学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

216 思いやり(続き)

 「思いやり」とは、相手の(     )に気付くこと。

 さて、みなさんは、(   )の中に、どんな言葉を入れるでしょうか。6年生に考えてもらったら、次のような考えが出ました。(書いてくれたものを、全て紹介します。重複あり)

・良いところと悪いところ ・悩んでいるところや困っているところ ・気持ち ・思っていること ・嫌なこと ・相手がいやだと思うこと ・気持ち ・思っていること ・気持ち(困り、悲しみ、嫌だ、つらい、どうしてほしいか、どうされたらうれしいか) ・相手がわからないことがあったら、教えてあげる ・気持ち ・思っていること ・思い、気持ち ・きらいなこと、してくれてうれしいこと、いやなこと ・気持ちや思っていること ・言葉 ・優しさ、親切、よさ ・思っていること ・気持ち ・気持ち、心、優しさ ・気持ち

 さすが、6年生です。相手の気持ちや思っていることに気付くことであるという考えが多く出ました。そして、その気持ちも、もっと具体的に、嫌なことやつらいこと、困りなどに気付くことだと挙げてます。さらに、相手の良いところ、よさ、優しさに気付くことも挙げられていました。やはり、最高学年になると、いろいろな見方や考え方ができるのですね。素晴らしいと思いました。

 この質問の正解はありません。間違いもありません。先程の6年生の考えは、どれも、その通りだと思います。似ているのですが、言葉として出ていなかった考えを紹介します。それは、

 「思いやり」とは、相手の(価値)に気付くこと。

 6年生の考えの中にも、良いところ、よさ等ありました。それを、もっと広げて考えると、それは、「相手の価値」ということになると思います。この世の中には、自分と同じ人はいません。誰もが、この地球上で、唯一無二の存在です。そして、一人一人、その人ならではの価値がある。まずは、お互いに、相手の価値に気付いて、その価値を認めることこそが、よりよく生きていくのに必要な事だと思うのです。価値を認めるというのは、その人の存在を尊重するということです。自分よりも下に見たり、差別したり、偏見を持ったりしないということです。みな、尊い命を頂いて、その人の人生を生きている。そこに、違いはないのです。違いを感じてはいけないのです。相手も、自分と同じ、人として、その人らしく生きている。自分の存在が大切なように、相手の存在も大切だということ。そのことに気付くこと。それが、「思いやり」だと思います。

217 スポーツテストを実施して

 現在、学校で行っているスポーツテストは、文部科学省で行っている「新体力テスト」です。なぜ、「新」とついているのかというと、文科省のHPに、次のように説明がありました。

 文部科学省では、昭和39年以来、「体力・運動能力調査」を実施して、国民の体力・運動能力の現状を明らかにし、体育・スポーツ活動の指導と、行政上の基礎資料として広く活用しています。平成11年度の体力・運動能力調査から導入した「新体力テスト」は、国民の体位の変化、スポーツ医・科学の進歩、高齢化の進展等を踏まえ、これまでのテストを全面的に見直して、現状に合ったものとしました。(文科省HPより)

 体力テストは、平成11年度に改訂されているのです。平成11年度は、今から22年前になるので、当時の小学6年生だと現在34歳でしょうか。それ以前の方々は、前の体力テストを体験していることになります。私のかすかな記憶をたどると、「ジグザグドリブル」や「斜め懸垂腕屈伸」「垂直跳び」「背筋力」「上体そらし」、さらには「連続逆上がり」等もありました。そして、当時は、ソフトボールではなく、ドッジボール用のボールを投げていました。

 今年度の子どもたちの取り組みの様子を見て、やはり気になったのは、ボール投げです。今のボール投げは、ソフトボールの1号球を使用します。直径2mの円の中でボールを投げます。投球中や投げ終わった後、円から出ないように投げます。投球フォームは自由ですが、ソフトボールのピッチャーが投球するような下手投げはできるだけしないことになっています。ですから、どの子どもも直径2mの円の中で、ステップを踏んで、野球のピッチャーのような上手投げ(オーバースロー)で投げることになります。

 ここで、私が気になったのは、投げるフォームにかなり個人差が見られた点です。きれいなフォームで投げ、30m以上軽々と越えていくボールを投げる子どもがいます。一方、あきらかにボールを投げることをあまり経験していないと思える子どももいます。フォームもぎこちなく、ねらったところにボールがいかない場面も見られました。

 平均するとどのくらい投げられるのか?昨年度の結果を見てみたら、県・全国平均と比較しても、あれっ、思ったより、悪くない・・・という結果でした。でも、もう少し、ボールを投げる技術は高めたいと思いました。

