学校だより LIVE

野木沢小の教育や校長雑感をLIVEでお届けします

161 今年の漢字

 14日、日本漢字能力検定協会が1995年から毎年行っている「今年の漢字」が発表になりました。2020年を漢字一字で表すなら?と全国から応募された漢字の中で、一番多かった今年の世相を表す漢字は…

 第1位「密」  流行語大賞の「三密」と合わせて、2冠です!
 第2位「禍」  コロナ禍という言い方が一般化しました。
 第3位「病」  新型コロナ関連ですね。

 以下、「新」「変」「家」「滅」「菌」「鬼」「疫」という結果でした。

 ちなみに、私が選ぶ「野木沢小の今年の漢字」は、「健」です。コロナ禍でも、野小っ子たちは、いつも「健康」で元気いっぱいに過ごしてきました。学校、家庭、地域が一体となって、みな「健やか」に成長してきました。野小っ子たちは、いろいろと思うようにいかない中でも、みな「健気」に、一生懸命、学習や運動に取り組んできました。そして、これからも、どんな困難な状況だろうと、希望を持ち、何事にもチャレンジする野小っ子たちの「健闘」を祈ります。

162 ボディイメージ

 1年生や2年生などの低学年の子どもたちによく起きる出来事として、水道やロッカーなどに複数人集まった時に、体がぶつかり合うことです。一見、「粗暴な行動」と捉えられることもありますが、もしかしたら、「ボディイメージがない」からとも言えます。
 ボディイメージとは、自分の体の輪郭がどのくらいの幅やサイズをしているか、また、今、自分の体がどのように傾いているか、どこにどのくらいの力がかかっているか、といった感覚のことです。この感覚は「固有受容覚」「前庭覚」と呼ばれます。これらの感覚は、ボディイメージの発達を促す働きもしています。このボディイメージが発達することで、自分の体をコントロールした動きができるようになります。しかし、このボディイメージが十分発達していないと、先程の例のように、他者との距離感がつかめず、気付いたらぶつかっていたということになります。また、どの程度の力を入れているかわからず、ぶつかった相手が思った以上に痛がるということにもつながっています。これらは、決してわざとぶつかったのではない、というわけです。全ては、ボディイメージが未発達だから起こることなのです。さらに、このボディイメージを把握するために必要な感覚が「触覚」です。そう、皮膚に触れて感じる感覚です。ですから、低学年の子どもたちが、狭いところでぶつかり合いながら、その接触する感覚を通して、各自が、自分のボディイメージを発達させているとも言えます。この触覚は、相手に与える力より、相手から受けた力の方が強く感じますので、結果、ぶつかっているのはお互い様なのに、相手にぶつかられた、という感覚になるわけです。このボディイメージが発達することで、友達とぶつかり合うことも減ってきます。
 そして、実は、このボディイメージは、空間認知力ともつながっていると言います。どのくらいの隙間があれば、自分の体は通り抜けられるかというのもそうですが、目で見た枠の中に、手に持った鉛筆をどのように動かしたら、枠の中に字が収まって書くことができるか、というのも空間認知力だそうです。枠の中に収まっていても、極端に小さい字や偏った字になってしまうのも関係しているようです。
 最後に、このボディイメージの発達を促す遊びがあります。ブランコやジャングルジム、平均台など、ゆれや加速を感じたり、遊具に合わせたいろいろな体の動かし方をしたりするのがいいようです。また、触覚を刺激する粘土や砂遊びなどもよさそうです。要は、体全体を使って、いろいろな動きをすることが大事なのですね。たまには、ゲームではなく、体を使った遊びもしてほしいと思います。

163 守・破・離の世界

 各学年で、書き初めの練習が始まっています。1・2年生は硬筆で、3年生以上は毛筆で条幅用紙に書きます。半紙と違って、倍以上長い用紙なので、全体のバランスを取るのがとても難しいです。そのため、条幅用紙を折って、その折り目を手がかりに、お手本の文字を書き写していきます。硬筆も毛筆もお手本の字を書き写すので「書写」と言います。書写は、決して、自分の書きやすい文字を、書きやすいように、好き勝手に書いていいのではないのです。一方、書の道を極めた書道家と呼ばれる人たちがいます。この人たちの作品は、一見、好きなように独創的に書いているように見えますが、やはり、しっかりとした基本が土台にはあります。

