学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

121 運動会の話「スローガン」

 今年の運動会のスローガンは「輝く希望と 光の矢 大迫力の運動会」。考えたのは、6年草野勝斗さん。そこで、勝斗さんに、インタビューしてみました。

Q1 このスローガンは、どんな運動会をイメージして考えたのですか?
  
 応援歌の中に入っている、赤の「輝く希望」と白の「光の矢」から、赤と白が全力で戦っている迫力のある運動会をイメージしました。

Q2 スローガンの中にある「光の矢」は、どういうものですか?

 白が光の矢のように、突き進んでいる様子です。

Q3 勝斗さん6年生にとって、小学校最後の運動会ですが、どんな運動会にしたい  ですか?

 5月でも10月でも、最後の運動会を全力でやることには変わりはありません。自分が団長になって、赤組をひっぱって勝利に導きたいし、どちらも全力を尽くして負けても、相手をたたえる運動会にしたいです。

 今回紹介したスローガンを考えた勝斗さんの思いを、全校生で共有して、そこに、一人一人が自分の思いを重ね合わせ、みんなで最高の思い出に残る運動会にしたいと思いました。

 勝斗さんが言っている応援歌は、次のような歌詞の歌です。

ゴーゴーゴー(運動会の歌)▼①フレーフレー赤組▼ フレーフレー赤組ゴーゴーゴー▼ ぼくらは輝く▼ 太陽のように▼ もえあがる希望▼ 力いっぱいがんばろう▼ 赤赤赤ゴーゴーゴー▼ 赤赤赤ゴーゴーゴー▼ もえろよもえろ赤組
②フレーフレー白組▼ フレーフレー白組ゴーゴーゴー▼ ぼくらは白い稲妻だ▼ つきすすむ光の矢▼ 雷の音とどろかせ▼ 元気いっぱいがんばろう▼ ゴーゴーゴー白白白▼ ゴーゴーゴー白白白▼ 地球をまわる稲妻だ白組

そして、3番は、赤と白が同時に歌います。当日も、赤の草野勝斗団長と、白の佐藤煌大団長の指揮に合わせて、振り付きで元気いっぱい歌います。

123 映画「ジオストーム」

 あれ程、「10月10日は晴れるはず」と豪語していて、今回、見事に大雨となった結果に、つくづく、(人間の力は、自然の中では、無力だ…)と思いました。これだけ、科学技術が進んでいても、天候をコントロールすることはできないわけです。自然界は、今だ神の領域なのかもしれません。だから、人間が介入することで、大変なことが起こる…。実は、そういうことをテーマにした映画がありました。
 映画「ジオストーム」。この映画の中では、人類が、ついに天候をコントロールすることができた世界を描いています。宇宙空間に大きな網のようなものを設置し、それが全世界の上空を覆っていて、気象コントロール衛星が、コンピュータにより、各地の天候を制御するという話です。しかし、コンピュータウイルスにより、気象衛星がコントロールできなくなり、世界各地で通常には起こりえないような災害が勃発します。熱ビームで山火事が起きたり、南米の海が一瞬で凍り付いたり、日本にも巨大な雹が降ってきたりします。そして、ついに「ジオストーム」という大規模な嵐が…。
 この映画を見て思ったことは、やはり、自然の力の前では、人間の力はかなわないこと。そして、改めて、私たち人間も、この地球においては自然の一部なんだということ。だから、今までも、自然と共に生き、そして、これから、自然と共存していくのだと思いました。

122 運動会の話「当日のスケジュール」

※12日(月)実施に変更になりました。朝の準備があるため、開始時刻は少し遅れます。

 また、当日、お弁当持参になります。昼食後、下校となります。

※時刻は、あくまで目安です。前後することがありますので御了承ください。
  6:00 花火の打ち上げ
  7:00 朝の準備(執行部と学年委員の皆様、お世話になります)
  8:15 入場行進
       開会式
  8:30 1 応援合戦
       2 ラジオ体操
       3 100メートル走(3・4年)
       4 かけっこ(1・2年)
       5 150m走(5・6年)
  9:20 休憩
       6 Hippappe!
       7 何がでるかな?(1・2年)
       8 どうぞ ごいっしょに!(5・6年)
       9 2020流行語大賞?(3・4年)
 10:30 休憩

                       10 鼓笛
                11 ダンシング紅白玉入れ(1・2年)
                12 野小タイフーン(3・4年)
                13 キャッチ ザ ドリームボール(5・6年)
                14 紅白対抗リレー
 11:30 閉会式
       児童は、教室に戻って帰りの会
       校庭は、片付け作業(お手伝いの御協力をお願いします)
 12:00 児童下校

 今のところ、当日の天気予報は「曇り一時雨」。午前中に運動会は終了する予定なので、降られる前に終わるかと思います。準備や片付けに御協力いただく皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、明日は運動会前日になります。当日、最高のコンディションで参加できるように、金曜日は早めに就寝し、土曜日朝の朝食の摂取、そして、最後の励ましの言葉をかけて、笑顔で送り出して下さい。

124 運動会を終えて

 5月から10月に延期して実施された、今年の運動会。まずは、やれてよかったと思います。ただ、私の予想は大きく外れ、台風が接近し、やむなく平日実施となったことで、観戦することができなかった保護者の皆様には、申し訳なく思います。しかし、6年生にとって、小学校最後の運動会であったわけですから、やれないよりはやれた方が絶対よかったです。また、一つ小学校の思い出ができたと思います。また、1年生にとっては、小学校初めての運動会。幼稚園や保育園とは違った感じを、子どもなりに受け止めたのではないでしょうか。

