学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

29 野口英世語録 (その2)

「人は能力だけではこの世に立つことはできない。能力と共に徳義を持つことが必要である。」

・「徳義」とは、人として守るべき道徳上の義務のことです。前述した「正直」とも通じると思います。例え、どんなに素晴らしい能力をもって、他の人ができないことができたとしても、徳義なく、他の人から尊敬されないような人は、やはり世の中から認められないということでしょう。 

「人の一生の幸せも、災いも自分から作るもの、周りの人間も、周りの状況も、自分が作り出した影と知るべきである。」

・なかなか深い意味の言葉です。私たちは、生きていて、思うようにうまくいかないと、他人のせいにしてしまうことがあります。中には、自分が損をしたと感じると、腹を立てて怒る人もいる。そして、そういう人に限って、そういう状況は、自分でそうしているのだということに気づいていません。人生は、自分一人で、脚本も演出も、そして主役も演じるライブです。だから、自分の見方、考え方一つで、いくらでもいいライブ、楽しいライブにすることができます。そして、自分以外の人は、その自分が主役のライブに登場してくれた脇役のみなさんなのです。だから、例え、うまくいかなくてつまらないことがあっても、それを脇役のせいにしてはいけません。うまくいかなくてつまらないのは、脚本も演出も主役も行っている自分自身が、そういうつまらないライブにしているのですから。

 

 言葉は、その人自身を表す、と言われます。英世が発した言葉の数々は、英世の生き様を表しています。私も、文字としての意味だけでなく、その奥にある真意をしっかりと感じて、言葉を発していきたいと思いました。

28 野口英世語録(その1)

 前回に引き続き、今回も野口英世関連の内容です。前回、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」「忍耐」などの、野口英世にまつわる言葉を紹介しましたが、調べてみると、野口英世はいろいろな言葉を残しているようで、気になったいくつかを紹介します。

「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」
・忍耐について、このようなことを言っています。確かに、耐え忍ぶのは、つらいことです。まさに今、いろいろと耐え忍ばなければならない日々が続いています。しかし、このつらい日々が過ぎれば、きっといい結果が待っているはず。そう信じて、頑張りたいと思います。

「目的 正直 忍耐」
・これは、英世が日本に一時帰国した際、猪苗代にある母校の翁島尋常小学校で講演を行い、その時、黒板に記した文字です。英世自身が、自分の経験を通して、子どもたちに伝えたい言葉が、この3つに表れているのだと思います。自  分の夢を叶えるためには、目的を持ち、それに向かって努力し続けることです。時には、耐え忍ぶ場面もあります。そして、何事も自分に正直に生きることが大事だと、英世は言いたいのだと思います。

「正直であることが最高の手段だ。」
・「正直」とは、「心がまっすぐで言動に偽りのない」状態ですから、その反対は、「嘘や偽りに満ちた心と言動」で「虚偽」となります。人間は弱い生き物なので、時に嘘やごまかしに負けてしまうことがあります。しかし、それでも嘘偽りなく、正直に生きようとする健気さもあります。それこそが、人間の尊さです。子どもたちには、素直で正直に生きることの尊さを感じてほしいと思います。

「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。」
・英世の一生をふり返ってみると、まさに、この言葉に凝縮された人生だったと思います。医者になりたいと願い、その実現に向けて、必死に努力し、世界中の病気の研究に没頭し、その結果、世界中の多くの人たちの命を救ってきた。人としての最高の幸せを手にしたのだと思います。(次回へ続く)

27 未来は変えられる (その2)

 文部省唱歌「野口英世」。こんな歌詞の歌です。

   一 磐梯山の動かない/姿にも似たその心/
     苦しいことがおこっても/貫きとげた強い人
 二 やさしく母をいたわって/昔の師をばうやまって/
     医学の道をふみきわめ/世界にその名をあげた人
 三 波路も遠いアフリカに/日本のほまれ輝かし/
     人の命すくおうと/じぶんは命すてた人

 英世博士のお墓は、アメリカのニューヨークにあるウッドローン墓地にあります。その墓碑には、「科学への貢献を通して、人類のために生き、亡くなった。」と刻まれています。

