学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

309 卒業式・修了式によせて

 まず、年度終了間際に、保護者の皆様には、いろいろとお世話になりましたが、卒業式と修了式を行うことができたことは、よかったと思います。

 令和3年度も、コロナ禍での一年間でした。それでも、昨年度の経験を生かし、コロナ禍での教育活動をいかに充実させていくか、先生方も知恵を絞り、保護者や地域の皆様にご協力いただきながら、進めていくことができました。

 感染状況に影響を受けながら、それでも、感染対策をしっかりと取り、子どもたちの生き生きした姿を、たくさん見ることができたと思います。

 保護者のみなさんも、ちょっと想像してみてください。お子さんの一年前の姿を。1年生の子どもたちは、入学した頃の姿を。6年生の子どもたちは、最上級生になったばかりの頃を。その頃のお子さんは、どうでしたか。これから始まる小学校生活に、期待と不安でいっぱいではありませんでしたか。いよいよ、6年生になって、学校の顔としてやっていけるのかと、心配ではありませんでしたか。他の学年の子どもたちも、どうだったでしょうか。

 今は、どうですか。最初に心配していたことが、今も心配ですか。そんなことは、ないのではありませんか。それよりも、お子さんは、お家の方が心配することなどなかったかのように、成長していませんか。

 子どもたちは、みな、大きく成長しています。この一年間で、みな、とても多くのことを経験し、体験し、そこから気付き、考え、できるようになったり、分かるようになったりしました。そういう姿を、日々、目にしてきました。

 一方、きっと、お家の人から見たら、まだまだだなあと思うようなこともあると思います。身の回りの整理整頓であったり、使った物の片付けだったり、言葉遣いだったり、あいさつだったり、宿題の取組だったり・・・それも、分かります。子どもたちは、成長しつつ、まだまだ課題はあります。

 それでも、みな、元気に、学校生活を送ってきました。今年度は、登校日が204日間ありました。先週末までの202日間のうち、全校児童86名が、一人もお休みすることなく、登校してきた日は、77日間でした。全員登校率は、38%です。3学期は、特に、オミクロン株になり、お家で様子をみてもらうお子さんが増えました。それでも、年間でこの数字は、すごいことです。子どもたちは、いろいろな思いをしながら、それでも、学校に来てくれました。お家のみなさんも、子どもを毎日、送り出してくれました。そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、決して当たり前ではないのです。だから、我々教師は、毎日、当たり前のように学校に来てくれた子どもたちに、そして、送り出してくれたお家のみなさんに、感謝しかありません。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願い致します。

 今まで「LIVE」をお読みいただきまして、ありがとうございました。今年度は、本号で最終号となります。

308 今回、確認できたこと

 今回のコロナ対応で、確認できたことがいくつかありました。

 まずは、緊急連絡についてです。
 今、学校から保護者のみなさんに緊急でお伝えしたいことがあるときは、スキットメールというメール配信システムを使って、一斉メール配信を行っています。メールですと、タイムリーに、早く、保護者の方々にお伝えできるからです。実際、このメールを使って、事前に情報をお伝えすることで、保護者のみなさんを混乱させないようにできていると思われます。

 しかし、今回、そのメールが、伝わっていない方がいるということが判明しました。考えられる原因は、メール登録されていない、もしくは、以前登録したアドレスが変更されたまま、新たに登録していない等です。

 今回のように、緊急を要する際、確実に連絡がついてほしいと思います。ですから、例えば、登録している方が普段はお仕事で、日中、学校からの連絡に対応する方が他にいらっしゃるとしたら、その方のアドレスを登録するか、その方にメールを転送するか、ご対応をお願いしたいと思います。ちなみに、スキットメールで登録できる数は、一家族3名までです。新年度のPTA総会の際には、再度、メール登録の案内を致しますので、以上のようなことについて、ご協力お願いします。

 次に、引き渡しのタイミングです。
 今回は、特に、学年や地区等で、引き渡しの時間を指定せずに迎えに来ていただきました。一刻を争うような緊急時は、そんなことを言っていられないと思いますが、そこまでの緊急時でなければ、お迎えの分散も検討してもよいかなと思いました。と言うのも、やはり、同じ時間帯に、一気に多くのお迎えに来られた時があり、学校側の対応が大変だったからです。引き渡しは、確実に行う必要があるとすると、その辺りは要検討です。今後、考えていきたいと思います。

 最後は、子どもたちの行動の把握についてです。
 時間割に基づいて、授業を受けている時の子どもたちの行動は、ほとんど把握できているのですが、休み時間や放課後、さらには、休日の過ごし方については、やはり、把握は難しいなあということです。コロナ関係ですと、いつ、どこで、誰と、どのような過ごし方をしたかが問題になります。その中で、マスクをつけていたか、会話をしていたか、距離は近かったか等、接触状況を確かめます。全てを正確に把握するのは難しいと思いますが、子どもたちには、常日頃から、自分以外の人との接触の仕方について、十分気をつけてほしいと思います。

307 いよいよ、あと2日

 3連休を挟んで、今年度も残り2日となりました。

 過日は、コロナ対応、ありがとうございました。実は、3/16に発行する予定だったのが、下の内容のものでした。引き続き、今後もみなさんに気をつけていただきたい内容ですので、掲載します。

 県教育委員会から出された資料によると、現在、感染が拡大している5市(会津若松、郡山、白河、喜多方、二本松)の年代別新規陽性者の割合では、10代未満が一番多くて31.3%。次が、10代で14.2%となっています。新聞等で報道されているように、学校、保育所等の施設での陽性者が増加しています。通知には、次のような感染事例と注意点が紹介されています。

感染事例1
 小学校のクラスター発生により、子どもが濃厚接触者になったが、家でのマスク着用などはしていなかったため、家族全員に感染が拡大した。
感染事例2
 兄が濃厚接触者となり自宅待機を開始したがすぐに陽性。兄の陽性判明前に感染していたと思われる弟が通っていた保育所に感染が拡がった。その後家族全員に感染拡大。
注意点
 このような事例のように、濃厚接触者と分かったときには、すでに同居家族に感染しているケースが増えています。
 濃厚接触者がいるご家庭では、お互いにマスク着用や部屋を分けるなど、
感染対策を徹底し、ご本人だけでなく同居するご家族も毎日の体調管理に注意してください。
 同居するご家族が、濃厚接触者と判明した日から数日程度、出勤・登校・登園等を控えるなどの検討をお願いします。

