学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

21 世界最古のクイズとは?(後編)

答えは、「学校」です。

 学校は「学ぶ」ところです。学校に入る前、学ぶ前は、物事についてあまり分からず、何も見えていない。つまり、目を閉じた状態。しかし、学校で学ぶことで、できるようになったり、分かるようになったりする。つまり、目を開けた状態で、学校から出る。小学校で考えれば、1年生として、目を閉じて入学した子どもが、6年生として卒業する時は、いろいろ分かり、できるようになり、目を開けて卒業していく、ということを表していると思います。また、短く考えても、朝、目を閉じて分からない状態で登校してきた子どもが、一日学校で、先生や友達と関わりながら過ごすことで、いろいろと理解でき、わかり、できることが増え、目を開けた状態で、その日を終えて、学校から帰っていくということも当てはまります。
 こんなに大昔の人たちも、学校の重要性を意識していたのだなあ、と思うと、感慨深くなります。

22 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!

 日本赤十字社のホームページに、表題の内容が紹介されていました。
 新型コロナウイルスの3つの顔って、何だと思いますか?次に、紹介します。

 新型コロナウイルスには、怖い「3つの“感染症”」という顔があります。

  1の“感染症”は、「病気」そのものです。
  2の“感染症”は、「不安と恐れ」です。
  3の“感染症”は、「嫌悪・偏見・差別」です

 この3つの“感染症”が、「負のスパイラル」になって広がるのです。

 「病気」→①未知なウイルスで分からないことが多いため、不安が生まれる。

→「不安」→②人間の生き延びようとする本能により、ウイルス感染にかかわる人を遠ざける。

→「差別」→③差別を受けるのが怖くて熱や咳があっても受診をためらい、結果として病気の拡散を招く。

→「病気」へ

 この感染症の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。
 では、負のスパイラルを防ぐためには、どうしたらよいのでしょうか。

 「病気」は、手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど。

 「不安」は、気づく力を高め、聴く力を高め、自分を支える力を高めること。

 「差別」は、差別的な言動に同調しないこと。感染防止のために頑張っている全ての方々に、ねぎらいと敬意を払うこと。

 まだまだ、終わりが見えない日々が続きそうです。このウイルスとの戦いは、長期戦になるかもしれません。だからこそ、正しく知り、きちんと対応していかなければならないのだと思います。このことは、各学年で子どもたちに指導しましたが、今後も継続して指導します。
 ここで紹介した内容を、もっと詳しく説明した資料を、学校のホームページにリンクしておきますので、是非、見てみて下さい。

23 登校日の話

 久し振りに、元気な子どもたちの姿が見られました。子どもたちも今日の日が待ち遠しかったのか、早くから学校に来て、朝から校庭を走り回っていました。

 次は、帰りのなかよし班下校での、校長の話です。

「今朝、街頭指導をしていて、すてきだなあと思うことがありました。道路を横断しようと手を上げていたお友達が、道路を渡り終わった後、停まってくれた車の運転手さんにおじぎをしていました。そういうことをしていた人が今朝は6人見ました。きっと、もっとたくさんいるのだと思います。いいことは、ずっと続けて下さい。そして、いいことは、真似をして、やってみましょう。

 自転車に乗る人にお話しします。自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。ヘルメットはみなさんの頭を守るためにかぶります。ですから、道路でも、家の庭でも、自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう。

 今日はいい天気です。今日のような晴れている日に「雨降れ」と叫んでも、雨は降りません。雨の日に「晴れろ」と願っても晴れません。私たち人間は、残念ながら天気をコントロールできないのです。自然の力の前で、人間は無力です。きっと、このコロナウイルスも同じなのだと思います。今のところ、治す薬も、かからないためのワクチンもありません。だから、かからないように気をつけるしかないのです。そのためのマスクであったり、手洗いであったりします。しかし、薬やワクチンがなくても、私たち人間には、生まれながらに持っている免疫力をあります。体内に入ってきたウイルスをやっつけてくれる仕組みです。この免疫力を高めるために、栄養と運動と睡眠です。自然はコントロールできませんが、自分のことは、自分でコントロールできます。規則正しい生活リズムで、お家でも生活しましょう。」

