学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

149 学習の発表会を終えて

 今回は、平日の開催となりましたが、早朝より多くの方々にお出で頂きまして、感謝申し上げます。17日の予行と比べても、どの学年もさらに磨かれたいい発表ができていたように思います。

〈1年生の発表〉
 大きな声ではっきりと台詞を言ったり、歌を歌ったりできていました。予行の時より、前を向いて演技でき、途中で止まることなく、最後まで続けて発表することができていました。

〈2年生の発表〉
 役割を次々に交代しながら、自分が次に何をやるのか、しっかり確認しながら発表できていました。大きな声で台詞を言ったり、堂々と演技したりすることができました。

〈3年生の発表〉
 国語の俳句発表あり、ダンスあり、合唱・合奏ありとバラエティーに富んだ内容の発表でした。一人一人の声も大きく、見ていて楽しい発表をすることができました。

〈4年生の発表〉
 予行よりも格段に声を出して、発表することができました。スライドを効果的に使って、分かりやすい発表になっていました。歌や踊りも変化があって、よかったです。

〈5年生の発表〉
 はっきりとした話し方で、自分の考えを分かりやすく発表することができました。内容も、資料から分かることや資料について考えたことを、堂々と発表することができました。聞いている人が考えさせられる内容でした。

〈6年生の発表〉
 自分たちで考えた創作劇にチャレンジしたことが素晴らしいです。新しいものを創り出す難しさや楽しさなどを感じることができたと思います。6年生にとって、とてもいい経験になったと思います。予行よりまとまりや真剣さが見られて良かったです。

 20日の発表会後、メールにて多くの発表の感想をいただきました。ありがとうございました。いくつか紹介します。

〈保護者の方々の感想より〉

 とても楽しかったです。みんなで一生懸命やっていて良かったです。
 とてもよかったです。子どもたちがが一生懸命勉強したりまとめた軌跡が見られて、それがとても素晴らしかったです。
 1年生のかわいい姿が見れて、一生懸命発表している姿が見れて、よく頑張っていてほめてあげたいです。
 コロナ禍の中、授業時間の確保と感染予防といった、課題がたくさんある中、楽しい発表、素晴らしい発表を見せていただきました。子どもたちの一生懸命さと、先生方の熱意が伝わってきました。
 いつものように文化祭と一緒に行うより、今回の方が一つ一つ子どもたちの発表や言葉に集中して観ることができたので、とても良かったと思います。
 子どもたちの発表、とても素晴らしかったです。5年生の内容は、良く考えて調べてあると感心しました。6年生も最後の発表、温かい気持ちになりました。鼓笛の演奏も良かったです。
 今年はいろいろな行事が中止になる中、発表会という形で、子どもたちの成長した姿を見ることができ、とても感動いたしました。
 子どもたちの成長を感じ、うるうるとしてしまいました。舞台近くにマイクを設置していただき、子どもたちの声もよく聞こえました。
 短い時間でしたが、発表内容もまとまりがあり、分かりやすく、勉強になりました。
 6年生はいろんな要素があり、楽しかった。最後の言葉がとても感動的だった。近くで鼓笛が見れて迫力があった。
 行事が減ってしまっている状況の中で、開催していただけただけで有り難かったです。6年生は最後でしたが、思い出には残ったと思います。親の方も泣きそうなくらいでした。先生方には感謝ですね。ありがとうございました。
 子どもたちが一生懸命やっていて、とても感動しました。やっぱりいろんな人にその姿を見てほしいと思いました。みんな堂々としていて、普段見れない姿が見れて、とても良かった。最後の6年生の言葉が感動しました。
 このような状況の中、開催してくれました先生方には、感謝ばかりです。ありがとうございました。

148 学習の発表会 金曜日開催!

 火曜日の予行を終えて思ったのは、いろいろな発表があって、見ていて楽しいということです。本番の前に、あまり詳しくは言えないのですが、既に配付済みのプログラムにあるとおり、国語の音読や社会、総合学習の調べ学習、音楽の合唱・合奏があり、算数や体育まであります。さらに、寸劇があり、音読劇があり、本格的な創作劇やスクリーンを使った発表まであります。内容がとてもバラエティで発表のしかたもいろいろと工夫されています。
 次に、その発表に、一生懸命取り組む子どもたちの姿があります。1年生から6年生まで、段階的な野木沢小の子どもたちの育ちと、そこに関わる先生方の指導の様子が感じられます。
 かつて、あるお菓子のコマーシャルに「一粒で2度美味しい」というものがありました。今回の学習の発表会は、わずか20分程度の各学年の発表の中に、いろいろなものがぎゅーっと凝縮されていて、全ての発表をご覧になると、まさに、「一度で6倍楽しめる発表会」と言えるでしょう。どうぞお楽しみに。
 最後に、学校では子どもたちに「練習は本番のように、本番は練習のように」と言っています。練習を練習だからと気を抜いていては、本番もそういう発表になってしまいます。練習でも本番だと思って、本気全力でやることが大事です。そして、金曜日は本番。それでなくとも、本番を迎え、緊張している子どもたち。しかし、本番は、今までの練習のようにやるだけでいいのです。練習でできていないことは、本番でもできないのですから。そこで、お家の方々にお願いです。当日の朝、子どもたちにかける言葉は「練習のように頑張ろう」でお願いします。必要以上に、プレッシャーはかけないでくださいね。