 上記のような対応については、これまで保護者のみなさんには、ご対応・ご協力いただいております。本当にありがとうございます。あと少しですので、よろしくお願い致します。また、この3連休についても、感染対策をよろしくお願い致します。

306 復興、そして平和への願い

 今日の集会は、校長室からZoomを使って、各教室のテレビにつなげて、東日本大震災に関連したお話をしました。

 2011年3月11日、午後2時46分。マグニチュード9.0、震度6弱という大きな地震が起きました。その地震の揺れていた時間は、190秒。それだけ長く、揺れ続けたことで、被害も大きくなりました。

 岩手県の山田町で津波の被害にあった子どもたちの話を聞きました。インタビューを受けている子どもたちは、みな、驚きや悲しみ、絶望など、複雑な思いをしたことを、口にしていました。がれきに埋もれた自分の家を案内する姿もありました。しかし、そんな状況でも、みな、前を向き、明るく頑張ろうとしていました。実際、その後の山田町は、順調に復興が進んでいる様子も紹介しました。

 最後に、福島県の話をしました。復興は進んでいるけれど、いまだ、原発事故により、避難生活をしている人や風評被害などもあること、だからこそ、あきらめず、夢を持って進んでいくことが大事だということを話しました。

 今回は、11年前に起きた災害の話でしたが、今現在、世界では、戦争で苦しんでいる人がたくさんいます。そういう人たちに、一日も早く平和な日々が訪れることを、みんなで願いたいという話をして終わりました。

 今まさに、本校図書室前の掲示は、「平和について考えよう」という掲示になっています。この掲示板は、学校支援員の加藤さんが作成されています。そこでは、外国の絵本が何冊か紹介されているのですが、その中に「てぶくろ」という絵本がありました。この「てぶくろ」というお話は、雪の中で、小さなねずみが、片方の手袋を見つけるところから始まります。そして、その中で住むことにするのですが、その後、かえる、うさぎ、きつね・・・と次々に動物たちがやってきて、一緒にその中に入っていくのです。その不思議な話の展開に思わず引き込まれます。そして、みんな仲良く手袋に入っているさし絵に心が温かくなります。

 実は、このお話は、ウクライナの民話なのです。それを知って、心がきゅっとなりました。ウクライナの子どもたちが、暖かい部屋で、安心して、絵本を眺められる日が早く来てほしいです。

305 なわとび記録会を終えて

 持久跳びという種目があります。この種目は、決められた時間を、最後まで止まらずに、一回旋一跳躍の前跳びで跳び続けるという種目です。試技は、やり直しのない1回こっきりです。決められた時間は、1年生が1分間、2年生が2分間、そして、3年生以上は3分間です。

 今回の持久跳びの結果、クリアしたのは次のみなさんです。

 1年 水野好輝さん
 2年 近内凛香さん 水戸葉月さん 矢吹 心さん
 3年 岡田そらさん 田邉大空さん 草野功明さん
 4年 宇佐美蒼さん 石井斗真さん 佐藤朋希さん 圓谷心葵さん
    二瓶沙羅さん 佐藤 歩さん
 5年 佐藤 碧さん 吉田裕翔さん 曲山恵太さん 水野陽菜さん
    円谷洸太さん 紀陸三平さん 佐藤世菜さん 円谷頼人さん
 6年 草野大輝さん 吉田智哉さん 髙橋優守さん 吉田琴葉さん
    近内遥翔さん 円谷由義さん 二瓶大雅さん

 持久跳びは、マラソンに似ていると思います。跳び続けるうちに、だんだん、足も痛くなる、手も痛くなる、息も上がり、苦しくなる。そして、やめたくなる。それでも、ゴール目指して、最後まであきらめずに、跳び続ける。

 本番は、やり直しのきかないチャンスが1回。その1回に、集中して、全力で挑むのは、緊張します。その緊張感がいいのです。たかが縄跳びだ、持久跳びを跳べようが、そうでなかろうが、大したことではない・・・と思っている人がいるとしたら、大きな間違いです。練習でできていたから、本番でもできるとは限らないのです。実際、練習の時は、跳べていたのに、本番でひっかかってしまった人は、たくさんいました。「練習は、本番のように。本番は、練習のように。」です。練習でも、本番のように、集中して全力で取り組む。そして、本番は、緊張しすぎず、練習でやってきたように、集中して全力で取り組む。こういう経験は、子どもたちを成長させます。おそらく、今回、練習で跳べていて、本番で跳べなかった人は、相当悔しいと思います。その悔しさが、次へのチャレンジの力になることは間違いないのです。よく「失敗したから、もう一回。」と、子どもたちが口にすることがあります。まるで、ゲームのリセットボタンのように。しかし、現実は、失敗したら、やり直しがないことが多いのです。本番は、決まって1回しかありません。1回しかないから、本番なんです。だから、その本番に向け、練習にどのように取り組むのかが大事なのです。

 そして、忘れてはいけないのが、本番で練習の成果が出せなかったから、練習してきたことが無駄だったのかというと、そうではないということです。今回の持久跳びで、練習でできていた人が本番でできなかったとしても、それまで練習で取り組んできたことは、その人の力になってきたことは事実です。決して無駄なんて事はないのです。

 最後に、昨年度、1年生で連続二重跳びを115回跳んで、学年新記録を出した紀陸文平さんは、今年、2年生でも209回という学年新記録を出しました。おめでとうございました。

304 まだまだ要注意!コロナ対策

 昨日より、福島県は「まん延防止等重点措置」を解除しました。しかし、まだまだ、コロナの状況は落ち着いてはおらず、石川町においても、町内の施設で感染者が出ています。引き続き、感染防止対策をお願い致します。