 英世博士の生家は、猪苗代町の野口英世記念館の一角にあります。火傷したいろりもあります。その家の柱には、医者になることを決意して、上京するにあたり、思いを刻んだ跡が残っています。そこに刻まれた言葉が「志を得ざれば再び此の地を踏まず」です。自分の願い(医師になる)が叶うまで、ここには戻らないという、強い気持ちが込められた言葉です。先程の歌詞の中にも「苦しいことがおこっても、貫きとげた」とあります。これが、前述の内堀知事も言っている「あきらめない」心です。

 来週から短縮ではありますが、毎日、全校生が登校になりました。そして、6月からは、通常日課での学校生活が再スタートです。感染症対策に気をつけながらの日々は続きますが、それでも、子どもたちの健やかな成長のために、「あきらめずに」教育活動を進めていきます。

26 未来は変えられる (その1)

 20日付福島民報に、次のような、内堀県知事のコメントが掲載されました。

福島県知事 内堀雅雄

 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大により、日本中、世界中が前例のない困難に直面していますが、そんな時だからこそ、思い返したい言葉があります。

「私たちに変えられることが二つある。一つは自分自身。もう一つは未来だ」

 これは、本県が生んだ世界的医学者、野口英世博士の言葉です。博士は、貧しい農家に生まれ、幼少時には左手に大やけどを負うという過酷な境遇にありながらも、不断の努力で逆境を乗り越え、自らの未来を切り拓かれました。

 細菌という目に見えない敵と対峙し、気の遠くなるような数の実験を繰り返された野口博士。そんな博士の座右の銘は「忍耐」でした。博士の考える忍耐とは、単に耐え忍ぶというものではなく、夢や未来に向かって「あきらめない」との強い思いが込められていたそうです。

 現在の私たちも、幼少期の博士と同様、二重、三重の困難に見舞われています。しかし、博士が体現されたように、私たち一人一人が、「現状を変えたい」という強い思いを抱き、共に力を合わせれば、必ずやこの困難を乗り越えることができると、私は確信しています。

「未来をあきらめない」「未来は変えられる」

 先人の言葉を胸に、全県一丸となって、感染拡大の防止に取り組みましょう。自分自身の未来のために、そして自分の大切な人の未来のために。

 会津若松出身の私にとって、野口英世博士はやはり地元のすごい偉人です。若松市内には英世博士と関連のある場所がいくつかあります。かつての旧市民会館(現会津稽古堂)の前には、大きな英世博士の銅像が建っていて、そこにも「忍耐」の文字が刻まれていました。生誕百年のお祝いでは、当時小学生だった私は、若松市内の各学校から集められた代表児童にまざり、唱歌「野口英世」を歌った記憶があります。

 

25 人間の究極の幸せ

 チョークを作っている会社で、「日本理化学工業」という会社があります。この会社では、多くの知的障害者を雇用しています。その背景には、この会社の理念があります。その理念とは、ある禅寺の住職の言葉です。それは、「人間の究極の幸せ」についてです。

 その住職は、次のようなお話をされたそうです。「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです。」

 世の中には、働きたくても働けない人はいると思います。今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの人が職を失う状況にあります。ですから、一概に「働くことで幸せを得る」と言えないところはあります。早く、この状況が改善されることを願ってやみません。

 しかし、それでも、この住職の話した内容には、考えさせられます。と言うのも、学校生活においても、同じようなことが言えるからです。学校では、子どもたちは、それぞれの学級学年において、役割を担います。それは、学級の係活動であったり、当番活動であったりします。学年が上がると、委員会活動やボランティア活動もそうです。それらの活動を通して、自分が役に立つこと、自分が必要とされていること、そして、自分が感謝される存在であることを体験することができます。それは、やはり、人としての幸せを感じることにつながっていると思うのです。

 ある人がこんな話をしていました。「人は、子どもであろうと、大人であろうと、若者であろうと、お年を召されてあろうと、健康であろうと、病気をされてあろうと、障がいをもってあろうと、障がいをもってなかろうと、自分の存在が誰かの喜びにつながっていることを感じた時、人としての最高の喜びを感じることができる。」「不幸のほとんどは、何々してくれない、何々してくれ方が足りないという、自分中心の考え方から来るのである。何々してくれない、何々してくれ方が足りないという考え方でいる限り、その人は人としての最高の喜びを感じないまま、一生を終えていく。」これは、前述の「注文をまちがえる料理店」の話にも通ずる話です。