 一日も早く、普通の学校生活ができることを願ってやみません。

24 注文をまちがえるレストラン

 みなさんは、宮澤賢治の「注文の多い料理店」というお話はご存じですか。二人の紳士が猟に出て、山奥で道に迷い、突然現れたレストラン「山猫軒」に入ります。そこは、注文が多い料理店で、入口からひとつずつ部屋に入る度に、「くつをぬいでください」「金物をはずしてください」「瓶の中のクリームを塗って下さい」等と書かれています。最初、紳士たちは、一流のレストランのしきたりだと思い、それに従うのですが、実は、このレストランは、お客を料理するための注文を出すレストランだったのです。それに気づいた紳士たちは…という展開のお話です。

 これは、「注文の多い料理店」ですが、最近、似たような名前のレストランのことを知りました。そこは、「注文をまちがえる料理店」。えっ、注文を間違えるなんて、ふざけたお店かと思ったら、そうではないのです。なんと、この店のスタッフは、全員、認知症の方々なのです。だから、注文したことを間違えてしまうことがある。それは、お客さんも分かっていることなので、そのことはとがめられない。これは、認知症の方々を笑い者にしているのでは決してなく、認知症になったことで自信をなくしていた人たちが、働くことで再び生きる喜びを取り戻すことができる場所になっているのでした。


 すてきだなあと思いました。このレストランでは、認知症の人の様々な問題が解消しているわけではなく、しかし間違えても「ま、いいか」と思える寛容さが、温かい雰囲気を作り出している。そういう寛容な雰囲気が、そこにいる人たちを安心させ、笑顔にしていると思いました。寛容さは、優しさでもあるわけです。
 学校でも、同じようなことが考えられます。教室で授業中、問題を解いている時に、誰かが間違えた答えを言った時、それをすかさず、「違います」と指摘したとします。確かに、間違いではあるのですが、しかし、正しいか間違いかだけで授業を進めると、誰も安心して発言できなくなってしまいます。例え、間違いでも、それも一つの考えとして、みんなが寛容に受け止めたら、きっと間違えた発言をしても大丈夫だと安心して、授業に参加できると思います。

25 人間の究極の幸せ

 チョークを作っている会社で、「日本理化学工業」という会社があります。この会社では、多くの知的障害者を雇用しています。その背景には、この会社の理念があります。その理念とは、ある禅寺の住職の言葉です。それは、「人間の究極の幸せ」についてです。

 その住職は、次のようなお話をされたそうです。「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです。」

 世の中には、働きたくても働けない人はいると思います。今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの人が職を失う状況にあります。ですから、一概に「働くことで幸せを得る」と言えないところはあります。早く、この状況が改善されることを願ってやみません。

 しかし、それでも、この住職の話した内容には、考えさせられます。と言うのも、学校生活においても、同じようなことが言えるからです。学校では、子どもたちは、それぞれの学級学年において、役割を担います。それは、学級の係活動であったり、当番活動であったりします。学年が上がると、委員会活動やボランティア活動もそうです。それらの活動を通して、自分が役に立つこと、自分が必要とされていること、そして、自分が感謝される存在であることを体験することができます。それは、やはり、人としての幸せを感じることにつながっていると思うのです。

 ある人がこんな話をしていました。「人は、子どもであろうと、大人であろうと、若者であろうと、お年を召されてあろうと、健康であろうと、病気をされてあろうと、障がいをもってあろうと、障がいをもってなかろうと、自分の存在が誰かの喜びにつながっていることを感じた時、人としての最高の喜びを感じることができる。」「不幸のほとんどは、何々してくれない、何々してくれ方が足りないという、自分中心の考え方から来るのである。何々してくれない、何々してくれ方が足りないという考え方でいる限り、その人は人としての最高の喜びを感じないまま、一生を終えていく。」これは、前述の「注文をまちがえる料理店」の話にも通ずる話です。

 子どもたちにとって、学校は、自分の未来に希望を抱き、夢を描くところです。そういう意味で、働くことの意味を考えさせ、今の自分にできることを、実行できるような子どもたちに育てていきたいと思います。