147 校長会研修視察に行って

 先日、浜通りにある震災・原発関連の施設を研修視察してきました。
 2011年3月11日、あれから間もなく10年を迎えようとしています。
“10年一昔”という言葉があるように、東日本大震災、そして、その後の原発事故は、一昔も前の出来事になろうとしています。3年生以下の子どもたちは、生まれる前の出来事。そして、4年生は生まれたばかり、5年生・6年生はかろうじて記憶があるかないか…。あと3年もすると、小学生は誰一人知らない出来事となってしまうわけです。

 今回、見学した施設は次の2カ所です。
「東京電力廃炉資料館」
 この施設は、以前、富岡町にあった原子力発電について紹介する建物だった、東京電力所有の「エネルギー館」を改築して作られました。ちょっと皮肉っぽいのですが、今は、ここで、原子力事故の事実と廃炉に向けた取り組みについて説明しています。しかし、ここを一通り見学すると、東京電力として、今回の事故に対して、どのように考え、どのように責任をとろうとしているか分かるようになっています。

「東日本大震災原子力災害伝承館」
 この施設は、国の国家プロジェクトである「福島イノベーション・コースト構想」により双葉町に建設されました。「福島イノベーション・コースト構想」とは、大震災や原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するためのものです。
 ここでは、建物の名称のとおり、それぞれの災害の記録が細かく残され、そこから福島の未来に向けて、しっかりと継承していくことが目的となっています。先述の施設と似ているようですが、ここは一企業の目線ではなく、幅広い視点から、様々な資料が見られ、これからの福島をどうしていくか、観覧者が考えさせられるものとなっています。

 富岡町と双葉町まで、石川町からは、高速道路等を使っても、2時間ほどかかりました。それでも、こういう施設があることで、今後、何年経とうとも、これらの災害の記憶が、人々から消え去ることなく、次の世代の人たちへつながっていくのだと感じました。

 みなさんも機会がありましたら、訪れてみてはいかがでしょうか。

◆東京電力廃炉資料館(富岡町)
  開館時間 9:30~16:30
  休 館 日 毎月第3日曜日・年末年始
  入 館 料 無料
    人数制限する場合もあるので、事前予約をお勧めします。

◆東日本大震災原子力災害伝承館(双葉町)
  開館時間 9:00~16:30(最終入館)
  休 館 日 毎週火曜日・年末年始
  入 館 料 大人600円、小中高300円

146 マラソン大会

 これ以上ないという秋晴れの下、マラソン大会を行うことができました。昨年は、風が吹いて肌寒い中で実施したようですが、今年は、無風で、しかも太陽まで顔を出してくれたので、マラソンを行うには、最高のコンディションだったと言えます。

 子どもたちは、どんな気持ちでスタートラインに立っていたのでしょうか。体育館で行った開会式で、次のような話をしました。
「いよいよマラソン大会本番です。スタートラインに立ったら、後は、ゴールを目指して走るだけです。途中、どんなにつらくても、どんなに苦しくても、あきらめずに走り続ければ、必ずゴールにたどり着けます。もし、途中でくじけそうになったら、頑張っている自分を、自分で励ましてください。『ぼく、すごい』『わたし、えらい』って。そうして、ゴールを目指し、自己ベスト記録が出せるよう、頑張りましょう。」

 競技は、中学年女子からスタートしました。校庭には、多くの方々が応援に駆けつけてくださいました。そして、校庭を出発する子どもたちや、周回コースを走り終え、校庭に戻ってくる子どもたちに大声援を送ってくださいました。きっと、子どもたちは、その声援に後押しされ、いつも以上に頑張れたと思います。

 走った子どもたちは、全員、完走することができました。マラソンは、自分との戦いです。歩きたい、休みたい、足が痛いなど、走りながら、次々と変わる心と体の状態に、負けず、あきらめず、走り続けるのです。これは、走っている本人しか分からないことです。きっとゴールした時、やり遂げた達成感や満足感を味わったに違いありません。しかし、中には、思うように走れなくて、悔しい気持ちになった人もいたかもしれません。それも、成長する過程において、とても貴重な経験です。

145 母の好きな言葉

 先週11月6日の金曜日の夕方、会津に住む私の母親が亡くなりました。ずっと認知症を患っていて、入院していたのですが、食事をとらなくなり、だんだん呼吸も弱くなってきて、最後は老衰でした。86歳でした。月曜日に通夜、火曜日に告別式を行いました。

 多くの方々が最期に会いに来てくださいました。その中に、一緒に旅行していたお仲間の方々がいて、母との思い出をいろいろと話してくださいました。母は、本当に旅行が好きで、行きたいところがあると、すぐに計画を立て、準備を進めて、そして、必ず行ってしまうのでした。日本全国、ほぼ全県に行っていたのではないでしょうか。昔からたまに会いに行くと、大概、どこどこに行って楽しかった、という話をしていました。他にも、会津語りの会に所属し、語り部として、いろんな方に会津の昔話を語っていました。「康二の学校にも行くよ」と言われていたのを思い出します。以前、LIVEで紹介した赤べこの話は、母から聞かされた話でした。

 そんな母が昔から好きな言葉がありました。その言葉が
「施して報いを願わず、受けて恩を忘れず」
というものです。この言葉は、大隈重信の言葉と言われていますが、江戸時代の儒学者の中根東里の言葉のようです。意味は、「人に何かしてあげても、その御礼を期待してはいけない。しかし、自分が他の人から何かしてもらったら、その御恩を忘れてはいけない。」

