学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

21 世界最古のクイズとは?(後編)

答えは、「学校」です。

 学校は「学ぶ」ところです。学校に入る前、学ぶ前は、物事についてあまり分からず、何も見えていない。つまり、目を閉じた状態。しかし、学校で学ぶことで、できるようになったり、分かるようになったりする。つまり、目を開けた状態で、学校から出る。小学校で考えれば、1年生として、目を閉じて入学した子どもが、6年生として卒業する時は、いろいろ分かり、できるようになり、目を開けて卒業していく、ということを表していると思います。また、短く考えても、朝、目を閉じて分からない状態で登校してきた子どもが、一日学校で、先生や友達と関わりながら過ごすことで、いろいろと理解でき、わかり、できることが増え、目を開けた状態で、その日を終えて、学校から帰っていくということも当てはまります。
 こんなに大昔の人たちも、学校の重要性を意識していたのだなあ、と思うと、感慨深くなります。

22 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!

 日本赤十字社のホームページに、表題の内容が紹介されていました。
 新型コロナウイルスの3つの顔って、何だと思いますか?次に、紹介します。

 新型コロナウイルスには、怖い「3つの“感染症”」という顔があります。

  1の“感染症”は、「病気」そのものです。
  2の“感染症”は、「不安と恐れ」です。
  3の“感染症”は、「嫌悪・偏見・差別」です

 この3つの“感染症”が、「負のスパイラル」になって広がるのです。

 「病気」→①未知なウイルスで分からないことが多いため、不安が生まれる。

→「不安」→②人間の生き延びようとする本能により、ウイルス感染にかかわる人を遠ざける。

→「差別」→③差別を受けるのが怖くて熱や咳があっても受診をためらい、結果として病気の拡散を招く。

→「病気」へ

 この感染症の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。
 では、負のスパイラルを防ぐためには、どうしたらよいのでしょうか。

 「病気」は、手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど。

 「不安」は、気づく力を高め、聴く力を高め、自分を支える力を高めること。

 「差別」は、差別的な言動に同調しないこと。感染防止のために頑張っている全ての方々に、ねぎらいと敬意を払うこと。

 まだまだ、終わりが見えない日々が続きそうです。このウイルスとの戦いは、長期戦になるかもしれません。だからこそ、正しく知り、きちんと対応していかなければならないのだと思います。このことは、各学年で子どもたちに指導しましたが、今後も継続して指導します。
 ここで紹介した内容を、もっと詳しく説明した資料を、学校のホームページにリンクしておきますので、是非、見てみて下さい。

23 登校日の話

 久し振りに、元気な子どもたちの姿が見られました。子どもたちも今日の日が待ち遠しかったのか、早くから学校に来て、朝から校庭を走り回っていました。

 次は、帰りのなかよし班下校での、校長の話です。

「今朝、街頭指導をしていて、すてきだなあと思うことがありました。道路を横断しようと手を上げていたお友達が、道路を渡り終わった後、停まってくれた車の運転手さんにおじぎをしていました。そういうことをしていた人が今朝は6人見ました。きっと、もっとたくさんいるのだと思います。いいことは、ずっと続けて下さい。そして、いいことは、真似をして、やってみましょう。

 自転車に乗る人にお話しします。自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。ヘルメットはみなさんの頭を守るためにかぶります。ですから、道路でも、家の庭でも、自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。

 今日はいい天気です。今日のような晴れている日に「雨降れ」と叫んでも、雨は降りません。雨の日に「晴れろ」と願っても晴れません。私たち人間は、残念ながら天気をコントロールできないのです。自然の力の前で、人間は無力です。きっと、このコロナウイルスも同じなのだと思います。今のところ、治す薬も、かからないためのワクチンもありません。だから、かからないように気をつけるしかないのです。そのためのマスクであったり、手洗いであったりします。しかし、薬やワクチンがなくても、私たち人間には、生まれながらに持っている免疫力をあります。体内に入ってきたウイルスをやっつけてくれる仕組みです。この免疫力を高めるために、栄養と運動と睡眠です。自然はコントロールできませんが、自分のことは、自分でコントロールできます。規則正しい生活リズムで、お家でも生活しましょう。」

 一日も早く、普通の学校生活ができることを願ってやみません。

24 注文をまちがえるレストラン

 みなさんは、宮澤賢治の「注文の多い料理店」というお話はご存じですか。二人の紳士が猟に出て、山奥で道に迷い、突然現れたレストラン「山猫軒」に入ります。そこは、注文が多い料理店で、入口からひとつずつ部屋に入る度に、「くつをぬいでください」「金物をはずしてください」「瓶の中のクリームを塗って下さい」等と書かれています。最初、紳士たちは、一流のレストランのしきたりだと思い、それに従うのですが、実は、このレストランは、お客を料理するための注文を出すレストランだったのです。それに気づいた紳士たちは…という展開のお話です。