 昨日、これに関した通知文を配付いたしました。その中に、「家庭におけるチェックリスト」が紹介されていました。そのチェックリストを、裏面につけましたので、各家庭において、チェックしてみてください。モノクロ印刷なので分かりづらいのですが、質問項目の最初から「いいえ」がピンクですが、最後の質問だけ「はい」がピンクになります。

 今のコロナ禍で、やはり、一番気をつけなければならないのが、外出時ではないかと思います。不特定多数の人混みは、要注意です。さらに、そういう環境下でのマスクなしの会話は、ほぼアウトだと思います。無症状の感染者が、もう至る所にいる可能性があると思えば、外出時、人混みや長時間の外出は、特に注意が必要です。例えば、現在、どんな施設を利用する場合も、入口で検温や消毒をするのが、当たり前になっています。お店やレストランなどもそうです。しかし、そこで、熱もなく、見た目で具合が悪くない人しかいないとしても、もう、安心はできないということです。無症状ですから。だから、そういう場所での、他の人と密になる状況や、周りの人がマスクなしで会食しながら会話をしている状況にいることは、極めて危ないと言わざるを得ません。今は、レストランなどでも「黙食」をお願いしています。そういう施設を利用する人たちは、お互いに、そこまで気をつけなければならないのだと思います。外出する際は、そういうことにも、十分気をつけるよう、お願い致します。

303 子育ては、期間限定(続き)

 榎本博明さんという心理学博士が、著書の中で、最近、注意や叱責に耐えられない若者が多くなってきていることを挙げています。その原因の一つは、子ども時代にあると言います。子ども時代に、レジリエンスが鍛えられず、自己コントロール力が身に付いていないからだそうです。レジリエンスとは、心の復元力のことで、嫌なことや大変なことがあって一時的に落ち込んでもすぐに立ち直る力のことです。このレジリエンスが、子ども時代に鍛えられていないというのです。そこには、子ども時代の大人の関わり方に原因があるようです。

 ちょっと前に「子どもが育つ魔法の言葉」という本が流行しました。ほめて育てる内容の本として、多くの人に受け入れられました。榎本さんは、この「ほめて育てる」背景には、「愛情を持って、厳しくしつける」というのがあると言います。何でもほめればいいかというと、そんなことはありません。子どもですから、未熟故に悪いことをすることもある。その時に、しっかりと、なぜそんなことになったのかを考えさせ、自分の行為を恥じさせ、反省させることが大事で、場合によっては、同じ失敗を繰り返さないように罰を与えることも必要だと言います。時に、その子のために、厳しく接することだってあると思います。実際、本の中でも、「家庭内でルールを守らせることは、子どもが社会の一員として生きてゆく上で、とても大切なこと」「親の同情を引けば、わがままが通せるのだと子どもに思わせないように注意すること」も述べているわけです。子育てにおいては、そういう厳しさがないと、前述のような、レジリエンスが低い若者になってしまう恐れがあるというわけです。

 子ども時代に、大切なことを身に付けさせることは、その時を逃してはだめだということだと思います。かの白虎隊の学び舎「日新館」において「什の掟」にある「年長者を敬うこと」「嘘を言わないこと」「ひきょうなことをしないこと」「弱い者をいじめないこと」等を、「ならぬことはならぬことです」として徹底して教え込んだのは、会津武士として、誇りを持って生きていくための素地作りだったからだと思います。人としての正しい生き方を、子ども時代に身に付けさせたわけです。什の掟は、ただの目標ではなく、その行動については、毎日、反省会が開かれ、もし背いた場合は、口頭謝罪から追放まで、厳しい罰があったそうです。それ程までに、厳しく自分たちを律していたからこそ、その後、一人前の武士として、生き続けることができたのだと思います。今、私たちは、武士の子を育てているわけではありませんが、子どもの教育として、相通ずるものが、そこにはあると思います。

 以前、オンラインゲームについて調査した結果について述べました。その時、それぞれのお家で、それぞれ考えを持って、子育てをされていることを紹介しました。中には、子どもに激しく反発されても、親の考えのもと、厳しくされているご家庭もありました。子どもの成長に対して、最終的にその責任を負うのは、お家の方々です。我が子をどのように育てるのか、それは、お家の方々の思い次第です。うちはうち、よそはよそです。我が子の生活の様子において、何か課題があれば、その解決に向けて、悩み、考えるのは、親として当然ですし、みなさん、そうされていると思います。未熟な子どもの成長に、向き合って、関わっていく子育ては、子どもが親元を離れていくまでの、期間限定です。ですから、子どものために、親として責任を持って関われる今、大いに悩み、大いに考え、親として、やれることをやるしかありません。我々学校も、そういうお家の方々と、思いを共有しながら、学校でやれることにしっかり取り組んでいきたいと思っています。

 そして、私たちが忘れてはいけないことは、目の前の子どもは、いずれ、必ず、独り立ちをするということです。その時までに、一人で生きていけるだけの力を身に付けさせてあげなかったら、不幸なのは子ども自身です。生きていくということは、自分の思うようにいかないことの連続です。その時に、レジリエンスを発揮して、前に進んでいくことができるようにしてあげることです。それが、子どもの成長に携わる者の役目だと思います。

302 子育ては、期間限定

 私には、今年、社会人になった娘が一人います。娘は、高校卒業後、仙台の専門学校に2年間通いました。そして、専門学校を卒業後、昨年春から、郡山市内で働いています。夏までは自宅から通っていましたが、今は、アパートを借りて、そこから通っています。

 娘と一緒に生活している時は、全然感じていなかったのですが、先日、一人になった家の中で、改めて、(ああ、娘は独り立ちしたんだなあ)としみじみ思いました。そして、続けて感じたのは、(子育ては期間限定だなあ)ということでした。

 このLIVEを読んでくださっている保護者のみなさんは、今、小学生のお子さんの親御さんですが、兄弟が上や下にいらっしゃる人もいると思います。みなさんには、お子さんが生まれてから今まで、いろいろとご苦労があったことと思います。そして、今現在も、日々、いろいろと大変なことや心配なことがあると思います。毎日毎日、同じようなことの繰り返しで、嫌になるようなこともあるかもしれません。私自身もそうでした。