 さて、今年の運動会を振り返って、私が一番感じたのは、子どもたちの健気さです。いつも思うことですが、運動会は、運動が苦手な子どもにとっては、なかなか気持ちが前向きになれないところがあります。そういう子は、練習段階から、複雑な思いで参加しています。中には、休みたいとさえ思っている子どももいます。心と体は表裏一体なので、気持ちが沈んでいると、本当に体の調子が悪くなるのです。それでも、参加した子どもたちは、みな、頑張って競技しました。一生懸命頑張る姿に、野木沢の子どもたちの健気さが現れていたと思います。どの学年の、どの競技においても、みな、最後まであきらめずに、本気全力100%で頑張っていました。例え、入賞にならないと分かっていても、最後までしっかりと走りきりました。たとえ、びりでも、かっこよく走りきりました。ほんとに素晴らしい子どもたちだと思います。

 そして、応援団を中心に、紅も白も応援を頑張っていました。高学年の子どもが種目でいなくても、低学年の子どもたちが、大きな声援を送っていました。下級生たちに応援された上級生たちは、さぞかし、嬉しかったことでしょう。そして、お出で頂いた御家庭の皆様からも、大きな声援を頂いて、子どもたちは、みな、いつも以上に頑張ったに違いありません。また、代表児童の返事やあいさつ、態度も立派だったと思います。

 そして何より、今回の運動会は、保護者の皆様の支えがなければ、できなかったと思います。早朝からの準備、係分担、そして、休憩ごとの校庭整地と、本当にお世話になりました。野木沢小保護者の皆様のチームワーク、団結力、そして、ボランティア精神はとても素晴らしいです。本当に心強く思いました。ありがとうございました。

 さて、運動会は終わりました。しかし、子どもたちの教育活動が終わったわけではなく、番組はさらに続きます。これからも、日々の授業を充実させていくことはもちろん、行事的には、11月には、中旬にマラソン大会、下旬に学習発表会も控えています。それが過ぎれば、もう12月。2学期のまとめに入ります。これまで着実に、子どもたちは力を付け、成長してきています。コロナもインフルエンザも、心配なことはなくなりませんが、それでも、これまで同様、子どもたちの健やかな成長のために、学校、家庭、地域が一体となって、教育活動を展開していきたいと思います。引き続き、御理解と御協力をお願いします。

125 運動会を終えて その2

 改めて「ボランティア」について調べてみると、ボランティア活動は一般的に次の四原則で説明されています。

①自主性・自発性
  個人の自発的な自由意思に基づいて行われる活動であって、人から命令や強要されて行うものではないということ
②社会性・連帯性
  社会にある様々な課題について、個人の関心や動機から始まったことでも活動することによって社会へ影響を与えるということであり、その活動を通じて他の人とかかわりができ、新たな人間関係が育まれるということ
③無償性・無給性
  活動の対価や見返りを求めない活動であり、ボランティア活動の報酬は自分の満足感や人とかかわることによって得られる人間関係であること
④創造性・開拓性・先駆性
  独自の考えによって先駆的な、創造性豊かな活動ができるということ

 昨日の運動会における、保護者の皆様の行動は、学校からの指示ではなく、保護者の皆様の自主的・自発的なものでした。そして、一緒に校庭を整地しながら、子どもたちが最高の運動会をできるようにという同じ思いを持ちました。雨に濡れながらの作業でしたが、みなさん進んで、子どもたちのために作業されていました。限られた用具を駆使しながら、状況に応じて、何をすべきか創造的に、みなさん作業されていました。保護者の方々から、召集場所にテントは張れないかという意見が出され、プールで使用していたテントを張り、ブルーシートでつなぎました。このような保護者の皆様のボランティア精神あふれる行動は、その有様を目撃した子どもたちの目に、しっかりと焼き付いたことと思います。今回のことは、子どもたちはきっと忘れないと思います。そして、いずれ、自分たちが大人になり、自分の子どもの運動会を迎えた時、(ああ、そう言えば、自分の運動会で、お父さん、お母さんたちが、雨の中、校庭をならしてくれたっけ)と思い出すのでしょう。そして、そのお父さん、お母さんと同じように、自分も我が子のために、進んでボランティアで学校を支えるのだと思います。

 今回の運動会を通して、改めて、学校は保護者の皆様に支えられていると、強く感じました。子どもたちの教育活動を充実させるために、私たち教職員ができることは限られていて、そこに、保護者や地域の方々の御協力を頂いて、初めて意義ある活動に発展することを、実感しました。やはり、学校と家庭と地域が連携することは、子どもの健全な成長のためには、欠かすことはできないのだと思いました。当然のことですが、保護者の皆様と、学校の教職員は、「子どもの健全な成長」という共通な目的を持った、言わば「同志」なわけです。だからこそ、しっかりとスクラムを組んで、同じ思いを共有しながら、子どもの成長に携わっていくことが必要なのです。

 運動会の中で、最初、雨に濡れることから「鼓笛」は中止と判断しました。しかし、と同時に、鼓笛の演奏を発表する場をどうするか、考えました。鼓笛パレードが中止になっていますから、この運動会が、最後の発表の場だったわけです。6年生にとっては、最後の鼓笛。子どもたちは、この日のために一生懸命練習してきました。このまま、それを無駄にはできません。実際、保護者の方々からも、「鼓笛発表」を期待する声も届きました。そして、担当の先生とも相談し、この後、もし雨が止んだら、降っててもすごく弱ければ、鼓笛発表をやる方向で検討しました。その時は、閉会式が終わってから最後にやるという案でした。しかし、最後のリレーをやっている頃は、雨はほとんど止んでいましたので、急遽、リレーの後に鼓笛をやることに変更しました。鼓笛発表の裏側には、そのようないきさつがありました。学校としても、子どもたちには鼓笛発表をさせてあげたい、保護者の皆様も子どもたちの鼓笛発表を見たい、どちらも同じ思いでいたわけです。だから、やれてよかったとつくづく思います。

