学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

166 野小っ子のいいなあと思うところ

 今日で、2学期が終わります。保護者の皆様には、大変お世話になりました。2学期の最後に、野小っ子のここが素敵、と思うところを紹介します。

「休み時間、外で元気に遊ぶ。」
 私は、野木沢小の日課表で昼休み時間が45分あり、たっぷり遊べるところが気に入ってます。その休み時間、そして、登校してきた朝の時間、外で走り回って遊ぶ子どもたちが多いところが、いいなあと思います。やはり、健康な体づくりに、運動は欠かせません。家に帰って外遊びをしない人はその分、学校で思いっきり体を動かして遊んでほしいと、いつも思います。

「休み時間が終わる時刻になると、切り替えて、すぐ戻る。」
 そして、休み時間が終わると、さあっと校庭から校舎に戻ってくるところがいいなあと思います。休み時間と授業や掃除の時間の切り替えができています。楽しく遊んでいても、ちゃんと切り替えができるというのは、強い心を持っている証拠です。

「校長室や職員室、保健室に、朝や帰りにあいさつする。」
 朝や帰りは、校舎の一階の廊下は、あいさつロードに変わります。校長室でできるだけあいさつを受けられるようにしたいと、いつも思っています。ほとんどの人があいさつする中、立ち止まって、顔を見て、お辞儀しながらあいさつする人が何人かいます。そういうあいさつをされると、こちらも気持ちがしゃきっとなります。

「横断歩道で、止まってくれた車にお辞儀をする。」
 先日、横断歩道を一人で渡ろうとしている低学年の女の子がいました。しっかりと手を上げて、車が止まるのを待っていました。そして、車が止まったのを確認してから道路を渡り、その後、ちゃんと止まってくれた車にお辞儀をしていました。誰かに見られているとかいないとかではなく、堂々としたその姿は、とてもかっこよく見えました。そのように、道路を横断できている人がたくさんいるのが、いいなあと思います。

「授業中、お互いの考えを交流で伝え合う。」
 授業中、友達と話し合う機会があります。その時に、自分の考えをちゃんと伝えたり、相手の考えをしっかりと聞いたりできています。そういう聞き合うことが、学び合いの基本です。授業は、いろいろな考えが出れば出るほど、深まります。ちゃんと考えた結果なら、例え、正答でなかったとしても、そこからいろいろなことを学べます。授業はそういう考えを大事にするところです。

「困っている友達に、声をかける。」
 友達が困っていたり、下学年の子が困っていたりした時、それに気付いた人が、ちゃんと声をかけて、助けてくれています。困る場面はいろいろです。そういう時に、声をかけてもらえると、安心します。自分さえ良ければという考えの人は、声はかけられません。相手のことを考えられるから、相手の立場を理解して、声をかけられるのだと思います。そういうことができる、優しい人がたくさんいます。

「先生の言うことを、しっかりと聞く。」
 まずは、先生の話をしっかりと聞ける人は、素直な人です。素直な人は、伸びる人です。一方、話を聞けない人は、素直に人の話を受け止められないので、伸びることができません。そういう意味で、素直で、伸びる人がたくさんいます。

「一生懸命、掃除する。」
 掃除の時間、お話をしないで、黙々と取り組んでいます。遊ばないで、自分のやるべきことを一生懸命やれるところがいいです。お陰で、校舎内はいつもきれいです。掃除中、校舎をきれいにしながら、自分の心もきれいに磨いています。

「休まず、毎日、学校に来る。」
 全体的に、お休みが少ないです。私は、学校に来ないと、学べないことがあると思っています。その一つが、他の人との関わりです。人は独りでは生きていけません。必ず、誰かと関わりながら、生きていきます。世の中には、いろいろな人がいます。全ての人が、自分と相性がいいとは限りません。そうでない人も当然いるし、そういう人とも関わらなければならないことだってあります。そういう時、どうしたらよいか。学校という集団生活では、そういうことも学びます。これは、学校に来ないと学べないことだと思います。野木沢小の子どもたちは、毎日、学校でいろいろなことを学び、日々、賢く、たくましくなっています。

 それでは、事故なく、けがなく、感染なく、楽しい冬休みを!

