学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

59 鳥の鳴き声

 

 希望ヶ丘は、野小っ子にとって、最高の遊び場です。そして、希望ヶ丘は、野鳥にとって、最高のすみかでもあります。
 4月、ウグイスの鳴き声を皮切りに、その後、実に様々な鳥の鳴き声が聞こえてきました。あまりにも、頻繁に聞こえるので、どんな鳥が鳴いているのか、調べてみたくなりました。
 その結果、一番よく鳴いているのは、「ホトトギス」です。この原稿を書いている今も、外では、「キョキョキョ、キョキョキョ」と鳴いています。特徴的な鳴き声なので、すぐにホトトギスだと分かります。この他にも、カッコウやヒヨドリ、シジュウカラ、メジロなどが鳴いています。鳴き声の主が分かってくると、次は、どんな姿で鳴いているのか、見たくなります。しかし、今だ、鳴き声の主の姿は見られていません。それはそうです。野鳥からすれば、そんな簡単に姿が見られてしまっては、危なくてしかたないからです。思えば、我が家の庭先にも、野鳥は飛んできますが、人の姿を見かけた途端、一斉に飛び立っていきます。そして、また、人の姿が見えなくなると、どこからかまた飛んでくるのです。
 ですから、バードウォッチをされる人は、すごいなあと思うのです。樹木の生い茂った間から、鳴いている野鳥の姿を見つけるのですから。
 話を戻しますが、今まで聞いたことがない鳴き声を聞くと、(あれっ、今の鳴き声は何という鳥だろう)と気になります。それでも、なかなか探し求めている鳴き声の主は分からないのですが。
 福島県の鳥は、キビタキです。同じように他の県の鳥を調べてみると、北海道は丹頂鶴、東京都はユリカモメ、新潟県は朱鷺など。そんな中、静岡県の鳥は、「サンコウチョウ」という鳥です。このサンコウチョウですが、私は一度見てみたいと思っている鳥なのです。


 ご覧のとおり、体長の3倍ぐらいの長さの尾羽をもっています。外見も変わっていますが、その鳴き声にも特徴がある鳥です。その鳴き声は、「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」と鳴くそうです。そして、この鳴き声が、「月・日・星」と聞こえることから、「三光鳥(サンコウチョウ)」と呼ばれています。東南アジアに生息していて、夏鳥として、日本にやってくる渡り鳥です。福島県までやってくることはあるのか、定かではありませんが、もし、チャンスがあれば、一度見てみたいと思っています。
 ちなみに、県の鳥だけなく、市町村の鳥もいて、我が石川町の鳥は、「ウグイス」です。一年中、見られるウグイスですが、俳句では、春の季語になっています。ウグイスは別名「春告げ鳥」と呼ばれています。あの「ホーホケキョ」を聞くと、春が来たことを感じますね。

58 あいさつ考

 お家の方々にちょっと伺いますが、お子さんは、朝、起きてきて、お家の人に「おはようございます。」とあいさつしているでしょうか。そして、もう一つ。お家の方々も、朝起きて、家族に「おはよう。」とあいさつされているでしょうか。

 今、校内では、子どもたちのあいさつについて、先生方で考えています。それは、どのようなあいさつができる子どもにしたいか、ということです。その中で、学校ではあいさつできるが、学校以外ではあいさつできない子が見られる、ということが話にあがりました。おそらく、御家庭や地域の方々からの情報なのだと思います。結論から言うと、やはり、あいさつは、いつでも、どこでも、だれにでも、できるようにしたい。さらに言うと、あいさつは、当たり前にできるようにしたい。

 この当たり前のあいさつを考えた時、先程の質問になりました。どうでしょうか。朝起きたら、「おはよう」とあいさつするのは、極々当たり前のことです。もしかしたら、朝、起きてきても、家の人に「おはよう」をしないお子さんもいるのではないでしょうか。もしかして、お子さんが「おはよう」とあいさつしないお家では、お家の方々も家庭内で「おはよう」を交わしていないということはないでしょうか。

 子どもは環境の中で育ちます。お家の方々自身が、当たり前のように、朝起きたら「おはよう」とあいさつを交わす環境で育ったお子さんは、やはり、当たり前のように、「おはよう」とあいさつする子どもに育つのではないでしょうか。そして、その逆も言えるのではないでしょうか。子どもの手本は、私たち大人なのです。そう考えた時、私たち教師自身も、自分のあいさつはどうなのか、自問自答しなければなりません。そして、その上で、子どもたちにあいさつをどう指導するか、考えなければなりません。