 これは、「注文の多い料理店」ですが、最近、似たような名前のレストランのことを知りました。そこは、「注文をまちがえる料理店」。えっ、注文を間違えるなんて、ふざけたお店かと思ったら、そうではないのです。なんと、この店のスタッフは、全員、認知症の方々なのです。だから、注文したことを間違えてしまうことがある。それは、お客さんも分かっていることなので、そのことはとがめられない。これは、認知症の方々を笑い者にしているのでは決してなく、認知症になったことで自信をなくしていた人たちが、働くことで再び生きる喜びを取り戻すことができる場所になっているのでした。


 すてきだなあと思いました。このレストランでは、認知症の人の様々な問題が解消しているわけではなく、しかし間違えても「ま、いいか」と思える寛容さが、温かい雰囲気を作り出している。そういう寛容な雰囲気が、そこにいる人たちを安心させ、笑顔にしていると思いました。寛容さは、優しさでもあるわけです。
 学校でも、同じようなことが考えられます。教室で授業中、問題を解いている時に、誰かが間違えた答えを言った時、それをすかさず、「違います」と指摘したとします。確かに、間違いではあるのですが、しかし、正しいか間違いかだけで授業を進めると、誰も安心して発言できなくなってしまいます。例え、間違いでも、それも一つの考えとして、みんなが寛容に受け止めたら、きっと間違えた発言をしても大丈夫だと安心して、授業に参加できると思います。

25 人間の究極の幸せ

 チョークを作っている会社で、「日本理化学工業」という会社があります。この会社では、多くの知的障害者を雇用しています。その背景には、この会社の理念があります。その理念とは、ある禅寺の住職の言葉です。それは、「人間の究極の幸せ」についてです。

 その住職は、次のようなお話をされたそうです。「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです。」

 世の中には、働きたくても働けない人はいると思います。今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの人が職を失う状況にあります。ですから、一概に「働くことで幸せを得る」と言えないところはあります。早く、この状況が改善されることを願ってやみません。

 しかし、それでも、この住職の話した内容には、考えさせられます。と言うのも、学校生活においても、同じようなことが言えるからです。学校では、子どもたちは、それぞれの学級学年において、役割を担います。それは、学級の係活動であったり、当番活動であったりします。学年が上がると、委員会活動やボランティア活動もそうです。それらの活動を通して、自分が役に立つこと、自分が必要とされていること、そして、自分が感謝される存在であることを体験することができます。それは、やはり、人としての幸せを感じることにつながっていると思うのです。

 ある人がこんな話をしていました。「人は、子どもであろうと、大人であろうと、若者であろうと、お年を召されてあろうと、健康であろうと、病気をされてあろうと、障がいをもってあろうと、障がいをもってなかろうと、自分の存在が誰かの喜びにつながっていることを感じた時、人としての最高の喜びを感じることができる。」「不幸のほとんどは、何々してくれない、何々してくれ方が足りないという、自分中心の考え方から来るのである。何々してくれない、何々してくれ方が足りないという考え方でいる限り、その人は人としての最高の喜びを感じないまま、一生を終えていく。」これは、前述の「注文をまちがえる料理店」の話にも通ずる話です。

 子どもたちにとって、学校は、自分の未来に希望を抱き、夢を描くところです。そういう意味で、働くことの意味を考えさせ、今の自分にできることを、実行できるような子どもたちに育てていきたいと思います。

26 未来は変えられる (その1)

 20日付福島民報に、次のような、内堀県知事のコメントが掲載されました。

福島県知事 内堀雅雄

 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大により、日本中、世界中が前例のない困難に直面していますが、そんな時だからこそ、思い返したい言葉があります。

「私たちに変えられることが二つある。一つは自分自身。もう一つは未来だ」

 これは、本県が生んだ世界的医学者、野口英世博士の言葉です。博士は、貧しい農家に生まれ、幼少時には左手に大やけどを負うという過酷な境遇にありながらも、不断の努力で逆境を乗り越え、自らの未来を切り拓かれました。

 細菌という目に見えない敵と対峙し、気の遠くなるような数の実験を繰り返された野口博士。そんな博士の座右の銘は「忍耐」でした。博士の考える忍耐とは、単に耐え忍ぶというものではなく、夢や未来に向かって「あきらめない」との強い思いが込められていたそうです。