 子どもたちにとって、学校は、自分の未来に希望を抱き、夢を描くところです。そういう意味で、働くことの意味を考えさせ、今の自分にできることを、実行できるような子どもたちに育てていきたいと思います。

24 注文をまちがえるレストラン

 みなさんは、宮澤賢治の「注文の多い料理店」というお話はご存じですか。二人の紳士が猟に出て、山奥で道に迷い、突然現れたレストラン「山猫軒」に入ります。そこは、注文が多い料理店で、入口からひとつずつ部屋に入る度に、「くつをぬいでください」「金物をはずしてください」「瓶の中のクリームを塗って下さい」等と書かれています。最初、紳士たちは、一流のレストランのしきたりだと思い、それに従うのですが、実は、このレストランは、お客を料理するための注文を出すレストランだったのです。それに気づいた紳士たちは…という展開のお話です。

 これは、「注文の多い料理店」ですが、最近、似たような名前のレストランのことを知りました。そこは、「注文をまちがえる料理店」。えっ、注文を間違えるなんて、ふざけたお店かと思ったら、そうではないのです。なんと、この店のスタッフは、全員、認知症の方々なのです。だから、注文したことを間違えてしまうことがある。それは、お客さんも分かっていることなので、そのことはとがめられない。これは、認知症の方々を笑い者にしているのでは決してなく、認知症になったことで自信をなくしていた人たちが、働くことで再び生きる喜びを取り戻すことができる場所になっているのでした。


 すてきだなあと思いました。このレストランでは、認知症の人の様々な問題が解消しているわけではなく、しかし間違えても「ま、いいか」と思える寛容さが、温かい雰囲気を作り出している。そういう寛容な雰囲気が、そこにいる人たちを安心させ、笑顔にしていると思いました。寛容さは、優しさでもあるわけです。
 学校でも、同じようなことが考えられます。教室で授業中、問題を解いている時に、誰かが間違えた答えを言った時、それをすかさず、「違います」と指摘したとします。確かに、間違いではあるのですが、しかし、正しいか間違いかだけで授業を進めると、誰も安心して発言できなくなってしまいます。例え、間違いでも、それも一つの考えとして、みんなが寛容に受け止めたら、きっと間違えた発言をしても大丈夫だと安心して、授業に参加できると思います。

23 登校日の話

 久し振りに、元気な子どもたちの姿が見られました。子どもたちも今日の日が待ち遠しかったのか、早くから学校に来て、朝から校庭を走り回っていました。

 次は、帰りのなかよし班下校での、校長の話です。

「今朝、街頭指導をしていて、すてきだなあと思うことがありました。道路を横断しようと手を上げていたお友達が、道路を渡り終わった後、停まってくれた車の運転手さんにおじぎをしていました。そういうことをしていた人が今朝は6人見ました。きっと、もっとたくさんいるのだと思います。いいことは、ずっと続けて下さい。そして、いいことは、真似をして、やってみましょう。

 自転車に乗る人にお話しします。自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。ヘルメットはみなさんの頭を守るためにかぶります。ですから、道路でも、家の庭でも、自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。

 今日はいい天気です。今日のような晴れている日に「雨降れ」と叫んでも、雨は降りません。雨の日に「晴れろ」と願っても晴れません。私たち人間は、残念ながら天気をコントロールできないのです。自然の力の前で、人間は無力です。きっと、このコロナウイルスも同じなのだと思います。今のところ、治す薬も、かからないためのワクチンもありません。だから、かからないように気をつけるしかないのです。そのためのマスクであったり、手洗いであったりします。しかし、薬やワクチンがなくても、私たち人間には、生まれながらに持っている免疫力をあります。体内に入ってきたウイルスをやっつけてくれる仕組みです。この免疫力を高めるために、栄養と運動と睡眠です。自然はコントロールできませんが、自分のことは、自分でコントロールできます。規則正しい生活リズムで、お家でも生活しましょう。」

 一日も早く、普通の学校生活ができることを願ってやみません。

22 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!

