学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

199 今年の運動会

 令和3年度がスタートして一週間。4月も半ばになろうとしていますが、先生方の会議は、これまで3回も行われています。その中で、今年の学校行事の取り組み方なども話し合われています。
 その一つが、「運動会」です。
 今年の運動会は、今のところ、5月15日(土)に実施する予定です。期日は、コロナ前に戻るような形ですが、実施内容・方法は、基本、昨年度の内容・方法に準ずる形で行うことになります。理由は、感染状況等は、昨年度と変わっていないからです。ですから、内容は厳選し、子どもたちの種目のみとし、時間も午前中で終了するようになります。
 実際は、まだ一ヶ月も先なのですが、体育の授業等では、50メートル走やトラック走を行って、リレーの選手を選考したり、種目を考えたりと、運動会に向けて動き出しています。
 運動会は、体育的行事と言われます。その名の通り、普段の体育の授業の延長線上に運動会があることになります。ですから、体育の授業で、整列したり走ったりする活動が、全て運動会で披露する姿につながっているわけです。
 子どもたちの中には、運動会が楽しみという子がいます。毎年、入賞しているような子どもにとっては、楽しみで仕方ないと思います。しかし、子どもたちの中には、運動が苦手という子どももいます。そういう子どもにとっては、運動会やマラソン大会などは、あまり気持ちが乗らない行事になっているかもしれません。
 しかし、先程言いましたように、運動会もマラソン大会も、普段の授業の延長。体育の授業で取り組んできた成果を発表する場と考えます。だから、入賞することだけが運動会やマラソン大会の目的ではないということです。それよりも、一つ一つの運動に、自分がどれだけ本気・全力で取り組めたかが大事です。入賞は、あくまで結果でしかありません。
 ですから、保護者のみなさんにお願いしたいのは、子どもたちに「運動会で入賞すること」のプレッシャーをかけないでいただきたい。それよりも、最後まで本気・全力で取り組む、かっこいい姿を楽しみにしてほしいと思います。しかし、それでも、入賞できたら、うれしいものです。ですから、走るのが苦手な子どもも運がよければ入賞できるかもしれない、そんな「チャンス走」を、先生方には考えてもらいます。

198 思いやりの会

 新入生を迎える会が、6年生の企画運営で行われました。まず、新年度がスタートして一週間という、とても慌ただしいこの時期に、6年生の子どもたちは、会の準備をするのは、とても大変だったと思いました。でも、その6年生のお陰で、とても温かい、思いやりにあふれた会になりました。

 1年生の子どもたちは、7名。一方、2年生から6年生までは79名。1年生の子どもたちにとっては、ほとんど知らないお兄さん、お姉さんに囲まれて、きっととてもドキドキしていたことでしょう。それでも、会が始まり、1年生へのインタビューでは、名前や好きなことの発表を、自分で描いた絵を見せながら、全員がしっかりと行うことができました。あんなに大勢の前でお話をするのは、とても緊張して大変だったと思います。1年生の子どもたちは、みな頑張りました。

 その後、6年生とゲーム対決をしたり、みんなで○×クイズや、からだジャンケンをしたりして楽しみました。最後は、みんなで校歌を歌って、会は終わりました。

 会の中では、ゲームをして頑張っている人たちへ、大きな声援を送ったり、最後までジャンケンで勝ち残った人たちへ、大きな拍手を送ったりと、会場にいる子どもたちの優しさが至る所で見られました。また、ジャンケンに途中で負けてしまった1年生に対して、そっと寄り添って慰めている6年生の姿も見られました。

 校長の話の中で、子どもたちに「思いやり」について、次のような話しました。

 「思いやりとは、相手に優しく接する気持ちのことですが、他の言い方をすると、『相手の立場に立って考える』ことです。自分が、もし相手だったら、どんな気持ちになるか考えるということです。
 
 1年生は、初めての小学校の生活が始まったばかりで、まだ、よく分からないことだらけで、毎日が不安かもしれません。2年生のみなさんは、去年の自分を思い出してみてください。みなさんも、いろいろと不安があったでしょう。他のみなさんもそうだったかもしれません。今の1年生も同じです。
 
 ですから、2年生から6年生のみなさんが、1年生の立場になって、1年生の気持ちを考えて、1年生に接してくれたら、きっと、1年生のみなさんは、早く学校生活に慣れて、安心して楽しく過ごせると思います。」

 そんなお話でしたが、結果的には、そんなことは、子どもたちには言わずもがなでした。みんなで、1年生を温かく包み込むような、迎える会になりました。これで、1年生の子どもたちにとっては、学校が、また少し楽しいところになったのではないかなと思いました。

197 なぜ、学校に来るのでしょうか

 4月6日にスタートした令和3年度ですが、子どもたちは、毎日、当たり前のように学校に登校してきます。学校としては、それはとても有り難いことです。しかし、子どもたち自身は、おそらく、いろいろな思いで登校してくるのではないでしょうか。そう考えると、毎日、子どもたちを送り出していただき、保護者の皆様には感謝です。

 なぜ、子どもたちは、学校に来るのか考えてみました。小学校と中学校は、義務教育。義務だから、行かなければならない?実は、この義務教育は、憲法では次のように定められています。

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。(日本国憲法第26条第2項)

 つまり、法律で言うところの義務教育の「義務」とは、子どもが行かなければならない義務ではなく、保護者に、自分の子どもに対して「教育を受けさせる義務」がある、というものです。