 世の中には、損得勘定で物事を考えることがあります。それをしたら損か得か。しかし、そういう物の考え方だけでは、きっと殺伐とした世の中になってしまうでしょう。人の心も同じで、損得だけで人と付き合うことは、温かみのない冷たい人間関係しか築けないのではないでしょうか。そうではなく、人に何かしてあげるのは施しです。施しは一方的な行為です。ボランティアです。ですから、そのお返しは期待しません。やってあげたではなく、やらせていただくのが施しです。だから、施しをさせていただいたことに感謝。それ以上はありません。しかし、逆に自分が誰かに何かしていただいたら、そのことについて感謝し、やっていただいたことを忘れずに、次は、自分が何かさせていただくつもりでいる。そういう関係を築くことは、とても大切なのだと思います。

144 算数・数学ジュニアオリンピック問題

 毎年、小学5年生から中学3年生を対象に、福島県では「算数・数学ジュニアオリンピック」を開催しています。今年は、行われなかったのですが、どんな問題が出題されているか、ちょっと紹介します。

【問題】
 5g、6g、7g、8gの4種類のおもりがたくさんあります。これらのおもりを使って、いろいろな重さを作ります。例えば、5gのおもり1個と6gのおもり2個を使うと、17gの重さを作ることができます。

(1)4種類のおもりは、どの種類のおもりも何個でも使えることとします。その時、作ることができない重さは、全部で何通りあるか求めなさい。

 みなさんは、解けましたか。解答は、次のとおりです。

【解答】
 1gから順番に確かめてもいいのですが、もっとすっきりと解ける方法があるようです。
 まず、重さを下のように並べます。丸数字は、おもり1個で作れる重さです。

  1  ⑥ 11 16 21 26
  2  ⑦ 12 17 22 27
  3  ⑧ 13 18 23 28
  4  9 14 19 24 29
  ⑤ 10 15 20 25 30

 一度重さを作ることができれば、そこから右に並んだ重さは、5gを加えているので作ることができます。9gは作れませんが、14gは作れます。よって、作れる重さを消していくと、残りが作れない重さになります。

  1  ⑥ 11 16 21 26
  2  ⑦ 12 17 22 27
  3  ⑧ 13 18 23 28
  4  9 14 19 24 29
  ⑤ 10 15 20 25 30

 よって、作れない重さは、1g、2g、3g、4g、9g の5通りです。

143 なりたい職業(中学生編)

 福島リビング新聞社で発行している「リビング中学生新聞」に、中学生に聞いた「将来なりたい職業」が紹介されていました。

 男子の部 第1位 動画投稿者
      第2位 プロeスポーツプレイヤー
      第3位 ゲームクリエイター
      第4位 ITエンジニア・プログラマー
      第5位 会社経営者・起業家
      第6位 公務員
          ものづくりエンジニア
          プロスポーツ選手
      第9位 歌手・俳優・声優などの芸能人
      第10位 会社員

 女子の部 第1位 歌手・俳優・声優などの芸能人
      第2位 漫画家・イラストレーター・アニメーター
      第3位 医師
      第4位 看護師
          公務員
      第6位 ショップ店員
      第7位 動画投稿者
      第8位 作家・ライター
      第9位 動物園や水族館の飼育員
      第10位 教師・教員・デザイナー・美容師

 実際に仕事に就いている人たちからのコメントも載っていました。動画投稿者さんは、「編集など一から勉強するなど、大変でしたが、大事なのは『やってみよう!』の精神。みなさんも挑戦してほしい。」。ゲームクリエーターさんは、「プログラミングは理系と思われるかもしれませんが、本当に大切なのは国語や道徳の力。ゲーム業界では、キャラクターデザインを考える人、ゲーム音楽を作る人などチームで制作しているので、コミュニケーション能力や意思を伝える力、倫理観などが求められます。」。イラストレーターさんは、「絵がうまくなるためには、とにかく描き続けること。そして、恥ずかしがらずに人に見せて評価をもらうこと。また、どんな経験でもスキルアップにつながります。好奇心を持って挑戦し、視野を広げてください。」。

 なかなか興味深い話だなと思いました。コンピュータを駆使して一人で行っていそうな仕事も、実際は他の人とコミュニケーションをとりながら進めるわけですから、やはり、働くことは、他の人と関係を作ることなのだと、改めて思いました。イラストを描く仕事も、一見、自分のオリジナルの世界で勝負しているようで、そこにはどんなイラストが求められているのかという、他の人との関わりが存在するわけです。そういう要望に合わせて描く楽しさもあると、イラストレーターさんは言っています。最後に、モデルをされている人は、「運も大きく左右する仕事。チャンスを逃さないように準備しておくこと、人とのご縁を大切にすること、次の仕事につながるように全力で取り組むこと」が必要だと言っています。やはり、何事にも、全力で努力して取り組むことは大事だと言うことです。楽して努力することなく、やれる仕事はないと言うことだと思いました。