 しかし、そのご苦労や大変なこと、心配なことは、これから先、ずっーと、際限なくいつまでも続くことはありません。それらは、期間限定なんです。今は、目の前のことで、とてもそんなことは考えられないかもしれませんが、子どもが成長していくと、ある時、その苦労や大変さ、心配事はなくなります。つまり、親として子どもに向き合い、子どもの成長に関われるのは、子どもが親元にいるときぐらいまでだということです。

 そうなった時に、(ああ、もっとこんなことをしてあげたらよかった)と思っても、もう遅いということです。今、子どもが求めていることを、親として、子どものためにしてあげられるのは、まさに今だけです。そして、そういうタイミングには、ちょうどいいタイミングがあるということです。

 啐啄同時(そったくどうじ)という言葉があります。この言葉そのものの意味は、鳥のひなが卵から出ようと鳴く声と、母親が外から殻をつつくのが同時であるというものです。そのタイミングが合うから、ひな鳥は卵の中から出てこられる。親が外からつつくのが、早くても遅くてもだめだということです。そこから、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じることを表す言葉になりました。

 この「啐啄同時」は、子育てにも通じるものがあると思います。子どもが親に求めるものと、親が子どもに与えるものが、いいタイミングであえば、それは、子どもの成長にとって、プラスに働くのではないでしょうか。そのタイミングがずれていたら、それがどんなにいいものであったとしても、結果的にプラスには働かないように思います。さらに、子どもの成長する過程において、今のタイミングに、しっかりと身に付けさせたいこともあると思います。今、このタイミングで考えさせたいこと、身に付けさせたいこと、そのタイミングを逃すと、後から言っても、もう遅いということもあると思います。(続く)

301 6年生を送る会を終えて

 本校の6年生を送る会は、一言で言うと、ほっこりした会です。どうしてかというと、子どもたちの姿に、気負いがないからです。送る会ではありますが、参加している子どもたちには、6年生と一緒に楽しみたいという思いが随所に見られる会でした。この会のために、1年生から5年生は、6年生に向けて出し物を準備しました。

 1年生が準備したのは、「もうじゅう狩り」というゲームでした。動物の名前の文字数で、グループを作るゲームです。この日の1年生は、2名の欠席者がいたため、5名で行いました。それでも、役割分担の変更を自ら進んで名乗り出てくれたそうです。1年生でも、そういう状況を理解し、自分ができることに積極的に取り組もうとする姿勢が素晴らしいです。ゲームの中でも、グループになれず、最後に残った6年生にインタビューする姿など、この1年間で、とても成長したことを感じました。

 2年生は、三択クイズを行いました。質問は、自分たちの興味のあるものからできていて、生き物の名前など、かなりマニアックな内容でしたが、最後の質問は、6年生のいいところはどこ?というものでした。「A 給食をいっぱい食べられる」「B いっぱい遊んでいるところ」「C 友達にやさしくできるところ」。正解は・・・全部でした。本番で、恥ずかしがらずに、大きな声で発表を頑張っている姿は、とても成長した2年生でした。

 3年生は、クイズ「ここはどこ?わたしはだれ?」。スクリーンに映し出したアップ写真から、場所や人を当てるクイズでした。校舎内のある場所で、自分たちでヒント写真を撮ってきて、出題しました。どこを映したらヒントになるか、よく考えていました。人物を当てるクイズでは、事前に校長室に来て、写真を撮っていきましたが、きちんと説明して、礼儀正しく対応できていました。6年生のことを考えたり、きちんと行動したりできる姿に成長を感じました。

 4年生は、ちょっと趣向を凝らした発表で、なんと「6年生への挑戦状」。6年生VS4年生の対決3番勝負でした。1番勝負は、100マス計算対決。2番勝負は、お絵かき対決。代表の人が描いた絵を見て、他の人が当てるゲーム。そして、3番勝負は、なわとび対決でした。それぞれ、選りすぐりの代表児童が登場し、活躍していました。4年生も6年生も、これは誰々がいい、という人がいるのがすごいと思いました。そして、代表になった人が、最後まで頑張っていた姿も印象的でした。

 5年生は、この会全体を企画・運営する立場でした。実行委員長のあいさつや発表の合間に行う「突撃インタビュー」など、しっかりと役割を担っていました。きっとそういう姿を見て、6年生たちは、昨年度、自分たちが送る側として取り組んだことを思い出していたかもしれません。

 各学年の発表が終わり、手作り色紙のプレゼントが渡され、続いて、鼓笛の引継ぎが行われました。これは、今年度の編制の鼓笛隊から、来年度の編制の鼓笛隊への引継ぎです。この日まで、3年生から5年生は、新鼓笛隊として練習を頑張ってきました。そのお披露目でした。その演奏を、6年生は、ステージの上から見ていました。どんな思いで見ていたのでしょうか。そうして、最後は、1年生と2年生の花道をくぐり、6年生が見送られて、会は終わりました。

 6年生にとっては、下級生たちと楽しく過ごす思い出になる会だったと思います。と同時に、5年生にとっては、いよいよ、これから学校を引っ張っていくリーダーに自分たちがなるのだという覚悟を決める会でもありました。5年生の子どもたちは、6年生のために、下級生の先頭に立ち、会を企画・運営する大変さを味わったと思います。5年生の子どもたちには、その役目をしっかりと果たす姿が見られました。

 こうして、学校は、今の時代から次の時代へ、バトンが渡されていきます。うまくバトンがつながるのも、6年生が、この一年間、最上級生として、いろいろ大変な役を担って頑張る姿を、下級生たちに見せてくれたからです。そういうお手本を示すことが、上級生の役目であるわけです。

 今年度も、残り12日間となりました。

300 詩を書こうコンクール(続き)

