野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします
164 感染拡大に注意!
新型コロナウイルス感染症が全国的に拡大しています。福島県の感染状況も「ステージⅡ」になりました。ステージⅡは、「感染者の漸増及び医療提供体制への負荷が蓄積する段階」です。それを受け、県より「年末年始における注意喚起」が出ました。裏面に掲載してありますので、ご覧の上、十分注意した行動をお願いします。
さて、ある雑誌に、川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長による「感染症対策の基礎知識」が載っていました。新型コロナウイルス感染症を始め、インフルエンザや食中毒のノロウイルスなど、感染症と呼ばれるものについて、改めて確認しておきたいと思います。以下、中略で紹介します。
感染症対策の基礎知識 2「感染経路」 3「感染症の予防」 4「改めて3密を避ける」 |
以上の記事を読むと、新型コロナウイルス自体は、そんなに感染力の強いウイルスではないこと、これまで取り組んでいる3密を避け、マスクの着用、手洗い・消毒、そして換気により、かなり感染を防ぐことができることが分かります。全国的に拡大していますが、必要以上に恐れることなく、基本に立ち返り、しっかりと感染予防していきましょう。
年末年始における注意喚起はこちら→年末年始における注意喚起.pdf
163 守・破・離の世界
各学年で、書き初めの練習が始まっています。1・2年生は硬筆で、3年生以上は毛筆で条幅用紙に書きます。半紙と違って、倍以上長い用紙なので、全体のバランスを取るのがとても難しいです。そのため、条幅用紙を折って、その折り目を手がかりに、お手本の文字を書き写していきます。硬筆も毛筆もお手本の字を書き写すので「書写」と言います。書写は、決して、自分の書きやすい文字を、書きやすいように、好き勝手に書いていいのではないのです。一方、書の道を極めた書道家と呼ばれる人たちがいます。この人たちの作品は、一見、好きなように独創的に書いているように見えますが、やはり、しっかりとした基本が土台にはあります。
昔から、芸道・芸術の世界は「守・破・離」と言われる三段階があります。まずは師匠から教わった基本の型を徹底的に「守る」段階です。次に、その教えに従って修業を重ね、他の型についても学び、その中から自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで、これまでの型を「破る」段階。そして、最後は、さらに修業を重ね、今まで身につけた型にこだわらず、今までの型から「離れ」て、新たな型を生み出す段階です。これは、スポーツの世界でも同じで、王選手の一本足打法も、イチロー選手の振り子打法も、野茂選手のトルネード投法も、いきなりあのような型破りな技が生まれたのではなく、少年期に基本を忠実に練習し、何年もかけて基本の型を身につけた上で生まれたものなのです。また、画家のピカソと聞くと、とても不思議で個性的な作品が有名ですが、あのピカソも幼少期から青年期にかけては、写実的な絵を描いていました。その描写はとても子どもが描くレベルではなかったようで、画家だった彼の父は、ピカソが9歳の時に描いた絵を見て、ショックのあまり画家を辞めたというエピソードがあるほどです。どの世界も同じような「守・破・離」があって、そういう意味で、小学生の子どもたちは、あらゆることで「守」の段階なのだと思います。単調に思えるような基本の練習を、まずは繰り返し繰り返し取り組むことが大事だということです。
話を書道に戻します。最近、面白い文字を書く人を知りました。その人は、原愛梨さんと言います。職業は、書道アーティスト。その人の作品は、見た目は絵です。しかし、よく見ると、その絵は、文字をデザインして描かれているのです。面白い作品だなあと感心しました。経歴を見ると、原さんはまだ27歳と若いのですが、2歳から書道を始め、8歳で文部科学大臣賞を受賞しています。まさに、守・破を過ぎて、今、書道アーティストという離の世界を生きているのだと思いました。
162 ボディイメージ
1年生や2年生などの低学年の子どもたちによく起きる出来事として、水道やロッカーなどに複数人集まった時に、体がぶつかり合うことです。一見、「粗暴な行動」と捉えられることもありますが、もしかしたら、「ボディイメージがない」からとも言えます。
ボディイメージとは、自分の体の輪郭がどのくらいの幅やサイズをしているか、また、今、自分の体がどのように傾いているか、どこにどのくらいの力がかかっているか、といった感覚のことです。この感覚は「固有受容覚」「前庭覚」と呼ばれます。これらの感覚は、ボディイメージの発達を促す働きもしています。このボディイメージが発達することで、自分の体をコントロールした動きができるようになります。しかし、このボディイメージが十分発達していないと、先程の例のように、他者との距離感がつかめず、気付いたらぶつかっていたということになります。また、どの程度の力を入れているかわからず、ぶつかった相手が思った以上に痛がるということにもつながっています。これらは、決してわざとぶつかったのではない、というわけです。全ては、ボディイメージが未発達だから起こることなのです。さらに、このボディイメージを把握するために必要な感覚が「触覚」です。そう、皮膚に触れて感じる感覚です。ですから、低学年の子どもたちが、狭いところでぶつかり合いながら、その接触する感覚を通して、各自が、自分のボディイメージを発達させているとも言えます。この触覚は、相手に与える力より、相手から受けた力の方が強く感じますので、結果、ぶつかっているのはお互い様なのに、相手にぶつかられた、という感覚になるわけです。このボディイメージが発達することで、友達とぶつかり合うことも減ってきます。
そして、実は、このボディイメージは、空間認知力ともつながっていると言います。どのくらいの隙間があれば、自分の体は通り抜けられるかというのもそうですが、目で見た枠の中に、手に持った鉛筆をどのように動かしたら、枠の中に字が収まって書くことができるか、というのも空間認知力だそうです。枠の中に収まっていても、極端に小さい字や偏った字になってしまうのも関係しているようです。
最後に、このボディイメージの発達を促す遊びがあります。ブランコやジャングルジム、平均台など、ゆれや加速を感じたり、遊具に合わせたいろいろな体の動かし方をしたりするのがいいようです。また、触覚を刺激する粘土や砂遊びなどもよさそうです。要は、体全体を使って、いろいろな動きをすることが大事なのですね。たまには、ゲームではなく、体を使った遊びもしてほしいと思います。
161 今年の漢字
14日、日本漢字能力検定協会が1995年から毎年行っている「今年の漢字」が発表になりました。2020年を漢字一字で表すなら?と全国から応募された漢字の中で、一番多かった今年の世相を表す漢字は…
第1位「密」 流行語大賞の「三密」と合わせて、2冠です!
