学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

109 陸上大会から学ぶこと(続き)

 それより大事なことは、子ども自身が、自力で前に進むことです。それこそ、本当の生きる力なのだと思います。私たち大人は、間違いなく、子どもたちより先にいなくなるのです。そうなった時でも、子ども自身が、私たちを頼ることなく、自力でちゃんと生きていける力を身につけさせることこそ、私たち大人がすべきことなのです。そのためには、私たちは指導や応援はするが、子どもが自ら前進しようとすることを邪魔しないで、温かく見守ることが大事なのではないでしょうか。私は、そう思います。

 そういう意味で、6年生の子どもたちは、この陸上大会を通して、一人一人、大きく成長したに違いありません。とても有意義な大会となりました。

 最後に、今大会で入賞した子どもたちを紹介します。

 男子100m      第1位 神山 翔さん    13秒52
 男子1000m     第3位 宇佐美皓大さん   3分28秒21
 男子1000m     第7位 岡田蒼ノ介さん   3分46秒01
 女子80mハードル   第5位 曲山ななみさん   17秒55
 男子4×100mリレー 第4位 56秒45
 (宇佐美皓大さん・神山翔さん・佐久間隼さん・草野勝斗さん・佐藤煌大さん)

 入賞されたみなさん、おめでとうございました。なお、今回、男子100m神山翔さんと男子リレーチームのみなさんが出した記録は、野木沢小の校内新記録です。素晴らしい記録に拍手を送ります。

108 陸上大会から学ぶこと

 陸上競技は、孤独との戦いとも言えます。競技中は、誰も助けてはくれない。あんな大勢の中で、たった一人で戦わなければならないのです。今回、出場した6年生の子どもたちは、どんな思いで、その孤独に耐え、独りで戦い抜いたのでしょうか・・・・。

 今年の大会は、まさに「特別な大会」となりました。例年行われている走り高跳びとジャベリックボール投げの種目は、中止となりました。選手も、例年5・6年が出場していましたが、今年は6年のみとなりました。さらに、予選・決勝ではなく、全てのトラック競技は、決勝タイムレースとなり、組が違えども、予選のタイムで順位が決まることになりました。ですから、全員が本番一発勝負の大会でした。その一発勝負の本番で、それまで練習してきたことを、集中して、全て出し切れるかどうかが鍵となりました。

 そういう大会でしたが、6年生の子どもたちは、みな本当によく頑張りました。出場した全員が、最後まで本気・全力100%で競技に臨みました。そして、競技に臨む時は、サポートする子どもが付いてあげて、脱いだ運動着やシューズをテントまで運んでくれていました。きっと頑張れと声も掛け合ったことでしょう。その仲間の励ましを力に、どの選手も、最後まであきらめずに頑張れたのだと思います。そして、孤独に向き合い、耐えて、耐えて、最後まで頑張った子どもたちは、きっと覚悟を決めて臨んだのだと思いました。

 今回の陸上に限ったことではありませんが、私たち教師や保護者のみなさんは、子どもたちに指導や応援はできますが、その子どもに代わってあげることはできません。どんな指導を受けようとも、どんな応援を受けようとも、それでも最後は、子ども自身が、自らの心を奮い立たせ、自分の力で前に進むしかないのです。最後の最後は、子ども自身が、自分で決断して、勇気を出して一歩前に踏み出すのです。その瞬間、その子どもは大きく成長するのだと思います。結果は、あくまで結果です。それより、自分で覚悟を決めて、一歩前に踏み出したことがどれだけ素晴らしいことか。結果がどうだったなんて、実は些細なことなのです。どんな結果であろうとも、その子どもが頑張った結果ですから、それは全て100点満点花丸なんです。(次回へ)

107 第28回野木沢地区防犯・交通安全運動「標語コンクール」優秀作品

今年の「標語コンクール」優秀作品は、次の作品です。

 野木沢青少年健全育成推進協議会長賞
  1年 永井丈嗣さん 「たのしそう でもそのよりみち してもいいのかな」

 野木沢交通安全協会母の会長賞
  2年 吉田陸人さん 「右左 しっかり見よう こうさてん」

 交通安全協会野木沢分会長賞
  3年 佐藤 歩さん 「ながらスマホ そのいっしゅんが じこになる」

 石川町消防団野木沢分団長賞
  4年 佐藤世菜さん 「小さな火 遊びで使うと 大きな火」

 野木沢区長会長賞
  5年 円谷由義さん 「町の人 ぼくらを守る パトローラー」

 防犯協会野木沢支部長賞
  6年 佐藤煌大さん 「ランドセルに 必ず付けよう 防犯ブザー」

 受賞したみなさん、おめでとうございました。

106 第1回学校評議員会

 23日(水)今年度第1回の学校評議員会を開催しました。この学校評議員は、任期は1年で、主に学校運営や教育活動に対して、支援や助言をしていただく方々です。今年度は、この学校評議員の方々に加えて、さらに、学校運営協議会の委員の方々にも参加いただきました。この学校運営協議会は、今年度は試行で、今後、学校評議員会と一本化していく予定です。そして、学校運営協議会では、学校の運営に関して、御意見、支援のサポート、そして学校評価にも関わっていただくようになります。