 昔から、芸道・芸術の世界は「守・破・離」と言われる三段階があります。まずは師匠から教わった基本の型を徹底的に「守る」段階です。次に、その教えに従って修業を重ね、他の型についても学び、その中から自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで、これまでの型を「破る」段階。そして、最後は、さらに修業を重ね、今まで身につけた型にこだわらず、今までの型から「離れ」て、新たな型を生み出す段階です。これは、スポーツの世界でも同じで、王選手の一本足打法も、イチロー選手の振り子打法も、野茂選手のトルネード投法も、いきなりあのような型破りな技が生まれたのではなく、少年期に基本を忠実に練習し、何年もかけて基本の型を身につけた上で生まれたものなのです。また、画家のピカソと聞くと、とても不思議で個性的な作品が有名ですが、あのピカソも幼少期から青年期にかけては、写実的な絵を描いていました。その描写はとても子どもが描くレベルではなかったようで、画家だった彼の父は、ピカソが9歳の時に描いた絵を見て、ショックのあまり画家を辞めたというエピソードがあるほどです。どの世界も同じような「守・破・離」があって、そういう意味で、小学生の子どもたちは、あらゆることで「守」の段階なのだと思います。単調に思えるような基本の練習を、まずは繰り返し繰り返し取り組むことが大事だということです。

 話を書道に戻します。最近、面白い文字を書く人を知りました。その人は、原愛梨さんと言います。職業は、書道アーティスト。その人の作品は、見た目は絵です。しかし、よく見ると、その絵は、文字をデザインして描かれているのです。面白い作品だなあと感心しました。経歴を見ると、原さんはまだ27歳と若いのですが、2歳から書道を始め、8歳で文部科学大臣賞を受賞しています。まさに、守・破を過ぎて、今、書道アーティストという離の世界を生きているのだと思いました。

164 感染拡大に注意!

 新型コロナウイルス感染症が全国的に拡大しています。福島県の感染状況も「ステージⅡ」になりました。ステージⅡは、「感染者の漸増及び医療提供体制への負荷が蓄積する段階」です。それを受け、県より「年末年始における注意喚起」が出ました。裏面に掲載してありますので、ご覧の上、十分注意した行動をお願いします。

 さて、ある雑誌に、川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長による「感染症対策の基礎知識」が載っていました。新型コロナウイルス感染症を始め、インフルエンザや食中毒のノロウイルスなど、感染症と呼ばれるものについて、改めて確認しておきたいと思います。以下、中略で紹介します。

感染症対策の基礎知識
1「病原体と感染症の関係」
 微生物のうち、生体にとって病気の原因となるものを病原体と呼びます。ウイルスもその一つです。感染症は、この病原体によって引き起こされる病気です。しかし、病原体が生体に侵入したら、必ず病気になるかというと、そうではありません。何の影響もなく、普通の状態でいる場合もあります。つまり、体内で病原体が見つかること(感染)が、感染症という病気にかかったこと(発病)ではないということです。感染と発病は別物です。新型コロナウイルスの場合でも、ウイルスが体内に侵入して感染しても、発病しない人がいることが分かっています。ただ、本人は痛くもかゆくもなく何事もなく済んでしまうのですが、他の人へうつすことがあることが分かってきました。それでも、新型コロナウイルスにかかった人でさえ、8割の人はうつさないので、感染力は決して強いとはいえません。

2「感染経路」
 感染経路として、飛沫感染や空気感染などがあります。飛沫感染は、会話時のしぶきやくしゃみなど水分に包まれた病原体が飛び出るもので、1m前後が感染範囲とされています。空気感染は、病原体が唾液などよりもっと細かい粒子(エアロゾル)となって遠距離まで感染が及ぶものです。新型コロナウイルスでは、マイクロエアロゾル感染といって、通常の飛沫感染よりもさらに数メートル先までウイルスを含む小粒子が届き、感染源になることが報告されています。これらは空気の流れなどによって速やかに拡散するので、空気の流れのよいところ、つまり広い空間や換気のよいところでは感染のリスクは大きく減少すると考えられます。なお、仮に新型コロナウイルスが空気感染で広がるようなものであれば、インフルエンザなどより多数の感染者があっという間に発生することになるので、空気感染の可能性があったとしても極めてまれ、と考えられています。

3「感染症の予防」
 感染症の予防の基本は、感染源、感染経路、感受性者(その感染症にかかる可能性のある人)対策です。この対策は、個人が行う部分と社会全体で行う部分があります。そのうち、個人で行うのが、感染経路対策と感受性対策です。
 感染経路対策は、マスク着用、手洗い(手指衛生)が重要です。感受性対策は、日常の栄養・休養・鍛錬・生活環境などによって得られる健康の増進が基本です。

