学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

139 私の思い出(続き)

 中学1年の夏休み、たまたま本屋で見つけた切り絵の本に興味を持ち、初めて切り絵の作品を作りました。500円切手に描かれていた金剛力士像をモチーフに、四つ切り画用紙大の作品に仕上げました。それから、切り絵の世界にはまっていき、高校では美術部に所属し、大学は卒業論文ではなく、卒業制作で切り絵の作品を何点も制作しました。その時、制作した作品は、「滝」をテーマにした切り絵で、福島県内のいろいろな滝を見に行って、当時はデジカメなどなかったので、何枚もスケッチして、切り絵の作品に仕上げました。今では身近なパソコンが、少しずつ出回ったのが、ちょうど大学時代で、大学に入学した時に、初めてパソコンを買いました。その頃のパソコンは、簡単なプログラムを自分で入力して、ゲームを作って遊ぶことができましたので、プログラムが載っている雑誌を買っては、次々に入力して遊んでいました。ですから、今のゲームがいかにすごいかわかりますし、それにはまってしまうのもうなずけます。

 自然の中で思いっきり遊んだり、漫画を描いたり、工作したり、自分の好きなことをして、夢中で過ごしていた子ども時代。その後の成長過程でも、ずっと続けていたことがあったり、新しく始めたことがあったりと、なかなかバラエティーだなあ、と我ながら思います。それも、その時々で興味があったこと。実に様々なことに手を出していたなあと思います。「あなたの長所短所は何か?」と聞かれた時、「熱しやすく冷めやすいところ」と答えています。自分では、いろいろなことに興味を示し、次々に関心事が変わることは、短所かもしれませんが、それが、結果的には自分の人生を楽しくしているから、それはそれでよしと思っています。そんな人生を歩みながら、実は、明日11月5日で、55歳になります。

 いつ、どんなことに興味を持つかどうかは、本人しか分かりません。それでも、何かしら興味を持ち、やってみようとすることは、自分の可能性を広げることや、自分の人生を豊かにすることにつながっていることも間違いありません。時代は変われども、一度しかない自分の人生を、自分らしく楽しく過ごせたら、それはそれで最高だと思います。そのように、子どもたちにも過ごしてほしいと思っています。

138 私の思い出

 今の子どもたちは、家に帰ってからや休日の日等、どのように過ごしているのでしょうか。そんなことを考えていたら、自分は子どもの頃、どうだったかと振り返ってみたくなりました。

 会津盆地を囲むように山がありますが、その一角の山の麓に、私の家はありました。子どもの頃は、近所の子どもたちが集まって、一緒によく遊びました。ある時、みんなで近くの山の中に探検に行ったことがありました。その時、森の奥に大きな人口の池を発見しました。こんなところになぜ池が?よく見ると、鯉がいっぱい泳いでいました。おそらく、鯉の養殖場みたいなところだったのでしょう。そうとは知らず、みんなで鯉を捕まえて遊んでいたら、怒られました。子どもの頃から、漫画は好きで、よく読んでいましたし、よく真似して描いていました。漫画雑誌の読者コーナーに、応募した漫画が一度掲載されたこともあり、すごくうれしかったことを覚えています。その頃、年賀状は、毎年、ゴム版画で手作りしていました。しばらくして、プリントゴッコなる印刷機械が出来てからは、それで作るのにはまっていました。実家の周りは田んぼだらけで、近くに小川も流れていましたので、田んぼの間の小川に網をかけて、フナやドジョウ、ザリガニなどをとって遊びました。小川で釣りもしました。餌釣りから始まって、毛針、ルアーと何でもやりました。自転車に乗って、家から何時間もかけて釣りにも出かけたこともありました。当時の会津は、今よりも雪が多く、冬になると、スキーで遊びました。東山温泉のところに、昔、ロープウェーがあって、それに乗って、背炙り山までスキーに行きました。行きはロープウェーに乗りますが、帰りは乗らず、山の中の細い道を、友達とつながって、猛スピードで降りていくのが、恒例になっていました。片側が崖という山道だったので、今思い出すとちょっと怖いのですが、先頭の子がバランスを崩して転ぶと、その後続は全員同じように転ぶしかなくて、全員雪まみれになって、みんなで大笑いするという、それが楽しくて毎回やってました。(次回へ)

