学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

296 本を読む子にするために

 私の一人娘が、初めて発した言葉は、「ばあー」でした。当時、妻の母に家に来てもらっていたため、「ばあちゃん」という言葉をよく耳にしていたのでしょう。最初の言葉が「ばあー」だったことに、妻はちょっとショックを受けていましたが、仕方ありません。みなさんのお子さんが、最初に発した言葉は、何だったでしょうか。
 そもそも、子どもは、どのように言葉を発達させていくのでしょうか。心理学博士の榎本博明(えのもとひろあき)氏の著書によると、子どもは「あ、あ、あ、」という言葉から、1歳くらいになると、「ブーブ」「まんま」「わんわん」など意味のある1語文を口にするようになるそうです。それを聞いた親と「まんま、おいしいね」「わんわん、いるね。」等のやりとりをすることで、2歳頃には2語文を口にするようになります。この頃から、語彙数は爆発的に増えていきます。と同時に、指差ししながら、しきりに疑問をぶつけてきます。「トリさん、何食べるの?」「トリさん、なんで飛ばないの?」等、こういうやりとりを通して、どんどん言葉を覚えていきます。1歳半頃には50語程度だった語彙数は、2歳で200~300語、3歳で1000語程度に増加します。簡単な日常会話には不自由しない程度のコミュニケーション能力を獲得するわけです。そうして、小学校入学時には、数千から1万語、獲得します。語彙数が増加すると共に、2歳を過ぎる頃から、2語文から多語文へ発達していきます。

 このように、子どもの言語能力の発達には、親をはじめとした周囲の大人の働きかけが大きく作用します。まったく言葉を持たないところからスタートしているわけですから、身近な大人が発する言葉を吸収するのが基本です。言語性知能に関しては、家庭環境の影響がおよそ60%と非常に大きくなっています。脳科学の分野でも、親子で過ごす時間やその過ごし方が、子どもの言語能力の発達に関わっていることが分かっています。特に、親子での様々な会話が、言語能力や脳の発達を促すことが確認されています。

 幼少期、まだ学校に入学する前は、やはり、子どもは、家庭内で過ごす時間が長いことから、親子の関わり方が大事だということだと思います。そして、読書についても、家庭環境において、子どもの身近に蔵書がどれだけ、どんな内容の物があるかは大事だと言われます。子どもが親子の会話から語彙を増やし、さらに、本を読むことで語彙を増やすことができます。ただ、ここで重要なのは、子どもが本を読みたいと思うかどうかは、親の態度次第だそうです。日常生活において、親が本を熱心に読んでいる姿がモデルになり、子どもも本を読むようになるというわけです。読み聞かせなども効果はあります。休日に、一緒に本屋や図書館などに行くことは、本に興味関心を持つようになり、読書を楽しむきっかけにもつながります。

 読書は、前のLIVEで書いたように、「学習言語」を身に付けるために必要です。学習内容を理解するためにも、子どもたちには、本を読む子どもになってほしいと思います。そして、本を読む習慣を身に付けてほしいです。家庭で過ごす時間の中に、読書する時間ができたらいいなあと思っています。お子さんがあまり本を読まない様子でしたら、ちょっと親子で本に親しむ機会を作ってみてはいかがでしょうか。石川町の図書館は、火曜閉館で、他の日は午前10時から午後6時まで開いています。休日の過ごし方の一つとして、ちょっと図書館に行って、お互いに面白そうな本を探して読んでみてはいかがでしょうか。

297 「本を読まない高校生」に思う

 2/22付福島民報に次のような記事が載りました。

 県高校司書研修会の2021年度高校生読書調査の結果、県内の高校生のうち、1ヶ月に1冊も本を読まない生徒の割合が、男子が61.2%、女子は55.3%だった。
 本を読まない理由の1番は、「勉強、部活動、アルバイトなどで忙しい」(男子45%、女子58%)。理由の2番は、「ネットやテレビ、ゲームの方が楽しい」(男子43%、女子38%)。
 男女とも半数以上が一冊も本を読んでいない傾向が、過去十年間続いている。

