学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

69 友だち考~いろんな子どもがいるんです~(続き)

 そして、それでいいとも思います。結論から言うと、友だちはいないよりはいたほうがいい。しかし、たくさんいる必要はない。最低、友だちは一人でいい。友だちと呼べなくても、気が合うような人が一人いれば、それでいいと思っています。学校は集団生活の場です。ですから、集団の中で、実に多くのことを学びます。なぜなら、そこに、不特定多数のいろんな考え方をした友だちがいるからです。自分と違う考え方をする友だちと関わりながら、誰とでも協力できることを学びます。人間だから、気が合う、合わないはあります。しかし、気が合わないから協力しないというのはだめです。そういう人とでも、協力して何か活動することができることは、将来、どんな人がいても、そういう人とうまく付き合いながら、仕事をすることができるということにつながります。社会に出て、仕事に就けば、そういう場面はよくあることだからです。気が合わないから協力できなかったら、仕事を辞めなければなりません。だから、協力できることは大事。しかし、だからと言って、仲良くなる必要はそこにはありません。

 しかし、その一人の友だち、もしくは、気が合う人が一人もいないというのは、学校生活を続けていく上で、少しつらい状況になる可能性はあります。考えてみればわかるかと思います。毎日、学校には行きます。しかし、そこで、誰とも楽しい会話ができない、たわいもないことを、もしくは同じ興味関心があることを話題にして、会話する相手が一人も居ないというのは、正直、寂しいです。一人でも平気という子も中にはいます。しかし、それが本心とは思えません。だから、友だちはたくさんはいらない。最低、一人でいい。友だちと呼べなくても、気が合うような人が一人いればいい。それは、べったりの仲良しである必要もないのです。楽しく会話できる関係の人が一人いればいい。それだけで、学校生活は楽しく過ごせると思います。だから、子どもたちの様子を見て、ひとりぼっちの子どもは居ないか、とても気になります。もし、そういう子がいたとしたら、友だちをあせって作る必要はありません。じっくり時間をかけて、もしくはチャンスを伺いながら、近づいてみればいいのです。不思議なもので、「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、気の合う者や似通った者は、自然と寄り集まって、いつの間にか仲良くなるのですから。

68 友だち考~いろんな子どもがいるんです~

 「一年生になったら」という歌があります。まど・みちおさんの作詞なんですね。知りませんでした。まどさんは、他にも、「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」なども作詞されている詩人です。詩の作品にもすてきなものがたくさんあります。さて、本題。「一年生になったら」の一番は、次のような歌詞です。みなさん、よくご存じですね。

  一年生になったら/一年生になったら/ともだち100人できるかな
  100人で食べたいな/富士山の上でおにぎりを
  パックン パックン パックンと

 1年生になる子どもたちの、わくわくした期待感がつまった、とても楽しい気持ちになる歌です。この歌詞がどうこういうわけではないのです。ただ、この歌詞にあるように、友だちがたくさんできることは、それはそれでいいと思うのですが、学校現場において、それが必ずしも必要かというと、そうではないということを言いたいのです。

 いろんな子どもがいます。友だちをどんどん作れる子もいれば、中にはそうではない子もいます。つまり、友だちをたくさんつくることに対して、目に見えないプレッシャーを感じている子もいるということです。子どもたちが、みな、自分から声をかけて、どんどん新しく友だちを作ることはできないと思います。中には、自分から声をかけるのが苦手な子どももいます。そういう子にとっては、「友だち100人」は、絶対無理なこと、自分にはできそうにないことと思っているのではないでしょうか。それなのに、友だちをたくさん作りましょう、と言われたら、もしかしたら、そんな無理なことを目指さなければならない学校に来ること自体、つらいことになる可能性があると思うのです。

 私の経験上、友だちがたくさんいると言う子は、意外とそんなにいないようにも思います。(続く)

67 「日常を十七音で」 ~5年生の作品~ Part3

 今回が、最後の紹介になります。まずは、日常の風景を題材にした作品です。

  にじのした ソフトボールの 大会だ

  太陽が みなをみまもる 水あそび

  十五夜と 世界のみんな にらめっこ

  マスクして コロナウイルス たたかうぞ

 日常の生活を題材にすると、スポ少のことやプールのこと、お月見のこと、そして、コロナ対策のことが唱われていました。作った子どもたちが、どんな生活をしているかで、作られる句も変わってくるのですね。

 最後は、動物が登場する作品です。

  わたり鳥 家にかえるよ うみこえて

  水たまり カエルの恋が そよ風と

  夜の中 せみのなき声 子守歌

  春の空 すずめたちが ふえを吹く

 子どもたちの目には、動物たちの行動は、どれも擬人化されて見えるので しょうか。おもしろいです。やはり、生き物と子どもたちの関係は、大人に 比べると、より近い存在なのかもしれませんね。
  最後に、子どもたちに真似て、私も一句詠んでみます。

