学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

29 野口英世語録 (その2)

「人は能力だけではこの世に立つことはできない。能力と共に徳義を持つことが必要である。」

・「徳義」とは、人として守るべき道徳上の義務のことです。前述した「正直」とも通じると思います。例え、どんなに素晴らしい能力をもって、他の人ができないことができたとしても、徳義なく、他の人から尊敬されないような人は、やはり世の中から認められないということでしょう。 

「人の一生の幸せも、災いも自分から作るもの、周りの人間も、周りの状況も、自分が作り出した影と知るべきである。」

・なかなか深い意味の言葉です。私たちは、生きていて、思うようにうまくいかないと、他人のせいにしてしまうことがあります。中には、自分が損をしたと感じると、腹を立てて怒る人もいる。そして、そういう人に限って、そういう状況は、自分でそうしているのだということに気づいていません。人生は、自分一人で、脚本も演出も、そして主役も演じるライブです。だから、自分の見方、考え方一つで、いくらでもいいライブ、楽しいライブにすることができます。そして、自分以外の人は、その自分が主役のライブに登場してくれた脇役のみなさんなのです。だから、例え、うまくいかなくてつまらないことがあっても、それを脇役のせいにしてはいけません。うまくいかなくてつまらないのは、脚本も演出も主役も行っている自分自身が、そういうつまらないライブにしているのですから。

 

 言葉は、その人自身を表す、と言われます。英世が発した言葉の数々は、英世の生き様を表しています。私も、文字としての意味だけでなく、その奥にある真意をしっかりと感じて、言葉を発していきたいと思いました。

28 野口英世語録(その1)

 前回に引き続き、今回も野口英世関連の内容です。前回、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」「忍耐」などの、野口英世にまつわる言葉を紹介しましたが、調べてみると、野口英世はいろいろな言葉を残しているようで、気になったいくつかを紹介します。

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」
・忍耐について、このようなことを言っています。確かに、耐え忍ぶのは、つらいことです。まさに今、いろいろと耐え忍ばなければならない日々が続いています。しかし、このつらい日々が過ぎれば、きっといい結果が待っているはず。そう信じて、頑張りたいと思います。

「目的 正直 忍耐」
・これは、英世が日本に一時帰国した際、猪苗代にある母校の翁島尋常小学校で講演を行い、その時、黒板に記した文字です。英世自身が、自分の経験を通して、子どもたちに伝えたい言葉が、この3つに表れているのだと思います。自  分の夢を叶えるためには、目的を持ち、それに向かって努力し続けることです。時には、耐え忍ぶ場面もあります。そして、何事も自分に正直に生きることが大事だと、英世は言いたいのだと思います。

「正直であることが最高の手段だ。」
・「正直」とは、「心がまっすぐで言動に偽りのない」状態ですから、その反対は、「嘘や偽りに満ちた心と言動」で「虚偽」となります。人間は弱い生き物なので、時に嘘やごまかしに負けてしまうことがあります。しかし、それでも嘘偽りなく、正直に生きようとする健気さもあります。それこそが、人間の尊さです。子どもたちには、素直で正直に生きることの尊さを感じてほしいと思います。

「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。」
・英世の一生をふり返ってみると、まさに、この言葉に凝縮された人生だったと思います。医者になりたいと願い、その実現に向けて、必死に努力し、世界中の病気の研究に没頭し、その結果、世界中の多くの人たちの命を救ってきた。人としての最高の幸せを手にしたのだと思います。(次回へ続く)

27 未来は変えられる (その2)

 文部省唱歌「野口英世」。こんな歌詞の歌です。

   一 磐梯山の動かない/姿にも似たその心/
     苦しいことがおこっても/貫きとげた強い人
 二 やさしく母をいたわって/昔の師をばうやまって/
     医学の道をふみきわめ/世界にその名をあげた人
 三 波路も遠いアフリカに/日本のほまれ輝かし/
     人の命すくおうと/じぶんは命すてた人

 英世博士のお墓は、アメリカのニューヨークにあるウッドローン墓地にあります。その墓碑には、「科学への貢献を通して、人類のために生き、亡くなった。」と刻まれています。

