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1. 220 公民館の先駆け

投稿日時: 2021/06/25 野木沢小-サイト管理者

 私の手元に、「石川町公民館史」という冊子があります。これは、令和3年3月に、石川町教育委員会生涯学習課が編集したものです。

 これによると、我が国における公民館の正式な誕生は、昭和21年7月に発せられた「公民館の設置運営について」という文部次官通牒(通達)によるそうです。そして、この通達が発せられたわずか5ヶ月後の昭和21年12月に、野木沢村中野公民館が設置されました。これは、まさに全国の公民館のさきがけ的存在と言えるそうです。そして、その翌年には「塩沢公民館」「曲木公民館」も創立し、昭和23年2月に村の中央館として「野木沢村公民館」が設立しました。

 このことを知って、この野木沢地区の皆様が、本校の教育活動にとても協力的であることが納得できました。こういう時代背景が、根底にあったわけです。

 当時の公民館は、郷倉と呼ばれる凶作に備えた米倉を改造したそうです。それも、当時の青年たちの熱意により、全集落の温かい協力の下、完成したものでした。わずか10坪に過ぎないその建物において、青年たちによる自主的な活動が繰り広げられたようです。

 教養部による成人教育の講座を始め、講演会、婦人講座など。集会部によるレコードコンサート、音楽会、幻燈会。図書部による図書の貸出など。

 農村地帯ですから、農繁期は、日中、みな肉体労働をしているわけです。それでも、その夜、自然に公民館に集まって、夜遅くまで運営計画を話し合う姿があったそうです。当時の館長さんが、何か慰労のための差し入れをあげようかと声をかけたら、「館長さん、そんなお金があるならば、本の一冊も買いましょう」と答えたそうです。立派な設備になるまでは、決して慰労会など催さないとみんなで申し合わせていた、その青年たちの姿に、館長さんは心密かに喜んで泣いたそうです。

 なんて純朴で、一途な若者たちなのでしょう。公民館という建物が大事ではないということです。その中で、お互いに盛り上がる自主的な運営こそが、公民館の生命なのです。そういう自主的で、自治的な、そして、学びに対して真摯な姿をもった若者たちが育っていた、この野木沢地区。ここで育つ子どもたちには、自分たちの大先輩方の姿を誇りに思い、自分たちも見習って、大きく成長してほしいと思いました。