  今日もまた 声だけ聞こえる ホトトギス

66 体験活動がもたらすこと

 4年生と5年生が、20日にいわきへ出かけました。舟戸海岸で磯遊びをしました。この海岸は、すぐ隣に波立薬師があります。トンネルとトンネルの間にあって、ちょうど入り江のようになっているため、波も穏やかで、干潮時には、岩場に潮だまりができ、磯遊びができるのでした。子どもたちは、夢中になって、海の生き物探しをしていました。子どもたちにとっても、海は魅力的な場所のようでした。かく言う私も、会津生まれのため、子どもの頃は猪苗代湖で湖水浴しかしたことがなく、海は憧れの場所でした。前に話しましたが、小2の時、海で溺れているのですが、それでも、海は大好きでした。ですから、私自身、子どもたちと一緒に、海の生き物探しを楽しみました。2時間あまりの活動でしたが、子どもたちは、いろいろな生き物を見つけました。ウニ、アワビ、ヒトデ、カニ、アメフラシ、小さい魚…。それらを見つける活動を通して、子どもたちは、図鑑などでは分からないことを発見しました。それは、アメフラシの柔らかさやヒトデの堅さ、カニのすばしっこさや岩陰に隠れたカニはなかなか捕まえられないことなど。そういうことは、実際に、体を使って、体験してみないと分からないことでした。また、磯の香りや海水のしょっぱさ、海岸の小石がサンダルに入って痛いことなども、映像で見ても気づけない、実際に自分の五感を通して感じることでした。そういう意味で、やはり、体験活動で学ぶことは大事だと改めて思いました。

 これは、他の学年でも言えることで、6年生は、会津の町を歩くことで、会津の町並みや会津の人の生活に触れ、実際に体験することで、起き上がり小法師や赤べこの絵付けの筆の感触を感じ、実際に食すことで、会津の名物の美味しさを味わうことができました。1年~3年の子どもたちも、実際に容器を振って、バターづくりの難しさや楽しさを感じ、直接、餌をあげてみて、動物たちの餌を食べる口の動きや仕草を観察することができました。これらは、教室の机の上では、絶対に理解できない、体験して初めて理解できることなのです。

 こういう学びは、本物です。そして、実感が伴うので、より理解されます。きっと、子どもたちは、体験を通して気付いたことや分かったことは、ずっと忘れないと思います。そして、そういう五感を通した学びが、子どもたちの感覚を磨き、人間性も豊かにしてくれるのだと思います。

65 月面着陸

 今から51年前の1969年7月20日、アポロ11号で打ち上げられたアームストロングが、人類で初めて月に降り立ちました。これは、とてもすごいことではあるのですが、個人的には、月旅行関連で、これとは別にすごいと思っていることが二つあります。
 一つは、その翌年の1970年4月に打ち上げられたアポロ13号の出来事です。そのことは、映画にもなっているので、ご存じの方のいると思います。このアポロ13号は、月面着陸のために打ち上げられましたが、2日後に機械室の酸素タンクの一つが爆発するという事故が発生します。宇宙空間で、機械船の電気と水が不足するという状態になり、ある意味、絶望的な状況になります。しかし、3人のクルーと地上のスタッフは、連絡を取り合いながら、問題を一つ一つ解決していきます。例えば、本来、月面に着陸するための着陸船を、救命ボート代わりに利用することにしました。それは、月面着陸を諦めるということでした。しかし、月面着陸よりも無事に地球に帰還することを第一に考えました。他にも、機械船と着陸船の空気清浄フィルターの形状の違いを、宇宙船の中にあるもので作り替えたり、着陸のために必要な電源を確保するための節電方法を探ったりします。すごいと思うのは、地上の訓練用の機械室を使って、実際にシミュレートをして、最善の方法を探り、その結果を宇宙船に伝えて、危機を乗り切っているところです。こうして、アポロ13号は、無事に地球に帰還しました。この偉業は、「栄光ある失敗」と名付けられました。
 二つは、アポロ11号の月面着陸より、およそ100年前の1865年に、ある作家が、月へロケットを飛ばす話を書いていることです。その人物とは、ジュール・ヴェルヌ。作品は、「月世界旅行」です。人間が乗れるような大きさの大砲を、月に向けて打ち上げ、月周回軌道に乗り、月を観察して、また、地球まで帰ってくる話です。宇宙空間では、無重力状態になったり、月は生き物がいない死の世界であることを確認したりと、今では当然の情報が、至る所にちりばめれています。そして、地球への帰還は、海に砲弾が着水して、アメリカの軍艦に救助されるのですが、その救助した軍艦が「サスケハナ号」。なんと、1853年にペリーを乗せて日本に来た黒船です。意外なところで、つながっています。この作品を書いたジュール・ヴェルヌは、他にも、「80日間世界一周」や「海底2万里」、そして、「十五少年漂流記」なども書いています。どれも、はらはらどきどきの冒険譚です。
 私たち人類は、未来の世界を空想し、その一つ一つを実現させてきました。携帯電話は、そのいい例です。ですから、今はまだ開発中の、完全なオートドライブの自動車も、いずれできるかもしれません。もしかしたら、タイムマシンも…。

64 先生方のおすすめの本

 図書委員会が、先生方に「読書感想文を書くのに、おすすめの本」についてアンケートを取りました。結果は、昼の放送で紹介していたのですが、どんな本がおすすめなのか、LIVEでも紹介します。