 英世博士の生家は、猪苗代町の野口英世記念館の一角にあります。火傷したいろりもあります。その家の柱には、医者になることを決意して、上京するにあたり、思いを刻んだ跡が残っています。そこに刻まれた言葉が「志を得ざれば再び此の地を踏まず」です。自分の願い(医師になる)が叶うまで、ここには戻らないという、強い気持ちが込められた言葉です。先程の歌詞の中にも「苦しいことがおこっても、貫きとげた」とあります。これが、前述の内堀知事も言っている「あきらめない」心です。

 来週から短縮ではありますが、毎日、全校生が登校になりました。そして、6月からは、通常日課での学校生活が再スタートです。感染症対策に気をつけながらの日々は続きますが、それでも、子どもたちの健やかな成長のために、「あきらめずに」教育活動を進めていきます。

26 未来は変えられる (その1)

 20日付福島民報に、次のような、内堀県知事のコメントが掲載されました。

福島県知事 内堀雅雄

 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大により、日本中、世界中が前例のない困難に直面していますが、そんな時だからこそ、思い返したい言葉があります。

「私たちに変えられることが二つある。一つは自分自身。もう一つは未来だ」

 これは、本県が生んだ世界的医学者、野口英世博士の言葉です。博士は、貧しい農家に生まれ、幼少時には左手に大やけどを負うという過酷な境遇にありながらも、不断の努力で逆境を乗り越え、自らの未来を切り拓かれました。

 細菌という目に見えない敵と対峙し、気の遠くなるような数の実験を繰り返された野口博士。そんな博士の座右の銘は「忍耐」でした。博士の考える忍耐とは、単に耐え忍ぶというものではなく、夢や未来に向かって「あきらめない」との強い思いが込められていたそうです。

 現在の私たちも、幼少期の博士と同様、二重、三重の困難に見舞われています。しかし、博士が体現されたように、私たち一人一人が、「現状を変えたい」という強い思いを抱き、共に力を合わせれば、必ずやこの困難を乗り越えることができると、私は確信しています。

「未来をあきらめない」「未来は変えられる」

 先人の言葉を胸に、全県一丸となって、感染拡大の防止に取り組みましょう。自分自身の未来のために、そして自分の大切な人の未来のために。

 会津若松出身の私にとって、野口英世博士はやはり地元のすごい偉人です。若松市内には英世博士と関連のある場所がいくつかあります。かつての旧市民会館(現会津稽古堂)の前には、大きな英世博士の銅像が建っていて、そこにも「忍耐」の文字が刻まれていました。生誕百年のお祝いでは、当時小学生だった私は、若松市内の各学校から集められた代表児童にまざり、唱歌「野口英世」を歌った記憶があります。

 

25 人間の究極の幸せ

 チョークを作っている会社で、「日本理化学工業」という会社があります。この会社では、多くの知的障害者を雇用しています。その背景には、この会社の理念があります。その理念とは、ある禅寺の住職の言葉です。それは、「人間の究極の幸せ」についてです。

 その住職は、次のようなお話をされたそうです。「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです。」

 世の中には、働きたくても働けない人はいると思います。今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの人が職を失う状況にあります。ですから、一概に「働くことで幸せを得る」と言えないところはあります。早く、この状況が改善されることを願ってやみません。

 しかし、それでも、この住職の話した内容には、考えさせられます。と言うのも、学校生活においても、同じようなことが言えるからです。学校では、子どもたちは、それぞれの学級学年において、役割を担います。それは、学級の係活動であったり、当番活動であったりします。学年が上がると、委員会活動やボランティア活動もそうです。それらの活動を通して、自分が役に立つこと、自分が必要とされていること、そして、自分が感謝される存在であることを体験することができます。それは、やはり、人としての幸せを感じることにつながっていると思うのです。

 ある人がこんな話をしていました。「人は、子どもであろうと、大人であろうと、若者であろうと、お年を召されてあろうと、健康であろうと、病気をされてあろうと、障がいをもってあろうと、障がいをもってなかろうと、自分の存在が誰かの喜びにつながっていることを感じた時、人としての最高の喜びを感じることができる。」「不幸のほとんどは、何々してくれない、何々してくれ方が足りないという、自分中心の考え方から来るのである。何々してくれない、何々してくれ方が足りないという考え方でいる限り、その人は人としての最高の喜びを感じないまま、一生を終えていく。」これは、前述の「注文をまちがえる料理店」の話にも通ずる話です。