 現在、小学校で子どもたちに指導している学習内容は、文科省で出している「小学校学習指導要領」に基づいています。この学習指導要領は、全国のどの公立学校でも、学校によって差が生じることなく、同じような教育を施すことを目的としています。10年ごとに改訂され、社会のニーズや時代の変化に対応するものになっています。今の小学校学習指導要領は、2020年4月、今年度から全面実施となっています。

 そして、前回の学習指導要領から改訂されたポイントのキーワードに、「社会に開かれた教育課程」というのがあります。簡単に言うと、学校教育は、社会との連携・協働していくということです。なんだ、そんなこと、これまでもそうだったのでは?と思われる方もいると思います。そうなんです。昔から、子どもの教育を、学校と家庭と地域が一体となって行う、というのは言われていました。だから、地域の方にゲストティーチャーで学校に来ていただいて、子どもたちに話をしていただいたり、教えていただいたりする活動は、よくありました。そういうことで、子どもたちの学びが広がったり深まったりすることをねらっていました。こういうことは、これからも大事に取り組んでいきますが、今後は、子どもたち自身が、地域社会に出て行き、社会とつながるような教育活動が期待されています。その地域と学校の連携を進めていくための核に、この学校運営協議会があります。

 今回の学校評議員会では、これまでの学校運営の概要や、今後予定されている教育活動について御説明し、いろいろと御意見をいただきました。やはり、話を伺って思ったのは、地域のことは、そこで生活されている地域住民の方々がよく分かっていらっしゃるということです。そして、こういう方々に、学校教育を、子どもたちを支えていただけることは、とても有り難いことですし、とても心強いことです。

 福島県教育委員会で示している「頑張る学校応援プラン」というのがあります。その中でも、「地域と共にある学校」が重点項目の一つです。そこには、県内でも、地域や家庭の教育力の低下や核家族の増加、地域コミュニティの希薄化・分断などが問題になっているということがあります。しかし、私は、ここ野木沢地区は、地域や家庭の教育力は高く、祖父母の方に子どもたちがしっかりと育てられている環境があり、野小っ子クラブや児童クラブ等、地域で子どもたちのお世話をする環境がある、とても恵まれたところだと感じています。そこには、昔から保護者やPTAを含む地域社会と学校が一体となって子どもを育てるという教育環境があるのだと思います。そして、これは不易です。これからも変わることなく、さらに連携を強めていくことが、野木沢地区の子どもたちの健やかな成長につながっていると確信しています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

105 秋の全国交通安全運動実施中

 9月21日(月)から9月30日(水)までの10日間、秋の全国交通安全運動を実施しています。各御家庭からも、朝の交通指導に立ち番で御協力いただきまして、ありがとうございます。

 秋のスローガンは「夕暮れの 一番星は 反射材」です。

 9月も下旬になり、日が落ちるのが早くなりました。みなさんは、「釣瓶落とし(つるべおとし)」をご存じですか。釣瓶とは、井戸の水を汲むための桶のことです。井戸自体、最近では見られなくなりましたので、ちょっとイメージしにくいかもしれませんね。桶に縄などのロープがついていて、井戸の上の屋根に付いている滑車の仕組みで、桶を井戸の底に落として、水を汲み上げます。この桶を落とす時、桶自体に重さがあるので、桶はあっという間に、底の方に落ちていきます。この様子から、秋の日は、まだ夕方だと思っていたら、あっという間に暗闇になる例えに、「秋の日は釣瓶落とし」という言葉が使われます。

 今回の交通安全運動の重点の一つに、夕暮れ時と夜間の交通事故防止をあげています。まだ明るいと思っていても、あっという間に暗くなるのがこの時期です。歩行者は、夕暮れ時や夜間に外出する際は、運転者から発見されやすい明るい目立つ色の服装と、夜光反射材を身につけるよう、呼びかけています。帰りが午後4時を過ぎる中・高学年の児童は、特に気をつけてほしい内容です。また、運転者は、夕暮れ時、早めのライト点灯を呼びかけています。合わせて、よろしくお願いいたします。

104 陸上壮行会

 29日(火)鏡石町鳥見山陸上競技場で開催される、石川地区小学校陸上競技大会に出場する選手を応援するため、選手壮行会が行われました。選手の自己紹介の後、4年生の力強いかけ声と太鼓に合わせて、下級生全員で応援エールを送りました。

 今年の陸上大会は、規模縮小で、種目も走り高跳びとジャベリックボール投げが中止となりました。そして、出場選手も6年生のみとなりました。夏休み明けから、6年生のみなさんは、体育の時間や放課後、各種目の練習に取り組んできました。リレーの選手のみなさんは、朝も練習してきました。天候により、なかなか思うように出来ない日もありました。また、6校時の日は、放課後の練習時間も限られてしまいました。実際の競技場練習は1回だけ行けました。学校の校庭では、斜めに80mをとるのがやっとなので、100mの選手は直線でなく、校庭のトラックを使うしかありません。リレーの選手も、一周150mのトラックは、コーナーがきつくて、思うようなバトンパスの練習も難しい環境でした。それでも、6年生のみなさんは、校庭が使えない時は体育館で、練習時間が短くても集中して、これまで取り組んできました。