 あいさつは、誰かに言われてやるものではありません。しかし、あいさつをするという習慣は、普段の生活の中で培われるものでありますから、できないのであれば、できるように指導していく必要はあります。私たち人間が、無人島で一人暮らしするのであれば、あいさつは不必要かもしれません。しかし、多くの人と関わりながら、社会の中で生きていくことを考えると、あいさつできることは、必要なスキルになります。たかがあいさつ、されどあいさつです。

57 立場が育てる

 今回の1年生、2年生、3年生が合同で出かけた見学学習では、縦割りの班を作って、3年生がリーダーになって活動を行いました。3年生は普段、学校の中では、上に4年生から6年生までいるので、どちらかというとお世話される方です。しかし、下学年の中では、トップになり、自分たちが下学年のお世話をする立場になります。そういう意味で、今回の見学学習では、3年生の子どもたちにとっては、責任ある立場を任されたことになり、3年生の子どもたちは、みな頑張ろうと張り切って臨んでいました。班のみんなを並ばせたり、一緒に遊んだり、お昼を食べたり、場面ごとに班のみんなに指示を出して、お世話していました。

 立場が子どもを育てます。6年生が、6年生らしくなるのは、ただ単に、学年が6年生になるからではなく、6年生という責任ある立場を任されるからです。班長として、委員長として、学校のトップとして、下級生たちのお世話をするという立場になるからです。そういう立場になるから、覚悟が生まれます。その覚悟が、行動を変えるのです。2年生の子どもたちが、4月に、1年生の時と比べて、見違えるように成長を感じることがあります。今年の2年生もそうでした。これは、今まで一番下だった自分たちの下に、新しく1年生が来るという、自分たちが1年生にとって、お兄さん・お姉さんになるという立場がそうさせるのです。そして、今回の3年生も、同じようなことが言えます。

 3年生の子どもたちは、きっと今まで以上に気も遣い、自分のことだけでなく、下級生のことも考えて行動するのに疲れたに違いありません。しかし、その分、3年生は成長したと言えます。そして、その3年生の頑張った姿を見ていた2年生が、来年、3年生になった時に、今度は自分たちが、下学年のリーダーとして頑張るに違いありません。そうやって、上級生が上級生として、与えられた立場の手本を示し、その姿を見て、下級生が育つ。そうやって、学校の子どもたちは成長していくのです。

56 七夕の話

 集会委員会が企画運営して、七夕集会を行いました。授業時間は使わずに、2時間目の休み時間を使い、20分という短い時間で凝縮した楽しい集会でした。クイズをしたり、歌を歌ったりしました。その中で、各学年の願いが発表されました。今年の願いは次のようなものでした。

 1年 長い5分、短い5分、時間を守りたい。残さずマナーを守ってしっかりと食べたい。
 2年 やさしく素直であきらめない人に成長しますように。相手のことを考えて、笑顔で話を聞く人になりますように。
 3年 1、2年生のお手本になれますように。健太郎先生が幸せになれますように。
 4年 みんなにやさしくて、きりかえできるクラスになれますように
 5年 コロナウイルスが早くおさまりますように。みんなが健康で安全に過ごせますように。
 6年 みんなで仲良く1年間過ごせますように!!

 私は、子どもたちの前で「七夕のお話」をしました。織り姫と彦星の七夕伝説の話です。最後に、天の川にカササギがたくさん飛んできて橋をかけ、そこを渡って二人が会えたという、あのお話です。

 ここでは、それではないお話をしたいと思います。それは、どうして、「七夕」と書いて、「たなばた」と読むのかということです。調べてみると、本来、「七夕」の読みは、そのまま「しちせき」と読んでいました。これは、「七日の夕方」という意味です。では、「たなばた」とは、何だったのか。こちらは、漢字で「棚幡」と書いていました。これは、「お盆にお供えの準備をすること」と言う意味の言葉です。そして、最初の「七夕=しちせき」は、中国の言葉。「棚幡=たなばた」は日本の言葉だったようです。
 この二つの国の言葉に共通するのは、どちらも、7月7日に関係している点です。「七夕」は、年に一度、天の川を挟んで、彦星と織り姫が会える日の伝説のこと。そして、「棚幡」は、旧暦7月7日頃(現在の8月)に、お盆の準備をすること。このお盆の準備を表す言葉に、神様に着物を織ってお供えし、秋の豊作と汚れを祓うという「棚機」と言う言葉もあったようです。これも、読み方は「たなばた」。長い歴史の中で、「七夕=しちせき」と「棚幡=棚機=たなばた」の二つの言葉が合体して、そして、「七夕=たなばた」が出来上がった、というのが諸説ある七夕の由来の一つのようです。