 子どもたちにとって、学校は、自分の未来に希望を抱き、夢を描くところです。そういう意味で、働くことの意味を考えさせ、今の自分にできることを、実行できるような子どもたちに育てていきたいと思います。

24 注文をまちがえるレストラン

 みなさんは、宮澤賢治の「注文の多い料理店」というお話はご存じですか。二人の紳士が猟に出て、山奥で道に迷い、突然現れたレストラン「山猫軒」に入ります。そこは、注文が多い料理店で、入口からひとつずつ部屋に入る度に、「くつをぬいでください」「金物をはずしてください」「瓶の中のクリームを塗って下さい」等と書かれています。最初、紳士たちは、一流のレストランのしきたりだと思い、それに従うのですが、実は、このレストランは、お客を料理するための注文を出すレストランだったのです。それに気づいた紳士たちは…という展開のお話です。

 これは、「注文の多い料理店」ですが、最近、似たような名前のレストランのことを知りました。そこは、「注文をまちがえる料理店」。えっ、注文を間違えるなんて、ふざけたお店かと思ったら、そうではないのです。なんと、この店のスタッフは、全員、認知症の方々なのです。だから、注文したことを間違えてしまうことがある。それは、お客さんも分かっていることなので、そのことはとがめられない。これは、認知症の方々を笑い者にしているのでは決してなく、認知症になったことで自信をなくしていた人たちが、働くことで再び生きる喜びを取り戻すことができる場所になっているのでした。


 すてきだなあと思いました。このレストランでは、認知症の人の様々な問題が解消しているわけではなく、しかし間違えても「ま、いいか」と思える寛容さが、温かい雰囲気を作り出している。そういう寛容な雰囲気が、そこにいる人たちを安心させ、笑顔にしていると思いました。寛容さは、優しさでもあるわけです。
 学校でも、同じようなことが考えられます。教室で授業中、問題を解いている時に、誰かが間違えた答えを言った時、それをすかさず、「違います」と指摘したとします。確かに、間違いではあるのですが、しかし、正しいか間違いかだけで授業を進めると、誰も安心して発言できなくなってしまいます。例え、間違いでも、それも一つの考えとして、みんなが寛容に受け止めたら、きっと間違えた発言をしても大丈夫だと安心して、授業に参加できると思います。

23 登校日の話

 久し振りに、元気な子どもたちの姿が見られました。子どもたちも今日の日が待ち遠しかったのか、早くから学校に来て、朝から校庭を走り回っていました。

 次は、帰りのなかよし班下校での、校長の話です。

「今朝、街頭指導をしていて、すてきだなあと思うことがありました。道路を横断しようと手を上げていたお友達が、道路を渡り終わった後、停まってくれた車の運転手さんにおじぎをしていました。そういうことをしていた人が今朝は6人見ました。きっと、もっとたくさんいるのだと思います。いいことは、ずっと続けて下さい。そして、いいことは、真似をして、やってみましょう。

 自転車に乗る人にお話しします。自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。ヘルメットはみなさんの頭を守るためにかぶります。ですから、道路でも、家の庭でも、自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。

 今日はいい天気です。今日のような晴れている日に「雨降れ」と叫んでも、雨は降りません。雨の日に「晴れろ」と願っても晴れません。私たち人間は、残念ながら天気をコントロールできないのです。自然の力の前で、人間は無力です。きっと、このコロナウイルスも同じなのだと思います。今のところ、治す薬も、かからないためのワクチンもありません。だから、かからないように気をつけるしかないのです。そのためのマスクであったり、手洗いであったりします。しかし、薬やワクチンがなくても、私たち人間には、生まれながらに持っている免疫力をあります。体内に入ってきたウイルスをやっつけてくれる仕組みです。この免疫力を高めるために、栄養と運動と睡眠です。自然はコントロールできませんが、自分のことは、自分でコントロールできます。規則正しい生活リズムで、お家でも生活しましょう。」

 一日も早く、普通の学校生活ができることを願ってやみません。

22 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!