 運動会翌日、疲れていたのは大人だけでした。子どもたちは、いつも通り元気いっぱい。朝から、これまたいつものように校庭を走り回って遊んでいました。この日は、昨日の天気が嘘のように、晴れ間が見られました。天日干しにそのままにしていた万国旗は、昼休みに、子どもたちに協力してもらい、片付けました。この万国旗の出番は、また来年。さて、来年の運動会は、これまでと同じように、5月にやれるのでしょうか?そんなことを考えながら、久し振りの青空を眺めました。

126 アルテミス計画

 アルテミス計画とは、2024年、有人月面着陸を目指し、2028年までに月面基地の建設を開始するというNASA(アメリカ航空宇宙局)のプロジェクトである。
 有人月面着陸といえば、かつて、アポロ計画というものがあった。アポロ計画は、アメリカと旧ソ連による宇宙開発競争の中で、1961年にNASAが計画したものである。そして、1969年7月16日、アポロ11号が初めて月面に着陸し、2名の宇宙飛行士が人類で初めて月面に到達した。その後、アポロ計画は、1972年まで月面着陸を通算6回成功し、計12名の宇宙飛行士を月面に送り、その後、人類は誰も月まで行っていない。
 それから、およそ48年経ち、今、新たに、アルテミス計画が発表されたわけである。そして、この計画には、日本も参加するようなので、ついに、日本人初の月面着陸というのもあるかもしれない。私の好きな漫画に「宇宙兄弟」がある。その漫画の中では、すでに日本人宇宙飛行士が月面に到達している。それが、現実になるのかと思うと、大変興味深い。

127 「優しさは、心を結ぶ」

 私は思うのだが、SNSなどでコメントをする人は、そのほとんどが「匿名」である。結論から言おう。私は、何か意見を言うのなら、きちんと名乗って言うべきだと思っている。なぜなら、そこには、自分の発言に対する責任が伴うからだ。だから、匿名でいう意見は、自分の発言に対して、責任を担っているとは言い難い。逆に言えば、匿名で責任がない発言だから、相手のことを平気で批判したり、傷つくことを言ったりできるのかもしれない。だから、もし、名乗らずに匿名で言うのなら、相手を非難するような内容は言うべきでないと思っている。

 さらに言おう。万が一、自分に対して、誹謗中傷するような内容のコメントがあったとしても、その発信者が匿名で、どこの誰が言っているのかわからないとしたら、そのコメントは、「無視」しても構わないと思っている。匿名で批判する人はずるい。言いたいことがあるなら、自分が誰なのか、名乗って言うべきだ。だから、そんなずるい、自分だけ守られている立場で、勝手に言っていることは、知る必要なしである。どんなに批判しようが、こちらが知らなければ、それは、言われていないことと同じである。それでいいと思っている。しかし、そうだと頭でわかっていても、やはり、自分が批判されていたら、気持ちは穏やかではいられないように思う。

 「明日は我が身」ということわざがある。正式には、「今日は人の上、明日は我が身の上」というようだ。意味は、「今日は人ごとと思っていた災難も、明日は我が身の上に降りかかってくるかもしれない。災難というものは、いつ誰に起こるかわからないものである。」このことわざが、今、一番当てはまることは、新型コロナウイルスの感染者に対する誹謗中傷かもしれない。

 新型コロナウイルスに感染するリスクは、ゼロにはならない。そのことは変わらない。だから、今は感染していないからと言って、この後、自分が絶対に感染しないという保証はない。むしろ、自分もいつか感染するかもしれないと思っていた方がよい。それなのに、新型コロナに感染した人に対して、どうして無責任な誹謗中傷が言えるのか。「明日は我が身」なのである。自分がもし感染したら、今度は、同じような誹謗中傷を、どこかの誰かから受けるのは自分かもしれないのだ。そうなった時、匿名で誹謗中傷してきた人を、果たして批判できるのだろうか、自分のやってきたことをさておいて。(次回へ)

128 「優しさは、心を結ぶ」(続き)

「優しさは、心を結ぶ」

 これは、福島県が新型コロナウイルスの感染者やその関係者らに対する誹謗中傷を防止するための啓発事業の特設サイトである。そこでは、「お互いを思いやり、共に新型コロナウイルス感染症を乗り越えていきましょう。」と呼びかけている。特設サイトは15日から開設している。特設サイトには、相談窓口や県からのメッセージを掲載している。また、サイト上のハートマークをクリックすることで、クリック数に応じた小さなハートが大きなハートを形作る。県民同士の絆を表現し優しさや励ましの気持ちを発信する。累計クリック数も表示される。「いつ誰が感染してもおかしくない中で、誹謗中傷は何も生まない。思いやりや優しさをハートに託して広げてほしい」との願いだ。

 また、新型コロナ感染者らに対する誹謗中傷を巡り、県は専用の電話窓口を設けている。県職員が相談に応じ、会員制交流サイト(SNS)の書き込みの削除方法といった具体的な助言などを行う。特に悪質なものについては県警などの関係機関を紹介し、法的措置を含めた橋渡し役を担う。相談受け付けは平日午前9時~午後5時で、電話024・521・8647。

129 就学時健康診断にて

 今日、ここにお集まりのみなさんのお子さんは、来年4月、令和3年度に小学校に入学するお子さんです。ちょっとみなさんにお伺いしますが、来春入学されるお子さんは、小学校に初めて入学しますという方は、どのくらいいらっしゃいますか。挙手してもらっていいですか?ありがとうございます。