 ・おまえ うまそうだな  ・カラフル  ・はれ ときどき ぶた
 ・しゅんかん図鑑  ・かいじゅうたちのいるところ  ・wonder
 ・一瞬の風になれ  ・夢をかなえるゾウ  ・飛ぶ教室
 ・君たちはどう生きるか  ・ヘレンケラー  ・バッテリー
 ・だいじょうぶ だいじょうぶ  ・グスコーブドリの伝記
 ・銀河鉄道の夜  ・虔十公園林 ・はらぺこあおむし ・日本教育小史
 ・犬がくれた「ありがとう」の涙 ・ぼくたちのリアル
 ・ヒロシマ 消えたかぞく  ・泣いた赤おに ・花さき山
 ・野口英世  ・走れメロス  ・蜘蛛の糸  ・ああ無情
 ・ナイチンゲール  ・杉原千畝物語  ・田中正造
 ・佐賀のがばいばあちゃん  ・フランダースの犬  
 ・シャーロットのおくりもの  ・本好きの下克上  ・十五少年漂流記
 ・二分間の冒険  ・マヤの一生 ・きつねのでんわボックス

 さすが、先生方は、いろいろなジャンルの本をおすすめをしています。みなさんも、一度は読んだことがある本があるのではないでしょうか。そんな中、特徴的だったのは、伝記をあげている先生が多かった点です。

 伝記は、一人の人物の生き方を紹介しています。その人物は、偉人と呼ばれる人たちが多いのですが、その一生を知ると、やはり誰もが同じ人間なんだなあということに気づかされます。有名な所では、発明王のエジソン。彼は、学校に入学すると、なんと3ヶ月で退学になっています。彼にとって、学校での興味関心が、他の子どもたちの教育にとって、迷惑になるというものでした。いったい、エジソンは、学校でどんなことをしたのか、それについては、是非、エジソンの伝記を読んでみてください。そんなエジソンが、なぜ発明王にまでなったのか。それを支えたのは、やはり母親の愛情なのです。周りからどんなに好奇の目で見られようと、いつでも息子のことを愛し、支えた母親の存在があったから、彼は、自分の好奇心を持ち続け、自分らしく生きていくことができたのでした。伝記から、そういうことにも気付かされます。

 最後に、伝記で感想文を書いてみようと思ったみなさんへ。伝記で感想文を書く時は、その人物の生い立ちについて、長々と書くことはしません。伝記の人物の生き方と、自分の生き方を比べて、似ているところ、違うところ、真似してみたいところ、そして、自分がこれから生きていくのに参考にしたいところなどをまとめてみます。そして、その人物が、自分の人生において、大事にしていたことは何か考えてみます。それらをまとめたら、きっと、あっという間に、感想文は出来上がるのではないでしょうか。参考までに。

63 「日常を十七音で」 ~5年生の作品~ Part2

今回は、夏休みをイメージさせる3作を紹介します。

  さあ走ろう 夏の太陽 青空と

  海に行き 泳ぎまくるよ わくわくだ

  夏の海 なみにながれて うとうとと

 子どもたちは、夏休みを楽しみにしています。夏休みは何をして過ごそうか。海へ、山へ、夏の太陽の下で、元気いっぱいに過ごしている子どもたちの姿を想像します。
 夏の海というと、私には忘れられない思い出があります。私が小学2年の夏、父親の故郷の山形の海に行きました。そこで、浮き輪のボードに乗って、ゆらゆら波に揺られていたら、知らず知らずに沖の方へ…そこに波が来てザッバーン!なんと足が届かないような深いところで、溺れたのでした。必死にボードに乗ろうとするのですが、パニックで、水は飲むわ、苦しくなるわで、もうだめか…と思ったその時、父親が助けに来て、間一髪、助かったという経験です。みなさん、海では気をつけて下さいね。

62 夏休み期間中の行動記録について

 いよいよ1学期も残り2週間となりました。2週間と言っても、来週は、23日(木)~26日(日)まで4連休になりますので、実質登校日は8日となります。この8日間で、可能な教育活動にしっかりと取り組むとともに、夏休みの事前指導を行っていきます。

 今年の夏休みは短縮されたとはいえ、子どもたちはとても楽しみにしていると思います。是非、充実した夏休みにしていただきたいと思います。しかし、やはり心配なのは、夏休み中の新型コロナウイルスの感染対策です。これにつきましては、これまで同様、感染防止の基本である、密にならないこと、マスクの着用、手洗いをお願いします。

 さて、夏休み期間中、御家庭によっては、お出かけの計画等もされているかと思います。御家庭での思い出づくりや家族の絆を深める貴重な機会だと思います。ただ、そのお出かけの際は、次に示します、厚生労働省より出されました「新しい生活様式」の中の「移動に関する感染対策」について、気をつけていただきたいと思います。

移動に関する感染対策

 □感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える。
 □発症したときのため、誰とどこで会ったかをメモにする。接触確認アプ リの活用も。
 □地域の感染状況に注意する。

 特に、県外への移動や県外から来た人との接触については、感染リスクが高くなる場合もございますので、気をつけて行動していただきたいと思います。

 また、感染対策の二つめには、発症した時のために、誰とどこで会ったか記録することを勧めています。実際、発症したら、保健所による聞き取り調査があり、詳しい行動記録が求められます。そこで、この「移動に関する感染対策」を受けまして、学校としても、夏休み期間中の子どもたちの行動記録について、把握しておきたいと考えております。内容としては、記録用紙に、夏休み期間中に、県外への移動と県外から来た人との接触について該当する場合、記入して頂く予定です。その記録用紙は、個人情報扱いとしますので、内容について職員以外に知らせることはありません。また、提出して頂いた記録用紙を、学校として何かに利用することもありません。あくまで、夏季休業中の児童の他県への移動並びに他県から来た人との接触の有無についての把握です。詳しくは、後日、改めてお願いのプリントを配付しますので、そちらをご覧になり、御理解と御協力をお願いします。

61 「あぶらむし」ってご存じですか?