 日本赤十字社のホームページに、表題の内容が紹介されていました。
 新型コロナウイルスの3つの顔って、何だと思いますか?次に、紹介します。

 新型コロナウイルスには、怖い「3つの“感染症”」という顔があります。

  1の“感染症”は、「病気」そのものです。
  2の“感染症”は、「不安と恐れ」です。
  3の“感染症”は、「嫌悪・偏見・差別」です

 この3つの“感染症”が、「負のスパイラル」になって広がるのです。

 「病気」→①未知なウイルスで分からないことが多いため、不安が生まれる。

→「不安」→②人間の生き延びようとする本能により、ウイルス感染にかかわる人を遠ざける。

→「差別」→③差別を受けるのが怖くて熱や咳があっても受診をためらい、結果として病気の拡散を招く。

→「病気」へ

 この感染症の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。
 では、負のスパイラルを防ぐためには、どうしたらよいのでしょうか。

 「病気」は、手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど。

 「不安」は、気づく力を高め、聴く力を高め、自分を支える力を高めること。

 「差別」は、差別的な言動に同調しないこと。感染防止のために頑張っている全ての方々に、ねぎらいと敬意を払うこと。

 まだまだ、終わりが見えない日々が続きそうです。このウイルスとの戦いは、長期戦になるかもしれません。だからこそ、正しく知り、きちんと対応していかなければならないのだと思います。このことは、各学年で子どもたちに指導しましたが、今後も継続して指導します。
 ここで紹介した内容を、もっと詳しく説明した資料を、学校のホームページにリンクしておきますので、是非、見てみて下さい。

21 世界最古のクイズとは?(後編)

答えは、「学校」です。

 学校は「学ぶ」ところです。学校に入る前、学ぶ前は、物事についてあまり分からず、何も見えていない。つまり、目を閉じた状態。しかし、学校で学ぶことで、できるようになったり、分かるようになったりする。つまり、目を開けた状態で、学校から出る。小学校で考えれば、1年生として、目を閉じて入学した子どもが、6年生として卒業する時は、いろいろ分かり、できるようになり、目を開けて卒業していく、ということを表していると思います。また、短く考えても、朝、目を閉じて分からない状態で登校してきた子どもが、一日学校で、先生や友達と関わりながら過ごすことで、いろいろと理解でき、わかり、できることが増え、目を開けた状態で、その日を終えて、学校から帰っていくということも当てはまります。
 こんなに大昔の人たちも、学校の重要性を意識していたのだなあ、と思うと、感慨深くなります。

20 世界最古のクイズとは?(前編)

 紀元前18世紀に考案された、おそらく「世界最古のクイズ」というものがあります。今から3700年くらい前になります。そんな大昔に、クイズなんか考えたのか?と思いますが、当時の残された記録にそうあったようです。世界史の授業を思い出してください。古代メソポタミア文明、聞いたことがあるかと思います。現在のイラクにあたる場所で、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えたのが、メソポタミア。そこで生まれた文明が、古代メソポタミア文明と言われています。その初期に栄えた民族が、シュメール人。そのシュメール人が用いていた文字が、古代シュメールくさび形文字。このくさび形文字が、世界最古の記録文字と言われています。

 文字通り、くさびの形が組み合わさった形をしていて、記録媒体は紙ではなく、粘土板を用いていました。その粘土板に記録されたくさび形文字を解明していった中に、今回紹介する「世界最古のクイズ」があったというのです。
 あんな記号を解明するのは、とても大変な作業だったと想像できます。まさに、人間の努力の素晴らしさです。
 さて、本題の「世界最古のクイズ」はどういう問題だったのか?それは、次のような問題でした。

 問題 建物がある。
    そこに入る時、人は目を閉じている。そこから出る時、人の目は開かれている。
    この建物とは何だろうか?

 いかがでしょうか。世界最古のクイズ。解けますでしょうか。
 ヒントを言います。この建物は、みなさん、よく知っています。おそらく、みなさん、入ったことがある建物です。どうでしょうか。お分かりになりましたか?
 では、答えを言います。答えは…次回へ。