 6年生のみなさんにはお話ししましたが、この陸上競技大会の大きな目的は、自己ベスト記録の更新です。他校の選手と競い合い、入賞を目指しますが、それはあくまで結果であり、一番はこれまでの自分との戦いです。練習で身につけてきたことを全て出し切り、その上で、今までで一番いい記録を出すこと。そのために、必要なことは3つ。
 1つは、自分の競技に、集中すること。当日は周りにたくさんの人がいて、いろいろな声が飛び交います。そんな中で、いかに、自分の競技に集中できるかです。周りの選手やその様子に動揺することなく、自分の競技で全力を出し切ることだけに集中することです。
 2つは、緊張しすぎず、落ち着いて臨むこと。緊張しすぎると、身体に余計な力が入り、本来、自分の持っている力を十分に発揮できません。気持ちを落ち着かせ、いつもの平常心で臨むことです。
 そして、3つは、頑張る仲間を、全員で応援すること。選手は、競技中、孤独です。選手は、たった一人で戦うのです。だから、そんな時、仲間の全力の応援は、力になります。つらくて、くじけそうな時、仲間の声を聞くと、あきらめずに頑張ろうという気持ちになります。いろいろな学校が、多くの応援をしている中で、野木沢小の大応援を期待したいと思います。

 選手のみなさんが頑張る姿は、野木沢小全員の願いです。選手のみなさんがやりきった喜びは、野木沢小全員の喜びです。そして、選手のみなさんが、本気・全力100%で頑張る姿を、全員で応援しています。6年生のみなさんが、これまで頑張ってきた姿、そして、大会当日に最後まであきらめずに競技する姿、それらが、下級生にとってお手本となり、目標となるのです。
 当日、お出でになる保護者のみなさん、子どもたちへの応援をよろしくお願いします。また、駐車場など、事前にお知らせしたとおりですので、どうぞ御協力よろしくお願いします。

103 野木沢スポ少ソフトボールクラブのみなさんへ

 この度は、県大会出場、誠におめでとうございます。
 まず、地区大会優勝という結果は、みなさんの頑張った結果であることは、間違いありません。ですから、自分たちの実力に、多いに自信を持って下さい。
 次に、県大会は、みなさんのように、各地区大会を勝ち上がった強豪チームが集まります。ですから、力と力のぶつかり合いの、厳しい試合になることは予想されます。
 もし、戦う二つのチームの実力が、ほぼ同じだったら、どうやって決着がつくと思いますか。私は、その二つのチームのうち、最後まであきらめないチーム、そして、全員が勝ちたいという思いの強いチームが、最後は勝利を手にするのだと思います。もし、たった一人でも、あきらめるような人がいるチームは、負けるのだと思います。
 ですから、試合に出る人はもちろん、試合に出ない人も、全員で、最後まであきらめず、全員で、勝ちたい思いを強く持って、一試合一試合、戦ってほしいと思います。
 そして、忘れてはいけないことがあります。それは、試合は、相手がいなければできないということです。つまり、試合に勝っても、相手がいたから勝つことが出来るのです。だから、忘れてはいけないことは、試合が終わったら、試合をしてくれた相手に感謝することです。感謝の気持ちをもつことです。素晴らしいチームとは、強いだけのチームではないと思います。素晴らしいチームは、相手のチームを認め、相手のチームに感謝の気持ちを持てるチームだと思います。どうか、それは忘れないで下さい。
 それでは、県大会でのみなさんの健闘を祈ります。頑張ってください。

102 運動会練習

 10/10(土)の運動会に向けて、各学年の練習も始まりました。今年は、規模を縮小し、午前中のみの開催となります。各学年の種目も、内容・方法を検討し、例年行っているものとは、少し変えた形で行う物があります。例えば、綱引き。これまでは、学年がどんどん増えていって、最後は全校生で引っ張り合う形でした。しかし、今年は、人数が増えないよう、1・2年、3・4年、5・6年のブロックごとに2回ずつ勝負する形に変えました。しかし、形は変われども、赤対白のガチンコ勝負には変わりありません。このように、いろいろと工夫してますので、これまで同様、楽しい運動会になりそうです。どうぞお楽しみに。

101 おはぎ

 今日の給食は、「セルフおはぎ」でした。給食には行事食的なものがあり、春は桜餅であったり、秋はお月見団子であったり。今回も、お彼岸ということで、あんことごはんが別々について、自分でおはぎにして食べるという献立でした。そのままご飯にのせて、簡単おはぎで食べても良いということでしたので、私はそのようにして食べました。昼の放送でも、おはぎとぼた餅の話をしていました。春の牡丹からぼた餅、秋の萩からおはぎということで、呼び名は変われども、どちらも同じ物と紹介されていました。あんこの好みも人それぞれで、あの甘さが大好きな人もいれば、ちょっと苦手という人もいるようで。また、あんこも粒あんが好き、こしあんが好きと別れるようで。昼休み、校長室に顔を出して、ある子が私にすきなあんこを質問しました。「こしあん」と答えると、「私も」と言ってました。みなさんは、どちらですか。