 現在の私たちも、幼少期の博士と同様、二重、三重の困難に見舞われています。しかし、博士が体現されたように、私たち一人一人が、「現状を変えたい」という強い思いを抱き、共に力を合わせれば、必ずやこの困難を乗り越えることができると、私は確信しています。

「未来をあきらめない」「未来は変えられる」

 先人の言葉を胸に、全県一丸となって、感染拡大の防止に取り組みましょう。自分自身の未来のために、そして自分の大切な人の未来のために。

 会津若松出身の私にとって、野口英世博士はやはり地元のすごい偉人です。若松市内には英世博士と関連のある場所がいくつかあります。かつての旧市民会館(現会津稽古堂)の前には、大きな英世博士の銅像が建っていて、そこにも「忍耐」の文字が刻まれていました。生誕百年のお祝いでは、当時小学生だった私は、若松市内の各学校から集められた代表児童にまざり、唱歌「野口英世」を歌った記憶があります。

 

27 未来は変えられる (その2)

 文部省唱歌「野口英世」。こんな歌詞の歌です。

   一 磐梯山の動かない/姿にも似たその心/
     苦しいことがおこっても/貫きとげた強い人
 二 やさしく母をいたわって/昔の師をばうやまって/
     医学の道をふみきわめ/世界にその名をあげた人
 三 波路も遠いアフリカに/日本のほまれ輝かし/
     人の命すくおうと/じぶんは命すてた人

 英世博士のお墓は、アメリカのニューヨークにあるウッドローン墓地にあります。その墓碑には、「科学への貢献を通して、人類のために生き、亡くなった。」と刻まれています。

 英世博士の生家は、猪苗代町の野口英世記念館の一角にあります。火傷したいろりもあります。その家の柱には、医者になることを決意して、上京するにあたり、思いを刻んだ跡が残っています。そこに刻まれた言葉が「志を得ざれば再び此の地を踏まず」です。自分の願い(医師になる)が叶うまで、ここには戻らないという、強い気持ちが込められた言葉です。先程の歌詞の中にも「苦しいことがおこっても、貫きとげた」とあります。これが、前述の内堀知事も言っている「あきらめない」心です。

 来週から短縮ではありますが、毎日、全校生が登校になりました。そして、6月からは、通常日課での学校生活が再スタートです。感染症対策に気をつけながらの日々は続きますが、それでも、子どもたちの健やかな成長のために、「あきらめずに」教育活動を進めていきます。

28 野口英世語録(その1)

 前回に引き続き、今回も野口英世関連の内容です。前回、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」「忍耐」などの、野口英世にまつわる言葉を紹介しましたが、調べてみると、野口英世はいろいろな言葉を残しているようで、気になったいくつかを紹介します。

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」
・忍耐について、このようなことを言っています。確かに、耐え忍ぶのは、つらいことです。まさに今、いろいろと耐え忍ばなければならない日々が続いています。しかし、このつらい日々が過ぎれば、きっといい結果が待っているはず。そう信じて、頑張りたいと思います。

「目的 正直 忍耐」
・これは、英世が日本に一時帰国した際、猪苗代にある母校の翁島尋常小学校で講演を行い、その時、黒板に記した文字です。英世自身が、自分の経験を通して、子どもたちに伝えたい言葉が、この3つに表れているのだと思います。自  分の夢を叶えるためには、目的を持ち、それに向かって努力し続けることです。時には、耐え忍ぶ場面もあります。そして、何事も自分に正直に生きることが大事だと、英世は言いたいのだと思います。

「正直であることが最高の手段だ。」
・「正直」とは、「心がまっすぐで言動に偽りのない」状態ですから、その反対は、「嘘や偽りに満ちた心と言動」で「虚偽」となります。人間は弱い生き物なので、時に嘘やごまかしに負けてしまうことがあります。しかし、それでも嘘偽りなく、正直に生きようとする健気さもあります。それこそが、人間の尊さです。子どもたちには、素直で正直に生きることの尊さを感じてほしいと思います。

「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。」
・英世の一生をふり返ってみると、まさに、この言葉に凝縮された人生だったと思います。医者になりたいと願い、その実現に向けて、必死に努力し、世界中の病気の研究に没頭し、その結果、世界中の多くの人たちの命を救ってきた。人としての最高の幸せを手にしたのだと思います。(次回へ続く)

29 野口英世語録 (その2)

「人は能力だけではこの世に立つことはできない。能力と共に徳義を持つことが必要である。」

・「徳義」とは、人として守るべき道徳上の義務のことです。前述した「正直」とも通じると思います。例え、どんなに素晴らしい能力をもって、他の人ができないことができたとしても、徳義なく、他の人から尊敬されないような人は、やはり世の中から認められないということでしょう。 