19 野小っ子チャンネル作成裏話

 きっかけは、県教育委員会が作成した「学びのサイト」の動画でした。「学びのサイト」は、県教育委員会のホームページよりアクセスするのですが、動画サイトがPDFファイルにリンクされており、それを開くのにパスワードが必要になっています。そのパスワードを入れると、PDFファイルが開けて、そこにリンクされている動画サイトが視聴できるようになっています。なぜ、そのようなしくみなのか、校長と教頭で探りました。その結果、そのしくみは、動画サイトの「限定公開」というしくみになっていることが分かりました。それにより、パスワードを知っている人だけが、指定の動画サイトにアクセスすることができるというわけです。そこで、校長と教頭の間で、このしくみを使えば、学校でも、パスワードを知っている保護者(児童)だけが視聴できる動画を作成してアップできるかもしれないという話になりました。そこで、試しに子ども達向けの応援動画を作成してみようということになったのでした。
 そこから先が早かったです。次の日、在宅勤務期間でもあったため、出勤していた先生方だけで、とりあえず簡単な動画を作成することになりました。当初は、1人1分程度の子ども達へのメッセージを撮る予定でした。しかし、先生方で話し合う中、ペープサートを使って語りかけたり、実際に簡単な運動を呼びかけたりしてはどうか、生活リズムが崩れているかもしれないから、基本的な日課表を示してはどうか、といろいろアイディアが出て、結果、5分ほどの番組が完成しました。先生方それぞれが役割分担し、シナリオを考え、小道具を準備し、撮影して、最後は編集してと、まさに「チーム野木沢」で作り上げた産物でした。
 作れそうだ、という話になってから、翌日制作、2日後には動画サイトにアップできたスピード感がすごいと思いました。今、学校現場は、できることの手探り状態で、予定していたことが急遽、変更になることがざらです。だからこそ、思い立った時に、とりあえず、やってみようと行動することが求められていると思います。
 野小っ子チャンネルの第1弾は完成しました。これを基にして、次はどうアレンジしたものができそうか、また手探りの日々が続きます。

18 ウイルスと共存

 私の故郷、会津の郷土玩具に「赤べこ」があります。きっとみなさんも一度は見たことがあると思います。あの赤べこをよく見ると、体の周りに、黒と白の丸い模様がついています。諸説ありますが、その中に、あれは、天然痘という病気にかかった時にできる「あばた」の痕だと言われているものがあります。平安時代頃、日本では天然痘が大流行しました。当時はワクチン治療がなく、多くの人が亡くなりました。そんな中、赤べこの人形を持っている子どもは、天然痘にかかりにくいといううわさが広がりました。赤べこの体の色の「赤」は、魔除けを意味していたからです。だから、子どもの身代わりの意味もあったのでしょう。

 さて、ある日の朝日小学生新聞に、ちょっと興味深い記事が載りました。それは、「私たち人間は、昔から感染症、ウイルスと長い付き合いをしている」というものでした。

・古代エジプト時代から、先程紹介した「天然痘」が流行しました。
・14世紀のヨーロッパでは「ペスト」が流行し、世界で1億人が死亡し、「黒死病」とも言われました。
・1918年には、アメリカとヨーロッパで「スペインかぜ(新型インフルエンザ)」の流行が始まり、世界で2千万から5千万人が亡くなりました。
・2002年、中国香港を中心に、「SARS(サーズ、重症急性呼吸器症候群)」が流行し、世界で8千人以上が感染し、約800人が亡くなりました。
・そして、今、「新型コロナウイルス」が世界で大流行しています。24日現在で、世界で感染者が270万人以上、亡くなった人も19万人以上になっています。

 感染症に詳しい長崎大学の山本教授は、こう話しています。「このように大昔から人に感染する病気はありました。そして、人が集落を作り、多くの人が一緒に生活をするようになり、病気は広がるようになりました。また、人間が開発などで、むやみに自然の中に入っていったことで、新しい病気のウイルスと出会うようになりました。ウイルスも人間も、自然の一部という意味では一緒です。今回の、新型コロナウイルスがどういう形でおさえられていくか分かりませんが、今後も、新しい感染症は発見され、流行はこれからも続くことが考えられます。」そして、最後にこう言っています。「最終的にはウイルスと共存していくべきでしょう」

 地球を一つの大きな生命体と考える「ガイア理論」という考えがあります。それは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げているという考えです。ウイルスと人間も、同じ地球上の自然の一部として相互に関係しながら生きていることになります。そういう意味で、最後はどちらかの絶滅ではなく、共存という考えになるのでしょう。

 今回の新型コロナウイルスのワクチンの開発は待たれますが、それまでは、やはり、各自の免疫力を下げないこと、そして、爆発的な流行にならないように行動を注意することです。