167 第2学期終業式

 第2学期終業式で、子どもたちに次のような話をしました。

「今年の野木沢小学校を表す漢字に、私は「健」を選びました。
みなさんが、コロナに負けず、健康に生活できたことと、何事にも健気に頑張ってきたからです。
今日で2学期が終わるので、2学期のみなさんを表す漢字を考えてみました。
まず、1年生。1年生は、「元」を選びました。1年生のみなさんは、1学期に比べて、この2学期は、とても元気に生活できました。給食もたくさん食べられるようになりました。
次に、2年生。2年生は、「話」を選びました。2年生のみなさんは、授業中、全員がよく発表しました。自分の考えを、しっかりと話すことができました。
次は、3年生。3年生は、「自」を選びました。3年生のみなさんは、自分たちで考えて、自主的にいろいろなことを進めました。自分のことをしっかりできるようにもなってきました。
次は、4年生。4年生は、「調」を選びました。4年生のみなさんは、川やダムやプラネタリウムなど、いろいろなところに出かけて、たくさんの調べて、分かったことを、発表できました。
次は、5年生。5年生は、「交」を選びました。5年生のみなさんは、米作りや障がい者、保育所の子どもたちなど、いろいろな人たちと交流して、たくさん学んできました。
最後は、6年生。6年生は、「創」を選びました。発表会では、全員で創造した、自分たちの発表をしました。また、今年の野木沢小の最高学年として、今年の学校をこれまで創り上げてきました。
さて、明日から冬休み。楽しい休みにしてください。」

168 第3学期スタート

第3学期始業式 校長の話

 新年明けましておめでとうございます。2021年、令和3年になりました。
 昨年は、コロナ禍でいろいろと大変な一年になりました。みなさん、よく頑張りましたね。1月になり、年は明けましたが、コロナウイルスが無くなったわけではなく、状況は変わりません。ですから、これからも、うがい・手洗い、マスク着用、消毒、換気、そして、三蜜を避けることを続けていきます。また、しっかり食事をして、運動して体を鍛え、夜はちゃんと睡眠時間を取って、健康な生活習慣も続けていきます。寒くなってきますので、コロナだけでなく、インフルエンザにも負けない、健康な体づくりを心がけてください。
 さて、今日から、3学期がスタートです。3学期は、50日あります。50日と聞くと、まだまだたくさんあるようですが、実際は、あっという間に過ぎていきます。ですから、大事なのは、目標と日々の努力です。この50日間で、自分はどんなことをできるようにするのか、しっかりと目標を立てること。そして、その目標達成に向けて、自分は毎日どんなことを努力していくのか決め、それを続けること。そうやって、この50日間を過ごしてほしいと思います。
 時間は誰にも止めることはできません。ですから、目標なく、何の努力をしない日々を過ごしても、50日は経ってしまいます。今の自分が、50日後、どのように変わっているか、成長できているかは、この50日間をどのように過ごしたかで決まります。それを決めるのは、自分自身です。お家の人や先生ではありません。自分を変えることができるのは、自分しかいないのです。人は、心持ち次第で、いくらでも変われます。変わること、それが成長です。そして、変わること、それが生きることなのです。

169 3学期もコロナに気をつけた生活を!

 新しい年のスタートに、多いに希望を持って進んでいきたいと思います。しかし、関東圏で緊急事態宣言が出されるなど、新型コロナの状況については、今後も気をつけて行きたいと思います。そこで、以前にも紹介した感染症専門医の忽那先生が、「子どもと新型コロナ 知っておきたい大事なポイント」と題して、次のような話をしていますので、紹介します。
 まず、下のグラフをご覧ください。これは、日本国内の年齢別コロナ感染者数(厚生労働省、11月18日時点)を表したグラフです。(省略)

 ご覧の通り、20代が最も多く、10代未満と10代は少ないことが分かります。全く感染しないわけではないので、油断してはいけませんが、これまでの状況からも、子どもは感染しにくいと言えます。それは、年齢が低いほど感受性(感染者との接触による感染確率)が低く、年齢が高くなると感染しやすい傾向があるからだそうですが、なぜ、そうなのかについては、はっきりとした結論は出ていないそうです。また、新型コロナでは、感染しても症状が出ない無症状性感染者が、大人に比べて子どもの割合が多いそうです。このことから、子どもが感染源となる可能性は、大人と比べると高くないと言えます。そして、特に気をつけてほしいことは、子どもが感染しないように注意するために、大人が感染しないことです。と言うのも、大半の子どもの感染例は、その親から感染しているからです。つまり、子どもたちの間で流行が広がるというよりも、大人が外から家庭内にウイルスを持ち帰り、子どもにも感染させていることが多いということです。学校でも、これまで同様、屋内ではマスクの着用、3密を避ける、こまめに手洗い・うがい、消毒と換気に気をつけていきます。そして、家庭と協力しながら、健康な習慣作りを進めていきたいと思います。3学期もよろしくお願いいたします。

