学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

224 星新一さんの作品から思うこと

 星新一さんという作家をご存じでしょうか。この方は、SF作家で、ショート・ショートという形式で短編の作品を多く書いた方です。私は、高校時代に、この作家の作品を知り、とても気に入り、よく読んでいました。数年前には、小学5年生の国語の教科書にも取り上げられていました。(「おみやげ」という作品でした。)今回の家庭教育学級で「スマホ依存」の話を聞き、この星新一さんの作品で、ちょっと思い出した話がありました。タイトルは忘れてしまったのですが、次のようなお話でした。

 ある企業が、子育ての画期的な機械を開発しました。その機械には、生まれたばかりの子どもを育てるあらゆる機能が備わっていました。お腹が空いて泣けば、ちょうどよい温度のミルクが与えられ、おむつが汚れれば、すぐに交換してくれます。眠たくなれば、やさしい声の子守歌が流れました。この機械のお陰で、若い夫婦は、子育ての苦労から解放され、自分たちの時間が出来て助かるとなって、みな、この機械を購入して、子育てをさせたのでした。それから、20年が経ち、テレビから、一斉に次のようなCMが流れました。「さあ、みなさん、この商品を買いましょう。」そのCMの声は、あの子育て機械から流れていた優しい声と同じものでした。幼い頃、毎日のように聞いていた、地球上で誰よりも安心できる優しい声。その声が、ある商品を買いましょうと言っているのです。何の疑いもなく、大人になった子どもたちは、みな、そのCMの商品を購入するのでした・・・

 星新一さんの作品は、ブラック・ジョークの部分もあるのですが、この作品を最初に読んだときは、なるほどなあ、そういうことになるのか・・・ぐらいの感想でしたが、スマホ依存が問題になっている今、親よりも機械という現実問題が、本当に起きているのかもしれないと思ったのです。本人も家族も、依存している意識は全くない中で、実は知らず知らずのうちに依存(洗脳?)されているとしたら・・・。

 これも、家庭教育学級の中でも紹介された話です。あるお母さんは、赤ちゃんに授乳中も、その目はスマホから離れません。そして、そのスマホに夢中のお母さんの顔を、ミルクを飲みながら、赤ちゃんはじっと見ている・・・。ぞくっとします。赤ちゃんは、どんなことを考えながら、お母さんの顔を見ているのでしょうか。本来なら、ミルクを与えながら、赤ちゃんの顔を見つめるお母さんと、そのお母さんの顔を見ながらミルクを飲む赤ちゃん、そこで、お互いに見つめ合い、愛情が伝わるのではないでしょうか。ミルクをただ与えるのが愛情ではないということだと思います。

 さらに、講話では、大人のスマホ依存について、話がありました。いつの時代も、大人は、子どものモデルです。家で、大人がどのようにスマホを使っているか、子どもたちは、モデルとして見ています。そして、大人の姿から学んでいます。子どもに使い方を考えさせるだけでなく、大人である親も一緒に、子どもとルールを決めていく。できれば、そこに、スマホ等を介さない、リアルな会話を大切にしたコミュニケーションの時間が生まれることを期待したいと思います。

223 交通事故防止「手上げ横断 復活」

 千葉県八街市で発生した交通事故は、みなさん、周知のことと思います。下校途中の小学生の列にトラックが突っ込み、児童5人が死傷するという悼まし事故になりました。

 警察庁によると、去年までの5年間に交通事故で死亡または大けがをした小学生は4687人で、58%の2734人が歩行中に事故に遭っているそうです。歩行中の児童が事故に遭う時間帯は、午後4時台から5時台にかけてが36%と最も多く、次いで午後2時台から3時台が29%で下校や帰宅時間に集中しているそうです。

 これは、他人事ではなく、本校でも十分に気をつけなければなりません。学校周辺の道路は歩道が設置されていますが、場所によっては、歩道がない道路もたくさんあります。また、街頭指導に立っていると感じるのが、車のスピードです。制限速度内で走っている車はまれで、中には、かなりスピードを出して通り過ぎていく車もあります。そういう道路を、横断して登下校する子どもたちがいると思うと、やはり心配でなりません。是非、本校保護者の皆様には、学区内を走る自動車のお手本になってもらい、スピードを控えめに走って頂きたいと思います。

 6月27日付の福島民友新聞に、「手上げ横断」を促す記事が載りました。

 それは、信号機がない場所での横断について、「手を上げて運転手に横断の意思を明確に伝える」ことを盛り込んだという内容です。えっ、それは当たり前のことではないの?と思われた方もいると思います。実は、1978年の改訂では、この「手上げ横断」は教則から削除されました。その時の道路横断の仕方は、「車が近づいている時は、通り過ぎるまで待つ。」と定められていたのです。しかし、それが今回、43年振りに復活したわけです。

 本校の子どもたちは、道路を横断する際、手を上げて、運転手に横断することをアピールしています。そうすることで、気付いた車は減速し、止まってくれます。横断した後は、止まってくれた車の運転手に、一礼して返すこともできています。これは、素晴らしいことです。しかし、中には、子どもに気付かないのか、そのまま、走り去ってしまう車もあります。そういう車がいることも含め、子どもたちには、道路横断は十分、安全確認するよう、指導しています。登下校中、道路を歩行する際は、周りの車に十分注意するよう、お家でも、確認と指導をお願い致します。

222 適切なネット利用について

 昨日は、授業参観にお出で頂き、ありがとうございました。また、その後開かれました家庭教育学級にも多数参加頂きまして、ありがとうございました。今回は、石川中学校教頭の相樂秀幸先生を講師にお招きし、「適切なネット利用」について御講話頂きました。以下、講話の概要を記します。