「人の一生の幸せも、災いも自分から作るもの、周りの人間も、周りの状況も、自分が作り出した影と知るべきである。」

・なかなか深い意味の言葉です。私たちは、生きていて、思うようにうまくいかないと、他人のせいにしてしまうことがあります。中には、自分が損をしたと感じると、腹を立てて怒る人もいる。そして、そういう人に限って、そういう状況は、自分でそうしているのだということに気づいていません。人生は、自分一人で、脚本も演出も、そして主役も演じるライブです。だから、自分の見方、考え方一つで、いくらでもいいライブ、楽しいライブにすることができます。そして、自分以外の人は、その自分が主役のライブに登場してくれた脇役のみなさんなのです。だから、例え、うまくいかなくてつまらないことがあっても、それを脇役のせいにしてはいけません。うまくいかなくてつまらないのは、脚本も演出も主役も行っている自分自身が、そういうつまらないライブにしているのですから。

 

 言葉は、その人自身を表す、と言われます。英世が発した言葉の数々は、英世の生き様を表しています。私も、文字としての意味だけでなく、その奥にある真意をしっかりと感じて、言葉を発していきたいと思いました。

30 太陽の話

 今日の全校集会は、給食時に放送で行いました。次は、その時の校長の話です。

「太陽の話をします。
 まず、太陽の一番外側の光の輪の部分をコロナと言います。コロナとは、ギリシャ語で王冠の意味もあります。コロナウイルスを顕微鏡で見ると、外側に王冠のような突起物が見られることから、コロナと名付けられました。
 さて、みなさんは、あの太陽がどのくらいの大きさか知っていますか。地球上から見ると、太陽は、月と同じくらいの大きさに見えますね。しかし、実際は、太陽は月の400倍の大きさがあります。では、なぜ、そんなに大きいのに月と同じように見えるのでしょう。それは、地球からの距離の違いです。地球から太陽までの距離は、地球から月までの距離のやはり400倍です。太陽は月と比べて、400倍の大きさで、400倍離れたところにあるので、同じように見えるのです。
 ちなみに、ちょっとイメージしてみましょう。今、みなさんの教室の黒板の前に30cmぐらいの大きさのボールがあるとします。それが地球です。そうすると、そこから9mくらい離れたところ、教室の後ろの壁ぐらいのところに、月があります。大きさは、ソフトボールくらいです。月はけっこう近いですね。では、太陽はどこかというと、みなさんのいる、この野木沢小学校から3.6km離れたところ、だいたいメガステージの少し先あたりになります。そこに、太陽があります。大きさは、直径33mぐらいですから、校庭の半分くらいの大きさです。かなり大きいですね。それが太陽。すごく大きいですが、すごく離れているので、見え方は月と変わらないというわけです。
 今度、太陽や月を見た時は、今日の話を思い出してみて下さい。月や太陽の見方が少し変わって見えるかもしれません。今日は、太陽の話をしました。」

31 アムンゼン隊に学ぶ(その1)

 5/26日付福島民友に、興味深い記事が載っていました。それは、今からおよそ100年前の20世紀初めの南極点到達を目指した争いについてです。当時、まだ、人類は誰も南極点に到達していませんでした。ですから、誰が初めに到達するか、世界は注目していました。その中で、ノルウェーのアムンゼン隊とスコット隊が競っていました。そして、1911年12月14日、南極点に一番乗りをしたのはアムンゼン隊でした。アムンゼン隊に遅れること34日後の、1912年1月17日にスコット隊は到達しました。問題はここからです。一番乗りしたアムンゼン隊は、その後無事帰国を果たしましたが、スコット隊は、その帰途全員死亡したのでした。

 どうして、そのような対照的な結果になったのか。両隊を比べて一番の違いは、組織の在り方でした。アムンゼン隊は、各隊員が自ら考え行動する参画精神と、チームで問題解決に当たる事を重視していました。一方、スコット隊では、隊員は隊長の命令に従順に、そして忠実に行動することが求められました。
 その結果、アムンゼン隊は、極限の地で起こる予期せぬ事態を想定して事前の訓練も万全、本番での対応もチームワークが発揮されました。これに対して、指示待ちのスコット隊員にはチームワークも創意工夫も期待できず、最終的に雪上車の修理ができず、人間がそりを引く過酷な作業を強いられ、さらに事前のチェック不足が燃料の欠乏を招き、凍傷の体を温める事ができず、肉体的な打撃を受け、結果、隊員は一人、二人と死に、最後は全員死亡という悲劇になったのでした。