 私事ですが、私も今から○○年ぐらい前、みなさんと同じように、子どもが初めて小学校に入学しました。当時、心配なことは、いろいろありましたね。その中で、一番心配なのは、友達のことでしたね。友達はできるかな?みんなと仲良くやれるかな?実は私は、平成元年に先生になりました。ですから、今年で、32年ですね。平成の時は、わかりやすかったんです。令和になって、ちょっとわかりにくくなっちゃいました。32年間、この仕事をしていると、いろんなことがわかります。それで、一つ気付いたことがあります。それは、「1年生になったら」という歌がありますね。あの中に、「友達100人できるかな」と言う歌詞があります。あれは、個人的な意見を言わせてもらうと、プレッシャーですね、子どもにとって。結論から言うと、友達というか、仲良しさんというか、学校でおしゃべりしたり、遊んだりできる人は、一人いればいいんです。100人もいらない。一人いれば、学校は楽しいところになります。そして、誰にでも、馬が合うというか、気が合うというか、そういう子は一人はいます。だから、あんまり心配することはないんです。

 そして、学校は集団生活をしますから、いろんなことが起こります。中には、友達ともめたり、けんかになったりすることもある。私は思うのですが、子どもの周りで起きることは、全てその子が成長するために必要なことだと。だから、無駄なことは一つもなく、全ての出来事がその子の成長につながっていて、その子を作り上げている。だから、大事なのは、その成長に必要な経験を、大人が邪魔しないことです。昔から「子どものけんかに親が出るな」と言いますね。あれは、本当です。子どもにとって、友達ともめて嫌な思いをしたり、つらい気持ちになったりするのは、大事なこと。そして、子ども自身が解決していくことが必要なんです。その時に、大人が解決してしまっては、その子どもの成長につながらない。逆に、困った時に、自分では何もしないで、すぐに大人に頼ってしまう子どもになる。そのまま大人になってしまうと、嫌なこと、つらいことから逃げてしまう大人になってしまうのではないでしょうか。子どものうちに、そういう時、どうやって解決するか経験しておかなければならないんです。じゃあ、大人は何をすればよいか。大人は、見守ることです。子どもの話を聞いてあげて、言ってあげればいいんです。「大丈夫だよ」って。子どもにとって、家庭は安心基地なんです。家の外でいろいろ経験して、帰ってきて話を聞いてもらうことで安心できる場所。それが、家庭です。話を聞いてもらって、「大丈夫だよ」って言われるから、また、家の外に出て、チャレンジしてみようと思うんです。がんばろうとするんですよ。

 先程、初めてお子さんを小学校にあげると言ったお子さんは、初めての小学生になるわけですが、その保護者さんにとっては、初めて小学生の親になるということです。だから、当然、迷うこともあるでしょう。そういう時は、ベテランのお仲間の方に相談してはどうでしょうか。学校の先生に相談してもいいです。学校の先生と、保護者のみなさんとは、「お子さんを健全に育てる」という共通の目的を持った同志ですから。仲間なんですよ。決して、敵ではないのです。一人で抱え込んで悩まないで、何でも相談すればいいんです。一緒に考えていきましょう。

 最後に、新型コロナウイルス感染対策について、お話しします。どの学校でも、毎朝の検温をお願いしています。そして、発熱、体調がすぐれない場合は、無理して学校に来ないよう、お願いしています。新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスとの大きな違いは、症状が出た時に、排出するウイルスの量です。インフルの場合、感染するとすぐ発症するので、発熱した時点では、まだ、あまりウイルスは排出していないんです。しかし、コロナの場合、感染後、潜伏期間があって、その時点でどんどんウイルスを排出して、症状が出た時がほぼピークなんです。だから、簡単に言うと、いつ、どこで、感染したか、わかりにくい。ですから、学校生活は、基本、マスク着用。消毒とうがい、手洗い。教室の換気。給食時は、グループを作らない、といった対策をとっています。しかし、それでも、感染リスクはゼロにはできないのが、コロナです。だから、何よりも大事なのは、もともと持っている免疫力を高めることだと思います。そのためには、運動して体を鍛え、しっかり睡眠をとり、そして、栄養バランスの良い食事をとること。これは、コロナに限らず、健康な生活を送る上で、大切なことなので、子どもたちには、健康な生活習慣を身につけてほしいと思います。運動、食事、睡眠の中で、お家の方に特にお願いしたいのは、食事と睡眠です。学校と家庭が、しっかりと協力して、子どもの健康な生活習慣作りをすることが、今この状況において、特に求められているのではないでしょうか。

 それでは、私の話は、この辺りで、終わらせていただきます。次回は、それぞれ入学される各学校で、入学準備会が2月頃にあります。それぞれの学校からご案内がいくと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

130 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」

 これは、21日付福島民報に掲載されたJTの全面広告の見出しです。以下、その広告の文章です。

「桃太郎がなぜ、犬、猿、キジという一見バラバラの三者を仲間にしたのか。そこには、桃太郎の明確な戦略がありそうです。おそらく桃太郎は、チームに多様性を取り入れ、ある種のケミストリーを起こそうとしたのではないでしょうか。最初は合わないこともあったかもしれません。でも、心を開き、認め合うことができれば、個性の違いはお互いを高め合うきっかけになります。違うから、視野が広がる。発見がある。成長できる。強くなれる。これからの多様性の時代に、私たちが学ぶべきことが、そこにはあるような気がします。違うから、人は人を想う。」