 「あぶらむし」と言っても、実際の生物のアブラムシのことではありません。昔、子どもたちは、家が近いもの同士で、神社の境内などに集まって、遊んでいました。当然、小さい子から大きい子まで一緒になって遊びました。そういう時に、問題になるのは、みんなが同じルールで遊んでいると、小さい子は楽しめないということです。走るのだって、ボールを投げるのだって、小さい子は不利です。もし、鬼ごっこで遊んでいたら、鬼はいっつも、小さい子になってしまいます。また、ドッジボールをしたら、小さい子はすぐに当てられて、ずっと外野に行って、内野に戻ってくることができません。これでは、小さい子はすぐに「つまんない」となってしまいます。
 そういう時に登場するのが、「あぶらむし」というルールです。私の生まれた会津地方では「あぶらむし」ですが、教頭先生に聞いたら、石川町では「みそっかす」と言っていたようです。どういうふうに使うのかというと、みんなで何かして遊ぶ時、必ず、「じゃあ、○○と△△は、あぶらむしね。」と誰かが言って、そのことをみんなで確認します。「あぶらむし」と言われた○○と△△は、大概小さい子で、その子たちはどうなるかというと、特別ルールの対象になるのです。鬼ごっこだったら、鬼にタッチされても、鬼にならなくていいし、ドッジボールだったら、当てられても、外野に行かなくていいのです。これに対して、「ずるい」という声は上がりません。なぜなら、この「あぶらむし」ルールがあるから、小さい子も一緒に混ざって、楽しく遊ぶことができるからです。大事なのは、みんなで楽しく遊ぶことなのです。誰かがつまらない状況にはしないのです。だから、他にも、鬼ごっこをしていて、同じ子ばかり鬼にならないようにしたり、ボールをねらう子も変えたりしたりしていました。そうやって、みんなで楽しくあそんでいたのです。
 体育委員会の子どもたちが、全校鬼ごっこを企画しました。ルールは、鬼にタッチされたらジャンケンをして、負けたら鬼になるという増やし鬼です。なるほど、これなら鬼にタッチされても、生き残れるチャンスがあります。走るのが苦手な子も、すぐに鬼になるとは限りません。さらに、ルールは走り方でも工夫していました。なんと、3年生以上は、膝を伸ばして走らなければなりません。知っているでしょうか、あの萩本欽一さんの「欽ちゃん走り」です。これなら、速く走るのもなかなか抵抗が生まれ、小さい子が大きい子をタッチするチャンスが出てきます。そして、小さい子も捕まらずに逃げることができそうです。なかなか考えられていました。きっと、委員会の話し合いで、全校生が楽しく鬼ごっこをするためにはどうしたらよいか、考えたのだと思います。昔の「あぶらむし」「みそっかす」に共通する考え方だと思いました。

 結果、全校生で楽しく鬼ごっこで遊ぶことができました。そして、全員が捕まったら、最後まで生き残った3人が紹介され、その中に2年生や1年生の子がいたのでした。全員から大きな拍手を送られ、うれしそうでした。
 子どもの数も減少し、近所に子どもがいなくなっている今、このように学校で、学年を超えて、楽しく遊ぶ活動は、貴重だなあと思いました。しかし、時代は変わっても、大きい子が小さい子のことを思い、優しい手を差し伸べることができていることがうれしく、そういうことができる、野木沢小の子どもたちを改めて素敵だなあと思いました。

 

60 日常を十七音で

5年生が国語の学習で作った俳句を紹介します。

  夕立の きぼうがおかは みずあびだ

  雨の中 かさがくるくる アサガオだ

 まず、季節柄、雨をテーマにした作品を2つ紹介します。
 一つ目の作品。晴れていれば、駆け回って遊んでいる希望ヶ丘が、雨で遊びに行けない。そんな雨にぬれる様子を見て、水浴びしているようだと感じたのでしょう。希望ヶ丘が、子どもたちにとって身近だからこそ、そう感じたのかもしれません。二つ目の作品。色とりどりに開いた傘が、アサガオのように見えたのですね。くるくるという言葉に、そんな雨の日でも、楽しく過ごしている様子が分かります。

 

  七夕に たんざくかいて ねがいのせ

  たなばたは ゆめも願いも かなえるよ

 続いて、七夕をテーマにした2作。日本古来の風習の中で、この七夕は、比較的行われていると思います。考えてみると、短冊に願いを書いて、七夕様に夢をたくす行為は、ロマンチックですね。まさに「星に願いを」です。ディズニー映画「ピノキオ」の主題歌に、「星に願いを」という曲があります。素敵な曲です。なかなか普段の生活で、星を眺める機会はありません。時には、夜空を見上げ、星のまたたきを見たり、夢や願いを思ったりする心のゆとりを持ちたいと思います。