 日本赤十字社のホームページに、表題の内容が紹介されていました。
 新型コロナウイルスの3つの顔って、何だと思いますか?次に、紹介します。

 新型コロナウイルスには、怖い「3つの“感染症”」という顔があります。

  1の“感染症”は、「病気」そのものです。
  2の“感染症”は、「不安と恐れ」です。
  3の“感染症”は、「嫌悪・偏見・差別」です

 この3つの“感染症”が、「負のスパイラル」になって広がるのです。

 「病気」→①未知なウイルスで分からないことが多いため、不安が生まれる。

→「不安」→②人間の生き延びようとする本能により、ウイルス感染にかかわる人を遠ざける。

→「差別」→③差別を受けるのが怖くて熱や咳があっても受診をためらい、結果として病気の拡散を招く。

→「病気」へ

 この感染症の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。
 では、負のスパイラルを防ぐためには、どうしたらよいのでしょうか。

 「病気」は、手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど。

 「不安」は、気づく力を高め、聴く力を高め、自分を支える力を高めること。

 「差別」は、差別的な言動に同調しないこと。感染防止のために頑張っている全ての方々に、ねぎらいと敬意を払うこと。

 まだまだ、終わりが見えない日々が続きそうです。このウイルスとの戦いは、長期戦になるかもしれません。だからこそ、正しく知り、きちんと対応していかなければならないのだと思います。このことは、各学年で子どもたちに指導しましたが、今後も継続して指導します。
 ここで紹介した内容を、もっと詳しく説明した資料を、学校のホームページにリンクしておきますので、是非、見てみて下さい。

21 世界最古のクイズとは?(後編)

答えは、「学校」です。

 学校は「学ぶ」ところです。学校に入る前、学ぶ前は、物事についてあまり分からず、何も見えていない。つまり、目を閉じた状態。しかし、学校で学ぶことで、できるようになったり、分かるようになったりする。つまり、目を開けた状態で、学校から出る。小学校で考えれば、1年生として、目を閉じて入学した子どもが、6年生として卒業する時は、いろいろ分かり、できるようになり、目を開けて卒業していく、ということを表していると思います。また、短く考えても、朝、目を閉じて分からない状態で登校してきた子どもが、一日学校で、先生や友達と関わりながら過ごすことで、いろいろと理解でき、わかり、できることが増え、目を開けた状態で、その日を終えて、学校から帰っていくということも当てはまります。
 こんなに大昔の人たちも、学校の重要性を意識していたのだなあ、と思うと、感慨深くなります。

20 世界最古のクイズとは?(前編)

 紀元前18世紀に考案された、おそらく「世界最古のクイズ」というものがあります。今から3700年くらい前になります。そんな大昔に、クイズなんか考えたのか?と思いますが、当時の残された記録にそうあったようです。世界史の授業を思い出してください。古代メソポタミア文明、聞いたことがあるかと思います。現在のイラクにあたる場所で、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えたのが、メソポタミア。そこで生まれた文明が、古代メソポタミア文明と言われています。その初期に栄えた民族が、シュメール人。そのシュメール人が用いていた文字が、古代シュメールくさび形文字。このくさび形文字が、世界最古の記録文字と言われています。

 文字通り、くさびの形が組み合わさった形をしていて、記録媒体は紙ではなく、粘土板を用いていました。その粘土板に記録されたくさび形文字を解明していった中に、今回紹介する「世界最古のクイズ」があったというのです。
 あんな記号を解明するのは、とても大変な作業だったと想像できます。まさに、人間の努力の素晴らしさです。
 さて、本題の「世界最古のクイズ」はどういう問題だったのか?それは、次のような問題でした。

 問題 建物がある。
    そこに入る時、人は目を閉じている。そこから出る時、人の目は開かれている。
    この建物とは何だろうか?

 いかがでしょうか。世界最古のクイズ。解けますでしょうか。
 ヒントを言います。この建物は、みなさん、よく知っています。おそらく、みなさん、入ったことがある建物です。どうでしょうか。お分かりになりましたか?
 では、答えを言います。答えは…次回へ。