 この広告のキーワードは、「多様性」です。多様性…いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。今、社会的にも、この「多様性」(ダイバーシティー)という言葉を、いろいろな場面で目にするようになりました。昔からも、「生物の多様性」等、使われてきた言葉です。先程の広告の中で使われている「多様性」ですが、要は「一人一人を尊重すること」なのだと思います。つまり、「個人の尊重」です。でも、それは、別に今に始まったことではなく、我が日本国憲法でも、「基本的人権の尊重」として示されていることです。

 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 私たちは元来、一人一人違う存在です。その個々の違いを、これからも尊重して行きましょうということです。そして、その個々の違いを尊重することが、自分たちの社会を、より豊かにしていくということです。まさに、金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」です。(次回へ続く)

131 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」(続き)

 私は、この広告を見て、この「多様性」も注目したのですが、それよりも気になったのが、見出しの問いです。実は、以前、何かの番組で、そのことを紹介していて、それを聞いた時、(なるほどなあ、おもしろいなあ)と思った記憶があり、今回、改めて調べてみました。

 桃太郎のお供が、「犬・猿・雉」である理由は、あの干支の十二支と関係しています。十二支を北から時計回りに並べると、鬼門は北東になります。丑寅の方角です。だから、鬼のイメージは丑の角、寅柄のパンツをはいていますね。そして、その鬼門の方角に「鬼ヶ島」があることになります。次に、その鬼ヶ島に行って鬼を退治するためには、鬼門と反対の方角(裏鬼門)の生き物の力が必要と考えました。北東の反対は、南西です。その方角の干支は未(羊)と申(猿)です。しかし、この羊は角があるため、鬼の角に通じるということで避けられました。よって、猿から順番に3匹、つまり、申(猿)酉(鳥)戌(犬)となりました。よって、桃太郎の話に出ている家来は、「犬・猿・雉」となったというわけです。

 他にも、桃太郎のお供を考えるとき、「智・仁・勇」に、親しみのある動物をあてはめることによって子どもにもわかりやすいお話にしようとした説もあるそうです。「智」は、猿は猿知恵というように知恵がある生き物。「仁」は、犬は3日飼ったら恩を忘れないという仁徳のある生き物。そして、「勇」は、雉は火事の時、自らの羽を巣に覆いかぶせ卵を守ることから勇気がある生き物ということで、この3匹が選ばれました。

 以上の説明は、日本桃太郎会連合会というところで紹介されていました。この会では、桃太郎を学び、全国の桃太郎愛好家の方々と共に地域おこしや、桃太郎のおとぎ話の素晴らしさをより広く伝える活動をしているそうです。

132 就学時健康診断 子育て講座より

 福島県栄養士会の管理栄養士である吉田かいでさんの講演がありました。演題は「健康と食生活」。食べることがいかに私たちの健康と結びついているか、考えさせられました。

 まず、食事は、朝昼晩の3回食べることが大事だという話でした。特に朝食。驚くことに、朝食を食べないと、肥満になる傾向があるとのことです。理由は、食事をすると、体温が上がり、エネルギーを消費します。3食の内、朝食後のエネルギー消費が一番高いのですが、その朝食をとらないと、その分、昼食や夕食で補わなければなりません。仮に夕食で補ったとしましょう。しかし、夕食後は、朝食後に比べ、エネルギー消費量は低いので、結果、体脂肪を増やすことになってしまうのです。さらに、夜食後はエネルギー消費量が低いので、食べた分、たまってしまうわけです。この夕食や夜食を取り過ぎると、朝、食欲がなく欠食するという、よくないサイクルになってしまうようです。ですから、朝食をしっかり食べる習慣にするといいのです。朝食は多少食べ過ぎたとしても、食後のエネルギー消費量は一番高いので、影響はそれほどないそうです。

 他にも、朝食の大事な役割は、体の目覚ましスイッチであり、お腹の目覚ましスイッチであり、脳の目覚ましスイッチだということ。全てのスイッチが朝食。それから、食事も栄養のバランスを考えること。それには、和食がおすすめ。一汁二菜、一汁三菜と聞いたことがあるかと思います。和食には、脳を守る知恵が備わっているそうです。そして、おやつは4回目の食事として、何をどのように与えるか、考えるのが大事とのこと。

 子どもの体を作っているのは、食べたものであることは間違いありません。子どもの健康を考える時、何を食べさせるかは、大きな問題だと改めて思いました。

133 認知症サポーター養成講座

 5年生が、社会福祉士の方を講師に、認知症理解教室を行いました。これは、認知症サポーター養成講座ということで、認知症がどんな病気なのか理解し、認知症の方の気持ちを知り、自分にできることは何かを考える内容の講座でした。今回、野木沢小の講座が、記念すべき第111回目だそうです。

 まず、「認知症でも大丈夫」という劇を見ました。認知症のおばあさんと、その孫のやりとりを劇を見ながら考えました。その後、認知症という病気について、詳しく説明を聞きました。

 認知症は、脳の病気です。80歳以上の4人に1人は認知症だそうです。ですから、身近に認知症の方がいてもおかしくないわけです。認知症になると、ものを覚えたり、理解したり、判断したりすることができなくなります。新しい記憶ができないため、同じ事を繰り返します。劇の中のおばあさんも、医者に行くのは火曜日で、今日は日曜日だから行かないよ、と教えられても、しばらくすると、医者に行くからと言ってしまいます。医者に行くことしか考えられないため、何曜日に行くのが入っていかないわけです。そして、劇の中では、何度も同じ事をしてしまうおばあさんに、孫娘は怒ってしまいます。褒められたことより怒られたことが残るので、おばあさんの元気はどんどんなくなってしまうのでした。