 

59 鳥の鳴き声

 

 希望ヶ丘は、野小っ子にとって、最高の遊び場です。そして、希望ヶ丘は、野鳥にとって、最高のすみかでもあります。
 4月、ウグイスの鳴き声を皮切りに、その後、実に様々な鳥の鳴き声が聞こえてきました。あまりにも、頻繁に聞こえるので、どんな鳥が鳴いているのか、調べてみたくなりました。
 その結果、一番よく鳴いているのは、「ホトトギス」です。この原稿を書いている今も、外では、「キョキョキョ、キョキョキョ」と鳴いています。特徴的な鳴き声なので、すぐにホトトギスだと分かります。この他にも、カッコウやヒヨドリ、シジュウカラ、メジロなどが鳴いています。鳴き声の主が分かってくると、次は、どんな姿で鳴いているのか、見たくなります。しかし、今だ、鳴き声の主の姿は見られていません。それはそうです。野鳥からすれば、そんな簡単に姿が見られてしまっては、危なくてしかたないからです。思えば、我が家の庭先にも、野鳥は飛んできますが、人の姿を見かけた途端、一斉に飛び立っていきます。そして、また、人の姿が見えなくなると、どこからかまた飛んでくるのです。
 ですから、バードウォッチをされる人は、すごいなあと思うのです。樹木の生い茂った間から、鳴いている野鳥の姿を見つけるのですから。
 話を戻しますが、今まで聞いたことがない鳴き声を聞くと、(あれっ、今の鳴き声は何という鳥だろう)と気になります。それでも、なかなか探し求めている鳴き声の主は分からないのですが。
 福島県の鳥は、キビタキです。同じように他の県の鳥を調べてみると、北海道は丹頂鶴、東京都はユリカモメ、新潟県は朱鷺など。そんな中、静岡県の鳥は、「サンコウチョウ」という鳥です。このサンコウチョウですが、私は一度見てみたいと思っている鳥なのです。


 ご覧のとおり、体長の3倍ぐらいの長さの尾羽をもっています。外見も変わっていますが、その鳴き声にも特徴がある鳥です。その鳴き声は、「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」と鳴くそうです。そして、この鳴き声が、「月・日・星」と聞こえることから、「三光鳥(サンコウチョウ)」と呼ばれています。東南アジアに生息していて、夏鳥として、日本にやってくる渡り鳥です。福島県までやってくることはあるのか、定かではありませんが、もし、チャンスがあれば、一度見てみたいと思っています。
 ちなみに、県の鳥だけなく、市町村の鳥もいて、我が石川町の鳥は、「ウグイス」です。一年中、見られるウグイスですが、俳句では、春の季語になっています。ウグイスは別名「春告げ鳥」と呼ばれています。あの「ホーホケキョ」を聞くと、春が来たことを感じますね。

58 あいさつ考

 お家の方々にちょっと伺いますが、お子さんは、朝、起きてきて、お家の人に「おはようございます。」とあいさつしているでしょうか。そして、もう一つ。お家の方々も、朝起きて、家族に「おはよう。」とあいさつされているでしょうか。

 今、校内では、子どもたちのあいさつについて、先生方で考えています。それは、どのようなあいさつができる子どもにしたいか、ということです。その中で、学校ではあいさつできるが、学校以外ではあいさつできない子が見られる、ということが話にあがりました。おそらく、御家庭や地域の方々からの情報なのだと思います。結論から言うと、やはり、あいさつは、いつでも、どこでも、だれにでも、できるようにしたい。さらに言うと、あいさつは、当たり前にできるようにしたい。

 この当たり前のあいさつを考えた時、先程の質問になりました。どうでしょうか。朝起きたら、「おはよう」とあいさつするのは、極々当たり前のことです。もしかしたら、朝、起きてきても、家の人に「おはよう」をしないお子さんもいるのではないでしょうか。もしかして、お子さんが「おはよう」とあいさつしないお家では、お家の方々も家庭内で「おはよう」を交わしていないということはないでしょうか。

 子どもは環境の中で育ちます。お家の方々自身が、当たり前のように、朝起きたら「おはよう」とあいさつを交わす環境で育ったお子さんは、やはり、当たり前のように、「おはよう」とあいさつする子どもに育つのではないでしょうか。そして、その逆も言えるのではないでしょうか。子どもの手本は、私たち大人なのです。そう考えた時、私たち教師自身も、自分のあいさつはどうなのか、自問自答しなければなりません。そして、その上で、子どもたちにあいさつをどう指導するか、考えなければなりません。

 あいさつは、誰かに言われてやるものではありません。しかし、あいさつをするという習慣は、普段の生活の中で培われるものでありますから、できないのであれば、できるように指導していく必要はあります。私たち人間が、無人島で一人暮らしするのであれば、あいさつは不必要かもしれません。しかし、多くの人と関わりながら、社会の中で生きていくことを考えると、あいさつできることは、必要なスキルになります。たかがあいさつ、されどあいさつです。