142 マラソン試走

 どの学年でも、来週12日のマラソン大会に向けて、試走を行っている。実際に、マラソンコースを走って、タイムを測定するのだ。距離は、低・中・高学年で変わるため、2・4・6年生は、昨年も走っている距離だが、1・3・5年生にとっては、初めての距離になる。マラソンも、以前、陸上で話したことと同じで、今までの自己ベストを出すことが目標になる。そのために、練習段階で、自分はどのくらいのタイムで走れるのか知ることは大事なのだ。
 そして、このマラソン試走は、走れば走るだけタイムを縮める子がいる。1回目走って、もっと自分の力を出せると思った子は、2回目が良くなる。一方、1回目より2回目のタイムが悪くなる子もいる。それは、1回目は、初めてなので、結構頑張って走れるのだが、2回目は、1回目に走って、そのつらさを味わって知っている分、つらくなる前に、無意識でブレーキをかけてしまうのかもしれない。
 だから、マラソンは、自分との戦いなのだ。つらい、苦しい、力を抜くか…いや、もう少しだけ頑張ろう…そういう心の中の駆け引きがある。そうやって、体も心も鍛えられていくのである。

141 学習発表会ではありません、学習の発表会です。

 今年は、例年行っている、野小っ子フェスティバルでの学習発表会とは、大きく異なります。そこで、「学習の発表会」としました。

 1学期末に、保護者の皆様の学校評価アンケートで、2学期の学習発表会をなんとか工夫してやれないだろうか、という御意見を多数いただきました。そこで、当初、秋の学習発表会は中止で考えていましたが、内容や方法を変えた形で、実施することにしました。

 まず、今回の「学習の発表会」は、授業参観の延長と位置づけました。つまり、これまでの授業で取り組んできたことを中心に、多少アレンジを加え、発表形式にして、保護者の皆様に見ていただくことにしました。そして、普通の授業参観ですと、兄弟関係があると、じっくり一つの学年を参観していただくことができません。そこで、今回は、参観していただく発表場所を体育館として、学年ごとに、全ての発表を、全ての保護者の皆様に見ていただけるようにしました。こうすることで、兄弟全員の発表をご覧いただくことができます。

 発表する内容も、前述したとおり、学習で取り組んできたものを発表します。学年によって、国語科、社会科、音楽科、総合学習等、いろいろな内容を発表する予定です。子どもたちが、学年に応じて、どのような学習に取り組んでいるのか、興味深く見ていただけるかと思います。そして、6年生はその集大成ですから、これまでの6年間の総まとめ的な発表になることと思います。

 今回は、子どもたちの係等はありません。発表の番が来るまで、教室で待機して、発表の時だけ体育館で発表し、終わったら、また教室に戻ります。教室では、担任と普通に授業をして過ごします。ちなみに、子どもたち同士の発表を見合う予行は、17日に行います。ですから、20日は、体育館でご覧になるのは、保護者の皆様のみとなります。

 最後に、今年は、コロナの影響で臨時休校の措置となり、その後の授業時数の確保が重要になっています。そういう中での発表になりますので、昨年のような発表会に向けた練習時間を使えない状況であることを御理解いただきたいと思います。それでも、各学年、子どもたち一人一人が、少しでも輝いている姿をご覧いただけるよう、工夫を凝らして、当日の発表に臨みたいと考えています。一学年およそ20分の発表です。保護者の皆様に、野木沢小学校では、1年生から6年生まで、どのように学習に取り組み、どのような子どもたちを育てているか、ありのままの姿をお見せしたいと思います。どうぞ、お時間がありましたら、全ての学年の発表をご覧いただけますよう、お願いいたします。

140 30歳の時

 あれは、教師になって7年目。30歳を迎えた時のことだ。その時、こんなことを考えた。自分が生まれてから30歳までの30年間。実に様々な出来事があり、とてつもなく長かった。それと同じだけの年数を、自分はこれから60歳の定年までの30年間、教師として働き続けるのか、と思ったら、気が遠くなったのだ。なんとも不謹慎な物の考え方だが、そんなことを思ったことを思い出した。それから、25年。振り返ってみれば、やはり、いろいろなことがあったが、それでも55歳を迎えた今、定年までは残り5年。改めて、時間の早さを思い知る。

 それにしても、本当にかわいい子どもたちばかりだ。朝、いつものように校長室にあいさつする時、「校長先生、お誕生日おめでとうございます。」と言ってくれる子どもたち。手作りの折り紙をプレゼントしてくれたり、学年で寄せ書きまでしてくれる子どもたち。朝、読み聞かせに入ったところでは、誕生日の歌まで歌ってくれた。素敵なGo!Go!の誕生日になった。

 さて、私だけでなく、子どもたち一人一人にも誕生日がある。今度は、私が、一人一人に「おめでとう」を言ってあげなければと思った。

139 私の思い出(続き)

 中学1年の夏休み、たまたま本屋で見つけた切り絵の本に興味を持ち、初めて切り絵の作品を作りました。500円切手に描かれていた金剛力士像をモチーフに、四つ切り画用紙大の作品に仕上げました。それから、切り絵の世界にはまっていき、高校では美術部に所属し、大学は卒業論文ではなく、卒業制作で切り絵の作品を何点も制作しました。その時、制作した作品は、「滝」をテーマにした切り絵で、福島県内のいろいろな滝を見に行って、当時はデジカメなどなかったので、何枚もスケッチして、切り絵の作品に仕上げました。今では身近なパソコンが、少しずつ出回ったのが、ちょうど大学時代で、大学に入学した時に、初めてパソコンを買いました。その頃のパソコンは、簡単なプログラムを自分で入力して、ゲームを作って遊ぶことができましたので、プログラムが載っている雑誌を買っては、次々に入力して遊んでいました。ですから、今のゲームがいかにすごいかわかりますし、それにはまってしまうのもうなずけます。