55 行ってきました!修学旅行

 当初、5月29日に予定されていて、その後、9月に変更された修学旅行。しかし、その後、状況の変化に伴い、再度実施を検討して、先週3日、実施することができました。この修学旅行を実施するにあたり、実に多くの方々に御支援、御協力を頂きました。それがなければ、とてもやれなかったと思っています。ですから、今は、修学旅行が実施できて、ほっとしています。さて、実際の修学旅行の様子ですが、ホームページには、子どもたちの様子を写真入りで紹介してありますので、可能でしたら、そちらを是非見ていただければと思います。(「野木沢小学校」で検索すれば見られます。スマホでも見られます。)

 6年生の子どもたちは、この修学旅行に向け、計画的に準備を進めてきました。班を編制し、見学場所や体験場所やコースの計画を立てる話し合いを、何度も持ちました。その中で、メンバーの意見がうまくまとまらず、思うように進まないこともありました。しかし、そういう経験をすることも、この学習の一環でもありました。そのようなことも全て乗り越えて、出かけた会津若松への修学旅行でした。
 最初の見学先でバスを降りてから、子どもたちは、グループで計画したコースに沿って、それぞれスタートしました。順調に、予定どおりに進むグループ。予定どおりにバスが来なくて、あせったグループ。お店に入り、会津名物のソースカツ丼やみそ田楽をおいしくいただくグループ。体験活動で、起き上がり小坊師や赤べこなど、ていねいに絵付けするグループ。中には、手作りパフェの体験をするグループも。それぞれのグループで、何か起きても、自分たちで話し合って問題を解決しながら、活動しました。そして、最後は、予定どおり、全てのグループがゴールの鶴ヶ城に無事たどり着きました。その時の子どもたちは、みな、最高の笑顔でした。
 活動中に、新聞社の取材を受けたグループもありました。質問されたことに、代表児童がしっかりと答え、記者の方も大変感心していました。

 学校に着いてから、私は子どもたちに次のような話をしました。
「今回は、今までと違う修学旅行でした。団体で同じところを回るのでなく、自分たちで行きたいところを決め、自分たちで体験したいことを体験し、自分たちで食べたいものを食べてくる、まさに、自分たちの修学旅行でした。そして、どの班も何が起きても自分たちで話し合って、解決することができました。 私は、今回の修学旅行を、6年生のみなさんのために、是非やりたいと思っていました。ですから、やれてよかったと思っています。しかし、今回、会津に行き、みなさんが会津の町を散策し、体験し、味わい、そして、会津の人とふれ合う様子を見て、私自身、気付くことがありました。

 それは、2班の人たちが体験したパフェ作りのお店の人の話を聞いた時でした。そのお店の人は、「今年、初めての小学生のみなさんでした。だから、来てくれて本当にうれしかったです。」とお話ししていました。会津の町の人たちは、このコロナの影響で、お店もやれない時がありました。だから、今回、みなさんが会津に行ったことで、(ああ、また、以前のように子どもたちが来てくれるかもしれない。)と喜びと希望を持ったに違いありません。そういう意味で、今回、行ってよかったなあと思いました。自分たちがしたことが、だれかの喜びにつながっているとしたら、それは、とてもうれしいことです。みなさんの修学旅行がそういう旅行になり、とてもよかったと思います。
 さて、みなさんの修学旅行は終わりました。また、行きたくてももう行けません。それが、みなさんにとっての小学校生活なのです。今日のような大きな活動のある一日もあれば、特別なことは何もないような平凡な一日もある。しかし、どちらも、みなさんにとってはかけがいのない一日なのです。さあ、来週から、また、みなさんには、野木沢小学校の6年生として、頑張ってもらいます。みなさんに残された小学校生活は、あと151日です。」

 6年生の子どもたちの一人一人のよさと、6年生の子どもたちの持っている力が十分に発揮された、とてもいい修学旅行でした。