57 立場が育てる

 今回の1年生、2年生、3年生が合同で出かけた見学学習では、縦割りの班を作って、3年生がリーダーになって活動を行いました。3年生は普段、学校の中では、上に4年生から6年生までいるので、どちらかというとお世話される方です。しかし、下学年の中では、トップになり、自分たちが下学年のお世話をする立場になります。そういう意味で、今回の見学学習では、3年生の子どもたちにとっては、責任ある立場を任されたことになり、3年生の子どもたちは、みな頑張ろうと張り切って臨んでいました。班のみんなを並ばせたり、一緒に遊んだり、お昼を食べたり、場面ごとに班のみんなに指示を出して、お世話していました。

 立場が子どもを育てます。6年生が、6年生らしくなるのは、ただ単に、学年が6年生になるからではなく、6年生という責任ある立場を任されるからです。班長として、委員長として、学校のトップとして、下級生たちのお世話をするという立場になるからです。そういう立場になるから、覚悟が生まれます。その覚悟が、行動を変えるのです。2年生の子どもたちが、4月に、1年生の時と比べて、見違えるように成長を感じることがあります。今年の2年生もそうでした。これは、今まで一番下だった自分たちの下に、新しく1年生が来るという、自分たちが1年生にとって、お兄さん・お姉さんになるという立場がそうさせるのです。そして、今回の3年生も、同じようなことが言えます。

 3年生の子どもたちは、きっと今まで以上に気も遣い、自分のことだけでなく、下級生のことも考えて行動するのに疲れたに違いありません。しかし、その分、3年生は成長したと言えます。そして、その3年生の頑張った姿を見ていた2年生が、来年、3年生になった時に、今度は自分たちが、下学年のリーダーとして頑張るに違いありません。そうやって、上級生が上級生として、与えられた立場の手本を示し、その姿を見て、下級生が育つ。そうやって、学校の子どもたちは成長していくのです。

56 七夕の話

 集会委員会が企画運営して、七夕集会を行いました。授業時間は使わずに、2時間目の休み時間を使い、20分という短い時間で凝縮した楽しい集会でした。クイズをしたり、歌を歌ったりしました。その中で、各学年の願いが発表されました。今年の願いは次のようなものでした。

 1年 長い5分、短い5分、時間を守りたい。残さずマナーを守ってしっかりと食べたい。
 2年 やさしく素直であきらめない人に成長しますように。相手のことを考えて、笑顔で話を聞く人になりますように。
 3年 1、2年生のお手本になれますように。健太郎先生が幸せになれますように。
 4年 みんなにやさしくて、きりかえできるクラスになれますように
 5年 コロナウイルスが早くおさまりますように。みんなが健康で安全に過ごせますように。
 6年 みんなで仲良く1年間過ごせますように!!

 私は、子どもたちの前で「七夕のお話」をしました。織り姫と彦星の七夕伝説の話です。最後に、天の川にカササギがたくさん飛んできて橋をかけ、そこを渡って二人が会えたという、あのお話です。

 ここでは、それではないお話をしたいと思います。それは、どうして、「七夕」と書いて、「たなばた」と読むのかということです。調べてみると、本来、「七夕」の読みは、そのまま「しちせき」と読んでいました。これは、「七日の夕方」という意味です。では、「たなばた」とは、何だったのか。こちらは、漢字で「棚幡」と書いていました。これは、「お盆にお供えの準備をすること」と言う意味の言葉です。そして、最初の「七夕=しちせき」は、中国の言葉。「棚幡=たなばた」は日本の言葉だったようです。
 この二つの国の言葉に共通するのは、どちらも、7月7日に関係している点です。「七夕」は、年に一度、天の川を挟んで、彦星と織り姫が会える日の伝説のこと。そして、「棚幡」は、旧暦7月7日頃(現在の8月)に、お盆の準備をすること。このお盆の準備を表す言葉に、神様に着物を織ってお供えし、秋の豊作と汚れを祓うという「棚機」と言う言葉もあったようです。これも、読み方は「たなばた」。長い歴史の中で、「七夕=しちせき」と「棚幡=棚機=たなばた」の二つの言葉が合体して、そして、「七夕=たなばた」が出来上がった、というのが諸説ある七夕の由来の一つのようです。

55 行ってきました!修学旅行

 当初、5月29日に予定されていて、その後、9月に変更された修学旅行。しかし、その後、状況の変化に伴い、再度実施を検討して、先週3日、実施することができました。この修学旅行を実施するにあたり、実に多くの方々に御支援、御協力を頂きました。それがなければ、とてもやれなかったと思っています。ですから、今は、修学旅行が実施できて、ほっとしています。さて、実際の修学旅行の様子ですが、ホームページには、子どもたちの様子を写真入りで紹介してありますので、可能でしたら、そちらを是非見ていただければと思います。(「野木沢小学校」で検索すれば見られます。スマホでも見られます。)