 子どもたちは、劇を見て、自分は認知症の人に、優しくしてあげたい、捜し物は一緒に探してあげたい、優しい言葉をかけてあげたいという感想を持ちました。まとめでは、認知症の人を理解し、否定しないで、受け入れてほしいとお話がありました。

 5年生の子どもたちは、総合学習で、お年寄りや障害者、そして今回の認知症の方の立場になって、気持ちを想像したり、どう関わったらいいのか学習してきました。相手の立場に立つことは、相手理解の基本です。前号でもふれましたが、私たちは、もともと一人一人違うのです。年齢の違い、障害や病気の有無の違いも同じです。自分と違う立場を理解し、自分はどう関わっていけば良いのか、5年生の子どもたちは、いろいろと学ぶことができたと思います。

134 ラストページまで駆け抜けて

「ラストページまで駆け抜けて」これは、今年の『読書週間』の標語です。今年の読書週間は、10月27日から11月9日です。

 読書推進運動協議会のホームページには、読書週間について、次のような紹介がされています。

 終戦の2年後の1947年(昭和22年)、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているとき、「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と決意をひとつに、出版社、取次会社、書店と公共図書館が力を合わせ、さらに新聞・放送のマスコミ機関の協力のもとに、第1回「読書週間」が開催されました。
 第1回の「読書週間」は11月17日から23日。これは11月16日から1週間にわたって開かれるアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」にならったものです。各地で講演会・図書に関する展示会が開かれ、その反響は大きなものでした。「一週間では惜しい」との声を受け、現在の10月27日から11月9日(文化の日をはさんで2週間)となったのは、第2回からです。
 それから70年以上が過ぎ、「読書週間」は国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民」の国となりました。その一方、物質生活の豊かさに比べ精神生活の低迷が問題視されている昨今、論理的思考の基礎となる読書の重要性は、ますます高まってきています。
 本年の「読書週間」が、みなさん一人ひとりの読書への関心と、読書習慣の確立の契機となることを願ってやみません。
 今年の『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。

 読書週間では、毎年、ポスターを募集しています。2020年のポスターは、これです。

 隣のふくろうが描かれているマークは、読書週間のシンボルマークです。
 その昔、ギリシャ神話の世界で「ふくろう」は、学問・技芸・知恵を司る美貌の女神アテナの使者であり、また、代表的なポリスで文化の中心地アテナイ(アテネ)の聖鳥でもありました。古代のギリシャ人たちは、賢そうな丸い目ですまし顔の「ふくろう」を知恵の象徴として大切にしたといいます。森の奥ふかく、静かに瞑想にふけるこの「ふくろう」の姿こそ、読書週間のシンボルマークとしてもっともふさわしいものと考え、読進協では長い間使用しているそうです。

 本校の図書委員会では、みんなにたくさん本を読んでもらうことを目的に、2学期に読んだ本の冊数やページ数に応じて、多読賞の表彰を行う予定でいます。

 最後に、過日に実施された「石川地区読書感想文コンクール」の結果です。入賞したみなさん、おめでとうございました。なお、地区で推薦だった3年の佐藤愛菜さんの作品は、県読書感想文コンクールで、特選になりました。

 推薦 3年 佐藤愛菜さん 「ねこと王様を読んで」 ※県特選
 特選 2年 黒澤結衣さん 「えんぴつさん、ありがとう」
 特選 5年 二瓶大雅さん 「『こども電車』を読んで」
 入選 1年 佐藤快晴さん 「さすけがおしえてくれたこと」
 入選 4年 佐藤世菜さん 「私も地球のために」
 入選 6年 小松果恋さん 「『転んでも大丈夫、ぼくが義足を作る理由』を読んで」

135 マラソン練習

 マラソンの練習が始まっています。今年のマラソン大会は、11月12日(水)2・3校時の予定です。学年に応じて校庭を何周かしてから、校庭を出て、学校の周辺の道路を一周するコースを走ります。距離は1・2年生が1.2km、3・4年生が1.6km、5・6年生が2.0kmです。
 学校の周辺を回る周回コースを走ってみました。車の行き来が少ない、とても走りやすいコースだと思いました。ただ、アップダウンが激しいです。調べてみたら、校庭が標高246mで、校庭を出たら、すぐに上りです。しばらく行くと、ちょっと下って、また上ります。校庭から400m程行った辺りが一番標高は高く、約260mあります。なんと校庭との差が14m。4階建てのビルぐらいあります。そして、そこから、コースは400mの下り。一気に校庭より少し低い標高245mまで下ります。そして、ここから校庭まで残り200mぐらいですが、最後に学校の前の道路から職員駐車場までの勾配の急な上り坂が待っています。コースの終盤なので、かなりきついと思います。しかし、その坂を上りきれば、ラストスパート。校庭でゴールとなります。
 子どもたちは、朝の時間や休み時間に校庭を走っています。先日行われた全校集会で、次のような話をしました。
「いよいよマラソンの練習が始まりました。このマラソンの練習で大事なのは、途中、歩いたり、止まったりしないで、同じ速さで、最後まで走り続けることです。そして、マラソンの練習はつらくて、苦しいです。でも、そのつらくて、苦しいのを我慢して頑張った分、それは、自分の力になります。その力は、走る力だけでなく、つらくても苦しくても逃げないで頑張るという心も強くしてくれます。みんなで、マラソン練習を頑張りましょう。」
 体育の時間も練習している様子が見られます。長い距離を走るのが苦手な子どもにとっては、大変な練習です。しかし、マラソンも戦う相手は自分です。つらくて苦しくて歩きたいという自分と、もう少し頑張ろうとする自分とが、戦い続けます。そうやって、自分の心が強くなっていくのだと思います。そして、つらくて苦しいマラソンですが、一度、スタートしてしまえば、そこから後は、ゴールに向かって、距離はどんどん短くなっていきます。頑張って前に踏み出している一歩一歩で、間違いなく、ゴールへ近づいていきます。そして、途中でやめなければ、止まらなければ、全員がゴールにたどり着くことができます。それが、マラソンです。
 もうしばらく、練習の日々が続きます。お家でも、頑張っている子どもたちを励ましてください。