 自然の中で思いっきり遊んだり、漫画を描いたり、工作したり、自分の好きなことをして、夢中で過ごしていた子ども時代。その後の成長過程でも、ずっと続けていたことがあったり、新しく始めたことがあったりと、なかなかバラエティーだなあ、と我ながら思います。それも、その時々で興味があったこと。実に様々なことに手を出していたなあと思います。「あなたの長所短所は何か?」と聞かれた時、「熱しやすく冷めやすいところ」と答えています。自分では、いろいろなことに興味を示し、次々に関心事が変わることは、短所かもしれませんが、それが、結果的には自分の人生を楽しくしているから、それはそれでよしと思っています。そんな人生を歩みながら、実は、明日11月5日で、55歳になります。

 いつ、どんなことに興味を持つかどうかは、本人しか分かりません。それでも、何かしら興味を持ち、やってみようとすることは、自分の可能性を広げることや、自分の人生を豊かにすることにつながっていることも間違いありません。時代は変われども、一度しかない自分の人生を、自分らしく楽しく過ごせたら、それはそれで最高だと思います。そのように、子どもたちにも過ごしてほしいと思っています。

138 私の思い出

 今の子どもたちは、家に帰ってからや休日の日等、どのように過ごしているのでしょうか。そんなことを考えていたら、自分は子どもの頃、どうだったかと振り返ってみたくなりました。

 会津盆地を囲むように山がありますが、その一角の山の麓に、私の家はありました。子どもの頃は、近所の子どもたちが集まって、一緒によく遊びました。ある時、みんなで近くの山の中に探検に行ったことがありました。その時、森の奥に大きな人口の池を発見しました。こんなところになぜ池が?よく見ると、鯉がいっぱい泳いでいました。おそらく、鯉の養殖場みたいなところだったのでしょう。そうとは知らず、みんなで鯉を捕まえて遊んでいたら、怒られました。子どもの頃から、漫画は好きで、よく読んでいましたし、よく真似して描いていました。漫画雑誌の読者コーナーに、応募した漫画が一度掲載されたこともあり、すごくうれしかったことを覚えています。その頃、年賀状は、毎年、ゴム版画で手作りしていました。しばらくして、プリントゴッコなる印刷機械が出来てからは、それで作るのにはまっていました。実家の周りは田んぼだらけで、近くに小川も流れていましたので、田んぼの間の小川に網をかけて、フナやドジョウ、ザリガニなどをとって遊びました。小川で釣りもしました。餌釣りから始まって、毛針、ルアーと何でもやりました。自転車に乗って、家から何時間もかけて釣りにも出かけたこともありました。当時の会津は、今よりも雪が多く、冬になると、スキーで遊びました。東山温泉のところに、昔、ロープウェーがあって、それに乗って、背炙り山までスキーに行きました。行きはロープウェーに乗りますが、帰りは乗らず、山の中の細い道を、友達とつながって、猛スピードで降りていくのが、恒例になっていました。片側が崖という山道だったので、今思い出すとちょっと怖いのですが、先頭の子がバランスを崩して転ぶと、その後続は全員同じように転ぶしかなくて、全員雪まみれになって、みんなで大笑いするという、それが楽しくて毎回やってました。(次回へ)

137 赤べこはがき

 来年の干支は、丑(うし)です。今回、年賀はがきのデザインの一つに、「赤べこ」が登場しました。


 私たち福島県民として、また、会津出身の私にとっても嬉しい限りですが、この「赤べこ」はがきのデザインされた方が、なんと会津出身と新聞で知って、さらに驚くと共に嬉しくなりました。
 このデザインをされた方は、切手デザイナー(こういう職業があるんですね)の中丸ひとみさんです。中丸さんは、会津若松で生まれ、若松市内の高校を卒業後、美術関係の学校に進学し、旧日本郵政公社(今の郵政グループ)に入社されました。そこで、主に記念切手のデザインをされているわけですが、日本郵便のキャラクターである「ぽすくま」の生みの親でもあります。

 年賀はがきのデザインは、例年、担当者が決まっているそうです。しかし、今年は、切手デザイナー全員によるコンペ形式で決めることになったそうです。そこで、中丸さんも参加することになりました。会津に育った中丸さんにとって、赤べこは身近な物で、来年の干支が丑年ということで、真っ先に「赤べこ」を思い浮かべたそうです。そして、赤べこと組み合わせたのが梅と凧。厳しい冬の環境でも花を付ける梅の力強さ、そして、空高く昇る凧で希望を表しているそうです。そこに、疫病退散の赤べこですから、今のコロナ禍の中、この年賀はがきをやりとりする人たちに、勇気と元気を与えてくれそうです。中丸さん自身、赤べこデザインが採用されて喜びと感謝を述べていました。そして、「この絵で福島県民のみなさんが明るい気持ちになり、少しでも元気になる応援ができたらと思います。」とメッセージを寄せています。
 年々、メールによるやりとりが増えてきて、年賀はがきで年賀状を出す人が減ってきているようです。今年は、コロナの影響で、遠方の方々とは正月に会えない人もいるかもしれません。今年は、年賀状で近況報告などする方が増えるかもしれないなあと思いました。