137 赤べこはがき

 来年の干支は、丑(うし)です。今回、年賀はがきのデザインの一つに、「赤べこ」が登場しました。


 私たち福島県民として、また、会津出身の私にとっても嬉しい限りですが、この「赤べこ」はがきのデザインされた方が、なんと会津出身と新聞で知って、さらに驚くと共に嬉しくなりました。
 このデザインをされた方は、切手デザイナー(こういう職業があるんですね)の中丸ひとみさんです。中丸さんは、会津若松で生まれ、若松市内の高校を卒業後、美術関係の学校に進学し、旧日本郵政公社(今の郵政グループ)に入社されました。そこで、主に記念切手のデザインをされているわけですが、日本郵便のキャラクターである「ぽすくま」の生みの親でもあります。

 年賀はがきのデザインは、例年、担当者が決まっているそうです。しかし、今年は、切手デザイナー全員によるコンペ形式で決めることになったそうです。そこで、中丸さんも参加することになりました。会津に育った中丸さんにとって、赤べこは身近な物で、来年の干支が丑年ということで、真っ先に「赤べこ」を思い浮かべたそうです。そして、赤べこと組み合わせたのが梅と凧。厳しい冬の環境でも花を付ける梅の力強さ、そして、空高く昇る凧で希望を表しているそうです。そこに、疫病退散の赤べこですから、今のコロナ禍の中、この年賀はがきをやりとりする人たちに、勇気と元気を与えてくれそうです。中丸さん自身、赤べこデザインが採用されて喜びと感謝を述べていました。そして、「この絵で福島県民のみなさんが明るい気持ちになり、少しでも元気になる応援ができたらと思います。」とメッセージを寄せています。
 年々、メールによるやりとりが増えてきて、年賀はがきで年賀状を出す人が減ってきているようです。今年は、コロナの影響で、遠方の方々とは正月に会えない人もいるかもしれません。今年は、年賀状で近況報告などする方が増えるかもしれないなあと思いました。

136 「理解ある親」をもつ子はたまらない(「こころの処方箋」より)

 河合隼雄さんの書いた「こころの処方箋」という本を読んだ。河合さんは臨床心理学者である。臨床心理士は、心身の健康問題に取り組む患者を支援する立場である。その河合さんが、読む人に何かしら感じてもらえるような短いお話を55編載せてあるのが本書である。目次を見ると、いきなり、「人の心などわかるはずがない」という題がある。人の心を相手の研究されてきた方が、そう言い切っているところが、なかなか興味深い。それで、一通り見回してみると、?と引っかかった題があった。それは、「『理解ある親』をもつ子はたまらない」。私も一人娘を持つ身、ちょっと内容が気になった。以下、文中から抜粋である。

「(前略)子どもは成長の過程で、成長のカーブが急上昇する時がある。そういう時、子どもは、自分でも抑えきれない不可解な力が湧き上がってくるのを感じる。それを何でもいいからぶっつけてみて、ぶつかった衝撃の中で、自らの存在を確かめてみるようなところがある。そのとき子どもがぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。親の壁にさえぎられ、子どもは自分の力の限界を感じたり、腹を立てたり、くやしい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通じてこそ、子どもは自分というものを知り、現実というものを知るのである。
 いわゆる「理解のある親」というのは、このあたりのことをまったく誤解してしまっているのではなかろうか。子どもたちの力が爆発するとき、その前に立ちはだかる壁になるのではなく、「子どもたちの爆発するのもよくわかる」などと言って、その実は、それをどこかで回避し、自分はうまく衝突を免れようとしているのではなかろうか。壁が急になくなってしまって、子どもたちはいったいどこまで突っ走るといいのか、どこが止まるべき地点かわからなくなる。不安になった子どもは、壁を求めて暴走するより仕方なくなる。(中略)しかし、本当のところ、子どもたちは法律の壁なんかではなく、生きた人間にぶつかりたいのである。(中略)
 厳密に言うなら、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである。理解もしていないのに、どうして理解のあるようなふりをするのだろう。それは自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではなかろうか。(後略)」

 私はこれを読んで、思い出したことがある。私は中学時代、自転車でソロキャンプしながら、一人旅をしたいと考えたことがあった。しかし、それは、親に反対され、断念せざるを得なかった。当時の自分は、うまくいくことしか想像していなかったから、きっと、実際はいろいろな困難な状況を味わうことになったのかもしれない。しかし、その時はそんなふうに冷静に考えられず、ただやりたいことが反対され、できなかったことが悔しかった。子どものやりたいことを尊重し、自由にやらせる子育てもあろう。しかし一方で、親として、駄目なものは駄目と厳しく言い放つ子育てもあるのだと思う。河合さんは、文中で次のようにも言っている。