 この記事を読んでいて、あることを思い出しました。それは、私が高校時代、学校図書の担当の先生から、「高校生が読むべき100冊」なるプリントが配付されたことです。そのプリントには、高校時代に読んでおくべき「おすすめの本」が100冊、リストアップされていました。当時の私は、なぜか、その内容に刺激を受け、そこに紹介されている本を次々に読んでいきました。リストの中には、今では、絶対手にしないような、いわゆる名作と呼ばれる本もたくさん載っていました。100冊は読破できなかったのですが、当時の私の心の中に、深く刻まれた本が何冊かありました。
 例えば、大岡昇平の「野火」。太平洋戦争での戦地が舞台で、想像を絶する戦地の実態を目の当たりにし強い衝撃を受けた作品です。井上靖の「あすなろ物語」。登場人物の少年に自分を重ねて読んでいました。作中に出てくる「克己」という言葉も、ここで初めて知りました。夏目漱石の「坊ちゃん」。物語に出てくる登場人物が魅力的で、特に、数学教師の山嵐が、私と同郷の会津出身であったことが、とてもうれしかった作品です。
 このリストには、海外の作家の作品も含まれていました。O・ヘンリーの短編集。有名な「賢者の贈り物」の他にも、「運命の道」という不思議な読後感になる作品がありました。マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」。これは、あのトム・ソーヤの冒険の続編的作品で、トムの親友のハックが主人公の物語です。はらはらどきどきの展開に、とても興味を持って読んでいたことを思い出します。
 それから、このリストとは別に、好きだった日本史の先生が、「高校生のうちに、読んでおけ。」と紹介してくれた本がありました。それが、井上ひさしの「吉里吉里人」でした。東北のある村が、日本政府から独立して「吉里吉里国」を名乗り、たまたまそこに居合わせた主人公が、その騒動に巻き込まれていくという物語です。話の中で、医療、福祉、介護、スポーツ、文化芸術、教育など、いろいろな問題に触れていて、なおかつ、話の展開がとってもスピーディーなので、本自体はすごく分厚くて長編なのですが、意外と一気に読んでしまいました。この作品がきっかけで、その後、日本各地でミニ独立国ブームが起きました。(例えば、二本松の岳温泉では、「ニコニコ共和国」が独立しました。今年夏、16年ぶりに復活するそうです。)(続く)

298 「本を読まない高校生」に思う(続き)

 今思うと、当時、読んでいた本は、きっと今は読めないように思います。個人的に思うのですが、長編の本を読み切るには、それなりに時間も必要ですが、それ以上に、それなりのエネルギーがいるように思います。学生の頃、時間もありましたし、エネルギーもあったように思います。だから、あれだけ様々なジャンルの本を読みあさることができたのではないかと思います。それができるのが、高校時代だから、当時の先生方も「今のうち読んでおけ」と示してくれたように思います。きっと、その背景には、「今しか読めないぞ」という思いもあったのかもしれません。

 たしかに、当時は、今のようなネットもスマホもゲームも動画配信もありませんでした。だから読めたのかもしれません。しかし、今でも、高校生にお勧めの本を、たくさんの学校が示しています。ある中高一貫校のサイトでは、こんなコメントがついて、100冊の本を紹介していました。

「中学・高校生活の6年間をどのように過ごしたか、ということはみなさんの 人生に大きな意味を与えるでしょう。さまざまな分野の読書体験を通してみ なさんが豊かな人間性を育むことを期待しています。」

 本を読むことで、私たちは、現実では体験できないような、いろいろな体験をすることができます。前述の私は、「野火」を読んで、戦争体験をしました。「あすなろ物語」を読んで、思春期の成長を体験しました。「吉里吉里人」を読んで、独立騒動を体験しました。そして、トムやハックと一緒に、冒険をしました。実際は、一回こっきりの自分の人生ですが、読書体験を通して、自分の人生を豊かにすることができます。そして、読書を通して、いろいろな生き方にも触れ、いろいろな価値観にも触れるから、自分のものの見方や考え方に幅を持つこともできます。さらに、実社会における他者理解にもつながります。きっと、自分一人だけのものの見方や考え方では、限られてしまうのかもしれません。

 読書することは、学習言語の獲得や語彙、表現などを身に付けるという学びの面と、多様な生き方、考え方に触れ、自分自身のものの見方、考え方を膨らませるという育ちの面があるのだと思います。それは、高校生だけのものではなく、小中学生にとっても大きな意義があり、むしろ、幼少期からの読書体験が大事なのかもしれません。気がついたら、身の回りに本を読む環境があり、小さい時から本を読む楽しさを味わっていれば、きっと、その後もずっと、自分の人生の中に読書活動が根付き、自分の生き方にも大きく関わっていくのだと思います。これは、決して今からでも遅くはありません。まずは、何か一冊、お子さんと一緒に読んでみませんか。