 では、子どもたち自身には、何かないのかというと、先程の日本国憲法第26条の第1項に次のような文言があるのです。

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 また、「子どもの権利条約」にも同じようにあります。

  すべての子どもは、教育を受ける権利をもっています。国は、すべての子どもが小学校に行けるようにしなければなりません。さらに上の学校に進みたいときには、みんなにチャンスが与えられなければなりません。学校のきまりは、子どもの尊厳が守られるという考え方からはずれるものであってはなりません。

 「教育を受ける権利」があるから、子どもたちは学校に来るのでしょうか。そんな堅い理由ではなく、子どもたちが学校に来るのは、そこが行きたいところだからではないでしょうか。昨年、臨時休校が開けた時、やっと友達と会えることを楽しみにしていたという声を聞きました。

 学校に行けば、友達に会える。一緒に遊べる。そういう理由でいいのです。また、美味しい給食が食べられるでもいいのです。私たち教師としては、そこに、授業が楽しい、分からないことが分かってうれしい、できないことができてうれしい、自分のお話をみんなが聞いてくれてうれしい、みんなで考えて学習するのが楽しい、という理由が生まれてくれることを目指したいのです。

 子どもたちは、日々成長していきます。私たちは、そんな子どもたちの一人一人に向き合って、その成長を共に感じていきたいと思っています。

196 令和3年度スタート!

 令和3年度がスタートするにあたり、今日4月6日、全校児童86名、全員が登校できたのが最高にうれしい出来事でした。そして、7名のかわいい1年生も、元気に入学してきました。

 昨年度末、23名の卒業生が卒業していき、6名の先生方とお別れして、改めて分かったことがありました。それは、同じ子どもたち、そして、同じ先生方で学校の教育が営まれるのは、一年限りだということです。言ってしまえば、当たり前のことですが、そのことを再確認したのです。年度内は、目の前の子どもたちと向き合い、日々、子どもたちのことを話し合い、協力し合って過ごしている先生方。だから、どこかで、このままずっと、いつまでも一緒に働けると思っているのかもしれません。しかし、現実は、6年生は卒業して行きますし、先生方の何人かとはお別れしなければならないのです。その時になって、悲しくもあり、寂しくもあるのですが、考えてみれば、学校では、こういうことを毎年毎年、当然のように繰り返しているのです。

 だから、今年、巡り合って、この野木沢小で出会う子どもたちと保護者のみなさん、そして、このメンバーの先生方で共に同じ時間を共有し、共に過ごすことができるのは、今年一年だけなのです。だから、まずは、この出会いに感謝したいと思います。そして、折角出会うことができたのですから、これから共に過ごせる日々を、大切に過ごしていきたいと思います。

 そして、今年は、偶然にも、全ての学年において、担任の先生が新しく変わりました。昨年から継続の先生方も、持ち上がりはありませんでした。ですから、全ての学年において、明日から、新しい担任の先生と学級づくりが始まります。学級づくりは、担任の先生だけで行うものではなく、担任の先生と学級の子どもたちが協働で行うものです。是非、それぞれの学年で、自分たちらしい、素敵な学級を作っていってほしいと思います。

195 愛別離苦

 四字熟語に「四苦八苦する」というと言葉があります。意味は、状況がとても辛い、切羽詰まった様子を表します。実は、この「四苦八苦」という言葉は、もともと仏教の教えです。本来、四苦八苦とは、人が生きる上で避けては通れない「八つの苦」を表しています。
 まず、四苦とは「生老病死」の苦のことです。

「生苦」・・・人は生まれる場所、条件を選べません。
「老苦」・・・人は必ず歳を取り、老います。
「病苦」・・・そして病気にもなります。
「死苦」・・・やがて寿命がくれば、みな死に至ります。

この四つが人間の根源的な苦しみであると、教えています。そして八苦とは、この四苦にさらに次の四つを追加して八苦となります。

「愛別離苦(あいべつりく)」・・・大切な人や大好きな人であっても、いつかは離れなければならない苦しみ。
「怨憎会苦(おんぞうえく)」・・・逆に大嫌いな人、顔も見たくない人でも出会ってしまう苦しみ。
「求不得苦(ぐふとっく)」・・・求めるモノゴトが手に入らない苦しみ。
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」・・・自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。

 今回の離任式は、まさに「愛別離苦」です。今まで、大変お世話になった先生方と、まだ別れがたく、まだ一緒にいたいのに、お別れしなければならない苦しみ。考え方によっては、卒業式だって、「愛別離苦」と言えるでしょう。しかし、私たち人間は、この仏教の「四苦八苦」の教えの通り、みないずれ、いつかは、誰とも、別れなければならない運命にあります。別れを知らないまま、一生を終えることはできないのです。それは、変えることができません。だからこそ、出会った運命に感謝し、一緒に過ごせる日々を大切にして、そして、お別れの時に、出会ってくれたこと、一緒に過ごせたことに、感謝しなければならないのだと思います。そして、きちんとお別れすることで、一つの区切りをつけ、また、新たな出会いに向かうのだと思います。今回、お別れする方々も、また私たちと同じように、この別れを一つの区切りとして、4月から、新しい場所で、新しい出会いを迎え、また、そこで新たな生活をスタートさせるのです。
 「愛別離苦」。この苦しみを乗り越える度に、私たち人間は、また、一つ成長できるのだと思います。
 昨年度は、3月に感染症拡大防止のために、臨時休校措置をとり、また、集団での接触を避けるため、離任式等をやれなかった学校がたくさんありました。きちんとお別れする機会がなかったわけです。私自身、前任校は離任式が行えず、お世話になった子どもたちときちんとお別れすることができませんでした。そのことは、本当に残念でなりませんでした。そういう意味で、今年度は、離任式を行って、きちんとお別れすることができたことはよかったと思っています。