学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

81 体罰等によらない子育て(その3)

 子どもとの関わりのポイントの前に、体罰等をしてしまう背景について、考えてみましょう。
 子育ては、私も経験がありますが、思うようにいかないことの連続です。また、相手が子どもであるという点で、独特な感情が起きてしまいがちです。例えば、自分は一生懸命向き合っているのに…、何度言っても全然分かってくれない…、自分も同じように親にされてきた…、大人として子どもになめられてはいけない…、痛みを伴わないと他人の痛みは分からない…、愛情があれば叩いても分かってくれるはずだ…等など。

 では、そんな思うようにいかない子どもと、体罰等によらないで、どう関わっていけばよいのでしょうか。パンフレットには、7つのポイントが紹介されています。

1 子どもの気持ちや考えに耳を傾けましょう
 子どもは、相手に自分の気持ちや考えを受け止めてもらえたと感じると、気持ちが落ち着いてきます。逆に、受け止めてもらえない状況では、何を言われても素直に聞けません。だから、まずは、何がしたいのか、どういう気持ちなのかを理解し、受け止めることが大事です。そうして、気持ちを落ち着かせてから、子どもに問いかけたり、相談しながら、どうしたらよいか一緒に考えるようにします。

2「言うことを聞かない」にもいろいろあります。
 まず、「イヤだ」というのは、子どもの気持ちです。私たち大人でさえ、「イヤだ」と思うことはあります。ただ、我々大人は、「大人」なので、(イヤだ)と思っても、それを口にしないことがあります。しかし、子どもはイヤなら「イヤだ」と口にするのです。「子ども」だから。だから、そうした感情を持つこと自体は、いけないことではありません。ですから、保護者の気をひきたい、子どもなりの考えがある、言われていることを理解していない、体調がわるい等、言うことを聞かない理由は様々なので、特に重要なことでなければ、今はそれ以上やり合わない…という方法もありです。お互いのために。

3 子どもの成長・発達によっても異なることがあります。
 同じ子どもでも、例えば、1年生と6年生では、できること、できないこと、理解すること、理解できないことなど、すごく差があります。同じようにその子の特質にも差があります。だから、例えきょうだい間でも比べることは意味がないのです。

4 子どもの状況に応じて、身の周りの環境を整えてみましょう
 環境を整えることで、あえて叱らなくてもよい環境は作れます。子どもが困った行動をする場合、子ども自身も困っていることがあるからです。子ども自身に自分でできるようにさせたい場合は、子どもが自力でやれるような、そういう環境作りを工夫してみることです。

5 注意の方向を変えたり、子どものやる気に働きかけてみましょう
 子どもによっては、すぐ気持ちを切り替えるのが難しいお子さんもいます。ですから、時間的に可能なら待つことも一案。私は子育て中、この「待つ」ということが、自分にとっては我慢が必要なことでとても難しかったことを覚えています。それが難しい場合は、場面を切り替えたり、場所を変えたりして、注意の方向を変えてみるとよいです。子どもが楽しく取り組めるのが一番なので、子どもの好きなことややる気が増すような方法を工夫してみるとよいです。

6 肯定文でわかりやすく、時には一緒に、お手本に、
 子どもに伝える時は、大声で怒鳴るよりも、「ここでは歩いてね」など、肯定文で何をすべきかを具体的に、また、穏やかに、より近づいて、落ち着いた声で伝えると、子どもには伝わりやすくなります。命令文ではなく、「一緒におもちゃを片付けよう」と共におこなったり、やり方を示したり、一緒にやりながら教えたりするといいでしょう。

7 良いこと、できていることを具体的に褒めましょう
 子どもの良い態度や行動を褒めることは、子どもにとって嬉しいだけでなく、自己肯定感を育むことになります。特に、結果だけでなく、頑張りを認めることや、今できていることに注目して褒めることが大切です。できて当然、と思ってしまうと、なかなか褒められません。しかし、後々のことを考えると、今できたからといって、次もできるとは限らないものです。できた時にほめないと、結果、次にできなかった時、また叱ることにもなります。できたら、ほめる。そして、子ども自身にそのことを強化してあげる。ならぬことはならぬですが、逆に、いいことはいいのです。

 さて、パンフレットを元に、体罰等によらない子育てについて、述べてきました。ここまで書いていて、私自身、「言うは安し、行うは難し」であることを、改めて噛みしめています。しかし、今年の4月に児童福祉法等の改正がされ、体罰が許されないものとして法定化されました。そういう意味で、子育てに関して、我々大人は、これまで違う、新しい見方・考え方で行っていかなければならないのだと思います。そして、子どもを一人の人格者として、尊重し、寛容さをもって接していくことが大事なのだと思います。
 最後になりますが、子育てに関して、全てお家の方が抱えることはありません。相談窓口はいろいろあります。学校もその一つです。何か困ったことがありましたら、いつでも相談してください。一緒に考えていきましょう。