第2位「禍」 コロナ禍という言い方が一般化しました。
第3位「病」 新型コロナ関連ですね。
以下、「新」「変」「家」「滅」「菌」「鬼」「疫」という結果でした。
ちなみに、私が選ぶ「野木沢小の今年の漢字」は、「健」です。コロナ禍でも、野小っ子たちは、いつも「健康」で元気いっぱいに過ごしてきました。学校、家庭、地域が一体となって、みな「健やか」に成長してきました。野小っ子たちは、いろいろと思うようにいかない中でも、みな「健気」に、一生懸命、学習や運動に取り組んできました。そして、これからも、どんな困難な状況だろうと、希望を持ち、何事にもチャレンジする野小っ子たちの「健闘」を祈ります。
160 しんごろう
14日(月)の給食に、「しんごろう」が出ました。(野小っ子NEWSで写真付きで紹介してます)この「しんごろう」という料理は、半突きにしたうるち米を竹串に刺して、「じゅうねん味噌」を塗って焼いた田楽の一つで、会津地方の郷土料理です。貧しくて「もち米」を買えなかった新五郎さんがうるち米を潰して串に指し味噌をつけて火で炙ったのが由来で、その名前がついたそうです。
さて、このしんごろうを作る時の「半突き」とは、半分粒が残る程度に潰すことですが、別名「半殺し」と言います。この怖い言い方が、面白い落語の噺になっていますので、紹介します。(フジパンのHPより)
むかし、ひとりの侍が旅をしていて、山の中で日が暮れてしまったと。真っ暗な山の中を、あっち行き、こっち行きして、ようやく一軒の山家(やまが)が見つかった。戸を叩(たた)いたら、中から、「戸は開きますで」と、爺(じい)さんの声がした。戸を開けて家の中に入ると、侍は、「今夜一晩だけ泊めていただけまいか」と、頼んだと。囲炉裏端で縄をなっていたお爺さんとお婆さんは、「ええとも、ええとも、なあ婆さんや」「はえ、はえ、困ったときはお互いさま」「婆さんも、ああいっとります。こんなあばら屋で、よかったらば」と、にこにこして招じ入れてくれたと。侍はあったかいお粥(かゆ)をごっつぉになって、次の部屋に休ませてもらったと。
旅の疲れで、すぐに眠ったが、そこは侍、真夜中ごろ、お爺さんとお婆さんのひそひそ話に、ふと眼をさました。耳を澄ますと、「明日(あす)はひとつ、半殺しがええべか、それども、お手打ちがええべか」「江戸のお侍さんだそうだで、半殺しがええかも知んないな、お爺さん」といっている。さあ、侍はびっくりした。「これは、山賊の家かもしれん。とんだところへ泊ったもんだ」もう眠るどころではない。刀を抱いたまま布団の中でじいっと様子をうかがっておったと。四方八方、油断なく気を配って、すっかり気疲れした頃、朝になったと。「はて、襲(おそ)って来るのは夜(よる)の内(うち)かと思うたが……、さては、油断させておいて、不意をつく気だな。そうはさせるか」侍は刀をいつでも抜けるように身構えて、その時を待っておった。
すると、隣りの囲炉裏端のあたりで、コトコト音がして、「婆さんや、半殺しはまだか」「もう少しだよ、お爺さん」との声が聞こえて来た。侍は肝(きも)をつぶして、「いよいよ来るか。何の、こっちから踏み込んでやる」と、刀を掴(つか)むやいないや、パッと隣の部屋へ飛び込んだら…。
お婆さんが、「おや、お侍さん、もう起きたのかね」と、のんびり声をかけた。「ん?」と思って、婆さんの手元を見ると、婆さんはしきりにスリバチで何かをこねている。「はーて、何だかおかしな具合だな」と、まるで狐に化かされたような顔で眼(まなこ)を点にしていると、婆さんは、「何もないけんど、半殺しでも、ごっつぉすんべと思うてな」といって、出来立てのぼた餅をひとつ、手に乗せて見せた。「ははぁ、半殺しというのは、このぼた餅のことか」侍は、少し気が落ち着いて、「お婆さん、では、お手打ちというのは何のことかね」とたずねると、「はぁ、お手打ちかい。そいつは、家で作ったそばきりのこんだ。本殺しといえば餅のこんだよ」江戸の侍は、これを聞くと一度に気が抜けて、ドシーンと腰をおろしてしまったと。どんべすかんこねっけど。
ぼた餅のことを「半殺し」、手打ちそばのことを「お手打ち」と呼ぶことを知らなかったお侍さんの勘違いでしたが、ちなみに、粒を残さず、全部潰してつくるお餅を「本殺し」の他に「みなごろし」とも呼ぶそうです。なんともぞっとする言い方ですが…どれも美味しいですね。