136 「理解ある親」をもつ子はたまらない(「こころの処方箋」より)

 河合隼雄さんの書いた「こころの処方箋」という本を読んだ。河合さんは臨床心理学者である。臨床心理士は、心身の健康問題に取り組む患者を支援する立場である。その河合さんが、読む人に何かしら感じてもらえるような短いお話を55編載せてあるのが本書である。目次を見ると、いきなり、「人の心などわかるはずがない」という題がある。人の心を相手の研究されてきた方が、そう言い切っているところが、なかなか興味深い。それで、一通り見回してみると、?と引っかかった題があった。それは、「『理解ある親』をもつ子はたまらない」。私も一人娘を持つ身、ちょっと内容が気になった。以下、文中から抜粋である。

「(前略)子どもは成長の過程で、成長のカーブが急上昇する時がある。そういう時、子どもは、自分でも抑えきれない不可解な力が湧き上がってくるのを感じる。それを何でもいいからぶっつけてみて、ぶつかった衝撃の中で、自らの存在を確かめてみるようなところがある。そのとき子どもがぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。親の壁にさえぎられ、子どもは自分の力の限界を感じたり、腹を立てたり、くやしい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通じてこそ、子どもは自分というものを知り、現実というものを知るのである。
 いわゆる「理解のある親」というのは、このあたりのことをまったく誤解してしまっているのではなかろうか。子どもたちの力が爆発するとき、その前に立ちはだかる壁になるのではなく、「子どもたちの爆発するのもよくわかる」などと言って、その実は、それをどこかで回避し、自分はうまく衝突を免れようとしているのではなかろうか。壁が急になくなってしまって、子どもたちはいったいどこまで突っ走るといいのか、どこが止まるべき地点かわからなくなる。不安になった子どもは、壁を求めて暴走するより仕方なくなる。(中略)しかし、本当のところ、子どもたちは法律の壁なんかではなく、生きた人間にぶつかりたいのである。(中略)
 厳密に言うなら、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである。理解もしていないのに、どうして理解のあるようなふりをするのだろう。それは自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではなかろうか。(後略)」

 私はこれを読んで、思い出したことがある。私は中学時代、自転車でソロキャンプしながら、一人旅をしたいと考えたことがあった。しかし、それは、親に反対され、断念せざるを得なかった。当時の自分は、うまくいくことしか想像していなかったから、きっと、実際はいろいろな困難な状況を味わうことになったのかもしれない。しかし、その時はそんなふうに冷静に考えられず、ただやりたいことが反対され、できなかったことが悔しかった。子どものやりたいことを尊重し、自由にやらせる子育てもあろう。しかし一方で、親として、駄目なものは駄目と厳しく言い放つ子育てもあるのだと思う。河合さんは、文中で次のようにも言っている。

「すもう取りは、ぶつかり稽古で強くなるという。せっかくぶつかろうとしているのに、胸を貸す先輩が逃げまわってばかりいては、成長の機会を奪ってしまうことになる。もっとも、胸を貸してやるためには、こちらもそれだけの強さをもっていなければならない。子どもに対して壁になれるために、親は自分自身の人生をしっかりと歩んでいなくてはならないのである。」

 子どもの成長にとって、一番のモデルは、やはり親なのだということである。そのモデルである親が、しっかりと人生を歩む姿を見せることが、子どもにとっては、大事なのだということなのだろう。自戒を込めて、受け止めたいと思った。

135 マラソン練習

 マラソンの練習が始まっています。今年のマラソン大会は、11月12日(水)2・3校時の予定です。学年に応じて校庭を何周かしてから、校庭を出て、学校の周辺の道路を一周するコースを走ります。距離は1・2年生が1.2km、3・4年生が1.6km、5・6年生が2.0kmです。
 学校の周辺を回る周回コースを走ってみました。車の行き来が少ない、とても走りやすいコースだと思いました。ただ、アップダウンが激しいです。調べてみたら、校庭が標高246mで、校庭を出たら、すぐに上りです。しばらく行くと、ちょっと下って、また上ります。校庭から400m程行った辺りが一番標高は高く、約260mあります。なんと校庭との差が14m。4階建てのビルぐらいあります。そして、そこから、コースは400mの下り。一気に校庭より少し低い標高245mまで下ります。そして、ここから校庭まで残り200mぐらいですが、最後に学校の前の道路から職員駐車場までの勾配の急な上り坂が待っています。コースの終盤なので、かなりきついと思います。しかし、その坂を上りきれば、ラストスパート。校庭でゴールとなります。
 子どもたちは、朝の時間や休み時間に校庭を走っています。先日行われた全校集会で、次のような話をしました。
「いよいよマラソンの練習が始まりました。このマラソンの練習で大事なのは、途中、歩いたり、止まったりしないで、同じ速さで、最後まで走り続けることです。そして、マラソンの練習はつらくて、苦しいです。でも、そのつらくて、苦しいのを我慢して頑張った分、それは、自分の力になります。その力は、走る力だけでなく、つらくても苦しくても逃げないで頑張るという心も強くしてくれます。みんなで、マラソン練習を頑張りましょう。」
 体育の時間も練習している様子が見られます。長い距離を走るのが苦手な子どもにとっては、大変な練習です。しかし、マラソンも戦う相手は自分です。つらくて苦しくて歩きたいという自分と、もう少し頑張ろうとする自分とが、戦い続けます。そうやって、自分の心が強くなっていくのだと思います。そして、つらくて苦しいマラソンですが、一度、スタートしてしまえば、そこから後は、ゴールに向かって、距離はどんどん短くなっていきます。頑張って前に踏み出している一歩一歩で、間違いなく、ゴールへ近づいていきます。そして、途中でやめなければ、止まらなければ、全員がゴールにたどり着くことができます。それが、マラソンです。
 もうしばらく、練習の日々が続きます。お家でも、頑張っている子どもたちを励ましてください。

