野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします
69 友だち考~いろんな子どもがいるんです~(続き)
そして、それでいいとも思います。結論から言うと、友だちはいないよりはいたほうがいい。しかし、たくさんいる必要はない。最低、友だちは一人でいい。友だちと呼べなくても、気が合うような人が一人いれば、それでいいと思っています。学校は集団生活の場です。ですから、集団の中で、実に多くのことを学びます。なぜなら、そこに、不特定多数のいろんな考え方をした友だちがいるからです。自分と違う考え方をする友だちと関わりながら、誰とでも協力できることを学びます。人間だから、気が合う、合わないはあります。しかし、気が合わないから協力しないというのはだめです。そういう人とでも、協力して何か活動することができることは、将来、どんな人がいても、そういう人とうまく付き合いながら、仕事をすることができるということにつながります。社会に出て、仕事に就けば、そういう場面はよくあることだからです。気が合わないから協力できなかったら、仕事を辞めなければなりません。だから、協力できることは大事。しかし、だからと言って、仲良くなる必要はそこにはありません。
しかし、その一人の友だち、もしくは、気が合う人が一人もいないというのは、学校生活を続けていく上で、少しつらい状況になる可能性はあります。考えてみればわかるかと思います。毎日、学校には行きます。しかし、そこで、誰とも楽しい会話ができない、たわいもないことを、もしくは同じ興味関心があることを話題にして、会話する相手が一人も居ないというのは、正直、寂しいです。一人でも平気という子も中にはいます。しかし、それが本心とは思えません。だから、友だちはたくさんはいらない。最低、一人でいい。友だちと呼べなくても、気が合うような人が一人いればいい。それは、べったりの仲良しである必要もないのです。楽しく会話できる関係の人が一人いればいい。それだけで、学校生活は楽しく過ごせると思います。だから、子どもたちの様子を見て、ひとりぼっちの子どもは居ないか、とても気になります。もし、そういう子がいたとしたら、友だちをあせって作る必要はありません。じっくり時間をかけて、もしくはチャンスを伺いながら、近づいてみればいいのです。不思議なもので、「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、気の合う者や似通った者は、自然と寄り集まって、いつの間にか仲良くなるのですから。
68 友だち考~いろんな子どもがいるんです~
「一年生になったら」という歌があります。まど・みちおさんの作詞なんですね。知りませんでした。まどさんは、他にも、「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」なども作詞されている詩人です。詩の作品にもすてきなものがたくさんあります。さて、本題。「一年生になったら」の一番は、次のような歌詞です。みなさん、よくご存じですね。
一年生になったら/一年生になったら/ともだち100人できるかな
100人で食べたいな/富士山の上でおにぎりを
パックン パックン パックンと
1年生になる子どもたちの、わくわくした期待感がつまった、とても楽しい気持ちになる歌です。この歌詞がどうこういうわけではないのです。ただ、この歌詞にあるように、友だちがたくさんできることは、それはそれでいいと思うのですが、学校現場において、それが必ずしも必要かというと、そうではないということを言いたいのです。
いろんな子どもがいます。友だちをどんどん作れる子もいれば、中にはそうではない子もいます。つまり、友だちをたくさんつくることに対して、目に見えないプレッシャーを感じている子もいるということです。子どもたちが、みな、自分から声をかけて、どんどん新しく友だちを作ることはできないと思います。中には、自分から声をかけるのが苦手な子どももいます。そういう子にとっては、「友だち100人」は、絶対無理なこと、自分にはできそうにないことと思っているのではないでしょうか。それなのに、友だちをたくさん作りましょう、と言われたら、もしかしたら、そんな無理なことを目指さなければならない学校に来ること自体、つらいことになる可能性があると思うのです。
私の経験上、友だちがたくさんいると言う子は、意外とそんなにいないようにも思います。(続く)
67 「日常を十七音で」 ~5年生の作品~ Part3
今回が、最後の紹介になります。まずは、日常の風景を題材にした作品です。
にじのした ソフトボールの 大会だ
太陽が みなをみまもる 水あそび
十五夜と 世界のみんな にらめっこ
マスクして コロナウイルス たたかうぞ
日常の生活を題材にすると、スポ少のことやプールのこと、お月見のこと、そして、コロナ対策のことが唱われていました。作った子どもたちが、どんな生活をしているかで、作られる句も変わってくるのですね。
最後は、動物が登場する作品です。
わたり鳥 家にかえるよ うみこえて
水たまり カエルの恋が そよ風と
夜の中 せみのなき声 子守歌
春の空 すずめたちが ふえを吹く