4年 佐藤妃莉さん作「ありがとう」

 妊婦さんは/うらモコジャンパーを三枚着てるくらい暑いんだって
 妊婦さんは/ずっと立っていると足がむくむんだって
 妊婦さんは/体がすごく重いんだって
 先生のお腹の赤ちゃんが教えてくれたよ
 私のお母さんもそうやって私を産んでくれたんだなあ
 どんどん大きくなる先生のお腹
 元気な赤ちゃんが生まれますように
 お母さん/産んでくれてありがとね

 担任の先生が、お休みに入る前、大きなお腹で、赤ちゃんのお話をしてくれました。お母さん先生だから伝えられることが、子どもたちには、しっかりと伝わったみたいです。ちなみに、先生は元気な女の子を出産されました。

4年 松山陽太さん作「ぼくの大好きなクラス」

 ぼくのクラスは/いつもにぎやかで笑顔がいっぱい
 だけどちょっぴり忘れっぽい
 ぼくのクラスは/スポーツが大好き/運動ができる人がたくさん
 ぼくのクラスは/思いやりのある人がいっぱい
 ぼくのクラスは/みいんな仲良し/仲良しだからけんかが多い
 だけどぼくはこのクラスの人と友達になって/すごくうれしい
 うれしいから/これからも仲良くしたい

 仲良しだから、けんかしちゃうんですね。そして、すぐに仲直りですね。にぎやかで楽しい学級の様子が伝わります。

6年 二瓶大雅さん作「友達」

 楽しいとき/笑い合える
 うれしいとき/いっしょに喜び合える
 つらいときは/はげまし合える
 だめなことは/だめだと言い合える
 目標にむかって/協力し合える
 こんな友達がいることが幸せで
 ずっとずっと・・・/大切な友達

 仲がいいだけではない関係。きっと、お互いに刺激し合える関係なのだと思います。そういう友達がそばにいてくれる幸せを、きっと感じているのでしょう。

299 詩を書こうコンクール

 このコンクールは、浅川町にある吉田富三記念館が行っているコンクールです。吉田富三博士は、癌研究の先駆者で、吉田肉腫を発見された医学博士。その博士の記念館が「詩」のコンクールをやっているのには、理由があります。

 戦後の日本には、漢字廃止論というものがありました。今の日本語を廃止して、フランス語にする考えや、表記をローマ字にする考えなどでした。しかし、当時の日本人の読み書き能力調査では、識字率が97.9%と非常に高く、これらの考えは撤回されました。そして、当時、国語審議会の委員をされていた吉田博士が、「漢字仮名交じり文こそが日本語。漢字があるから微妙な造語力を持つことができる。」と提案し、日本語のあるべき姿を強く訴えました。その結果、日本語表記が、今の漢字仮名交じり文となったのでした。

 実は、吉田博士は、学生の頃、とても優秀だったので、東京の有名中学校(今の高校)を受験した際、福島訛りがひどくて、それが原因で口頭試問に落ちたことがありました。こういう経験から、吉田博士の中には、言葉に対する思い入れがあったのかもしれません。ご自身でも、俳句や短歌、詩などをたくさん作られていました。そこには、日本語の表現を通して、深く考えた吉田博士の思いが、文字となって現れています。私たち日本人は、日本語の表記によって、物事を考え、感じたことや考えたことを、日本語で表現するのだということを、改めて考えさせられます。

 このようないきさつから、この「詩を書こうコンクール」が行われているのだと思います。

 今年、このコンクールに、4名の子どもたちの作品が入賞しました。次に紹介します。

1年 水野好輝さん作「ぼくのすきなもの」

 すきなものは みかんです/すっぱくて/かわがむきやすいからです
 すいかです/あまいからです
 さくらんぼがすきです/なんこもくっついてあるからです
 ぶどうがすきです/うまいからです

 好きな物の理由が、ストレートに伝わってきます。だいたい、好きな物の理由は、あれこれあるのでなく、このように、ずばりなのかもしれませんね。(続く)

298 「本を読まない高校生」に思う(続き)

 今思うと、当時、読んでいた本は、きっと今は読めないように思います。個人的に思うのですが、長編の本を読み切るには、それなりに時間も必要ですが、それ以上に、それなりのエネルギーがいるように思います。学生の頃、時間もありましたし、エネルギーもあったように思います。だから、あれだけ様々なジャンルの本を読みあさることができたのではないかと思います。それができるのが、高校時代だから、当時の先生方も「今のうち読んでおけ」と示してくれたように思います。きっと、その背景には、「今しか読めないぞ」という思いもあったのかもしれません。

 たしかに、当時は、今のようなネットもスマホもゲームも動画配信もありませんでした。だから読めたのかもしれません。しかし、今でも、高校生にお勧めの本を、たくさんの学校が示しています。ある中高一貫校のサイトでは、こんなコメントがついて、100冊の本を紹介していました。

「中学・高校生活の6年間をどのように過ごしたか、ということはみなさんの 人生に大きな意味を与えるでしょう。さまざまな分野の読書体験を通してみ なさんが豊かな人間性を育むことを期待しています。」

 本を読むことで、私たちは、現実では体験できないような、いろいろな体験をすることができます。前述の私は、「野火」を読んで、戦争体験をしました。「あすなろ物語」を読んで、思春期の成長を体験しました。「吉里吉里人」を読んで、独立騒動を体験しました。そして、トムやハックと一緒に、冒険をしました。実際は、一回こっきりの自分の人生ですが、読書体験を通して、自分の人生を豊かにすることができます。そして、読書を通して、いろいろな生き方にも触れ、いろいろな価値観にも触れるから、自分のものの見方や考え方に幅を持つこともできます。さらに、実社会における他者理解にもつながります。きっと、自分一人だけのものの見方や考え方では、限られてしまうのかもしれません。

 読書することは、学習言語の獲得や語彙、表現などを身に付けるという学びの面と、多様な生き方、考え方に触れ、自分自身のものの見方、考え方を膨らませるという育ちの面があるのだと思います。それは、高校生だけのものではなく、小中学生にとっても大きな意義があり、むしろ、幼少期からの読書体験が大事なのかもしれません。気がついたら、身の回りに本を読む環境があり、小さい時から本を読む楽しさを味わっていれば、きっと、その後もずっと、自分の人生の中に読書活動が根付き、自分の生き方にも大きく関わっていくのだと思います。これは、決して今からでも遅くはありません。まずは、何か一冊、お子さんと一緒に読んでみませんか。