134 ラストページまで駆け抜けて

「ラストページまで駆け抜けて」これは、今年の『読書週間』の標語です。今年の読書週間は、10月27日から11月9日です。

 読書推進運動協議会のホームページには、読書週間について、次のような紹介がされています。

 終戦の2年後の1947年(昭和22年)、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているとき、「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と決意をひとつに、出版社、取次会社、書店と公共図書館が力を合わせ、さらに新聞・放送のマスコミ機関の協力のもとに、第1回「読書週間」が開催されました。
 第1回の「読書週間」は11月17日から23日。これは11月16日から1週間にわたって開かれるアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」にならったものです。各地で講演会・図書に関する展示会が開かれ、その反響は大きなものでした。「一週間では惜しい」との声を受け、現在の10月27日から11月9日(文化の日をはさんで2週間)となったのは、第2回からです。
 それから70年以上が過ぎ、「読書週間」は国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民」の国となりました。その一方、物質生活の豊かさに比べ精神生活の低迷が問題視されている昨今、論理的思考の基礎となる読書の重要性は、ますます高まってきています。
 本年の「読書週間」が、みなさん一人ひとりの読書への関心と、読書習慣の確立の契機となることを願ってやみません。
 今年の『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。

 読書週間では、毎年、ポスターを募集しています。2020年のポスターは、これです。

 隣のふくろうが描かれているマークは、読書週間のシンボルマークです。
 その昔、ギリシャ神話の世界で「ふくろう」は、学問・技芸・知恵を司る美貌の女神アテナの使者であり、また、代表的なポリスで文化の中心地アテナイ(アテネ)の聖鳥でもありました。古代のギリシャ人たちは、賢そうな丸い目ですまし顔の「ふくろう」を知恵の象徴として大切にしたといいます。森の奥ふかく、静かに瞑想にふけるこの「ふくろう」の姿こそ、読書週間のシンボルマークとしてもっともふさわしいものと考え、読進協では長い間使用しているそうです。

 本校の図書委員会では、みんなにたくさん本を読んでもらうことを目的に、2学期に読んだ本の冊数やページ数に応じて、多読賞の表彰を行う予定でいます。

 最後に、過日に実施された「石川地区読書感想文コンクール」の結果です。入賞したみなさん、おめでとうございました。なお、地区で推薦だった3年の佐藤愛菜さんの作品は、県読書感想文コンクールで、特選になりました。

 推薦 3年 佐藤愛菜さん 「ねこと王様を読んで」 ※県特選
 特選 2年 黒澤結衣さん 「えんぴつさん、ありがとう」
 特選 5年 二瓶大雅さん 「『こども電車』を読んで」
 入選 1年 佐藤快晴さん 「さすけがおしえてくれたこと」
 入選 4年 佐藤世菜さん 「私も地球のために」
 入選 6年 小松果恋さん 「『転んでも大丈夫、ぼくが義足を作る理由』を読んで」

133 認知症サポーター養成講座

 5年生が、社会福祉士の方を講師に、認知症理解教室を行いました。これは、認知症サポーター養成講座ということで、認知症がどんな病気なのか理解し、認知症の方の気持ちを知り、自分にできることは何かを考える内容の講座でした。今回、野木沢小の講座が、記念すべき第111回目だそうです。

 まず、「認知症でも大丈夫」という劇を見ました。認知症のおばあさんと、その孫のやりとりを劇を見ながら考えました。その後、認知症という病気について、詳しく説明を聞きました。

 認知症は、脳の病気です。80歳以上の4人に1人は認知症だそうです。ですから、身近に認知症の方がいてもおかしくないわけです。認知症になると、ものを覚えたり、理解したり、判断したりすることができなくなります。新しい記憶ができないため、同じ事を繰り返します。劇の中のおばあさんも、医者に行くのは火曜日で、今日は日曜日だから行かないよ、と教えられても、しばらくすると、医者に行くからと言ってしまいます。医者に行くことしか考えられないため、何曜日に行くのが入っていかないわけです。そして、劇の中では、何度も同じ事をしてしまうおばあさんに、孫娘は怒ってしまいます。褒められたことより怒られたことが残るので、おばあさんの元気はどんどんなくなってしまうのでした。

 子どもたちは、劇を見て、自分は認知症の人に、優しくしてあげたい、捜し物は一緒に探してあげたい、優しい言葉をかけてあげたいという感想を持ちました。まとめでは、認知症の人を理解し、否定しないで、受け入れてほしいとお話がありました。

 5年生の子どもたちは、総合学習で、お年寄りや障害者、そして今回の認知症の方の立場になって、気持ちを想像したり、どう関わったらいいのか学習してきました。相手の立場に立つことは、相手理解の基本です。前号でもふれましたが、私たちは、もともと一人一人違うのです。年齢の違い、障害や病気の有無の違いも同じです。自分と違う立場を理解し、自分はどう関わっていけば良いのか、5年生の子どもたちは、いろいろと学ぶことができたと思います。