136 「理解ある親」をもつ子はたまらない(「こころの処方箋」より)

 河合隼雄さんの書いた「こころの処方箋」という本を読んだ。河合さんは臨床心理学者である。臨床心理士は、心身の健康問題に取り組む患者を支援する立場である。その河合さんが、読む人に何かしら感じてもらえるような短いお話を55編載せてあるのが本書である。目次を見ると、いきなり、「人の心などわかるはずがない」という題がある。人の心を相手の研究されてきた方が、そう言い切っているところが、なかなか興味深い。それで、一通り見回してみると、?と引っかかった題があった。それは、「『理解ある親』をもつ子はたまらない」。私も一人娘を持つ身、ちょっと内容が気になった。以下、文中から抜粋である。

「(前略)子どもは成長の過程で、成長のカーブが急上昇する時がある。そういう時、子どもは、自分でも抑えきれない不可解な力が湧き上がってくるのを感じる。それを何でもいいからぶっつけてみて、ぶつかった衝撃の中で、自らの存在を確かめてみるようなところがある。そのとき子どもがぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。親の壁にさえぎられ、子どもは自分の力の限界を感じたり、腹を立てたり、くやしい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通じてこそ、子どもは自分というものを知り、現実というものを知るのである。
 いわゆる「理解のある親」というのは、このあたりのことをまったく誤解してしまっているのではなかろうか。子どもたちの力が爆発するとき、その前に立ちはだかる壁になるのではなく、「子どもたちの爆発するのもよくわかる」などと言って、その実は、それをどこかで回避し、自分はうまく衝突を免れようとしているのではなかろうか。壁が急になくなってしまって、子どもたちはいったいどこまで突っ走るといいのか、どこが止まるべき地点かわからなくなる。不安になった子どもは、壁を求めて暴走するより仕方なくなる。(中略)しかし、本当のところ、子どもたちは法律の壁なんかではなく、生きた人間にぶつかりたいのである。(中略)
 厳密に言うなら、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである。理解もしていないのに、どうして理解のあるようなふりをするのだろう。それは自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではなかろうか。(後略)」

 私はこれを読んで、思い出したことがある。私は中学時代、自転車でソロキャンプしながら、一人旅をしたいと考えたことがあった。しかし、それは、親に反対され、断念せざるを得なかった。当時の自分は、うまくいくことしか想像していなかったから、きっと、実際はいろいろな困難な状況を味わうことになったのかもしれない。しかし、その時はそんなふうに冷静に考えられず、ただやりたいことが反対され、できなかったことが悔しかった。子どものやりたいことを尊重し、自由にやらせる子育てもあろう。しかし一方で、親として、駄目なものは駄目と厳しく言い放つ子育てもあるのだと思う。河合さんは、文中で次のようにも言っている。

「すもう取りは、ぶつかり稽古で強くなるという。せっかくぶつかろうとしているのに、胸を貸す先輩が逃げまわってばかりいては、成長の機会を奪ってしまうことになる。もっとも、胸を貸してやるためには、こちらもそれだけの強さをもっていなければならない。子どもに対して壁になれるために、親は自分自身の人生をしっかりと歩んでいなくてはならないのである。」

 子どもの成長にとって、一番のモデルは、やはり親なのだということである。そのモデルである親が、しっかりと人生を歩む姿を見せることが、子どもにとっては、大事なのだということなのだろう。自戒を込めて、受け止めたいと思った。

137 赤べこはがき

 来年の干支は、丑(うし)です。今回、年賀はがきのデザインの一つに、「赤べこ」が登場しました。


 私たち福島県民として、また、会津出身の私にとっても嬉しい限りですが、この「赤べこ」はがきのデザインされた方が、なんと会津出身と新聞で知って、さらに驚くと共に嬉しくなりました。
 このデザインをされた方は、切手デザイナー(こういう職業があるんですね)の中丸ひとみさんです。中丸さんは、会津若松で生まれ、若松市内の高校を卒業後、美術関係の学校に進学し、旧日本郵政公社(今の郵政グループ)に入社されました。そこで、主に記念切手のデザインをされているわけですが、日本郵便のキャラクターである「ぽすくま」の生みの親でもあります。

 年賀はがきのデザインは、例年、担当者が決まっているそうです。しかし、今年は、切手デザイナー全員によるコンペ形式で決めることになったそうです。そこで、中丸さんも参加することになりました。会津に育った中丸さんにとって、赤べこは身近な物で、来年の干支が丑年ということで、真っ先に「赤べこ」を思い浮かべたそうです。そして、赤べこと組み合わせたのが梅と凧。厳しい冬の環境でも花を付ける梅の力強さ、そして、空高く昇る凧で希望を表しているそうです。そこに、疫病退散の赤べこですから、今のコロナ禍の中、この年賀はがきをやりとりする人たちに、勇気と元気を与えてくれそうです。中丸さん自身、赤べこデザインが採用されて喜びと感謝を述べていました。そして、「この絵で福島県民のみなさんが明るい気持ちになり、少しでも元気になる応援ができたらと思います。」とメッセージを寄せています。
 年々、メールによるやりとりが増えてきて、年賀はがきで年賀状を出す人が減ってきているようです。今年は、コロナの影響で、遠方の方々とは正月に会えない人もいるかもしれません。今年は、年賀状で近況報告などする方が増えるかもしれないなあと思いました。