 この記事を読んだ時、我が野木沢小の先生方は、アムンゼン隊だと思いました。4月からスタートした学校生活の中で、取り巻く環境が次々と変化し、その状況に対応する日々が続いています。その中で、先生方一人一人が、自分のやるべき事、そして、お互いに協力して取り組むべき事を判断し、仕事に当たってきました。指示待ちの人はいません。逆に、自分に今、何ができるか考えて、行動しています。その一例が、あの「野小っ子チャンネル」作成です。これまでやったことのない、新たな取り組みに対して、前向きにそして創造的にチャレンジする力が、野木沢小の先生方にはあります。とても、素晴らしいことです。新型コロナウイルスによる影響は、これからも続きます。しかし、その中で、今、できることを全職員で探りながら、少しでも子どもたちの学校生活が充実するよう、進んでいきたいと思います。(次回に続く)

32 アムンゼン隊に学ぶ(続き)

 そして、学校でも、子どもたちをアムンゼン隊のように育てていきたいと思います。子どもたちに身につけさせたい力は、「生きる力」。問題に直面した時に、自分で判断し、決断し、行動できる力。一人でできない事は、他の人に助けてもらいながら、どんな人とも協力して活動できる力。そういう力を身につけさせるために、日々の学習があり、学校生活があります。そのためには、自分で考えさせるという機会が必要です。一から十まで、全て先生が指示し、言われた事しかしないようでは無理です。どうしたらよいか、どうしたいか、自分で考えて行動する。考えて行動すれば、例えそれがうまくいかなくても、そこから大事な事を学べます。そして、それは次に生かせます。しかし、自分で考えないで、言われたからやったことは、うまくいかないと、失敗したという事実しか残らず、結果、そこから学ぶ事はできません。
 
 大事なのは、うまくできたか、できなかったかではないのです。自分で考えてやったか、どうかです。子どもの成長に、焦る必要はありません。まずは、私たち大人がどんと構えて、子ども自身に自分で考えて、思うようにやらせてみることです。是非、御家庭でも、子ども自身に考えさせてやらせてみる機会をとってみてほしいと思います。

33 「ウイルスの次にやってくるもの」

 これは、日本赤十字社が作成したオリジナルアニメーションのタイトルです。3分ほどのそのアニメーションでは、新型コロナウイルス感染の次に、我々に襲いかかってくる“そいつ”について紹介しています。さて、“そいつ”とは何者だと思いますか。

 そいつは、暗いニュースや間違った情報が大好きで、それらをたくさん食べて、どんどん育ち、そして、私たちにこうささやきます。
 先の見えない状況を「もうみんな助からない」と。
 誰にもまだ分からないことを「誰かが隠しているのだ」と。
そいつは、人から人へ広まっていきます。
 「あの人が病気になったのは、誰のせい?」
  「ウイルスが広まったのは、あいつのせいだ!」
 「世界がこうなったのは、あいつのせいだ!」
そいつは、まわりに攻撃を始めます。そして、そいつは脅かします。
 「もしも感染したら、どうする?」
 「あんなふうに言われたら、どうする?」
みんな、熱があっても、隠すようになる。具合が悪くても、元気なふりをするようになる。もう誰が感染しているか分からない。ウイルスはどんどん広がっていく。鏡を見ると、そこに、もう、あなたは、いない…。

 そいつの名前は、…「恐怖」。ウイルスの次にやってくるもの。もしかしたら、ウイルスよりも恐ろしいもの。

 アニメーションでは、この後、「私たちが恐怖に飲み込まれる前にできること」について、紹介しています。実際、コロナウイルスに感染した人やその家族に対して、差別や偏見があることが報道されています。人がそういう行動を取るのは、「恐怖」の心だからです。人間の持つ防衛本能がそうさせているのです。私たちが本来持っている防衛本能が、無意識に自分にとって害のあるもの、危険なもの、命の危機を招くものを排除しようとするのです。しかし、過剰な反応は時に、人権問題にまで関わります。

 緊急事態宣言が解除になり、少しずつ前のような生活に戻ろうとしています。しかし、新型コロナウイルスの感染リスクがなくなったわけではありません。また、いつ、感染者が急増して、再び、緊急事態宣言が出されるなんてこともあり得ます。そうなった時、私たちは、恐怖に対して、きちんと対応できる事が求められます。

 このアニメーションは、最後にこう言ってます。
「恐怖は誰の心の中にもいる。だから、励まし合おう。応援し合おう。人は、団結すれば、恐怖よりも強く、賢い。恐怖に振り回されずに、正しく知り、正しく恐れて、今日、わたしたちにできることを、それぞれの場所で」