299 詩を書こうコンクール

 このコンクールは、浅川町にある吉田富三記念館が行っているコンクールです。吉田富三博士は、癌研究の先駆者で、吉田肉腫を発見された医学博士。その博士の記念館が「詩」のコンクールをやっているのには、理由があります。

 戦後の日本には、漢字廃止論というものがありました。今の日本語を廃止して、フランス語にする考えや、表記をローマ字にする考えなどでした。しかし、当時の日本人の読み書き能力調査では、識字率が97.9%と非常に高く、これらの考えは撤回されました。そして、当時、国語審議会の委員をされていた吉田博士が、「漢字仮名交じり文こそが日本語。漢字があるから微妙な造語力を持つことができる。」と提案し、日本語のあるべき姿を強く訴えました。その結果、日本語表記が、今の漢字仮名交じり文となったのでした。

 実は、吉田博士は、学生の頃、とても優秀だったので、東京の有名中学校(今の高校)を受験した際、福島訛りがひどくて、それが原因で口頭試問に落ちたことがありました。こういう経験から、吉田博士の中には、言葉に対する思い入れがあったのかもしれません。ご自身でも、俳句や短歌、詩などをたくさん作られていました。そこには、日本語の表現を通して、深く考えた吉田博士の思いが、文字となって現れています。私たち日本人は、日本語の表記によって、物事を考え、感じたことや考えたことを、日本語で表現するのだということを、改めて考えさせられます。

 このようないきさつから、この「詩を書こうコンクール」が行われているのだと思います。

 今年、このコンクールに、4名の子どもたちの作品が入賞しました。次に紹介します。

1年 水野好輝さん作「ぼくのすきなもの」

 すきなものは みかんです/すっぱくて/かわがむきやすいからです
 すいかです/あまいからです
 さくらんぼがすきです/なんこもくっついてあるからです
 ぶどうがすきです/うまいからです

 好きな物の理由が、ストレートに伝わってきます。だいたい、好きな物の理由は、あれこれあるのでなく、このように、ずばりなのかもしれませんね。(続く)

300 詩を書こうコンクール(続き)

4年 佐藤妃莉さん作「ありがとう」

 妊婦さんは/うらモコジャンパーを三枚着てるくらい暑いんだって
 妊婦さんは/ずっと立っていると足がむくむんだって
 妊婦さんは/体がすごく重いんだって
 先生のお腹の赤ちゃんが教えてくれたよ
 私のお母さんもそうやって私を産んでくれたんだなあ
 どんどん大きくなる先生のお腹
 元気な赤ちゃんが生まれますように
 お母さん/産んでくれてありがとね

 担任の先生が、お休みに入る前、大きなお腹で、赤ちゃんのお話をしてくれました。お母さん先生だから伝えられることが、子どもたちには、しっかりと伝わったみたいです。ちなみに、先生は元気な女の子を出産されました。

4年 松山陽太さん作「ぼくの大好きなクラス」

 ぼくのクラスは/いつもにぎやかで笑顔がいっぱい
 だけどちょっぴり忘れっぽい
 ぼくのクラスは/スポーツが大好き/運動ができる人がたくさん
 ぼくのクラスは/思いやりのある人がいっぱい
 ぼくのクラスは/みいんな仲良し/仲良しだからけんかが多い
 だけどぼくはこのクラスの人と友達になって/すごくうれしい
 うれしいから/これからも仲良くしたい

 仲良しだから、けんかしちゃうんですね。そして、すぐに仲直りですね。にぎやかで楽しい学級の様子が伝わります。

6年 二瓶大雅さん作「友達」

 楽しいとき/笑い合える
 うれしいとき/いっしょに喜び合える
 つらいときは/はげまし合える
 だめなことは/だめだと言い合える
 目標にむかって/協力し合える
 こんな友達がいることが幸せで
 ずっとずっと・・・/大切な友達

 仲がいいだけではない関係。きっと、お互いに刺激し合える関係なのだと思います。そういう友達がそばにいてくれる幸せを、きっと感じているのでしょう。