 ボール投げで求められる能力は、投球能力。そのための2つの力は、運動を調整する能力の「巧緻性(こうちせい)」と、すばやく動き出す能力の「瞬発力」です。また、運動特性の項目では「力強さ」と「タイミングの良さ」が関係します。ボールを投げる際に使う力である投球能力は、多くのスポーツや日常生活でも重要な力です。投球能力を高め、力を入れるタイミングをつかむことができれば、ボールを速く投げられたり、遠くに飛ばせるようになったりします。

 そのためには、普段からボールを投げる動作になれていかなければなりません。休み時間、外遊びする子どもたちは多いのですが、ドッジボールなどのボールで遊ぶ子どもは、それ程いません。今の子どもたちには、もっとボールを使った遊びが必要なのかもしれません。

218 宿泊学習を終えて

「ぼくは、山登りに行って、足が痛くて大変でした。でも、5年生の人に励ましてもらって、とても助かりました。ぼくも来年、そういう5年生になりたいです。」

 これは、今回、宿泊学習に参加した4年生の人が、学校に帰ってきたときの帰校式で、感想発表で話したものです。今年の宿泊学習の全てが、この発表の中に込められていました。

 昨年度は、宿泊を伴う活動は出来ず、いわきの舟戸海岸で磯遊びを行い、石炭化石館ほるるの見学を行いました。しかし、今年は、那須甲子青少年自然の家も感染症対策を取りながら活動することが可能となり、十分気をつけながら、宿泊を伴う学習を行うことが出来ました。

 1日目は、まず、茶臼岳の登山を行いました。往復約4時間の登山でした。登山口に着いたときは、ちょっと霧雨も降っていて心配したのですが、その後、天候も回復し、参加者全員、山頂までたどり着くことができました。途中、休憩を挟みながら登りましたが、なかなかたどり着かないコースが延々と続くことに、子どもたちからはかなり参っている様子が見られました。それでも、お互いに励まし合い、支え合いながら、やっと山頂に着くと、みな、笑顔になり、ここまで自分の力で登りきった満足感や達成感を味わいました。

 自然の家に入所してからは、決められた時間で夕食を食べたり、お風呂に入ったりしました。他団体と混ざり合うこともほとんどなく、生活できました。夕食後は、外でキャンプファイヤーを行い、フォークダンスやゲームをして、みんなで楽しい時間を過ごしました。この時も、夜空には月や星が見られ、とても静かな森の中で、燃え上がる炎は、とても神々しい感じでした。その夜は、日中の登山とキャンプファイヤーの疲れからか、ほとんどの子どもたちが、消灯後、静かに寝息を立てていました。

 2日目は、朝食後、野外炊飯を行いました。メニューはカレーライスで、グループごとに、かまどでご飯を炊き、カレーを作りました。野菜や肉を上手に切ったり、かまどの火を起こしたり、みんなで分担して行いました。羽釜でご飯も炊きました。底に出来たお焦げも、香ばしくいただき、みな無事に、美味しいカレーを作ることが出来ました。片付けでは、食器やなべなど、ピカピカに洗って、きれいに片付けて、所員の方から、合格をいただきました。

 振り返ってみると、あっという間の2日間でした。しかし、この2日間で体験して学んだことは、たくさんあります。参加した子どもたちにとって、一生の思い出に残る、とても充実した宿泊学習でした。

 今回、いろいろと体験してきましたが、その中でも、とてもよかったと思ったのが、登山です。子どもたちは、登っている途中、つらそうにしている人がいると、みんなで声を掛け合い、荷物を持ってあげたり、手を引いてあげたりしていました。そうやって、全員が、山頂にたどり着きました。

 山登りは、山頂がゴールです。そのゴールを目指して、一歩ずつ登っていきます。この一歩は、ほんの少ししか前に進みません。それでも、一歩一歩登っていきます。そうやって、一歩ずつ進むことで、間違いなく、ゴールは近付きます。疲れたら休めばいい。そして、また、歩き始めればいい。そうする内に、ゴールは目の前になります。ゴールが見えてくると、また、頑張る力が湧いてきます。そうして、ついに、ゴールに到着するのです。山頂から、振り返ってみると、スタート地点がものすごく下に見えて、改めて、自分は、ここまで登ってきたんだなあと実感します。山頂に着いたとき、ここまで歩いてきたのは、紛れもなく自分の足です。周りの人から励まされ、支えてもらっても、歩き通したのは、自分の足なのです。それが事実です。

 山登りは、人生に例えられます。つらくて苦しい道のりも、一歩ずつ地道に歩んでいくことが大事です。急げば、転んだり、足をくじいたりして、大怪我をするかもしれません。ですから、慌てず、急がず、確実に一歩ずつ。そうやって、一歩ずつ努力していくことで、いつしか、目標にたどり着くのです。誰もが、あきらめずに、努力し続ければ、必ず、目標達成できるのです。そういうことを、登山は教えてくれます。