35 あいさつに想う

 野木沢小学校の校舎は3階建てで、1年から3年の教室が2階、4年以上が3階にあります。朝、登校してきた子どもたちは、昇降口横の階段は上がらずに、そのまま一階の廊下をまっすぐ進み、校長室と職員室の前を通り、その時、中にいる先生方に向かって、「おはようございます。」とあいさつしてから、東側の階段を上がって教室に行きます。帰りは逆のルートで、やはり同じように職員室と校長室、保健室の先生方に「さようなら。」とあいさつをして昇降口へ向かいます。

 校長室にいると、全校生のあいさつを受ける形になっています。まだ、そんなにお互いの事をわかっていない関係ですが、子どもたちは、そんな私にも毎日あいさつをしてくれます。律儀で健気な子どもたちだなあと、愛おしく思えます。そして、校長室で子どもたちにあいさつを返したり、その様子を見ていたりしていると、なかなかいいあいさつをしている子どもたちに気付きます。廊下を歩きながら、あいさつをしていく子どもたちの中には、校長室の扉の前で立ち止まって、あいさつをしていく子どもがいます。あいさつせずに通り過ぎたと思ったら、思い出したように戻ってきて、顔を出してあいさつしていく子どももいます。あいさつは一人一人違っていて様々です。ちがってていいんです。あいさつはこうでなければならない、なんてありません。あいさつにもその子らしさが出るのだと思います。

 朝、「おはようございます。」とあいさつする子どもをみていると、あいさつと一緒に(今日も元気に学校に来ました!)と報告してくれているように感じます。また、帰りに「さようならー。」とあいさつする子どもは、(今日一日、頑張りましたー)と言っているように感じます。

34 漢字の書き順、大丈夫ですか?

 最近、テレビ番組にクイズ番組が多いように感じます。それも、小学校で習う内容を扱っているものをかなり見かけます。大人が小学校で習った内容の問題を解く。できて当然かと思うと、意外とそうでないんですね。その辺りが、番組制作側のねらいでもあるのでしょう。忘れてしまっていたり、間違えて覚えていたり…。実は、見ていると、自分でも「あれっ、なんだっけ?」という問題があります。特に、漢字の書き順を問う問題。自分ではこうだろうと思っていた書き順が、実は違っていた!ということがあるのです。やはり、最初にどう覚えたかということです。

 これに関して、私には忘れられない思い出があります。それは、高校1年生、現代文の授業中の出来事です。ノートを書いている私に、机間指導で回ってきた先生が声をかけてきました。「おい、佐藤。今の字、もう1回書いてみろ。」そう言われた私は、指摘された漢字をもう一度ノートに書きました。すると、それを見た先生が一言、「佐藤、その字の書き順、違ってるぞ。」と言ったのです。「えっ?」私が驚いていると、先生は、正しい書き順を教えてくれました。それを見て、私は「えっ、そうなんですか。」と二度驚いたのでした。さて、私が書き順を間違えて覚えていた漢字は何だと思いますか。

 それは、「必」です。私はそれまでこの字を、心を書いて、最後に左払いを書いていたのです。しかし、正しくは、真ん中の点から書き始めます。次に左払い。次に右の曲げからの跳ね、そして左の点、右の点の順です。この字は小学4年で習う字ですから、9歳から16歳までの7年間、ずっと間違えた書き順で書いていた事になります。そして、実際に書いて比べてみると分かるのですが、書き順が変わると、字形も異なります。そこが正しい書き順で書くポイントなんです。つまり、正しい書き順で書く事は、正しい字形で書く事につながっているのです。だから、勝手に自分の書きやすい書き順で書いてはいけないのです。

 最後に、間違いやすい書き順の漢字をいくつか紹介します。みなさんは、正しく書けますか?
1年 右 左 土 九 年
2年 米 母 何 馬 長
3年 区 式 乗 様 世 皮 発
4年 希 成 臣 兆 飛 必
5年 非 版 比 布 武
6年 我 革 劇 座 冊 衆 垂 収

書き順の答えはこちらです。→書き順(答え).pdf

36 “ぶたはしゃべる”って何?

 全国で毎年12000人程の小学生が、交通事故に遭っています。これは、毎日30人超の子どもたちが事故に遭っている事になります。いつ、自分が事故に遭ってもおかしくない数字です。ですから、まずは、今度事故に遭うのは、もしかしたら自分かもしれないと思うことが大事です。自分は事故に遭うはずがないという油断が事故を招くのです。今度、自分が事故に遭うかもしれない。だから、絶対に事故に遭わないように、車には気をつけなければならない。歩いて帰る時は、自転車に乗る時は、それぞれ、どんなことに気をつければいいのか。それを学ぶための交通教室でした。交通専門員の金内さんと塩沢さんにご指導いただきました。その中で、自転車の点検や安全な乗り方について、次のような話がありました。

 自転車点検の5つのポイント「ぶたはしゃべる」
  ①ブレーキはきくか?
  ②タイヤの空気は大丈夫か?
  ③ハンドルは曲がっていないか?
  ④車体(ライトや反射材等)は大丈夫か?
  ⑤ベルは鳴るか?