138 私の思い出

 今の子どもたちは、家に帰ってからや休日の日等、どのように過ごしているのでしょうか。そんなことを考えていたら、自分は子どもの頃、どうだったかと振り返ってみたくなりました。

 会津盆地を囲むように山がありますが、その一角の山の麓に、私の家はありました。子どもの頃は、近所の子どもたちが集まって、一緒によく遊びました。ある時、みんなで近くの山の中に探検に行ったことがありました。その時、森の奥に大きな人口の池を発見しました。こんなところになぜ池が?よく見ると、鯉がいっぱい泳いでいました。おそらく、鯉の養殖場みたいなところだったのでしょう。そうとは知らず、みんなで鯉を捕まえて遊んでいたら、怒られました。子どもの頃から、漫画は好きで、よく読んでいましたし、よく真似して描いていました。漫画雑誌の読者コーナーに、応募した漫画が一度掲載されたこともあり、すごくうれしかったことを覚えています。その頃、年賀状は、毎年、ゴム版画で手作りしていました。しばらくして、プリントゴッコなる印刷機械が出来てからは、それで作るのにはまっていました。実家の周りは田んぼだらけで、近くに小川も流れていましたので、田んぼの間の小川に網をかけて、フナやドジョウ、ザリガニなどをとって遊びました。小川で釣りもしました。餌釣りから始まって、毛針、ルアーと何でもやりました。自転車に乗って、家から何時間もかけて釣りにも出かけたこともありました。当時の会津は、今よりも雪が多く、冬になると、スキーで遊びました。東山温泉のところに、昔、ロープウェーがあって、それに乗って、背炙り山までスキーに行きました。行きはロープウェーに乗りますが、帰りは乗らず、山の中の細い道を、友達とつながって、猛スピードで降りていくのが、恒例になっていました。片側が崖という山道だったので、今思い出すとちょっと怖いのですが、先頭の子がバランスを崩して転ぶと、その後続は全員同じように転ぶしかなくて、全員雪まみれになって、みんなで大笑いするという、それが楽しくて毎回やってました。(次回へ)

139 私の思い出(続き)

 中学1年の夏休み、たまたま本屋で見つけた切り絵の本に興味を持ち、初めて切り絵の作品を作りました。500円切手に描かれていた金剛力士像をモチーフに、四つ切り画用紙大の作品に仕上げました。それから、切り絵の世界にはまっていき、高校では美術部に所属し、大学は卒業論文ではなく、卒業制作で切り絵の作品を何点も制作しました。その時、制作した作品は、「滝」をテーマにした切り絵で、福島県内のいろいろな滝を見に行って、当時はデジカメなどなかったので、何枚もスケッチして、切り絵の作品に仕上げました。今では身近なパソコンが、少しずつ出回ったのが、ちょうど大学時代で、大学に入学した時に、初めてパソコンを買いました。その頃のパソコンは、簡単なプログラムを自分で入力して、ゲームを作って遊ぶことができましたので、プログラムが載っている雑誌を買っては、次々に入力して遊んでいました。ですから、今のゲームがいかにすごいかわかりますし、それにはまってしまうのもうなずけます。

 自然の中で思いっきり遊んだり、漫画を描いたり、工作したり、自分の好きなことをして、夢中で過ごしていた子ども時代。その後の成長過程でも、ずっと続けていたことがあったり、新しく始めたことがあったりと、なかなかバラエティーだなあ、と我ながら思います。それも、その時々で興味があったこと。実に様々なことに手を出していたなあと思います。「あなたの長所短所は何か?」と聞かれた時、「熱しやすく冷めやすいところ」と答えています。自分では、いろいろなことに興味を示し、次々に関心事が変わることは、短所かもしれませんが、それが、結果的には自分の人生を楽しくしているから、それはそれでよしと思っています。そんな人生を歩みながら、実は、明日11月5日で、55歳になります。

 いつ、どんなことに興味を持つかどうかは、本人しか分かりません。それでも、何かしら興味を持ち、やってみようとすることは、自分の可能性を広げることや、自分の人生を豊かにすることにつながっていることも間違いありません。時代は変われども、一度しかない自分の人生を、自分らしく楽しく過ごせたら、それはそれで最高だと思います。そのように、子どもたちにも過ごしてほしいと思っています。

140 30歳の時

 あれは、教師になって7年目。30歳を迎えた時のことだ。その時、こんなことを考えた。自分が生まれてから30歳までの30年間。実に様々な出来事があり、とてつもなく長かった。それと同じだけの年数を、自分はこれから60歳の定年までの30年間、教師として働き続けるのか、と思ったら、気が遠くなったのだ。なんとも不謹慎な物の考え方だが、そんなことを思ったことを思い出した。それから、25年。振り返ってみれば、やはり、いろいろなことがあったが、それでも55歳を迎えた今、定年までは残り5年。改めて、時間の早さを思い知る。

 それにしても、本当にかわいい子どもたちばかりだ。朝、いつものように校長室にあいさつする時、「校長先生、お誕生日おめでとうございます。」と言ってくれる子どもたち。手作りの折り紙をプレゼントしてくれたり、学年で寄せ書きまでしてくれる子どもたち。朝、読み聞かせに入ったところでは、誕生日の歌まで歌ってくれた。素敵なGo!Go!の誕生日になった。

 さて、私だけでなく、子どもたち一人一人にも誕生日がある。今度は、私が、一人一人に「おめでとう」を言ってあげなければと思った。