82 「なりたいなぁ」

 「ねずみの嫁入り」という昔話があります。あるねずみの夫婦が、自分の娘を、世界一強い相手の嫁にしたいと考えました。そして、まず、太陽に相談に行ったら、太陽には「自分は、雲に隠される。雲の方が強い」と言われ、次に、雲に相談に行ったら、「自分は風に飛ばされる。風の方が強い」と言われます。そして、風に相談に行ったら、「自分は土壁は倒せない。土壁の方が強い」と言われ、土壁に相談に行ったら、「自分はねずみに穴を空けられる。ねずみの方が強い」と言われ、結局、最後は、ねずみのところに嫁に出したというお話です。
 このお話と似ている展開の絵本が、学校に寄贈されました。タイトルは「なりたいなぁ」。
 このお話の主人公は、一人の石切職人の若者です。彼はある日、ふと思いました。(毎日、一人で苦労して働いても、だれもほめてくれない。こんな仕事、つまらないなあ。)ある日、お金持ちのパーティーの様子を見て、(あんなお金持ちになりたいなあ)と思いました。すると、不思議なことに、心の底から願ったことが、パッと叶ったのです。気がつくと、若者はお金持ちになっていました。お金持ちの生活に満足していた若者でしたが、ある日、王様が馬車に乗っているのを見て、(王様になりたいなあ)と思いました。すると、今度は、気がつくと王様になっていました。
 こんな感じで、(なりたいなぁ)と思ったものに、次々になれていく若者ですが、王様の後は、太陽、雲、風と変わっていきます。あれ?なんか似ているなあと思ったら、前述の「ねずみの嫁入り」と似ています。しかし、風の後は違っていて、土壁ではなく、山。そして、山の次が石切職人なのです。
 そして、若者は気付きます。石切職人が切り出した石を使って作られた水飲み場や広場で、子どもたちや大人たちが、とても楽しそうに過ごしていることに。そして、心から思うのでした。(ああ、やっぱり、石切職人が一番だ。)石切職人に戻った若者は、その後、一生懸命、自分の仕事をするのでした。
 この絵本のテーマは、「ほんとうの幸せは、あなたの心の中にある。」自分が本来持っている力は、なかなか気付きにくいものです。それより、他の人がもっているものに目がいきがちです。しかし、自分と向き合い、自分のよさを自覚した時、人は本当の幸せを手に入れることができるのかもしれません。そういうことを、優しく教えてくれる素敵な絵本でした。

83 ふと疑問に思ったこと

 「泳ぐ」指導は、かなり細かいところまで、泳ぐ技術を教えるのに、「走る」指導は、走る技術について、あまり教えていないように思うのだが、なぜだろう・・・

 学習指導要領解説体育編を見ると、陸上運動系の目標や内容も、「走る」「跳ぶ」ことの楽しさ喜びを味わうことをねらっていることがわかる。しかし、それは、いろいろな場の工夫や走り方など、内容を変化させて、楽しさを感じさせようとするものばかりで、肝心の「速く走る技術」の指導については、ほとんど触れていない。これでは、「正しい走り方」を身につけることは難しいと感じた。私は、走ることの楽しさは、「速く走れるようになる」ことだと思う。そのためには、速く走るための技術を身につけさせることが必要だ。「走る」という動きは、身体をどう動かせば良いのか、その指導である。

 子どもたちは、生まれて、寝返りし、ハイハイし、つかまり立ちし、一人歩きし、そして、いつのまにか走ることができるようになる。その過程で、もしかしたら、それらの動きを教えてもらって身につけるものはないのかもしれない。全て、自然と身につけていくのかもしれない。そう考えると、「走り方」も、誰に教わったのでもなく、自然と身につけた走り方を、子どもたちはしているに違いない。

 しかし、改めて思うことは、子どもたちが自然と身につけた「走り方」は、必ずしも、「正しい走り方」でないように思う。そして、もし、正しくない走り方を身につけた子どもは、どこかで、その走り方について指導を受けなければ、そのまま、ずっと「正しくない走り方」「速くならない走り方」で走り続け、結果、いつまでも、速く走ることができず、走ることの楽しさを味わうことも難しく、逆に、走ることへの抵抗、さらには、運動することへの拒否にもつながりかねない。

 そして、一番大事だと思うことは、「走ること」が他のあらゆる運動の基礎になっている点だ。ほとんどの運動には、走る技術が求められる。そう考えると、やはり、この「走り方」に関する指導を考えなければ、総合的な視点からも、体力の向上は臨めないし、逆に、この走り方の指導をしっかりと行うことで、体力の向上は臨めるのではないか、と思う。