 自転車の正しい乗り方5つのポイント
  ①スピードを出し過ぎないこと。
  ②一列で乗ること。
  ③ふざけて乗らないこと。
  ④自分の家から出る時は、必ず止まって安全確認すること。
  ⑤道路の左側を走ること。(自転車は車と一緒)
   ※小学生は歩道を乗ることができるが、歩行者優先。

 1・2年生は、道路の歩き方を学びました。道路の右側を歩くこと、一列で歩くこと、道路を渡る時は、左右の安全確認をすること等、実際の道路で教えていただきました。

 野木沢地区には、信号がありません。交通専門員の方は、「信号がないから、逆に、ドライバーも歩行者も安全確認をするので、事故が少ない。」とおっしゃっていました。なるほどと思いました。信号があると、その信号に頼ることで、逆に無理な運転や不十分な安全確認で、事故が起きやすくなるということです。信号があっても、自分の目と耳で、しっかりと安全を確認することが大事なんだと思いました。

 最後に、先日、道路交通法が一部改正され、「あおり運転」に対する「妨害運転罪」が成立しました。これにより、あおり運転がなくなってくれることを期待しますが、私たち自身、ゆとりをもって運転することを心がけたいものです。

37 万物皆師

 3年生の総合学習は、リンゴ栽培の体験学習を行います。ふるさと教育の一環で、野木沢地区でリンゴ栽培をされている相樂さんを先生に、いろいろと教えていただきます。

 例年ですと、5月初旬にリンゴの花が咲いた時に、受粉作業から体験するのですが、今年は臨時休業中であったため、先日、摘果作業から体験しました。摘果は、一つの大きな実を残して、他の実を切り落とす作業です。説明を聞いた後、一人一人摘果の体験をしました。慎重にはさみを使って、摘果しました。その後、実際に摘果した小さい実をかじらせてもらいました。どんな味だろうとおそるおそるかじってみると、その苦いこと!とても食べられたものではありません。子どもたちは、この貴重な体験から、今は小さくて、とても苦く美味しくないリンゴの実が、この後、どのように大きくなって、どのくらい美味しい実になるのか、興味を高めることができました。

 子どもたちの体験は1時間ほどでしたが、相樂さんのリンゴ畑にはリンゴの木が何百本とあるそうなので、この作業は実際は何日もかかります。そして、この後、袋かけや収穫、枝切りなど、秋まで継続して学習していきます。美味しいリンゴが収穫できる日を楽しみに、学び続けます。

 今回は、相樂さんがリンゴの先生でしたが、「万物皆師」、3年生は、リンゴの木からも学ぶ事になります。そして、実は3年生に限らず、他の学年も、学校の花壇や畑、自分のプランター等を使って、様々な植物を育てていますので、それぞれ育てている植物も、子どもたちにとっても、いろいろと学ぶことが出来る先生なのです。

38 むし歯は病気

 6月4日は「むし歯予防デー」でした。今年は、新型コロナウイルスの影響で、まだ、歯科検診が行えていないのですが、今後、検診をすると、中には、むし歯が見つかるお子さんもいると思います。

 結論から言いますと、むし歯は病気です。それも、放っておけば自然に治ることはない病気です。頭痛や腹痛のように、休んでいたらよくなるような病気ではなく、歯医者さんで治療してもらわないと治らない病気です。ですから、もし、今後、お子さんにむし歯が見つかったら、早めに受診をしてください。早ければ早いほど、完治も早いです。放っておけばおくほど、むし歯はどんどん悪化します。痛くない内がチャンスです。むし歯の痛みを知っている人は分かると思いますが、むし歯の痛さは、もう他に何もできなくなる痛さです。そうなる前に、治療してしまうのがベストです。そして、むし歯の怖さは、放っておくことで、むし歯の菌が全身に回って、他の病気を引き起こすことがある点です。それだけ、むし歯は怖い病気なのです。

 最後に、もう一度言います。むし歯は治療が必要な病気です。お忙しいとは思いますが、早めの受診・治療をお願いします。

39 水泳学習の話

 放送によるプール開きで、校長より次のような話をしました。

 みなさんの中には、水泳学習が苦手だなあ、心配だなあと言う人がいると思います。
 なぜ、小学校では、水泳学習を行うのでしょうか。
 それは、陸の上と水の中では運動のしかたが違うので、どう違うのか正しく知って、水の危険から身を守るためなのです。