17 石川町は鉱物の町

 石川町は鉱物の町です。マスコットキャラクターの「キララちゃん」は、紫水晶がモチーフになっています。
 石川町は、昔から有名な鉱物の産出地で、ペグマタイトと呼ばれる、大きく結晶化した鉱物が採れるエリアがあることで知られています。日本三大ペグマタイト産地にもなっています。
 学区内にも、「和久観音山ペグマタイト鉱床」と呼ばれる場所があります。ここでは、許可を得れば、鉱石の採取が可能で、本校のクラブ活動でも取り組んでいます。
 実際に、和久観音山ペグマタイト鉱床に行ってみました。中には入れなかったので、周りからの観察でしたが、山全体が採石できるような感じでした。入口の説明板によると、石川町では、明治の終わり頃から昭和40年半ばまで長石と珪石を掘り出した町として有名で、とても賑わったそうです。長石は瀬戸物の焼き物の釉薬(うわぐすり)になり、珪石はガラスやレンズの原料です。
 現在では、長石や珪石は採れなくなりましたが、石英・白雲母・黒雲母・ざくろ石・電気石などの鉱石が採集できるようです。今度は、事前に連絡をして、かつての坑道に入ってみたいと思います。

16 「テキシコー」って何?

「テキシコー」というNHKのEテレの番組があります。今回、休校中のおすすめとして紹介した中にありました。最初、「テキシコーって何?」と思いました。この番組で取り上げているのは「プログラミング的思考」。この「的思考」が番組名の「テキシコー」だったのです。

 では、プログラミング的思考とは何か。文科省では、次のように説明しています。「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」
 つまり、簡単に言うと、「自分がやりたいことをやるために、必要な条件を考え、それらをどうしたら一番自分がやりたいことに近いことができるのかを考える力」。この番組では、このプログラミング的思考を、分解・組み合わせ・一般化・抽象化・シミュレーションととらえています。

 この番組を制作した一番のねらいは、「コンピューターを使わずにプログラミング的思考を育む」です。実際に見て頂くと分かるのですが、この番組には、コンピュータを使った内容は出てきません。代わりに、思わず頭の中で手順を組み立て、先を予想したくなるような興味深い実験や、手順の組み合わせを改善していく楽しさを伝えるアニメーション、さまざまな仕事や物の中にプログラミング的思考が活かされていることを伝えるコーナーなどで構成されています。コンピューターへの苦手意識やICT環境を問わず、誰でも楽しくプログラミング的思考を育め、コンピューターを使ったプログラミングへの導入としてはもちろん、実際のプログラミング体験をした後でも、活用できる番組として作られています。(番組HPより)

 この、「コンピュータを使わない」というところがみそです。例えば、「ダンドリオン」というコーナーがあります。ここで扱うのは、まさに「段取り」。いかに効率的に考えるかということ。床のゴミを集めるのに、いかに効率的に集められるか考える。これも、プログラミング的思考。また、「こんなところにもプログラミング」のコーナー。ここでは、身近な生活の中や一般的な仕事の中にあるプログラミングについて触れています。例えば、花火職人の作る花火。たくさんの火薬をどのように配置して打ち上げ花火を作るかは、まさにプログラミング的思考。

 この番組を見ると、私たちが日頃何気なく行っていることの中に、実はプログラミング的思考を駆使してやっていることがあることに気づかされます。家事においても、買い物したり、料理をしたりすることは、かなりプログラミング的思考だと思います。遊びの中でも同じ事が言えます。例えば、将棋やオセロなどでは、駒をどこにどう置くか、その結果、どうなるかを考えて遊びます。まさに、プログラミング的思考です。そう言えば、コンピュータ対将棋や囲碁の棋士が対決することがあるくらいです。
 そういう意味で、コンピュータなど使わなくても、プログラミング的思考は育てられるし、鍛えることはできそうです。そして、このプログラミング的思考を育むことで、物事の見方や自分の考え方を論理的にとらえ、相手に分かりやすく伝えたり、表現したり、課題を要領よく処理したりできるようになることも期待できると思います。

 「テキシコー」。是非、一度見てみてはいかがでしょうか。「テキシコー」は、パソコンでも視聴することができます。

15 校歌について

 野木沢小学校の校歌は、昭和48年11月7日に制定されました。それは、ちょうど創立百周年記念式典の中で発表されました。

 野木沢小学校校歌    作詩 小林金次郎  作曲 紺野五郎

一 つつじ いろどる 希望ヶ丘で

  呼べば はるかな 那須山が 元気に 育てと 声かける
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 伸びるのだ
   大きな雲が 湧くように