「すもう取りは、ぶつかり稽古で強くなるという。せっかくぶつかろうとしているのに、胸を貸す先輩が逃げまわってばかりいては、成長の機会を奪ってしまうことになる。もっとも、胸を貸してやるためには、こちらもそれだけの強さをもっていなければならない。子どもに対して壁になれるために、親は自分自身の人生をしっかりと歩んでいなくてはならないのである。」

 子どもの成長にとって、一番のモデルは、やはり親なのだということである。そのモデルである親が、しっかりと人生を歩む姿を見せることが、子どもにとっては、大事なのだということなのだろう。自戒を込めて、受け止めたいと思った。

135 マラソン練習

 マラソンの練習が始まっています。今年のマラソン大会は、11月12日(水)2・3校時の予定です。学年に応じて校庭を何周かしてから、校庭を出て、学校の周辺の道路を一周するコースを走ります。距離は1・2年生が1.2km、3・4年生が1.6km、5・6年生が2.0kmです。
 学校の周辺を回る周回コースを走ってみました。車の行き来が少ない、とても走りやすいコースだと思いました。ただ、アップダウンが激しいです。調べてみたら、校庭が標高246mで、校庭を出たら、すぐに上りです。しばらく行くと、ちょっと下って、また上ります。校庭から400m程行った辺りが一番標高は高く、約260mあります。なんと校庭との差が14m。4階建てのビルぐらいあります。そして、そこから、コースは400mの下り。一気に校庭より少し低い標高245mまで下ります。そして、ここから校庭まで残り200mぐらいですが、最後に学校の前の道路から職員駐車場までの勾配の急な上り坂が待っています。コースの終盤なので、かなりきついと思います。しかし、その坂を上りきれば、ラストスパート。校庭でゴールとなります。
 子どもたちは、朝の時間や休み時間に校庭を走っています。先日行われた全校集会で、次のような話をしました。
「いよいよマラソンの練習が始まりました。このマラソンの練習で大事なのは、途中、歩いたり、止まったりしないで、同じ速さで、最後まで走り続けることです。そして、マラソンの練習はつらくて、苦しいです。でも、そのつらくて、苦しいのを我慢して頑張った分、それは、自分の力になります。その力は、走る力だけでなく、つらくても苦しくても逃げないで頑張るという心も強くしてくれます。みんなで、マラソン練習を頑張りましょう。」
 体育の時間も練習している様子が見られます。長い距離を走るのが苦手な子どもにとっては、大変な練習です。しかし、マラソンも戦う相手は自分です。つらくて苦しくて歩きたいという自分と、もう少し頑張ろうとする自分とが、戦い続けます。そうやって、自分の心が強くなっていくのだと思います。そして、つらくて苦しいマラソンですが、一度、スタートしてしまえば、そこから後は、ゴールに向かって、距離はどんどん短くなっていきます。頑張って前に踏み出している一歩一歩で、間違いなく、ゴールへ近づいていきます。そして、途中でやめなければ、止まらなければ、全員がゴールにたどり着くことができます。それが、マラソンです。
 もうしばらく、練習の日々が続きます。お家でも、頑張っている子どもたちを励ましてください。

134 ラストページまで駆け抜けて

「ラストページまで駆け抜けて」これは、今年の『読書週間』の標語です。今年の読書週間は、10月27日から11月9日です。

 読書推進運動協議会のホームページには、読書週間について、次のような紹介がされています。

 終戦の2年後の1947年(昭和22年)、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているとき、「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と決意をひとつに、出版社、取次会社、書店と公共図書館が力を合わせ、さらに新聞・放送のマスコミ機関の協力のもとに、第1回「読書週間」が開催されました。
 第1回の「読書週間」は11月17日から23日。これは11月16日から1週間にわたって開かれるアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」にならったものです。各地で講演会・図書に関する展示会が開かれ、その反響は大きなものでした。「一週間では惜しい」との声を受け、現在の10月27日から11月9日(文化の日をはさんで2週間)となったのは、第2回からです。
 それから70年以上が過ぎ、「読書週間」は国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民」の国となりました。その一方、物質生活の豊かさに比べ精神生活の低迷が問題視されている昨今、論理的思考の基礎となる読書の重要性は、ますます高まってきています。
 本年の「読書週間」が、みなさん一人ひとりの読書への関心と、読書習慣の確立の契機となることを願ってやみません。
 今年の『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。