 さて、先程紹介した萩ですが、萩は秋の七草の一つです。みなさん、春の七草と秋の七草、どちらも言えますか。結構、春の七草は知っている人は多いようです。

 「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草」

 しかし、秋は春に比べて、知名度は低いように思います。きっと、言い回しの語呂合わせが春のようにいい感じでないからかなあ、と昔から思っていました。そこで、私はオリジナルの秋の七草も言いやすい語呂合わせに作ってみました。

 「はぎ、おばな、ききょう、なでしこ、おみなえし、くず、ふじばかま、秋の七草」

 いかがですか。個人的に、結構いい感じだと思っていますが。

 春の七草はおかゆにして食することが出来ますが、秋の七草は見て楽しむ草花です。この中の「おばな(尾花)」は、ススキのことです。見た目が馬の尾の毛のように見えますね。私の父親は山形出身で、子どもの頃は、自然の中でいろいろ作って遊んでいたそうです。私が子どもの頃、父親は秋になると、このススキを取ってきて、ふくろうを作っていたのを思い出します。ススキの毛がフクロウの羽のように見えました。さて、この「尾花」が出てくるので有名なことわざがあります。

 「ゆうれいの 正体見たり 枯れ尾花」

 幽霊だと思っていたら、よく見たら、枯れたススキだった。つまり、恐れていたりすごいものだと思っている物も、実体はたいしたことがない場合がある、という意味です。みなさんご存じの「オズの魔法使い」のオズの正体も、次々に姿を変える、ものすごい大魔法使いかと思いきや、実体は、気球で飛んできたサーカスの腹話術師でしたしね。そういうことって、結構あるのではないでしょうか。

100 吉田富三博士

 9月13日(日)石川地区児童理科作品展を、浅川町の吉田富三記念館で開催しました。本校からも、多くの御家族にお出で頂きました。ありがとうございました。今回は、1日だけの開催でしたが、その日だけで180名の方々にお出で頂きました。その中には、熱心に展示されている研究物を見入る子どもたちや、その保護者の方々の姿があり、改めて、今年、県理科作品展は中止でしたが、石川地区の児童理科作品展は実施してよかったと思いました。

 さて、私事ですが、実は、恥ずかしながら、私はこれまで、吉田富三博士のことは知りませんでした。今回、初めて記念館にお邪魔して、そこに展示されている資料を見たり、本を読んだりしました。それで思ったことは、この吉田富三博士は、素晴らしい科学者だということです。正直、驚きました。吉田富三博士は、癌の研究に一生捧げた方です。その中で、以前LIVEで紹介した「吉田肉腫」を発見しました。また、博士は医療制度の改革にも取り組んでいます。晩年、「医学の使命」について講演をされた時に、「医事は自然に如かず 静観待機療法が大切」という話をされました。これは、人間には病気になった時に、その病気と戦う自然良能というものがあること、だから医師は、その良能の性質をよく観察して、治療に当たる必要があるというものです。ただ薬だけを与えるという処置はよくない、という考え方です。このように、吉田博士は、医学だけでなく、ものの本質をしっかりと捉え、言葉の力でそのことを伝えることを大切にされていました。

 その一端が、医学の専門家でありながら、国語文化にも貢献していることにも表れています。昭和35年頃、日本の国語政策には、漢字を廃止するという方針がありました。翌年に国語審議委員になった吉田博士は、日本人が思想の原点として漢字を重要視していることを強く訴え、日本語の表記を「漢字仮名交じり」にすべきと提案したのでした。その提案を受けて、その後、正式に、国語の表記は「漢字仮名交じり」に決定したのでした。もし、この決定が別な物になっていたら、今の漢字仮名交じりはないわけです。

 記念館には、他にも興味深い物が展示されていました。それは、吉田博士と同姓同名の「吉田富三」という京都に住んでいた少年が、博士と同じ名前と言うことを知り、博士に手紙を書いたという物でした。手紙の内容は、自分は小児ぜんそくという病気だが、博士と同じ名前なので、病気に負けないで頑張りたいというものでした。驚くことに、住所が分からなかった少年は、「東京大学 吉田富三博士」とだけ記して投函し、その手紙は無事に届いたそうです。この手紙を受け取った博士は、その返事の手紙を書き、自分の似顔絵を写真にした物を、この少年に送っています。その対応が、すごく人間味にあふれていて、心温まります。吉田博士の人柄がわかる出来事だと思いました。

 吉田博士は、生前、文化勲章を受章し、亡くなってから、旭日大綬章も受章されました。また、ノーベル医学賞の候補にも挙がったそうですが、受賞日の前に亡くなられたので、規定により見送られました。博士の偉業は、野口英世博士にも勝るとも劣らない、素晴らしいものだと思いました。

 もし、吉田富三博士について、私のようにあまり知らないようでしたら、一度、吉田富三記念館を訪れてみてはいかがでしょうか。

 吉田富三記念館
  浅川町大字袖山字森下287
  TEL 0247-36-4129
  開館時間 午前9時~午後4時30分(最終入館午後4時)
  入館料 小中学生 無料  大人400円
  月曜休館

99 陸上大会まで、あと1週間(続き)