二 光る ゆたかな 阿武隈川は
  胸に 希望の 火をもやし 仲よく 学べと 歌ってる
   ああ 野木沢 野木沢小の 子どもだ わたしら 進むのだ
   大きな朝日 のぼるように

記念誌の中に、作詩者、作曲者からの言葉が載っていました。

作詩のことば  小林 金次郎

 わたくしが学校のために作ってきた歌だけを数えてみると、野木沢小学校の校歌がちょうど111番目になります。この校歌は、校庭の一角にある「希望ヶ丘」に立って那須山を眺めている時に自然と生まれてきた歌です。ふしぎにもここが、わたくしに詩情を湧かしてくれたものです。みなさんも、つつじが一面に咲きみだれるこの丘が好きだと思います。小さな町、小さな学校、そこから生まれる大きな夢、大きな希望が大切なのです。それは那須山に湧き上る雲のように、阿武隈川の上に輝く太陽のように、仲よく力を合わせて勉強し、未来に伸びて行くりっぱな人になって行く姿を示しているのです。この校歌はそういう願いをこめて作ったのですから・・・。

作曲のことば  紺野 五郎

 この曲は行進曲風で大型のものです。詩の終わりに「大きな雲がわくように-、大きな朝日のぼるように」とあるので、この精神を曲の中に生かして作曲しました。野木沢小学校の児童がすくすくと大らかな人物に育つようにお祈りします。

 作詩された小林金次郎氏は、福島市生まれ、詩人の北原白秋に師事し、童謡や詩を学びました。その後、福島師範学校卒業し、小中学校に勤務。退職後は県内の幼小中高大学校の校歌を作詩しました。
 作曲された紺野五郎氏は、安達郡東和町出身。東京や福島で小中学校教諭をされ、退職後、ピアノ指導をされました。小林金次郎氏の詩には40曲ぐらい作曲しました。

 わたしたちが毎日歌っている校歌は、このような作詩・作曲をされた方々の思いがつまった素敵な校歌です。

14 校章について

1973年(昭和48年)11月7日、野木沢小学校創立百周年記念式典が執り行われました。その時に、発行された記念誌「百年の歩み」の中で、校章の由来について書かれています。以下、原文のまま紹介します。

校章の由来
 郷土の特色と学校教育のめざす理念と人間社会の姿を象徴しようとした。即ち自由、博愛、平等、正義の四つを以てあるべき人間社会の姿とし、ひな鳥としての子ども達はやがて東西南北に羽ばたき活躍する。そのように成す事は学校教育の理念である。十字形はこれらの事を象徴している。また、野木沢の伝統と郷土愛を象徴できる植物として菜の花を配した。十字科植物であるこの花は特に「友愛」を表す花として親しまれている。

 本校の校章は、二つの十字形が重なってできています。上記の説明からすると、手前の十字形は、子ども達が未来に向かって羽ばたいていく鳥の羽をデザインしたもので、後ろの十字形は、友愛・郷土愛を意味する「菜の花」をデザインしてものになります。
 そして、これら十字形の指し示す四つの意味は、人間社会において大事な「自由」「博愛」「平等」「正義」をそれぞれ表していることになります。

 また、菜の花について調べると、菜の花は十字形に花が咲くので、十字科植物と言われるそうです。ちなみに、本校の特別支援学級の名前は「なのはな」です。ちょうど、今の季節、至る所できれいな菜の花が咲いています。自然界では、新型コロナ…など関係なく、当たり前に季節が進んでいるのですね。

13 「衛」はぎょうにんべん?