・インターネットの世界は、公共の場所。だから、いろいろな人が出入りしている。その中には、いい人ばかりでなく、悪い人も当然いる。
・昔なら、人のうわさは75日、そして、だんだん忘れられていく。しかし、今は、ネット上のうわさは、半永久、消えない、消せない、自分ではコント ロールできない・・・。
・インターネットの世界は、治安が悪い。危険なところ。端末を与えることは、その危険な世界に足を踏み入れさせること。
・インターネットの情報は、全てが真実ではない。信憑性が低いことを知ることが大事。
・ネット依存は、ネットに触れる機会が、早ければ早いほど依存度は高くなる。
・「PhoneWall」とは、お家の方がスマホに夢中になるあまり、その「時間」だけでなく、親子の「心」の間に大きな壁が作られてしまうこと。
・絵本「ママのスマホになりたい」。シンガポールの子どもの話がもとになって作られた絵本。
・子どもの問題を考えるだけでなく、お家の方のスマホ依存度について考える必要がある。
・親と子どもが一緒になって、話し合いながら、「ルール」を作ることが大切。
・大人ができることは、①フィルタリングをする。②ルール作りをする。③手本を示す。

 お話を聞いて、改めて、ネット利用に関しては、きちんとルールを作って使わせることの大切さを感じました。これは、決して、今だけの問題ではなく、子どもたちがいずれ、親元を離れ、自立して生活していくときに、自分の身を守るためでもあると思います。学校としても、このことについて、さらに考えていきたいと思います。

221 上級生に支えられ

 先週の金曜日のお昼休み、1年生が教室で「おおきなかぶ」の音読発表をしました。これは、国語の時間に学習してきた「おおきなかぶ」のお話を、音読劇として行うものでした。1年生の子どもたちは、国語の時間にお話を読み深め、どういうふうに読んだらよいか、学んできました。音読劇では、それに役割を決めて、それぞれの役の動きを決めて読むことになります。1年生の子どもたちは、これまで楽しく取り組んできました。そのまとめの発表でした。1年生の子どもたちから、校長室に「しょうたいじょう」も届いていましたので、行ってみました。

 すると、他の学年にも招待状が届いていたらしく、すでに、聞きに来ている数名の上級生の姿がありました。そのうち、次から次へと上級生のお兄さん、お姉さんたちが教室に入ってきて、最終的には、教室の半分以上の「お客さん」で埋まりました。(その様子は、ホームページに載せてありますので、どうぞ御覧ください。)

 この様子に、7人の1年生たちは、ちょっと緊張したり、逆に興奮したりしたようでした。しかし、見に来た上級生たちの温かいまなざしに励まされ、元気いっぱい、最後まで音読劇を発表することが出来ました。その頑張りに、大きな拍手が送られました。発表が終わり、感想を聞かれると、何人も手を挙げ、「大きな声で発表できていました。」「動きを工夫して頑張っていました。」と上級生から賞賛の声がありました。

 今回の経験は、1年生の子どもたちにとって、とても大きな出来事だったと思います。自分たちの学びを、たくさんの上級生たちが応援してくれて、そして、その頑張りを、みんなから賞賛されたわけです。自分たちを、こんなにも多くのお兄さん、お姉さんが支えてくれている、と感じることができたと思います。どんなにか、うれしかったことでしょう。そして、この上級生たちの存在を、心強く思ったことでしょう。そして、自分たちを励ましてくれる上級生のいる学校生活を、安心して過ごせると思ったことでしょう。

 野木沢小の素敵なところを、また一つ、見つけられました。

220 公民館の先駆け

 私の手元に、「石川町公民館史」という冊子があります。これは、令和3年3月に、石川町教育委員会生涯学習課が編集したものです。

 これによると、我が国における公民館の正式な誕生は、昭和21年7月に発せられた「公民館の設置運営について」という文部次官通牒(通達)によるそうです。そして、この通達が発せられたわずか5ヶ月後の昭和21年12月に、野木沢村中野公民館が設置されました。これは、まさに全国の公民館のさきがけ的存在と言えるそうです。そして、その翌年には「塩沢公民館」「曲木公民館」も創立し、昭和23年2月に村の中央館として「野木沢村公民館」が設立しました。

 このことを知って、この野木沢地区の皆様が、本校の教育活動にとても協力的であることが納得できました。こういう時代背景が、根底にあったわけです。

 当時の公民館は、郷倉と呼ばれる凶作に備えた米倉を改造したそうです。それも、当時の青年たちの熱意により、全集落の温かい協力の下、完成したものでした。わずか10坪に過ぎないその建物において、青年たちによる自主的な活動が繰り広げられたようです。

 教養部による成人教育の講座を始め、講演会、婦人講座など。集会部によるレコードコンサート、音楽会、幻燈会。図書部による図書の貸出など。

 農村地帯ですから、農繁期は、日中、みな肉体労働をしているわけです。それでも、その夜、自然に公民館に集まって、夜遅くまで運営計画を話し合う姿があったそうです。当時の館長さんが、何か慰労のための差し入れをあげようかと声をかけたら、「館長さん、そんなお金があるならば、本の一冊も買いましょう」と答えたそうです。立派な設備になるまでは、決して慰労会など催さないとみんなで申し合わせていた、その青年たちの姿に、館長さんは心密かに喜んで泣いたそうです。

 なんて純朴で、一途な若者たちなのでしょう。公民館という建物が大事ではないということです。その中で、お互いに盛り上がる自主的な運営こそが、公民館の生命なのです。そういう自主的で、自治的な、そして、学びに対して真摯な姿をもった若者たちが育っていた、この野木沢地区。ここで育つ子どもたちには、自分たちの大先輩方の姿を誇りに思い、自分たちも見習って、大きく成長してほしいと思いました。