 この「走り方」の指導においては、数時間やれば効果が出るとは思えない。これは、毎回、運動する時には、必ず短時間反復して、子どもたち自身が、走る時、常に、意識して走ることが大事だと思う。当然、すぐに身につけることは難しいと思う。だが、これも指導の継続で、結果的には実を結ぶものだと考える。

 「走り方」の指導について、これから先生方と考えていきたいと思う。

84 子どもは、生活の中で、関わりながら、育つ

 野小っ子クラブに続いて、いよいよ野木沢子ども教室がスタートしました。野小っ子クラブは、全学年が対象ですが、野木沢子ども教室は、1年生から3年生で構成されています。ですから、きっと、まだ子ども教室に行きたいなあと思っている4年生もいるのではないかと思います。子ども教室では、3年生がリーダーとなります。以前、校内でも1~3年生で見学学習に出かけた時、3年生の子どもたちは、自分たちがリーダーなのだと自覚し、はりきって、下学年の子どもたちのお世話を頑張りました。今回、子ども教室の開講式に集まってきた3年生の子どもたちの様子を見て、子ども教室の先生方は「2年生の時より、すごく大人になっていて驚きました」とおっしゃていました。3年生になって、5ヶ月足らずですが、その間に、とても成長してきた証です。

 これは、3年生に限った話ではありません。先日、1年生の女の子が、校庭で鼻血を出したことがありました。暑さに少しのぼせたようでした。その時、その1年生のお世話をしてくれたのは、近くにいた2年生の女の子たちでした。一生懸命介抱してくれたそうです。きっとお世話になった1年生の子は、どんなにか頼もしかったに違いありません。そして、おそらく、自分が上級生になったら、自分がされたように、下級生に優しく接することでしょう。

 4年生の子どもたちは、朝も休み時間も、ほとんど外に出て、走り回って遊んでいます。校長室に毎日、元気に遊ぶ声が響いてきます。窓から、その様子を見ることもできます。時にはちょっとした言い争いみたいなやりとりも聞こえてきます。誰かを注意し合う声も聞こえる時があります。それでも、しばらくすると、また、みんなで仲良く遊びだしています。きっと、何か問題が起きて、それをなんとか解決しているのでしょう。3年生だった去年も、やはり遊びの中で、いろいろとトラブルは起きていたようですが、4年生になったら、自分たちで解決できるようになってきたということです。4年生の子どもたちは、遊びの中で、自然とそういう力を身につけています。(次回へ)                        

85 子どもは、生活の中で、関わりながら、育つ(続き)

 子どもは、生活の中で、関わりながら、育ちます。自分たちがリーダーだから頑張ろうと、意欲的になることもそうですし、具合がわるい下級生を見かけて、相手を思い、お世話することもそうです。そして、問題が起きた時に、自分たちで解決することもそうです。

 PTA全体会でもお話ししましたが、関わりの中には、けんかや言い争いなどもあります。そもそも、お互いの思いが違う者同士が、一緒に生活をするのですから、そうなるのも当然です。大事なのは、そうなった時に、どう解決したらよいか、ということを身につけることです。それには、お互いの主張がぶつかるので、お互い、イヤな思いもするかもしれません。その上で、相手の思いを知り、自分の思いとの違いを知り、我慢したり、折り合いをつけたりしながら、お互いにうまくいく方法を探り、解決していくのです。そういう経験が大事なのです。そこに、大人が余計なことを言って、その場を解決しても、子どもにとっては、何の成長にもつながりません。大人として、相談にのることはできます。それでも、最後は、どうしたらよいか、自分で判断させることが大事なのです。子ども自身が、自分で解決して、初めて身につけることができるからです。それが、生きる力になるのだと思います。

 テレビで、車の事故を起こして、逃げていった運転手のニュースを見ました。事故を起こして、パニックになったのかもしれません。怖くなったのかもしれません。しかし、逃げてはいけません。自分のやったことを正直にわびて、相手と話し合わなければなりません。でも、もしかしたら、この運転手は、これまでも、問題が起きたら、その場から逃げていたのかもしれません。どうやって問題を解決したらよいか、その方法を身につけてこなかったのかもしれません。生きる力を育ててこなかったということでしょうか。すると、それは、誰の責任なのでしょうか。考えさせられるニュースでした。

 中国のことわざに、「魚を与えれば、一日の飢えはしのげるが、魚の捕り方を教えれば、一生食べていける」というものがあります。私たち大人が、子どもにしてあげられるのは、私たち大人がいなくても、自分で問題から逃げずに解決する力、自力で生きていける力なのだと、改めて思いました。そして、そういう力は、子どもたちは、生活の中で、関わりながら、身につけていくのです。