお話です。

 ここでは、それではないお話をしたいと思います。それは、どうして、「七夕」と書いて、「たなばた」と読むのかということです。調べてみると、本来、「七夕」の読みは、そのまま「しちせき」と読んでいました。これは、「七日の夕方」という意味です。では、「たなばた」とは、何だったのか。こちらは、漢字で「棚幡」と書いていました。これは、「お盆にお供えの準備をすること」と言う意味の言葉です。そして、最初の「七夕=しちせき」は、中国の言葉。「棚幡=たなばた」は日本の言葉だったようです。
 この二つの国の言葉に共通するのは、どちらも、7月7日に関係している点です。「七夕」は、年に一度、天の川を挟んで、彦星と織り姫が会える日の伝説のこと。そして、「棚幡」は、旧暦7月7日頃(現在の8月)に、お盆の準備をすること。このお盆の準備を表す言葉に、神様に着物を織ってお供えし、秋の豊作と汚れを祓うという「棚機」と言う言葉もあったようです。これも、読み方は「たなばた」。長い歴史の中で、「七夕=しちせき」と「棚幡=棚機=たなばた」の二つの言葉が合体して、そして、「七夕=たなばた」が出来上がった、というのが諸説ある七夕の由来の一つのようです。

57 立場が育てる

 今回の1年生、2年生、3年生が合同で出かけた見学学習では、縦割りの班を作って、3年生がリーダーになって活動を行いました。3年生は普段、学校の中では、上に4年生から6年生までいるので、どちらかというとお世話される方です。しかし、下学年の中では、トップになり、自分たちが下学年のお世話をする立場になります。そういう意味で、今回の見学学習では、3年生の子どもたちにとっては、責任ある立場を任されたことになり、3年生の子どもたちは、みな頑張ろうと張り切って臨んでいました。班のみんなを並ばせたり、一緒に遊んだり、お昼を食べたり、場面ごとに班のみんなに指示を出して、お世話していました。

 立場が子どもを育てます。6年生が、6年生らしくなるのは、ただ単に、学年が6年生になるからではなく、6年生という責任ある立場を任されるからです。班長として、委員長として、学校のトップとして、下級生たちのお世話をするという立場になるからです。そういう立場になるから、覚悟が生まれます。その覚悟が、行動を変えるのです。2年生の子どもたちが、4月に、1年生の時と比べて、見違えるように成長を感じることがあります。今年の2年生もそうでした。これは、今まで一番下だった自分たちの下に、新しく1年生が来るという、自分たちが1年生にとって、お兄さん・お姉さんになるという立場がそうさせるのです。そして、今回の3年生も、同じようなことが言えます。

 3年生の子どもたちは、きっと今まで以上に気も遣い、自分のことだけでなく、下級生のことも考えて行動するのに疲れたに違いありません。しかし、その分、3年生は成長したと言えます。そして、その3年生の頑張った姿を見ていた2年生が、来年、3年生になった時に、今度は自分たちが、下学年のリーダーとして頑張るに違いありません。そうやって、上級生が上級生として、与えられた立場の手本を示し、その姿を見て、下級生が育つ。そうやって、学校の子どもたちは成長していくのです。

58 あいさつ考

 お家の方々にちょっと伺いますが、お子さんは、朝、起きてきて、お家の人に「おはようございます。」とあいさつしているでしょうか。そして、もう一つ。お家の方々も、朝起きて、家族に「おはよう。」とあいさつされているでしょうか。

 今、校内では、子どもたちのあいさつについて、先生方で考えています。それは、どのようなあいさつができる子どもにしたいか、ということです。その中で、学校ではあいさつできるが、学校以外ではあいさつできない子が見られる、ということが話にあがりました。おそらく、御家庭や地域の方々からの情報なのだと思います。結論から言うと、やはり、あいさつは、いつでも、どこでも、だれにでも、できるようにしたい。さらに言うと、あいさつは、当たり前にできるようにしたい。

 この当たり前のあいさつを考えた時、先程の質問になりました。どうでしょうか。朝起きたら、「おはよう」とあいさつするのは、極々当たり前のことです。もしかしたら、朝、起きてきても、家の人に「おはよう」をしないお子さんもいるのではないでしょうか。もしかして、お子さんが「おはよう」とあいさつしないお家では、お家の方々も家庭内で「おはよう」を交わしていないということはないでしょうか。

 子どもは環境の中で育ちます。お家の方々自身が、当たり前のように、朝起きたら「おはよう」とあいさつを交わす環境で育ったお子さんは、やはり、当たり前のように、「おはよう」とあいさつする子どもに育つのではないでしょうか。そして、その逆も言えるのではないでしょうか。子どもの手本は、私たち大人なのです。そう考えた時、私たち教師自身も、自分のあいさつはどうなのか、自問自答しなければなりません。そして、その上で、子どもたちにあいさつをどう指導するか、考えなければなりません。