 6年生の子どもたちは、この修学旅行に向け、計画的に準備を進めてきました。班を編制し、見学場所や体験場所やコースの計画を立てる話し合いを、何度も持ちました。その中で、メンバーの意見がうまくまとまらず、思うように進まないこともありました。しかし、そういう経験をすることも、この学習の一環でもありました。そのようなことも全て乗り越えて、出かけた会津若松への修学旅行でした。
 最初の見学先でバスを降りてから、子どもたちは、グループで計画したコースに沿って、それぞれスタートしました。順調に、予定どおりに進むグループ。予定どおりにバスが来なくて、あせったグループ。お店に入り、会津名物のソースカツ丼やみそ田楽をおいしくいただくグループ。体験活動で、起き上がり小坊師や赤べこなど、ていねいに絵付けするグループ。中には、手作りパフェの体験をするグループも。それぞれのグループで、何か起きても、自分たちで話し合って問題を解決しながら、活動しました。そして、最後は、予定どおり、全てのグループがゴールの鶴ヶ城に無事たどり着きました。その時の子どもたちは、みな、最高の笑顔でした。
 活動中に、新聞社の取材を受けたグループもありました。質問されたことに、代表児童がしっかりと答え、記者の方も大変感心していました。

 学校に着いてから、私は子どもたちに次のような話をしました。
「今回は、今までと違う修学旅行でした。団体で同じところを回るのでなく、自分たちで行きたいところを決め、自分たちで体験したいことを体験し、自分たちで食べたいものを食べてくる、まさに、自分たちの修学旅行でした。そして、どの班も何が起きても自分たちで話し合って、解決することができました。 私は、今回の修学旅行を、6年生のみなさんのために、是非やりたいと思っていました。ですから、やれてよかったと思っています。しかし、今回、会津に行き、みなさんが会津の町を散策し、体験し、味わい、そして、会津の人とふれ合う様子を見て、私自身、気付くことがありました。

 それは、2班の人たちが体験したパフェ作りのお店の人の話を聞いた時でした。そのお店の人は、「今年、初めての小学生のみなさんでした。だから、来てくれて本当にうれしかったです。」とお話ししていました。会津の町の人たちは、このコロナの影響で、お店もやれない時がありました。だから、今回、みなさんが会津に行ったことで、(ああ、また、以前のように子どもたちが来てくれるかもしれない。)と喜びと希望を持ったに違いありません。そういう意味で、今回、行ってよかったなあと思いました。自分たちがしたことが、だれかの喜びにつながっているとしたら、それは、とてもうれしいことです。みなさんの修学旅行がそういう旅行になり、とてもよかったと思います。
 さて、みなさんの修学旅行は終わりました。また、行きたくてももう行けません。それが、みなさんにとっての小学校生活なのです。今日のような大きな活動のある一日もあれば、特別なことは何もないような平凡な一日もある。しかし、どちらも、みなさんにとってはかけがいのない一日なのです。さあ、来週から、また、みなさんには、野木沢小学校の6年生として、頑張ってもらいます。みなさんに残された小学校生活は、あと151日です。」

 6年生の子どもたちの一人一人のよさと、6年生の子どもたちの持っている力が十分に発揮された、とてもいい修学旅行でした。

54 休日の外出にはご注意を!

 いよいよ他県への移動も増えてくるようになりました。そこで、保護者の皆様に気をつけていただきたいのが、「休日の過ごし方」についてです。子どもたちはこれまで、かなり限定された人の中で過ごしてきたと思います。実際、学校と家庭の間であれば、これまで同様、感染リスクはかなり低く抑えられると思われます。ですが、それ以外の場所であれば、やはり、感染リスクは高くなります。さらに、そこに、不特定多数の他県から移動してきた人が混ざっていると思われる場所なら、なおさらです。1学期も、のこり一ヶ月となりました。7月は、全ての学年でバスによる校外学習を予定しています。この校外学習も、感染リスクには十分注意して行います。どうか、各御家庭におかれましても、休日の外出においては、これまで同様、マスクの着用や手洗い・消毒等、感染防止に努めてくださいますよう、お願いいたします。

53 想像して楽しむ

 演劇の楽しさは、演者の演技そのものの楽しさもありますが、想像する楽しさでもあります。演劇は、演劇ならではの演出があります。例えば、先日の鑑賞教室で観劇した舞台でも、命の玉が風に揺られてふわふわと漂うシーンがありました。実際は、役者さんが玉を手に取って、ふわふわ漂っているように動かしています。その時、球を持っている人は、黒子のようなもので、姿は見えていますが、見えていない立場であります。他にも、嵐が暴れ狂っているシーンは、実際の風など吹かず、丸い輪がつながったようなものを、二人で動かしながら嵐を表現しています。そういう演出を理解しているかどうかで、演劇の楽しさは変わります。実際に目に見えているものだけしか理解できないと、あの玉を持っている人はだれ?とか、あの丸い輪は何?となってしまいます。公演が終わってから、劇団の人と話す機会がありまして、演劇の演出について話題になりました。その中で、劇団の方は、演出を考える際、子ども向けの演目だと、「わかりやすさ」をつい求めてしまうそうです。しかし、わかりやすい演出が本当にいいのかというと、そうではないとのことでした。子どもたちにとって、一見理解しがたいような演出だとしても、それが演劇の楽しさ、面白さだとすれば、あえて、それをわかりやすく変えるのは、返って、見る子どもたちを甘く見ていることになる、と言っていました。話を聞いて、それが「本物」の力だと思いました。