だから、練習する時に、常に、本番を意識して取り組むことだ。
練習だから…という気を抜いた気持ちでは、正直やっても意味がない。
本番と同じような意識で、真剣に取り組む練習だから、意味がある。
例えば、幅跳び。
踏切のタイミングを練習の段階から、いつもベストな踏切で跳ぶ。
練習で、踏切が合ったり、合わなかったりでは、本番でも合わない。
それでは、本番でも全てファールで記録なしになってしまう。
10回跳んで、10回ともファールなしで跳べるレベルまで、練習で求める。
例えば、リレー。
バトンの受け渡しを、練習の段階から、ベストの受け渡しが出来るようにする。
練習で、うまくいったり、いかなかったりでは、本番でも危ない。
そのためには、常に、バトンの受け渡しは、渡す方も受ける方も、全力で走って行わなければ意味がない。
リレーの選手は、当日、予選があり、自分の種目があり、そして、その後、決勝がある。

スタミナがなければ勝負にならないのだ。
他の、100m、800m、1000m、ハードルでも同じである。
本番だけ出来れば良い、ではないのだ。
練習で出来ないことは、本番でも出来ない。
逆に、練習で出来ていれば、本番でも出来る。
練習の段階で、「よし、本番もいける」という手応えを持つくらいまでやる。

だから、練習から常に、本番をイメージして、本番と同じ気持ちで取り組む。
スタートする時は、自分の番を待つ時も、コールされた時のあいさつも、
スタート位置に着く時も、スタートしてゴールするまで、
全て、これが本番、という気持ちで、本番をイメージして取り組む。
当然、本気・全力100%。
そうでないと、自分はどれだけやれるのか、どこが問題なのか、
どこを直したら良いのか、そういうことが分からないから、
意味ある練習にならない。

どうせやるのだから、この陸上大会を、
自分の力がどれだけ伸ばせるのか、
自分は、本気・全力100%で、どれだけやれるのか、
前向きにチャレンジして、自分を変えていくチャンスにしてほしい。

最後に、前回、紹介した「むのたけじ」の言葉を、紹介する。

きのうは去った。あすはまだ来ない。きょうというこの日に、全力を注ぎ込もう。どんなにつまらなく思われる一日であろうと、どんなにつらい一日であろうと、きょうがなければあすはない。

全力をこめてやれば、失敗したって必ず何かを学びとる。一つ一つの仕事に全力をこめたからとて人間はすりへりやしない。力の泉が、かえって深くなる。いい加減にやるなら、はじめから手を出すな。中途半端、これこそは人間を底まで腐らせる。

一度も失敗しないことは、自慢にならない。それは、上手であるだけだ。10回失敗して11回たちあがるなら、事はすでに成就している。 

98 陸上大会まで、あと1週間

陸上競技の練習は、つらく、苦しい。
みんな、それを分かって、取り組んでいると思う。
前に話したが、つらく、苦しい分だけ、自分の力になっている。
それは、間違いない。
だから、つらく、苦しい練習も、
自分の力がついていると信じて、頑張ってほしい。

陸上競技は、孤独との闘いでもある。
競技中は、みな、たった独り、孤独だ。
競技中は、独りぼっちで、闘わなければならない。
だれも、助けてはくれない。
だから、応援の声が力になる。
独りぼっちで闘う不安な気持ちも、みんなの励ましの声で支えられる。
自分を応援してくれる仲間の存在が、くじけそうになる気持ちを支えてくれる。
仲間が応援してくれるから、もう少し頑張ろうという気持ちになる。
例え、自分の競技が終わっても、独りで頑張る仲間がいたら、みんなで全力で応援して支えてほしいと思う。

一つの競技も、長くて5分。短ければ十数秒で終わる。
たったそれだけのために、何十時間もかけて、練習している。
言い換えれば、何十時間もかけてきた練習の成果を
わずか数分、数十秒で出し切らなければならないということだ。
その時に必要なものが、「集中すること」だ。
世界中のアスリートが、自分の最高のパフォーマンスをするために必要なのは、
「コンセントレーション」「集中すること」だと言っている。
テレビでも、アスリートが試合前に、音楽を聴いたり、独り静かに過ごしている 姿を見たことがあるだろう。
あれは、本番に向け、自分の気持ちを一つに集中させているのだ。
落ち着きなく、べらべらとおしゃべりしているアスリートなど見たことがない。
大切なのは、集中すること。
それこそが、自己ベストを出すための、重要な条件だ。

本番前は、緊張すると思う。
一回こっきりの本番だから、それは当然である。
緊張感はある程度必要なので、緊張することは構わない。
しかし、緊張しすぎると、よくない。
緊張しすぎると、身体に余計な力を入り、結果、力みすぎて、自滅する。
緊張したら、大きく深呼吸し、ジャンプしたり、屈伸したりして、身体を動かし、
力まないように、身体をほぐせば良い。
そして、練習してきたように、本番にのぞめば良い。
「練習は本番のように、本番は練習のように」である。(次回へ)

97 吉田富三博士の偉業

 国立科学博物館が、この度、重要科学技術史資料(未来技術遺産)に「吉田肉腫」を選んだというニュースが新聞に掲載されました。
 「吉田肉腫」とは、1943年に吉田富三博士が作り出した、移植可能ながん細胞のことです。この発見は、その後、国内初の抗がん薬創製に使用されるなど、がんに対する化学療法発展に大きな影響を与えました。また、がんを細胞レベルで研究することが可能なため、現在も各研究機関で活用されているそうです。
 吉田富三博士は、浅川町出身。同じ石川地区出身の素晴らしい偉人です。とても喜ばしい限りです。