 読書週間では、毎年、ポスターを募集しています。2020年のポスターは、これです。

 隣のふくろうが描かれているマークは、読書週間のシンボルマークです。
 その昔、ギリシャ神話の世界で「ふくろう」は、学問・技芸・知恵を司る美貌の女神アテナの使者であり、また、代表的なポリスで文化の中心地アテナイ(アテネ)の聖鳥でもありました。古代のギリシャ人たちは、賢そうな丸い目ですまし顔の「ふくろう」を知恵の象徴として大切にしたといいます。森の奥ふかく、静かに瞑想にふけるこの「ふくろう」の姿こそ、読書週間のシンボルマークとしてもっともふさわしいものと考え、読進協では長い間使用しているそうです。

 本校の図書委員会では、みんなにたくさん本を読んでもらうことを目的に、2学期に読んだ本の冊数やページ数に応じて、多読賞の表彰を行う予定でいます。

 最後に、過日に実施された「石川地区読書感想文コンクール」の結果です。入賞したみなさん、おめでとうございました。なお、地区で推薦だった3年の佐藤愛菜さんの作品は、県読書感想文コンクールで、特選になりました。

 推薦 3年 佐藤愛菜さん 「ねこと王様を読んで」 ※県特選
 特選 2年 黒澤結衣さん 「えんぴつさん、ありがとう」
 特選 5年 二瓶大雅さん 「『こども電車』を読んで」
 入選 1年 佐藤快晴さん 「さすけがおしえてくれたこと」
 入選 4年 佐藤世菜さん 「私も地球のために」
 入選 6年 小松果恋さん 「『転んでも大丈夫、ぼくが義足を作る理由』を読んで」

133 認知症サポーター養成講座

 5年生が、社会福祉士の方を講師に、認知症理解教室を行いました。これは、認知症サポーター養成講座ということで、認知症がどんな病気なのか理解し、認知症の方の気持ちを知り、自分にできることは何かを考える内容の講座でした。今回、野木沢小の講座が、記念すべき第111回目だそうです。

 まず、「認知症でも大丈夫」という劇を見ました。認知症のおばあさんと、その孫のやりとりを劇を見ながら考えました。その後、認知症という病気について、詳しく説明を聞きました。

 認知症は、脳の病気です。80歳以上の4人に1人は認知症だそうです。ですから、身近に認知症の方がいてもおかしくないわけです。認知症になると、ものを覚えたり、理解したり、判断したりすることができなくなります。新しい記憶ができないため、同じ事を繰り返します。劇の中のおばあさんも、医者に行くのは火曜日で、今日は日曜日だから行かないよ、と教えられても、しばらくすると、医者に行くからと言ってしまいます。医者に行くことしか考えられないため、何曜日に行くのが入っていかないわけです。そして、劇の中では、何度も同じ事をしてしまうおばあさんに、孫娘は怒ってしまいます。褒められたことより怒られたことが残るので、おばあさんの元気はどんどんなくなってしまうのでした。

 子どもたちは、劇を見て、自分は認知症の人に、優しくしてあげたい、捜し物は一緒に探してあげたい、優しい言葉をかけてあげたいという感想を持ちました。まとめでは、認知症の人を理解し、否定しないで、受け入れてほしいとお話がありました。

 5年生の子どもたちは、総合学習で、お年寄りや障害者、そして今回の認知症の方の立場になって、気持ちを想像したり、どう関わったらいいのか学習してきました。相手の立場に立つことは、相手理解の基本です。前号でもふれましたが、私たちは、もともと一人一人違うのです。年齢の違い、障害や病気の有無の違いも同じです。自分と違う立場を理解し、自分はどう関わっていけば良いのか、5年生の子どもたちは、いろいろと学ぶことができたと思います。

132 就学時健康診断 子育て講座より

 福島県栄養士会の管理栄養士である吉田かいでさんの講演がありました。演題は「健康と食生活」。食べることがいかに私たちの健康と結びついているか、考えさせられました。

 まず、食事は、朝昼晩の3回食べることが大事だという話でした。特に朝食。驚くことに、朝食を食べないと、肥満になる傾向があるとのことです。理由は、食事をすると、体温が上がり、エネルギーを消費します。3食の内、朝食後のエネルギー消費が一番高いのですが、その朝食をとらないと、その分、昼食や夕食で補わなければなりません。仮に夕食で補ったとしましょう。しかし、夕食後は、朝食後に比べ、エネルギー消費量は低いので、結果、体脂肪を増やすことになってしまうのです。さらに、夜食後はエネルギー消費量が低いので、食べた分、たまってしまうわけです。この夕食や夜食を取り過ぎると、朝、食欲がなく欠食するという、よくないサイクルになってしまうようです。ですから、朝食をしっかり食べる習慣にするといいのです。朝食は多少食べ過ぎたとしても、食後のエネルギー消費量は一番高いので、影響はそれほどないそうです。