 6年生の書写の時間、指導されていたのは、衛先生。授業の中で、衛先生が、子どもたちにご自身の名前の漢字の問題を出しました。それが、「衛は、ぎょうにんべん?」です。一見、行や役と同じようにも見えます。しかし、答えは、「ぎょうにんべん」ではなく、「ぎょうがまえ」。同じ仲間に、街や術などがあります。「かまえ」は、国や団などのくにがまえと同じく、周りを囲むようになっているのですが、衛は、中の部分の上と下がないわけです。この一連のやりとりを見ていて、なるほどなあと思いました。ただ単に形を覚えるのでなく、そのしくみが分かると、より理解が深まると思いました。

12 鼓笛顔合わせにて…

 本校の鼓笛隊は、4年生以上で編制されています。先日、今年度の鼓笛の顔合わせが行われました。4年生以上が体育館に集まり、担当の五十嵐先生から練習や今後の取り組みについて話を聞きました。

 ほぼ全員が集まって、顔合わせが始まってすぐに、別用で遅れてきた児童が2名いました。その時、二人とも、体育館に入って来るや「遅れてすいません。」とあいさつしたのでした。その態度を見て、(すごいなあ)と思いました。こういう時は、こういうふうにあいさつするのだと教えられてきたのだと思います。しかし、教えられていても、できないことはあります。それをきちんとできていることが素晴らしいです。

 さて、鼓笛の発表は、例年、運動会で行われます。5月の運動会は、10月に延期になりましたので、その時に披露される予定です。しかし、今から練習は始まります。練習は、昼休みの15分間に行います。短時間の練習に集中して取り組むことになります。だらだらと長く練習するより、効率的で、効果的だと思いました。

 鼓笛隊は、学校の伝統の一つです。毎年、4年生から6年生が担当しますので、順々に鼓笛隊に入り、順々に鼓笛隊を卒業していくことになります。そうして、代々受け継がれていくのです。曲は多少、変更はありますが、鼓笛隊としての取り組みは、伝統です。そういう意味で、今年の鼓笛隊のみなさんは、来年鼓笛隊に入る下級生たちが、「素敵だなあ」「自分も早くやりたいなあ」と思われるような取り組みになるといいなあと思います。

 最後に、鼓笛隊のパートは、どのパートも重要です。なくていいパートはありません。どのパートも大切なパートです。ですから、自分のパートに誇りを持って、取り組んでほしいと思います。

11 二つの詩から

 ここに二つの詩があります。一つは、坂村真民(さかむらしんみん)の「本気」、もう一つは、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」です。

本気  坂村真民

 本気になると 世界が変わってくる
 自分が変わってくる

 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ

 本気な恋 本気な仕事

 ああ 人間一度 こいつを つかまんことには

みんなちがって、みんないい  金子みすゞ

 わたしが両手をひろげても お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥はわたしのように 地面(じべた)をはやくは走れない

 わたしがからだをゆすっても きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんなうたは知らないよ

 鈴と、小鳥と、それからわたし みんなちがって、みんないい

 今年のある学年の学級経営のテーマは「本気」です。何にでも本気で取り組む子どもを目指しています。真民は、「本気になると、自分が変わる」と言っています。このLIVEで、かつて、学ぶことは変わることだと書きました。本気で学べば、自分が変わる。もし、変わらないとしたら、真民の言葉を借りれば、それは、「まだ、本気になってない証拠だ」ということです。子どもたちには、本気で学び、本気で遊び、本気の取り組みから、どんどん自分を変えていってほしいです。
 同じく、ある学年の学級経営の柱の一つに、「みんなちがって、みんないい」があります。子どもたちは、みんなちがいます。それが当然なのですが、自分に自信がないと、人とちがうことに抵抗を感じ、みんなと同じでないと不安になります。しかし、みんなちがっていいのです。ちがうからいいのです。子どもたちには、自信を持たせたいです。自分が他の人とちがっていることを、堂々と主張できるような自信を育てたいです。そして、自分とちがう人を認められる寛容な心も合わせて育てていきたいです。

10 新型コロナウイルス感染拡大防止に関して

 政府は「緊急事態宣言」を全都道府県に拡大しました。これにより各都道府県の知事は、さまざまな要請・指示ができるようになります。また、東京、大阪、北海道、茨城、埼玉、千葉、神奈川、石川、岐阜、愛知、京都、兵庫、福岡の13都道府県を、感染拡大防止の取り組みを重点的に進める「特定警戒都道府県」に指定しました。期間は、5月6日までです。これに関連して、今後、福島県、福島県教育委員会、さらに石川町、石川町教育委員会としての対応が示されます。それを受けて、野木沢小学校の児童、教職員の安全確保のための具体的な対応を、保護者の皆様へお知らせしますので、今後、メール等の内容を御確認いただき、御理解・御協力をお願いいたします。