 あいさつは、誰かに言われてやるものではありません。しかし、あいさつをするという習慣は、普段の生活の中で培われるものでありますから、できないのであれば、できるように指導していく必要はあります。私たち人間が、無人島で一人暮らしするのであれば、あいさつは不必要かもしれません。しかし、多くの人と関わりながら、社会の中で生きていくことを考えると、あいさつできることは、必要なスキルになります。たかがあいさつ、されどあいさつです。

59 鳥の鳴き声

 

 希望ヶ丘は、野小っ子にとって、最高の遊び場です。そして、希望ヶ丘は、野鳥にとって、最高のすみかでもあります。
 4月、ウグイスの鳴き声を皮切りに、その後、実に様々な鳥の鳴き声が聞こえてきました。あまりにも、頻繁に聞こえるので、どんな鳥が鳴いているのか、調べてみたくなりました。
 その結果、一番よく鳴いているのは、「ホトトギス」です。この原稿を書いている今も、外では、「キョキョキョ、キョキョキョ」と鳴いています。特徴的な鳴き声なので、すぐにホトトギスだと分かります。この他にも、カッコウやヒヨドリ、シジュウカラ、メジロなどが鳴いています。鳴き声の主が分かってくると、次は、どんな姿で鳴いているのか、見たくなります。しかし、今だ、鳴き声の主の姿は見られていません。それはそうです。野鳥からすれば、そんな簡単に姿が見られてしまっては、危なくてしかたないからです。思えば、我が家の庭先にも、野鳥は飛んできますが、人の姿を見かけた途端、一斉に飛び立っていきます。そして、また、人の姿が見えなくなると、どこからかまた飛んでくるのです。
 ですから、バードウォッチをされる人は、すごいなあと思うのです。樹木の生い茂った間から、鳴いている野鳥の姿を見つけるのですから。
 話を戻しますが、今まで聞いたことがない鳴き声を聞くと、(あれっ、今の鳴き声は何という鳥だろう)と気になります。それでも、なかなか探し求めている鳴き声の主は分からないのですが。
 福島県の鳥は、キビタキです。同じように他の県の鳥を調べてみると、北海道は丹頂鶴、東京都はユリカモメ、新潟県は朱鷺など。そんな中、静岡県の鳥は、「サンコウチョウ」という鳥です。このサンコウチョウですが、私は一度見てみたいと思っている鳥なのです。


 ご覧のとおり、体長の3倍ぐらいの長さの尾羽をもっています。外見も変わっていますが、その鳴き声にも特徴がある鳥です。その鳴き声は、「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」と鳴くそうです。そして、この鳴き声が、「月・日・星」と聞こえることから、「三光鳥(サンコウチョウ)」と呼ばれています。東南アジアに生息していて、夏鳥として、日本にやってくる渡り鳥です。福島県までやってくることはあるのか、定かではありませんが、もし、チャンスがあれば、一度見てみたいと思っています。
 ちなみに、県の鳥だけなく、市町村の鳥もいて、我が石川町の鳥は、「ウグイス」です。一年中、見られるウグイスですが、俳句では、春の季語になっています。ウグイスは別名「春告げ鳥」と呼ばれています。あの「ホーホケキョ」を聞くと、春が来たことを感じますね。

60 日常を十七音で

5年生が国語の学習で作った俳句を紹介します。

  夕立の きぼうがおかは みずあびだ

  雨の中 かさがくるくる アサガオだ

 まず、季節柄、雨をテーマにした作品を2つ紹介します。
 一つ目の作品。晴れていれば、駆け回って遊んでいる希望ヶ丘が、雨で遊びに行けない。そんな雨にぬれる様子を見て、水浴びしているようだと感じたのでしょう。希望ヶ丘が、子どもたちにとって身近だからこそ、そう感じたのかもしれません。二つ目の作品。色とりどりに開いた傘が、アサガオのように見えたのですね。くるくるという言葉に、そんな雨の日でも、楽しく過ごしている様子が分かります。

 

  七夕に たんざくかいて ねがいのせ

  たなばたは ゆめも願いも かなえるよ

 続いて、七夕をテーマにした2作。日本古来の風習の中で、この七夕は、比較的行われていると思います。考えてみると、短冊に願いを書いて、七夕様に夢をたくす行為は、ロマンチックですね。まさに「星に願いを」です。ディズニー映画「ピノキオ」の主題歌に、「星に願いを」という曲があります。素敵な曲です。なかなか普段の生活で、星を眺める機会はありません。時には、夜空を見上げ、星のまたたきを見たり、夢や願いを思ったりする心のゆとりを持ちたいと思います。