 鍵は、想像力。この想像力がやはり必要なものが、「読書」です。絵本は、絵を見て、そこから、物語の世界を想像します。文章の本なら、文章を読んで、そこに描かれていることを、頭の中で映像化して、その本の世界を想像して楽しみます。だから、よく原作のある話が、映画化されると、最初に本を読んでいた人は、映画のキャストが、自分のイメージした人物像と違くて、がっかりすることがあります。本を読んで、自分で想像していた登場人物像があるということです。映像化していないからこそ、自分で自由に想像できるのです。これは楽しい。しかし、最初から映像化されていると、そこに想像する必要性はありません。テレビや動画などは、そこに映し出されているものが全てなので、想像する必要性がないのです。それでは、想像する楽しさも味わえませんし、想像する力も育ちにくい。

 テレビや動画は、映像という力で、私たちを楽しませてくれますし、必要な情報を分かりやすく伝えてくれます。そういう特徴を分かって、有効に利用すればいいのです。ただ、そればかりではなく、テレビや映像では補えない部分を、新聞や本などの文字情報から必要な情報を得たり、読書活動を通して、本の世界を想像して楽しんだりすることは、やはり大事だと思います。

52 ありのままを、受け入れる覚悟

 お忙しい中、授業参観、PTA全体会、学級懇談に参加いただきまして、ありがとうございました。

 いろいろと制約がある中で、今年度初めての授業参観でした。お子さんの授業の様子や担任の先生の指導の様子など、直接ご覧いただき、いかがだったでしょうか。百聞は一見にしかず。直接、学校での様子を見ていただけて、よかったと思っています。子どもたちは、至って元気に、楽しく、落ち着いて、毎日の学校生活を送っています。

 さて、PTA全体会では、私よりいろいろとお話しさせていただきました。学校の教育活動のこと、子どもたちに対する教育のこと、学校と家庭でしっかり連携していきたいことなど、お伝えしたいと思っていたことを、ぎゅうっと詰め込んでお話しさせていただきました。その中で、「子どもをありのままに受け入れる」という話をしました。子どもたちは、日々、いろいろなことをします。中には、やってはいけないことをしてしまうことがあります。そういう時、どうしたらよいのでしょうか。ありのままを受け入れるとは、そうしたよくないと思われる行動をしてしまうことも含めて、まるごと、その子を受け入れることです。では、そうしたよくない、変えたい行動については、どうしたらよいでしょうか。それは当然、そのことについて、話をしなければなりません。ただ、話の中で、どうすればよかったか、考えさせることが必要です。そうでないと、注意されて終わりになってしまうからです。注意されなければいいと思うようになるからです。そして、これが大事なのですが、「あなたなら、できると思うよ。」と、その子の人格を否定せず、逆に、信じていることを伝えることです。

 そんな簡単なことではない、という声も聞こえてきそうですが、「あなたが悪い」と「あなたがしたことは悪い」では、似ているようで、全然違うのです。昔から「罪を憎んで、人を憎まず」と言う言葉もあります。相手は子どもです。まだ、人格形成は途中なんです。だからこそ、やったことの善し悪しは教えますが、教えたからできるとは限らない。それで、「何度言ってもだめだな」と言われるのと、「そのうち、きっとできると信じているよ」と言われるのでは、全然違うのです。行動に問題があるとしても、その子自身に問題があるわけではないのです。「あなたのことは信じられない」と言われ続けるのと、「あなたのことは信じているよ、大丈夫だよ」と言われ続けるのとでは、その後が全然違うのです。そこには、その子をとことん信じ切る覚悟、ありのままを受け入れる覚悟みたいなものが、私たちには必要なのかもしれません。

51 本物のLIVE!演劇の世界

 26日(金)鑑賞教室がありました。演劇はおもしろいです。限られた空間の中で、限られた人数で、見る人に何かを伝えようと、演出する。演劇を見る方には、それなりの「想像力」が必要です。リアルな世界を好む子どもたちにとっては、演劇の世界は、かなり新鮮かもしれません。

 今回、公演して下さった「劇団風の子」は、全国に活動拠点が5カ所あるそうです。その中で、今回、本校に来て下さったのは、「劇団風の子関西」のみなさんでした。なんと今回、京都から来て下さいました。そんな遠くから、私たちのために来ていただけて、有り難いです。ですから、感謝の気持ちで公演を見ました。

 演目は「風の少年シナド」。どんな演劇だったかは、是非、お子さんに聞いてみてください。自然とは、人間とは、そして、命とは何か、考えさせられるストーリーでした。そして、演出は非常に楽しく、見ていて飽きることなく満喫することができました。テレビでもない、動画でもない、録画して後でもう一回見ることもできない、一回こっきりの生の舞台。まさに、LIVEの演劇の世界を、十分楽しむことができました。

50 PTA全体会

 やっと保護者のみなさんの前で、直接お話しする機会を得ました。これまで、学校だよりLIVEでいろいろとお伝えしてきましたが、やはり、直接顔を合わせて、お話しすることは大事だと、改めて思いました。その時、使用したスライド(パワーポイント)の資料を添付しますので、もし、見ることが出来る方は、どうぞご覧下さい。また、近日中に、その時の動画を、保護者限定で「野小っ子チャンネル」にUPしますので、そちらもご覧下さい。

 PTA全体会資料.pptx