 私たちは、陸の上で生活しています。
 ですから、水の中での活動に慣れていません。
 そのため、もし、水の中でも、陸の上と同じように動けると思っていると、大けがをしたり、場合によっては命にかかわる事故につながったりします。
 水の中と陸の上では、体の動きがかなり違います。
 例えば、水の中では、私たちは呼吸ができません。水の中では、陸の上のように早く走ることもできません。他にも、陸の上で出来ることが、水の中ではできないことが、たくさんあります。
 そのことを、自分の体で体験して、しっかりと分かることが水泳学習のねらいです。
 水泳学習は、自分の命を守る大切な学習というわけです。
 ですから、水泳学習はふざけてはいけません。
 そして、苦手だから、心配だからといって、水泳学習を休まないようにしてください。

 最後に、私たち人間は、みんな、この世に生まれてくる前、お母さんのお腹の中では、羊水という水の中にいました。どういう状態でいたかというと、体の力を抜いてリラックスした状態でいました。ですから、プールで、体が沈んでしまう、体が思うように浮かないと思っている人は、もしかしたら、緊張して、体に力が入っているからかもしれません。体の力を抜いて、リラックスすると、私たちの体は、水に浮くように出来ているのです。今度、試してみて下さいね。

 文科省の「水泳指導の手引」には、各学年、段階的に次のような指導内容が載っています。
  低学年は、「水遊び」です。十分に水に慣れ親しみ、水中での動きを楽しく身に付けるようにします。
  中学年は、「浮く・泳ぐ運動」です。泳法につながる初歩的な泳ぎを楽しく学ぶようにします。
  高学年は、「水泳」です。心地よく泳いだり、泳ぐ距離を伸ばしたりする泳法学習を行います。
 このように、低中高の発達に応じて、段階的な学習の積み重ねをしていきます。

40 時計の時間と心の時間

 このタイトルは、6年生国語の教科書に載っている教材文のタイトルです。筆者は、一川誠さんという心理学者です。
 簡単に紹介すると、時間には、「時計の時間」と「心の時間」の二つがあり、心の時間の特性を知り、そのことを分かって、時計の時間を使うことが大切だと言っています。では、この心の時間とはどういうものなのでしょうか。そのことも、教材文の中では、事例を挙げて説明しています。楽しいことをしている時、時間が経つのを早く感じ、逆に、退屈な時間は長く感じます。忙しい朝は、昼間より時間が早く過ぎるように感じます。そして、他にも環境や人によって、時間の進み方には違いがあると、筆者は言っています。こういう心や体の状態、身の回りの環境や人それぞれの違いによって、進み方がちがうのが、心の時間なのです。私たちは様々な集団の中で日常生活を送っています。そこには、常に正確に時を刻む時計の時間だけでなく、いろいろな影響を受けてずれを生じる心の時間の二つが存在し、この二つの時間と共に私たちは生活している。だから、この心の時間の存在を意識することが大切だというわけです。

 6年生は、先日、この教材文を使って、研究授業を行いました。文中の言葉やグラフや図、授業では映像なども手がかりにして、一人一人、心の時間の特性をとらえていました。なかなか一読では理解できないような難しい内容の読解に、諦めることなく、取り組んでいました。

 私は、この教材文を読んで、ふと思い出したことがあります。それは、有名なアインシュタイン博士の唱えた相対性理論です。その理論によると、運動する物体は、時間の流れが遅く流れるというものです。地球上にいると、その実感はありません。しかし、宇宙空間を光速で飛ぶロケットの中では、時間の進み方が地上の10倍遅くなるそうです。
 例えば、A少年とB少年の二人の12歳の少年がいたとします。A少年は、そのロケットに乗り、5年間、宇宙空間を飛び続けてから、地球に戻ったとします。A少年は、その時17歳になっています。これは分かりますよね。しかし、実は、A少年がロケットで飛び続けた5年間と言う時間は、地球上では10倍の50年経っていることになるのです。ですから、17歳のA少年は、戻ってきたら、62歳のB少年(B老人)と再会するというわけです。
 これに似たような話を知っている人がいると思います。そうです、浦島太郎のお話がこれに似ていますね。ほんの数日、竜宮城で過ごした浦島太郎が、地上に戻ってきたら、何十年も経っていた。そうなんです、実は先程の宇宙空間の話は、別名「ウラシマ効果」というらしいのです。時間とは、なんとも不思議な、興味深いものです。