 前回、お知らせしましたが、13日(日)吉田富三記念館で、石川地区児童理科作品展が開催されます。各学年の推薦、特選、準特選の作品が展示されています。今年は、巡回展は行われないため、他の学校の作品を見る機会は、この日しかありません。是非、お時間がありましたら、お出で下さい。

96 和久観音山鉱山跡で採石活動

 クラブ活動で、自然・アートクラブの子どもたちが、和久観音山鉱山跡を訪れました。私も行ってみたいと思っていたところだったので、同行させてもらいました。現地では、保存会の方々に案内してもらって、まず、坑道の中を見学させてもらいました。中は、ゆるやかな下り坂で、20m程進めました。中の気温は、ちょっと進んだだけで、すごくヒンヤリとしていました。両側の壁には、手彫りで掘り進んだ跡が見られました。坑道はその先、下に進んでいるようでしたが、そちらは、雨水がたまっていて進めませんでした。そこで、保存会の方から、壁に見られる鉱石の説明を聞きました。次に、外に戻って、近くの露天掘りの場所で鉱石の採集を行いました。子どもたちは、疑問に思ったことを質問したり、見つけた鉱石を見てもらったりしました。私も、小さな長石を見つけました。残念ながら、石英は見つかるのですが、水晶は…見つけられませんでした。この鉱山跡には、10月に6年生が見学に行く予定です。

95 小中連携授業研究会

 石川町では、先生方の授業力向上のために、小中連携の授業研究会を開催し、お互いに授業を見合い、研修する機会をとっています。今回、本校が会場となり、石川小、沢田小、石川中の先生方が参観にお出でになりました。授業は、第2学年岩渕先生にやっていただきました。教科は、国語科。説明文の単元で、授業を行いました。

 本校を含めると、総勢30名近くの先生方に授業参観していただきました。2年生の子どもたちは、そんなに多くの先生方に囲まれるようにして授業を受けたわけですが、みな、いつも通り、明るく元気に、そして、担任の先生と支援員の先生と一緒に、課題に向けて、最後まで一生懸命、考え、発表し、取り組んでいました。
 授業を終えた後、先生方は、小グループになり、本日の授業について研究協議の話し合いを行いました。そこでは、指導の在り方やワークシートなどの使い方、そして子どもたちの学び等について、様々な御意見をいただきました。その中には、2年生の子どもたちが、昨年度から見違えるほど、成長した姿に驚いたという声が多数聞かれました。それは、担任の先生と子どもたちが、これまで一緒に生活する中で、互いに向き合いながら、築き上げてきた証なのだと思いました。

 今回の授業研究会で、一番大変だったのは、紛れもなく、授業者の先生です。これまで、授業者として、指導案を考え、授業の準備を行い、前日まで計画的に子どもたちを指導してきました。他の人からは分からないところでの努力をされて、当日の授業を迎えたわけです。当日も多くの先生方に参観され、緊張しながら授業したと思います。だから、一番、学ぶことが出来たとも言えます。そして、授業をした者として、研究協議の御意見を聞き、指導助言の先生の話を聞き、きっと誰よりも、実感が伴って、それらを受け止めたに違いありません。

 学校の先生方は、毎日、毎日、多くの授業をしています。だから、自然と自分なりの授業スタイルが出来上がります。それは悪いことではありません。しかし、時々、今回のように誰か他の人に授業を見てもらうのは、すごく大事なのです。それは、教師の授業力は、他の人に見てもらう機会を通して、アップしていくからです。

94 誰にでも優しい社会に

 これからの社会は、障害のある人もない人も、互いに、その人らしさを認め合いながら、共に生きる社会であるべきで、そういう社会を「共生社会」といいます。そういう社会を目指す考え方が、「ノーマライゼーション」です。障害のある人が、障害のない人と同等に生活し、共にいきいきと活動できる社会を目指すということです。

 先日、4年生が手話教室を行いました。講師は、実際に耳が聞こえず、手話を使って生活されているYさん。Yさんの家族は、みな耳が聞こえません。だから、日常生活の中でも、いろいろと工夫されていました。例えば、来客があった時、普通のチャイムは聞こえないので、来客が来たことが分かりません。そこで、チャイムを押すと、部屋の中で、明るく光るライトが設置されていて、それが光って来客を知るようになっています。目覚まし時計も、普通の時計の音では分からないので、枕の下に置いて、時間が来ると振動する時計を使っています。これまでの生活で困ったことは何か、という子どもからの質問には、情報が入ってこないことがあるという答えでした。東日本大震災の時も、Yさんのところには、一体何が起きているのか、何も情報が入らず、大変な思いをされたそうです。また、テレビや映画も、字幕があれば楽しめるのですが、まず、日本の映画は、ほとんど字幕はついていないそうです。だから、外国の映画を見るけれど、これも、吹き替え版には字幕はつかないので、最近、見られる映画が少なくなったそうです。他にも、新型コロナウイルスの影響で、マスクをつけている人が多くなり、それにより、相手の口元が隠れることで、何を言っているのか、分かりづらくなったという話もされていました。