 

170 地獄絵図

 ちょっと怖いタイトルですが、みなさんは、「地獄絵図」を目にしたことがありますか。私は、白河市内のあるお寺で初めて見ました。とても興味深い内容の絵図だったので覚えていたのですが、実は、今回、会津で法要があった際、そのお寺で、また同じ「地獄絵図」を目にしたのでした。

 絵図の内容は、下の方に、一般的に知られている血の池や針の山などの地獄の様子が描かれています。そして、上の方には極楽浄土の様子が描かれているのです。そして、中央付近に、人が生まれてから、成長し、大人になり、そして、だんだん老いて、最後は死ぬという人の一生の過程が描かれています。私が、この絵図の中で、特に興味深いと感じたのは、絵図の中央にあたる場所に、おおきな円が描かれてあって、その中に、漢字が一字書かれてあったことです。みなさんは、その円の中にどんな漢字一字が書かれてあったと思いますか。

 その漢字は「心」です。白河のお寺の住職さんの説明では、ここに描かれている地獄絵図は、あの世のことではあるけれど、実は、人の心のことでもあるのだとおっしゃっていました。人は、その心持ち次第で、仏様にも鬼にもなるということです。なるほどと思いました。仏様の心とは、自分のことより、相手のことを思う気持ちのことです。相手の立場に立って、相手の気持ちに寄り添って、思いをはせる。一方、鬼の心とは、自分中心、自分がよければ、相手がどうこう関係ない、自分さえよければいいという気持ちです。

 みなさんは、こんな経験はないでしょうか。朝の通勤時、早く出勤したいのに、目の前に高齢者マークをつけた車がゆっくり走っていて、イライラするようなことが。この時、早く行きたいのに行けない苛立ちから、その車の運転手に文句を言いたくなるような気持ちは、まさに鬼の心ではないでしょうか。早く行きたいのは自分の都合。まさに、自分さえよければという気持ちです。一方、高齢者マークの車に気付いた時に、故郷の高齢になった親を思い出し、あせらないでゆっくり運転してね、とその運転手のことを気遣う気持ちは、仏様の心なのです。このように、人の心は、仏様にも鬼にも、すぐに変わってしまうものだと思います。

 学校生活の中でも、そのような場面はよく見かけます。ロッカーの物を取りに行く時、真っ先に自分の物を取りたくて、他の人と競ってぶつかって文句を言い合うような場面。これは、自分さえよければという気持ちです。一方、先に行った人が、他の人の分も取り出して、名前を呼んで渡してあげたりする場面。これは、他の人のことを考えた行動です。

 ある本に書かれていた地獄と極楽の話も、同じような場面でした。その話では、地獄も極楽も、どちらも同じような食卓があって、そのテーブルの上には、どちらも同じようにたくさんのごちそうが並んでいるそうです。ただ、変わっているのは、どちらの世界も食事をするのに使う箸が、三尺三寸の長さ、約1mぐらいの長い箸を使っているのだそうです。ここまでは、地獄も極楽も状況は同じです。しかし、なぜか極楽の人たちは、その食卓で、楽しそうに美味しく食事をして、みんなお腹いっぱいになっているのに、地獄の人たちはみな、文句を言い合い、だれも料理を口にできず、いつもお腹を空かせているのだそうです。一体、何が違うのでしょうか。

 それは、箸の使い方です。地獄の人たちは、みな自分が食べられればいい、自分さえよければいいという考えですから、その1mもある長い箸を使って、自分が食べたいものを自分で食べようとします。しかし、そんな長い箸を使って、料理を口に運ぶことはできないのです。途中で、他に人の箸とぶつかって、料理を落としてしまい、お互いに文句を言い合う。結果、誰一人お腹いっぱい食べることができず、テーブルの周りは落とした料理でぐちゃぐちゃというのが地獄です。では、極楽はどうかというと、ここでは、自分の箸で、テーブルの向かいの人の食べたいものを取ってあげているのです。お互いに、ぶつからないように気をつけながら、相手の食べたい料理を相手の口に運んであげているのです。だから、極楽では文句ではなく、「はい、どうぞ」「ありがとう」という言葉が飛び交います。そして、みんなでお腹いっぱい美味しい料理を食べているのでした。

 ある学級では、プリントを配る時、前の人が後ろの人へ「はい、どうぞ」と言って渡しています。もらう方は、「ありがとう」と言って受け取ります。その様子は、見ていて、とてもやさしい気持ちになります。「はい、どうぞ」「ありがとう」は、極楽の言葉、仏様の言葉なんですね。