297 「本を読まない高校生」に思う

 2/22付福島民報に次のような記事が載りました。

 県高校司書研修会の2021年度高校生読書調査の結果、県内の高校生のうち、1ヶ月に1冊も本を読まない生徒の割合が、男子が61.2%、女子は55.3%だった。
 本を読まない理由の1番は、「勉強、部活動、アルバイトなどで忙しい」(男子45%、女子58%)。理由の2番は、「ネットやテレビ、ゲームの方が楽しい」(男子43%、女子38%)。
 男女とも半数以上が一冊も本を読んでいない傾向が、過去十年間続いている。

 この記事を読んでいて、あることを思い出しました。それは、私が高校時代、学校図書の担当の先生から、「高校生が読むべき100冊」なるプリントが配付されたことです。そのプリントには、高校時代に読んでおくべき「おすすめの本」が100冊、リストアップされていました。当時の私は、なぜか、その内容に刺激を受け、そこに紹介されている本を次々に読んでいきました。リストの中には、今では、絶対手にしないような、いわゆる名作と呼ばれる本もたくさん載っていました。100冊は読破できなかったのですが、当時の私の心の中に、深く刻まれた本が何冊かありました。
 例えば、大岡昇平の「野火」。太平洋戦争での戦地が舞台で、想像を絶する戦地の実態を目の当たりにし強い衝撃を受けた作品です。井上靖の「あすなろ物語」。登場人物の少年に自分を重ねて読んでいました。作中に出てくる「克己」という言葉も、ここで初めて知りました。夏目漱石の「坊ちゃん」。物語に出てくる登場人物が魅力的で、特に、数学教師の山嵐が、私と同郷の会津出身であったことが、とてもうれしかった作品です。
 このリストには、海外の作家の作品も含まれていました。O・ヘンリーの短編集。有名な「賢者の贈り物」の他にも、「運命の道」という不思議な読後感になる作品がありました。マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」。これは、あのトム・ソーヤの冒険の続編的作品で、トムの親友のハックが主人公の物語です。はらはらどきどきの展開に、とても興味を持って読んでいたことを思い出します。
 それから、このリストとは別に、好きだった日本史の先生が、「高校生のうちに、読んでおけ。」と紹介してくれた本がありました。それが、井上ひさしの「吉里吉里人」でした。東北のある村が、日本政府から独立して「吉里吉里国」を名乗り、たまたまそこに居合わせた主人公が、その騒動に巻き込まれていくという物語です。話の中で、医療、福祉、介護、スポーツ、文化芸術、教育など、いろいろな問題に触れていて、なおかつ、話の展開がとってもスピーディーなので、本自体はすごく分厚くて長編なのですが、意外と一気に読んでしまいました。この作品がきっかけで、その後、日本各地でミニ独立国ブームが起きました。(例えば、二本松の岳温泉では、「ニコニコ共和国」が独立しました。今年夏、16年ぶりに復活するそうです。)(続く)

296 本を読む子にするために

 私の一人娘が、初めて発した言葉は、「ばあー」でした。当時、妻の母に家に来てもらっていたため、「ばあちゃん」という言葉をよく耳にしていたのでしょう。最初の言葉が「ばあー」だったことに、妻はちょっとショックを受けていましたが、仕方ありません。みなさんのお子さんが、最初に発した言葉は、何だったでしょうか。
 そもそも、子どもは、どのように言葉を発達させていくのでしょうか。心理学博士の榎本博明(えのもとひろあき)氏の著書によると、子どもは「あ、あ、あ、」という言葉から、1歳くらいになると、「ブーブ」「まんま」「わんわん」など意味のある1語文を口にするようになるそうです。それを聞いた親と「まんま、おいしいね」「わんわん、いるね。」等のやりとりをすることで、2歳頃には2語文を口にするようになります。この頃から、語彙数は爆発的に増えていきます。と同時に、指差ししながら、しきりに疑問をぶつけてきます。「トリさん、何食べるの?」「トリさん、なんで飛ばないの?」等、こういうやりとりを通して、どんどん言葉を覚えていきます。1歳半頃には50語程度だった語彙数は、2歳で200~300語、3歳で1000語程度に増加します。簡単な日常会話には不自由しない程度のコミュニケーション能力を獲得するわけです。そうして、小学校入学時には、数千から1万語、獲得します。語彙数が増加すると共に、2歳を過ぎる頃から、2語文から多語文へ発達していきます。

 このように、子どもの言語能力の発達には、親をはじめとした周囲の大人の働きかけが大きく作用します。まったく言葉を持たないところからスタートしているわけですから、身近な大人が発する言葉を吸収するのが基本です。言語性知能に関しては、家庭環境の影響がおよそ60%と非常に大きくなっています。脳科学の分野でも、親子で過ごす時間やその過ごし方が、子どもの言語能力の発達に関わっていることが分かっています。特に、親子での様々な会話が、言語能力や脳の発達を促すことが確認されています。

 幼少期、まだ学校に入学する前は、やはり、子どもは、家庭内で過ごす時間が長いことから、親子の関わり方が大事だということだと思います。そして、読書についても、家庭環境において、子どもの身近に蔵書がどれだけ、どんな内容の物があるかは大事だと言われます。子どもが親子の会話から語彙を増やし、さらに、本を読むことで語彙を増やすことができます。ただ、ここで重要なのは、子どもが本を読みたいと思うかどうかは、親の態度次第だそうです。日常生活において、親が本を熱心に読んでいる姿がモデルになり、子どもも本を読むようになるというわけです。読み聞かせなども効果はあります。休日に、一緒に本屋や図書館などに行くことは、本に興味関心を持つようになり、読書を楽しむきっかけにもつながります。