 Yさんの話を聞いて、先程のノーマライゼーションの考え方からすると、今の社会は、まだまだ障害をもっている人には、優しさが足りないと感じました。他にも、よくテレビ番組によっては、字幕放送しているものがありますが、一見、耳が不自由な人のためにあるようですが、話を聞いたら、映像と音声より字幕がずれるために、見ていても内容がうまく伝わらないそうです。

 しかし、逆に、耳が不自由な人とコミュニケーションをとるために、有効な方法を紹介して下さいました。それは、スマホのテレビ電話機能を使ったものでした。そこに電話でつながると、手話通訳者が出てくれて、カメラの映像を通して、手話を通訳してくれたり、逆に、会話を手話に直してくれたりするサービスです。言い換えると、いつも身近に、手話通訳者をつれているようなものだと思いました。これなら、電話回線さえつながれば、いつでも、どこでも、手話を使って相手とコミュニケーションが取れます。素晴らしい仕組みです。ただ、残念なことは、このサービスは、Yさんが住んでいる郡山市に在住の方しか利用できないとのことでした。

 Yさんの話を聞いて、考えました。折角、そのような素晴らしいサービスがあるのだから、どこに住んでいても利用できるようになればいいのにと。テレビや映画の字幕については、私自身、耳が聞こえない人だけでなく、ちょっと耳が遠くなっている人にとっても、字幕があることで、どんな内容かわかり、助かるのになあと思っていました。つまり、障害がある人にとって優しい社会は、障害がない人にとっても、やはり優しい社会なのです。

 まだまだ、障害を持っている人にとって、今の社会はいろいろと問題がたくさんありそうです。そういう問題が早く解決して、障害があろうとなかろうと、誰にでも優しい社会になってほしいと改めて思いました。それにしても、今回印象深かったのは、耳が聞こえないYさんの明るい表情でした。きっと、生活していく中では、大変なことやつらいこともあるに違いありません。しかし、Yさんは終始笑顔を絶やしませんでした。そして、表情も豊かで、何より元気いっぱいでした。そんなYさんを見ていたら、こちらまで元気になる、そんな気がしました。

93 子どもたちへのメッセージ(インプット・アウトプット)

 それは、基本に立ち返ること。学習の基本は、聞くこと。まずは、どんなに難しいと思えることでも、我慢して聞く。私たちの身体は、面白いことに、同時に二つのことは出来ないようにできている。例えば、聞くことに集中していても、ちょっと、頭の中で他のことを考えた瞬間、話が耳に入ってこなくなる。だから、聞く時は、聞くことにだけ、集中する。ちょっとぐらい分からなくても、我慢して我慢して、聞く。聞く。聞く。そうすると、これまた不思議なことに、我慢して聞き続けていくと、不思議と、難しいと思っていた話が、少しずつ分かるようになってくる。少しずつ分かるようになってくると、もっともっと分かるようになってくる。そこまで行くまで、聞いて、聞いて、聞いて、聞く。

 次は、聞いて分かったことを、自分の身体の中から外に出す。分かったことを、言葉で話す。分かったことを、文字に書く。これを、アウトプットという。聞いて分かったことは、インプットという。学習は、聞いてわかったインプットしたことを、言葉や文字で身体から出すアウトプットして、初めて身につく。聞いて分かっただけでは、また、すぐ忘れる。大事なポイントは、アウトプットすること。ノートを取ったり、発表したりするのも、そういう意味がある。繰り返し、言葉で唱える活動には、そういう大事な意味がある。

 最後に、もう一度。やらなければならないことは、ただ、意味もなくやるのではなく、自分にとって、意味あるものにしてほしい、自分のためにも。

92 子どもたちへのメッセージ(どうせやるなら)

 9/29 陸上競技大会に向けて、6年生のみなさんへ。

 どうせやるなら、自分にとって意味あるものにしてほしい。時間と労力をかけただけの、成果を手にしてほしい。成果とは何か。それは、入賞する、しない ではない。入賞できたら、それはそれで素晴らしい。しかし、入賞することが、そもそも目的ではない。目的は、自分の持っている力の全てを出し切り、自己ベスト記録を出せたかどうか。これは、自分への挑戦。戦う相手は、昨日までの自分。毎日の練習を通して、自分の力をどれだけ伸ばせるか である。

 ルーの法則というのがある。自分の力を毎回、同じだけ出し切っても、実は、自分の力は伸ばせない。それは、同じレベルを維持してるだけで、伸ばすことはできない。自分の力を伸ばすために必要なことは、負荷をかけること。苦しくても、ちょっとだけ頑張って、負荷をかける。ちょっとだけ無理をする。そして、次の時も、ちょっとだけ頑張って負荷をかける。その次も、その次も。そうしていくと、その繰り返しで、負荷をかけた分が、いずれ自分の力に変わる。負荷をかけた分だけ、伸びるのだ。それなりの努力をしないで、力を伸ばすことは不可能なのである。そんな都合のいい話はないのである。しかし、それなりの努力を続けたら、必ず、力は伸びる。

 自分が精一杯、本気で、全力で練習に取り組み、本番も、自己ベストを目指し、それなりの結果を出せたら、それでよしである。そういう人は、他の頑張っている人を、賞賛できる。ねたみ、ひがみを口にする者は、自ら本気・全力で取り組んでいない証拠だ。そんな戯言(たわごと)は、気にする必要なし。