 他にも、朝食の大事な役割は、体の目覚ましスイッチであり、お腹の目覚ましスイッチであり、脳の目覚ましスイッチだということ。全てのスイッチが朝食。それから、食事も栄養のバランスを考えること。それには、和食がおすすめ。一汁二菜、一汁三菜と聞いたことがあるかと思います。和食には、脳を守る知恵が備わっているそうです。そして、おやつは4回目の食事として、何をどのように与えるか、考えるのが大事とのこと。

 子どもの体を作っているのは、食べたものであることは間違いありません。子どもの健康を考える時、何を食べさせるかは、大きな問題だと改めて思いました。

131 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」(続き)

 私は、この広告を見て、この「多様性」も注目したのですが、それよりも気になったのが、見出しの問いです。実は、以前、何かの番組で、そのことを紹介していて、それを聞いた時、(なるほどなあ、おもしろいなあ)と思った記憶があり、今回、改めて調べてみました。

 桃太郎のお供が、「犬・猿・雉」である理由は、あの干支の十二支と関係しています。十二支を北から時計回りに並べると、鬼門は北東になります。丑寅の方角です。だから、鬼のイメージは丑の角、寅柄のパンツをはいていますね。そして、その鬼門の方角に「鬼ヶ島」があることになります。次に、その鬼ヶ島に行って鬼を退治するためには、鬼門と反対の方角(裏鬼門)の生き物の力が必要と考えました。北東の反対は、南西です。その方角の干支は未(羊)と申(猿)です。しかし、この羊は角があるため、鬼の角に通じるということで避けられました。よって、猿から順番に3匹、つまり、申(猿)酉(鳥)戌(犬)となりました。よって、桃太郎の話に出ている家来は、「犬・猿・雉」となったというわけです。

 他にも、桃太郎のお供を考えるとき、「智・仁・勇」に、親しみのある動物をあてはめることによって子どもにもわかりやすいお話にしようとした説もあるそうです。「智」は、猿は猿知恵というように知恵がある生き物。「仁」は、犬は3日飼ったら恩を忘れないという仁徳のある生き物。そして、「勇」は、雉は火事の時、自らの羽を巣に覆いかぶせ卵を守ることから勇気がある生き物ということで、この3匹が選ばれました。

 以上の説明は、日本桃太郎会連合会というところで紹介されていました。この会では、桃太郎を学び、全国の桃太郎愛好家の方々と共に地域おこしや、桃太郎のおとぎ話の素晴らしさをより広く伝える活動をしているそうです。

130 「桃太郎はなぜ、この三匹を仲間にしたのか。」

 これは、21日付福島民報に掲載されたJTの全面広告の見出しです。以下、その広告の文章です。

「桃太郎がなぜ、犬、猿、キジという一見バラバラの三者を仲間にしたのか。そこには、桃太郎の明確な戦略がありそうです。おそらく桃太郎は、チームに多様性を取り入れ、ある種のケミストリーを起こそうとしたのではないでしょうか。最初は合わないこともあったかもしれません。でも、心を開き、認め合うことができれば、個性の違いはお互いを高め合うきっかけになります。違うから、視野が広がる。発見がある。成長できる。強くなれる。これからの多様性の時代に、私たちが学ぶべきことが、そこにはあるような気がします。違うから、人は人を想う。」

 この広告のキーワードは、「多様性」です。多様性…いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。今、社会的にも、この「多様性」(ダイバーシティー)という言葉を、いろいろな場面で目にするようになりました。昔からも、「生物の多様性」等、使われてきた言葉です。先程の広告の中で使われている「多様性」ですが、要は「一人一人を尊重すること」なのだと思います。つまり、「個人の尊重」です。でも、それは、別に今に始まったことではなく、我が日本国憲法でも、「基本的人権の尊重」として示されていることです。

 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 私たちは元来、一人一人違う存在です。その個々の違いを、これからも尊重して行きましょうということです。そして、その個々の違いを尊重することが、自分たちの社会を、より豊かにしていくということです。まさに、金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」です。(次回へ続く)