 読書は、前のLIVEで書いたように、「学習言語」を身に付けるために必要です。学習内容を理解するためにも、子どもたちには、本を読む子どもになってほしいと思います。そして、本を読む習慣を身に付けてほしいです。家庭で過ごす時間の中に、読書する時間ができたらいいなあと思っています。お子さんがあまり本を読まない様子でしたら、ちょっと親子で本に親しむ機会を作ってみてはいかがでしょうか。石川町の図書館は、火曜閉館で、他の日は午前10時から午後6時まで開いています。休日の過ごし方の一つとして、ちょっと図書館に行って、お互いに面白そうな本を探して読んでみてはいかがでしょうか。

295 オンラインゲームについて考える⑤(続き)

 ここで、子どものマネジメントに、まずは、お家の方が関わってほしいです。と言うのも、子ども自身では、余程強い意志でもない限り、自分を厳しく律することは難しいからです。そこには、お家の方の思いが強く反映されるべきだと、私は思います。アンケートの中にもありましたが、親としてここは譲れない、という思いは、しっかりとお子さんに伝えるべきだと思います。私は、私たち大人は、子どもたちに、生きていくということは、自分の思うようにはいかないことがたくさんあるということを、しっかりと教えていかなければならないと思っています。自分がやりたいことが、何でもかなうわけではない。自分がやりたくても、できないことはある。どんなにやりたくても、我慢しなければならないことはある。どんなに泣いて叫ぼうが、だめなことはだめだと、伝えていかなければならないのではないでしょうか。親として、教師として、子どもの健やかな成長のために、ここは譲れない、認めるわけにはいかない、そういう線引きは、必要だと思っています。ご家庭での子育てには、保護者のみなさんのそれぞれの思いがあるでしょうが、同じ子どもの育ちに関わる者として、私たちは、時に、厳しい態度を取らなければならないことはあると、思っています。

 そして、今回のアンケートにありましたが、「そのゲームに混ざれないことで、仲間はずれになるのではないか」という心配については、ごもっともだと思います。しかし、学校は、いかなる理由であっても、「いじめは許さない」という指導です。もし、仮に、そのようなことがありましたら、すぐに学校までご連絡いただきたいと思います。

 話を戻しますが、家庭での過ごし方を、お家の方のご協力の下、しっかりとマネジメントして過ごせるようにしていきたいです。そこには、何を、どのくらい、どうやって過ごすかという計画が必要です。そのためには、何かをする時に、例えば、宿題に取り組む時に、何時から何時までやる、という見通しを持つことです。同じように、ゲームは、好きなことをやる時間は、テレビを見る時間は、等など、やる前に、終わる時間を決めるとよいです。そう言えば、昔、ある家庭では、平日、子どものテレビの時間は1時間と決められていて、子どもたちは何を見るか、兄弟で相談するという話を聞いたことがあります。兄弟で見たい番組が違う時は、話し合って、前は誰々が見られなかったから、今回は見ていいよ、等と話し合うそうです。きっと、このお家の子どもたちは、他の子どもたちの家は、好きな番組を好きなだけ見られるので、いいなあと思っていたかもしれません。しかし、そこは、「うちはうち、よそはよそ」でいいのです。そこに、親として、我が子のためにそうするという確固たる信念があれば、子どもは納得して、我慢できるのだと思います。そこに、他の家庭と比べて、同じようなことができないのは、かわいそうだということはないのです。我が家には我が家の子どもの愛し方があるということだと思います。

294 オンラインゲームについて考える⑤

 今回で、このシリーズは終了になります。

 お家の方にご協力いただき、オンラインゲームの実態調査を行いました。その結果、半分を超える子どもたちが、全学年において、オンラインゲームをしているということが分かりました。やっている時間も、平日は1時間から2時間程度、休日は2時間以上ということがわかりました。また、学力調査との相関関係をみると、オンラインゲームをたくさんやっている子どもほど、正答率が低いことが分かりました。そして、同じようにたくさんやっている子どもは、あまり本を読んでいない傾向があることも分かりました。

 ここで、最後に考えたいことは、これです。

平日・休日の家庭での過ごし方について

 福島県教育委員会が「家庭学習スタンダード」というものを示しています。これは、家庭学習を充実させるためのものですが、その中で、特に大事にしているのが、

 「自己マネジメント力」です。

 マネジメントとは、目標に向かって管理するという意味ですから、この自己マネジメントとは、家庭での過ごし方を、目標に向かって、自分で管理するということになります。前のLIVEで触れましたが、家で過ごす5時間を、何のために、どのように過ごすかということです。子どもたちの中には、習い事なども含め、毎日、目標に向かってやるべき事をきちんと決めて、努力している子が多くいると思います。その一方で、半数近くの子どもたちは、ゲームに多くの時間を費やして過ごしているわけです。だらだらと時間も決めずに遊ぶことは、マネジメントできていない状態です。そうではなく、限られた時間を、もう少し、自分でマネジメントして、自分のために有意義な過ごし方を考えていきましょう、というわけです。個人的には、平日の2時間ゲームは、やり過ぎだと思っていますし、休日も3~4時間はやり過ぎです。ゲームは楽しいので、気がつくと、あっという間に時間が経ってしまいます。ましてや、オンラインで他の人と一緒に遊んでいたらなおさらです。しかし、そこを、時間を決めて遊べるようになってほしいのです。オンラインで遊ぶなら、その仲間の中で、時間を決めるか、遊ぶ前に、自分はどれくらいで終わるのか、それを決めて遊んでほしいと思います。(続く)

293 オンラインゲームについて考える④(続き)

 実は、ここには、読書と学力の関係も大きく影響していると思われます。次の表を見て下さい。

貸出冊数 国語の平均正答率 算数の平均正答率
71~25冊(平均36冊) 71.3% 64.8%
23~12冊(平均16冊) 68.6% 59.0%
11~2冊(平均6.5冊) 61.3% 52.1%

