学校だより LIVE

1. 127 「優しさは、心を結ぶ」

投稿日時: 2020/10/15 野木沢小-サイト管理者

 私は思うのだが、SNSなどでコメントをする人は、そのほとんどが「匿名」である。結論から言おう。私は、何か意見を言うのなら、きちんと名乗って言うべきだと思っている。なぜなら、そこには、自分の発言に対する責任が伴うからだ。だから、匿名でいう意見は、自分の発言に対して、責任を担っているとは言い難い。逆に言えば、匿名で責任がない発言だから、相手のことを平気で批判したり、傷つくことを言ったりできるのかもしれない。だから、もし、名乗らずに匿名で言うのなら、相手を非難するような内容は言うべきでないと思っている。

 さらに言おう。万が一、自分に対して、誹謗中傷するような内容のコメントがあったとしても、その発信者が匿名で、どこの誰が言っているのかわからないとしたら、そのコメントは、「無視」しても構わないと思っている。匿名で批判する人はずるい。言いたいことがあるなら、自分が誰なのか、名乗って言うべきだ。だから、そんなずるい、自分だけ守られている立場で、勝手に言っていることは、知る必要なしである。どんなに批判しようが、こちらが知らなければ、それは、言われていないことと同じである。それでいいと思っている。しかし、そうだと頭でわかっていても、やはり、自分が批判されていたら、気持ちは穏やかではいられないように思う。

 「明日は我が身」ということわざがある。正式には、「今日は人の上、明日は我が身の上」というようだ。意味は、「今日は人ごとと思っていた災難も、明日は我が身の上に降りかかってくるかもしれない。災難というものは、いつ誰に起こるかわからないものである。」このことわざが、今、一番当てはまることは、新型コロナウイルスの感染者に対する誹謗中傷かもしれない。

 新型コロナウイルスに感染するリスクは、ゼロにはならない。そのことは変わらない。だから、今は感染していないからと言って、この後、自分が絶対に感染しないという保証はない。むしろ、自分もいつか感染するかもしれないと思っていた方がよい。それなのに、新型コロナに感染した人に対して、どうして無責任な誹謗中傷が言えるのか。「明日は我が身」なのである。自分がもし感染したら、今度は、同じような誹謗中傷を、どこかの誰かから受けるのは自分かもしれないのだ。そうなった時、匿名で誹謗中傷してきた人を、果たして批判できるのだろうか、自分のやってきたことをさておいて。(次回へ)