 今回、見事に山頂までたどり着いた4年生、5年生の子どもたちは、今後、どんなつらく苦しいことがあっても、きっと乗り越えていけるはずです。あの茶臼岳の山頂で万歳した自分を忘れずに、これからも、自分の目標に向かって、努力し続けてほしいと思います。

219 道徳科授業参観に向けて

 道徳科の内容は、大きく4つの視点に分かれています。
  A 主として自分自身に関すること
  B 主として人との関わりに関すること
  C 主として集団や社会との関わりに関すること
  D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること
   
 そして、それぞれの視点において、細かく内容項目が決められています。
  A 「善悪の判断、自律、自由と責任」「正直、誠実」「節度、節制」
    「個性の伸長」「希望と勇気、努力と強い意志」「真理の探究」
  B 「親切、思いやり」「感謝」「礼儀」「友情、信頼」「相互理解、寛容」
  C 「規則の尊重」「公正、公平、社会正義」「勤労、公共の精神」
    「家族愛、家庭生活の充実」「よりよい学校生活、集団生活の充実」
    「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」「国際理解、国際親善」
     D 「生命の尊さ」「自然愛護」「感動、畏敬の念」「よりよく生きる喜び」

 今回の授業参観で、各学年で行う道徳科の授業の題材名、内容項目は、次の通りです。

  1年 「わたしにできること」   C「勤労、公共の精神」
  2年 「おとうとのたんじょうび」  D「生命の尊さ」
  3年 「心の優先席」       C「規則の尊重」
  4年 「わたしのゆめ」      A「個性の伸長」
  5年 「手品師」         A「正直、誠実」
  6年 「チャットのつぶやき」   C「公正、公平、社会正義」

 1年生から5年生までは、光文書院の教科書を使い、6年生は福島県教育委員会作成の動画教材を使います。

 授業参観のポイントは、資料を通して、道徳的価値について、子どもたちが自分のこととして捉え、深く考えることができたかどうかです。それが、「考え、議論する道徳」です。

 価値項目や学年の発達段階に応じて、授業の展開もどのように工夫しているか、注目してください。登場人物の行動に「賛成」か「反対」か、自分の立場を明らかにして、その理由を話し合う授業。役割演技などを通して、登場人物の立場で気持ちを考える授業。情報モラルと関連して、身近な問題として、自分ならどうするか考える授業等、いろいろ参観できると思います。どうぞ、お楽しみに。

220 公民館の先駆け

 私の手元に、「石川町公民館史」という冊子があります。これは、令和3年3月に、石川町教育委員会生涯学習課が編集したものです。

 これによると、我が国における公民館の正式な誕生は、昭和21年7月に発せられた「公民館の設置運営について」という文部次官通牒(通達)によるそうです。そして、この通達が発せられたわずか5ヶ月後の昭和21年12月に、野木沢村中野公民館が設置されました。これは、まさに全国の公民館のさきがけ的存在と言えるそうです。そして、その翌年には「塩沢公民館」「曲木公民館」も創立し、昭和23年2月に村の中央館として「野木沢村公民館」が設立しました。

 このことを知って、この野木沢地区の皆様が、本校の教育活動にとても協力的であることが納得できました。こういう時代背景が、根底にあったわけです。

 当時の公民館は、郷倉と呼ばれる凶作に備えた米倉を改造したそうです。それも、当時の青年たちの熱意により、全集落の温かい協力の下、完成したものでした。わずか10坪に過ぎないその建物において、青年たちによる自主的な活動が繰り広げられたようです。

 教養部による成人教育の講座を始め、講演会、婦人講座など。集会部によるレコードコンサート、音楽会、幻燈会。図書部による図書の貸出など。

 農村地帯ですから、農繁期は、日中、みな肉体労働をしているわけです。それでも、その夜、自然に公民館に集まって、夜遅くまで運営計画を話し合う姿があったそうです。当時の館長さんが、何か慰労のための差し入れをあげようかと声をかけたら、「館長さん、そんなお金があるならば、本の一冊も買いましょう」と答えたそうです。立派な設備になるまでは、決して慰労会など催さないとみんなで申し合わせていた、その青年たちの姿に、館長さんは心密かに喜んで泣いたそうです。

 なんて純朴で、一途な若者たちなのでしょう。公民館という建物が大事ではないということです。その中で、お互いに盛り上がる自主的な運営こそが、公民館の生命なのです。そういう自主的で、自治的な、そして、学びに対して真摯な姿をもった若者たちが育っていた、この野木沢地区。ここで育つ子どもたちには、自分たちの大先輩方の姿を誇りに思い、自分たちも見習って、大きく成長してほしいと思いました。