子どもたちの目には、動物たちの行動は、どれも擬人化されて見えるので しょうか。おもしろいです。やはり、生き物と子どもたちの関係は、大人に 比べると、より近い存在なのかもしれませんね。
最後に、子どもたちに真似て、私も一句詠んでみます。
今日もまた 声だけ聞こえる ホトトギス
66 体験活動がもたらすこと
4年生と5年生が、20日にいわきへ出かけました。舟戸海岸で磯遊びをしました。この海岸は、すぐ隣に波立薬師があります。トンネルとトンネルの間にあって、ちょうど入り江のようになっているため、波も穏やかで、干潮時には、岩場に潮だまりができ、磯遊びができるのでした。子どもたちは、夢中になって、海の生き物探しをしていました。子どもたちにとっても、海は魅力的な場所のようでした。かく言う私も、会津生まれのため、子どもの頃は猪苗代湖で湖水浴しかしたことがなく、海は憧れの場所でした。前に話しましたが、小2の時、海で溺れているのですが、それでも、海は大好きでした。ですから、私自身、子どもたちと一緒に、海の生き物探しを楽しみました。2時間あまりの活動でしたが、子どもたちは、いろいろな生き物を見つけました。ウニ、アワビ、ヒトデ、カニ、アメフラシ、小さい魚…。それらを見つける活動を通して、子どもたちは、図鑑などでは分からないことを発見しました。それは、アメフラシの柔らかさやヒトデの堅さ、カニのすばしっこさや岩陰に隠れたカニはなかなか捕まえられないことなど。そういうことは、実際に、体を使って、体験してみないと分からないことでした。また、磯の香りや海水のしょっぱさ、海岸の小石がサンダルに入って痛いことなども、映像で見ても気づけない、実際に自分の五感を通して感じることでした。そういう意味で、やはり、体験活動で学ぶことは大事だと改めて思いました。
これは、他の学年でも言えることで、6年生は、会津の町を歩くことで、会津の町並みや会津の人の生活に触れ、実際に体験することで、起き上がり小法師や赤べこの絵付けの筆の感触を感じ、実際に食すことで、会津の名物の美味しさを味わうことができました。1年~3年の子どもたちも、実際に容器を振って、バターづくりの難しさや楽しさを感じ、直接、餌をあげてみて、動物たちの餌を食べる口の動きや仕草を観察することができました。これらは、教室の机の上では、絶対に理解できない、体験して初めて理解できることなのです。
こういう学びは、本物です。そして、実感が伴うので、より理解されます。きっと、子どもたちは、体験を通して気付いたことや分かったことは、ずっと忘れないと思います。そして、そういう五感を通した学びが、子どもたちの感覚を磨き、人間性も豊かにしてくれるのだと思います。
65 月面着陸
今から51年前の1969年7月20日、アポロ11号で打ち上げられたアームストロングが、人類で初めて月に降り立ちました。これは、とてもすごいことではあるのですが、個人的には、月旅行関連で、これとは別にすごいと思っていることが二つあります。
一つは、その翌年の1970年4月に打ち上げられたアポロ13号の出来事です。そのことは、映画にもなっているので、ご存じの方のいると思います。このアポロ13号は、月面着陸のために打ち上げられましたが、2日後に機械室の酸素タンクの一つが爆発するという事故が発生します。宇宙空間で、機械船の電気と水が不足するという状態になり、ある意味、絶望的な状況になります。しかし、3人のクルーと地上のスタッフは、連絡を取り合いながら、問題を一つ一つ解決していきます。例えば、本来、月面に着陸するための着陸船を、救命ボート代わりに利用することにしました。それは、月面着陸を諦めるということでした。しかし、月面着陸よりも無事に地球に帰還することを第一に考えました。他にも、機械船と着陸船の空気清浄フィルターの形状の違いを、宇宙船の中にあるもので作り替えたり、着陸のために必要な電源を確保するための節電方法を探ったりします。すごいと思うのは、地上の訓練用の機械室を使って、実際にシミュレートをして、最善の方法を探り、その結果を宇宙船に伝えて、危機を乗り切っているところです。こうして、アポロ13号は、無事に地球に帰還しました。この偉業は、「栄光ある失敗」と名付けられました。
二つは、アポロ11号の月面着陸より、およそ100年前の1865年に、ある作家が、月へロケットを飛ばす話を書いていることです。その人物とは、ジュール・ヴェルヌ。作品は、「月世界旅行」です。人間が乗れるような大きさの大砲を、月に向けて打ち上げ、月周回軌道に乗り、月を観察して、また、地球まで帰ってくる話です。宇宙空間では、無重力状態になったり、月は生き物がいない死の世界であることを確認したりと、今では当然の情報が、至る所にちりばめれています。そして、地球への帰還は、海に砲弾が着水して、アメリカの軍艦に救助されるのですが、その救助した軍艦が「サスケハナ号」。なんと、1853年にペリーを乗せて日本に来た黒船です。意外なところで、つながっています。この作品を書いたジュール・ヴェルヌは、他にも、「80日間世界一周」や「海底2万里」、そして、「十五少年漂流記」なども書いています。どれも、はらはらどきどきの冒険譚です。
私たち人類は、未来の世界を空想し、その一つ一つを実現させてきました。携帯電話は、そのいい例です。ですから、今はまだ開発中の、完全なオートドライブの自動車も、いずれできるかもしれません。もしかしたら、タイムマシンも…。