 どうせやるなら、自分にとって意味あるものにしたい。

 それは、陸上以外のことでも同じ。私たち人間は、得手不得手がある。得意なこと、苦手なことがある。例えば、学校の教科。国語が得意な人がいれば、算数が得意な人がいる。体育が得意な人がいれば、音楽が得意な人がいる。逆もしかり。理科が苦手な人がいれば、社会が苦手な人がいる。図工が苦手な人がいれば、英語が苦手な人がいる。
 そういうことは、あっても当然。問題ではない。問題なのは、どういう態度で取り組むかと言うこと。得意なことは、得意だから、意欲的に頑張れる。問題は、苦手なこと、苦手だから嫌いなことに、どう向き合うかということ。 
 残念ながら、小学校の教科は、必ずやらなければならない事である。やらずに済ませることは、できない。だから、どうせやらなければならないのだから、自分にとって、意味あるものにしたい。

 では、どうすればよいか。(次号へ続く)

91 子どもたちへのメッセージ(難きは尊し)

 いつ、いかなる時代になっても、大切なことは変わらない。それを「不易」という。私たち人間が、生きていく上で、大切な不易は、「難きは尊し」である。言い換えると、「難しいことこそ、価値がある」ということである。

 難しいこと、例えば、毎日、少しずつでも継続して積み重ねていくこと。つらくても、簡単に止めないこと。苦しくても、簡単に弱音を吐かないこと。うまくいかなくても、他人のせいにしないこと。文句を言わないこと。他人を馬鹿にしないこと。自分はだめだと、決めつけないこと。他の人に流されることなく、自分の信念を貫くこと。始めたことは、最後まで諦めずに、やり続けること。できなくても、簡単に投げ出さないこと。つらく、苦しい時こそ、奥歯を噛みしめて、耐えること。例え、どんな相手だろうと、すごいと思ったら、認めること。頑張っている人の足を引っ張るのでなく、その人を見習い、自分も負けずに努力すること。何事も、自分でよく考え、判断し、決断し、実行し、そして、最後は、自分でちゃんと責任を取ること。他人に甘えないこと。他人に優しくすること。自分に厳しくすること。その日の終わりに、今日の自分を振り返り、明日、自分がすべきことを考えること。すべての人に感謝すること。やってもらって当然と思わないこと。自分がしてもらったら、次は、自分が誰かのために、何かやってあげること。食べ物を口にする時は、感謝の気持ちを持つこと。一度しかない人生を、一瞬一瞬に、本気で、全力で生きること。笑顔で過ごすこと。今やらなければ、と思ったら、すぐに実行すること。自分がやらなければ、と思ったら、すぐに自ら動くこと。今、自分がどういう立場なのか、そして、今、自分は、何をしなければならないのか。常に考えること。

 もし、今日で自分の人生が終わりを迎えるとしても、自分は今まで本気・全力で生きてきた、だから、後悔することは何もない、と言い切れる人生を送りたい。

 これは、ちょっと極端だが、6年生のみなさんには、卒業式当日に、自分は今まで本気・全力で小学校生活を送ってきたから、もう、小学校でやるべきことはない。これからは、中学校で、本気・全力で頑張るだけだ、と堂々と言い切って、ここを卒業していってほしいと思っている。

90 子どもたちへのメッセージ「ある人の言葉より」

 ある人が、次のようなことを言っている。

 プロ野球の投手の中には、打者に打たれた時、二つの気持ちになるという。一つは、投げたボールを後悔する場合。もう一つは、さらに気持ちが燃え上がる場合。その二つの違いは何か。それは、どんな気持ちでそのボールを投げたかの違いだという。何を投げるかあれこれ迷ったあげく、中途半端な気持ちで投げた場合、それが打たれると、心底悔しくて、その後もずるずると気持ちを引きずってしまう。一方、覚悟を決めて、全力で投げ込んだ場合、それを打たれても、逆に、打った打者に尊敬の気持ちが生まれ、よし、次こそは打たれないぞ、とやる気がさらにみなぎってくると言う。

 やはり、中途半端はだめだ。中途半端は、人間を心底腐らせる。また、その人は、こんなことも言っている。

 真に恐いのは失敗することではなく、いい加減にやって成功することだ。

 成功すればいいのではない。また、失敗が本当にだめなのでもない。問題なのは、自分がやるべきことにどれだけ気持ちを入れて、本気・全力で取り組んだか、である。一生懸命取り組んだ結果、失敗しても、それで、何が問題だったのか、次はどうすればよいのかが、はっきりするから、きっとこの後は、いずれうまくいく。そして、何よりも、努力することや最後まで諦めずに頑張ることは大切であると学ぶことができる。しかし、適当に、いい加減にやって失敗したら、そこから何も学ぶことはない。しかし、それよりももっと最悪なのは、適当に、いい加減にやったのに、なんとかうまくいってしまった時だ。そうなると、なんだ、これくらいでなんとかなるのか、と気持ちも緩み、本来、大切な、努力することや、最後まで諦めずに頑張ること等を軽んじて、結果、おごり高ぶった心になってしまう。そして、いずれ、取り返しの付かない失態を引き起こすかもしれない。