132 就学時健康診断 子育て講座より

 福島県栄養士会の管理栄養士である吉田かいでさんの講演がありました。演題は「健康と食生活」。食べることがいかに私たちの健康と結びついているか、考えさせられました。

 まず、食事は、朝昼晩の3回食べることが大事だという話でした。特に朝食。驚くことに、朝食を食べないと、肥満になる傾向があるとのことです。理由は、食事をすると、体温が上がり、エネルギーを消費します。3食の内、朝食後のエネルギー消費が一番高いのですが、その朝食をとらないと、その分、昼食や夕食で補わなければなりません。仮に夕食で補ったとしましょう。しかし、夕食後は、朝食後に比べ、エネルギー消費量は低いので、結果、体脂肪を増やすことになってしまうのです。さらに、夜食後はエネルギー消費量が低いので、食べた分、たまってしまうわけです。この夕食や夜食を取り過ぎると、朝、食欲がなく欠食するという、よくないサイクルになってしまうようです。ですから、朝食をしっかり食べる習慣にするといいのです。朝食は多少食べ過ぎたとしても、食後のエネルギー消費量は一番高いので、影響はそれほどないそうです。

 他にも、朝食の大事な役割は、体の目覚ましスイッチであり、お腹の目覚ましスイッチであり、脳の目覚ましスイッチだということ。全てのスイッチが朝食。それから、食事も栄養のバランスを考えること。それには、和食がおすすめ。一汁二菜、一汁三菜と聞いたことがあるかと思います。和食には、脳を守る知恵が備わっているそうです。そして、おやつは4回目の食事として、何をどのように与えるか、考えるのが大事とのこと。

 子どもの体を作っているのは、食べたものであることは間違いありません。子どもの健康を考える時、何を食べさせるかは、大きな問題だと改めて思いました。

131 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」(続き)

 私は、この広告を見て、この「多様性」も注目したのですが、それよりも気になったのが、見出しの問いです。実は、以前、何かの番組で、そのことを紹介していて、それを聞いた時、(なるほどなあ、おもしろいなあ)と思った記憶があり、今回、改めて調べてみました。

 桃太郎のお供が、「犬・猿・雉」である理由は、あの干支の十二支と関係しています。十二支を北から時計回りに並べると、鬼門は北東になります。丑寅の方角です。だから、鬼のイメージは丑の角、寅柄のパンツをはいていますね。そして、その鬼門の方角に「鬼ヶ島」があることになります。次に、その鬼ヶ島に行って鬼を退治するためには、鬼門と反対の方角(裏鬼門)の生き物の力が必要と考えました。北東の反対は、南西です。その方角の干支は未(羊)と申(猿)です。しかし、この羊は角があるため、鬼の角に通じるということで避けられました。よって、猿から順番に3匹、つまり、申(猿)酉(鳥)戌(犬)となりました。よって、桃太郎の話に出ている家来は、「犬・猿・雉」となったというわけです。

 他にも、桃太郎のお供を考えるとき、「智・仁・勇」に、親しみのある動物をあてはめることによって子どもにもわかりやすいお話にしようとした説もあるそうです。「智」は、猿は猿知恵というように知恵がある生き物。「仁」は、犬は3日飼ったら恩を忘れないという仁徳のある生き物。そして、「勇」は、雉は火事の時、自らの羽を巣に覆いかぶせ卵を守ることから勇気がある生き物ということで、この3匹が選ばれました。

 以上の説明は、日本桃太郎会連合会というところで紹介されていました。この会では、桃太郎を学び、全国の桃太郎愛好家の方々と共に地域おこしや、桃太郎のおとぎ話の素晴らしさをより広く伝える活動をしているそうです。

130 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」

 これは、21日付福島民報に掲載されたJTの全面広告の見出しです。以下、その広告の文章です。

「桃太郎がなぜ、犬、猿、キジという一見バラバラの三者を仲間にしたのか。そこには、桃太郎の明確な戦略がありそうです。おそらく桃太郎は、チームに多様性を取り入れ、ある種のケミストリーを起こそうとしたのではないでしょうか。最初は合わないこともあったかもしれません。でも、心を開き、認め合うことができれば、個性の違いはお互いを高め合うきっかけになります。違うから、視野が広がる。発見がある。成長できる。強くなれる。これからの多様性の時代に、私たちが学ぶべきことが、そこにはあるような気がします。違うから、人は人を想う。」

 この広告のキーワードは、「多様性」です。多様性…いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。今、社会的にも、この「多様性」(ダイバーシティー)という言葉を、いろいろな場面で目にするようになりました。昔からも、「生物の多様性」等、使われてきた言葉です。先程の広告の中で使われている「多様性」ですが、要は「一人一人を尊重すること」なのだと思います。つまり、「個人の尊重」です。でも、それは、別に今に始まったことではなく、我が日本国憲法でも、「基本的人権の尊重」として示されていることです。

 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 私たちは元来、一人一人違う存在です。その個々の違いを、これからも尊重して行きましょうということです。そして、その個々の違いを尊重することが、自分たちの社会を、より豊かにしていくということです。まさに、金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」です。(次回へ続く)