 これは、同じ子どもたちの本の貸出冊数と正答率の関係を表した物です。国語も算数も、貸出冊数が多い子どもの方が、正答率は高い傾向が見られます。今回は貸出冊数で比較しています。高学年の子どもの中には、ページ数が多い本を読んでいるので、貸出冊数が多くない子どもでもよく読書をしていることはあります。ですから、全体としてこういう傾向があると思って見て下さい。

 読書と学力の関係については、いろいろと理由がありますが、その中でも、特に大きな理由として、読書をする子どもは、読書することで、思考に必要な「学習言語」を身に付けているからだと言われています。先生の話を聞いて理解したり、文章を読んで、その意味を理解したりする言語力は、人と会話する時の生活言語の「日常会話力」ではなく、「学習言語力」です。

 この「学習言語」は、本を読むことで身に付けることができます。逆に言うと、本を読まないと、身に付けることができないと言われています。読書することで、語彙力や読解力が発達するのは当然ですが、それだけでなく、思考力や想像力を高めます。そして、多様な考え方に触れることで、他者理解もできるようになり、他の人との共感性も高まります。さらには、読むという行為に必要な根気強さも培います。そして、「学習言語」を身に付けることで、授業を受けていて、先生や友達の話していることを理解し、自分の考えを論理的に組み立て、課題解決できるようになります。その結果、学力も向上します。

 ゲームに多くの時間を費やしている子どもは、本を読む時間も少なく、さらには、読解力が乏しいため、読書そのものが苦痛でしかなく、なかなか読書活動に前向きに取り組めない傾向が見られます。しかし、学習に必要な「学習言語」を身に付けるためには、読書が欠かせませんので、なんとか、読書習慣を形成する必要があります。ただ、「本を読みなさい」では、読書習慣は形成されません。そこには、家庭環境が大きく関わってきます。家庭において、読書する環境が身近にあれば、子どもは自然と本を読むようになります。この読書をする環境を作るためには、まず、身近に本があること、そして、本を読む大人がいることです。つまり、お家の方が、本を読んでいる姿を見て、子どもも本を読むのです。これについては、改めて述べたいと思います。

292 オンラインゲームについて考える④

ゲームと学力の関係について

 今回、オンラインゲームをしている子どもたちと、していない子どもたちの、学力調査の正答率との相関関係を調べてみました。

  国語の平均正答率 算数の平均正答率
オンラインゲームをしない 68.1% 60.6%
オンラインゲームをする 64.0% 54.2%

 オンラインゲームをしない子どもたちは、オンラインゲームをする子どもたちに比べて、4~6ポイント、正答率が高い結果でした。これは、あくまで平均ですので、誰もがそうだというわけではありません。オンラインゲームをしていても、正答率が高い子どもはおりますし、その逆の子どもも当然います。それぞれの該当児童の全体の傾向として、そういう傾向が見られるということです。

 しかし、そこには、やはり大きな関係があると思います。その一つは、前述した宿題の取り組み方です。学校で学んだ内容を定着させる目的の宿題ですが、とりあえずやればいいような取り組み方では、なんの力にもなりません。

 また、次のような相関関係も見られました。

本の貸出冊数 オンラインゲームをする オンラインゲームをしない
71冊~25冊 42.9% 57.1%
24冊~12冊 60.0% 40.0%
11冊~ 6冊 53.3% 46.7%
 5冊~ 1冊 61.5% 38.5%

 オンラインゲームをしている子どもたちと、していない子どもたちの、学校図書館で借りた本の冊数の関係です。ご覧のように、たくさん本を借りている子どもは、していない割合が高く、逆にあまり借りていない子どもは、している割合が高くなりました。(続く)

291 ちょっとブレイク

 コンピュータゲームについて、いろいろと思うことを書いていますが、この私がコンピュータゲームをやってこなかったのかというとそうではありません。むしろ、学生の頃からいろいろなコンピュータゲームを楽しんできた方です。
 いわゆる「パーソナルコンピュータ(パソコン)」が出回り始めたのが、私が大学生の頃でした。当時のパソコンゲームは、まだBASIC言語というもので作られていて、自分でプログラムを入力して簡単にゲームを作ることもできました。そして、その頃のパソコンの記憶媒体は、なんとカセットテープでした。ですから、今では信じられないくらいシンプルなゲームが多く、2D(平面的な物)のゲームが主流で、アーケードゲームなどから移植された物も多く、例えば、「ゼビウス」などのシューティングゲーム等よく遊びました。
 教員になった頃、ノートパソコンが売り出され、ゲームもかなりグラフィックがきれいで、処理速度も速い物が出回りました。その頃、ロールプレイゲーム(RPG)もかなり面白い物があり、日本で「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」が作られる前に、海外のRPGで「ウルティマ」というものがありました。これは、その後、「ウルティマ・オンライン」となり、オンラインゲームの先駆けとなりました。
 このように、学生の時から、コンピュータゲームで楽しんで来たので、その面白さはよく分かります。オンラインゲームもやったことがあるので、その奥深さも分かります。その経験の上で、これは、課題だなあと感じていることを、述べています。

290 オンラインゲームについて考える③

オンラインゲームの遊び方について

 一般的な個人で楽しむゲームなら、自分の都合で始めたり終わらせたりすることはできます。しかし、オンラインゲームは、他の人とつながって楽しむので、場合によっては、自分の都合で終われないようなことも起こります。

 実際、フォートナイトでは、1人で戦うだけでなく、2人や3人、4人で一緒に戦うモードもあるので、そのメンバーでつながって一緒に遊んでいる限り、そこから自分の都合でやめることは、かなり難しいと言えます。その一緒に遊んでいるメンバーの中で、事前に「○○で終わる」という約束でもしていれば別ですが、どうでしょう。

 さらには、事前に、オンラインで遊ぶ約束をしていたら、急な予定が入っても、変更できない場合も起こりそうです。また、一緒に遊ぶ人数が決まっているとしたら、そのことを決めた仲間以外の人が、その中に入りにくい状況も生まれます。

 オンラインゲームをする時間やメンバーを、自分の都合でコントロールできない辺りに、オンラインゲームのやり過ぎやトラブルが起きる原因が隠れているように思います。