4「改めて3密を避ける」
 国内で集団感染が生じた共通の場として、密閉空間、密集空間、密接という状態で、これらが重なっているほどリスクが高まるところから「3密を避けましょう」ということが薦められることになりました。
 今までは「飛沫感染」次いで「接触感染」が主たる感染経路と考えられてきましたが、最近になって「エアロゾル感染」が世界的に重要と認識されてきました。「エアロゾル感染」とは、呼気中などに含まれ、飛沫よりも小さく、空気中に漂う微細な粒子を介する感染のことをいいます。これは部屋の広さではなく、換気の程度が重要とされます。広い屋外を歩いたり、感染対策のとられている店舗での買い物や食事、十分に換気された電車での通勤・通学であれば、「エアロゾル感染」が起こる可能性は非常に低いと考えられており、日本が進めてきた「3密を避ける」ということは妥当な方法であると考えられているところです。改めて3密や大声を上げる環境の回避、接待、会食での飛沫防止、換気の徹底など基本的な感染対策を行うことが強く求められるところです。
 お出かけになる時は、混雑する場所や時間帯はできるだけ避けて、家族単位などの少人数でゆっくりと過ごされることをお勧めします。

 以上の記事を読むと、新型コロナウイルス自体は、そんなに感染力の強いウイルスではないこと、これまで取り組んでいる3密を避け、マスクの着用、手洗い・消毒、そして換気により、かなり感染を防ぐことができることが分かります。全国的に拡大していますが、必要以上に恐れることなく、基本に立ち返り、しっかりと感染予防していきましょう。

年末年始における注意喚起はこちら→年末年始における注意喚起.pdf

165 子どもたちの向かう先は…

 4つの国に住む、4人の子どもたちを紹介します。
 ジャクソンくん(11歳、ケニア)
  彼は、片道15kmの道のりを、6歳の妹と小走りで2時間かけて、野生動物に注意しながら進みます。
 カルロスくん(11歳、アルゼンチン)
  彼は、片道18kmの道のりを、馬に乗って6歳の妹と一緒に1時間30分かけて、山や平原を越えて進みます。
 ザヒラさん(12歳、モロッコ)
  彼女は、片道22kmの道のりを、友達3人で4時間かけて、夜明けに出発して進みます。
 サミュエルくん(13歳、インド)
  彼は、片道4kmの道のりを、二人の弟が押す車椅子に乗って、1時間15分かけて、トラブルの連続の中、進みます。

 この4人の子どもたちが、長時間かけ、大変な思いをして向かう先はどこだと思いますか。

 それは、「学校」です。この子どもたちは、「世界の果ての通学路」という映画で紹介されていた子どもたちです。この映画は、2013年にフランスのドキュメンタリー作品として制作されました。その後、日本でも公開されました。今はDVDにもなっています。

 野生のキリンやゾウが生息するサバンナを駆け抜けるケニアのジャクソン。山羊飼いの仕事を終えてから、愛馬で学校へ向かうアルゼンチンのカルロス。女子には教育は不要とする古い慣習が残る村から、寄宿学校に通うモロッコのザヒラ。生まれつき足が不自由で、弟たちに車椅子を押されて登校するインドのサミュエル。通学路は危険だらけで、大人の足でも過酷な道のり。それでも子どもたちは学校へまっしぐらに向かいます。

 どうして、そこまでして、この子どもたちは、学校へ通うのでしょうか。

 別の大陸、違う言葉、宗教、生活環境の中で暮らす4人の子どもたちは、真っ直ぐな瞳でみな同じ思いで、その理由を語ります。それは…

「夢をかなえたいから」

 学校に行くという、当たり前のことの「本当の意味」を考えさせられる映画です。

 4年生の子どもたちが、国語の授業で、自分のおすすめの本の紹介文を書きました。その作品が、本と一緒に図書室に掲示されていました。その中に、先程、紹介した話と似たような題名の本が紹介されていました。本の題名は、「すごいね!みんなの通学路」。その紹介文を書いていたのは、福島功大さんです。功大さんは、次のような紹介文を書いていました。

みんな学校が大好きだから。
   「すごいね!みんなの通学路」
              ローズマリー・マカーニー文 西田佳子訳
世界中には、いろいろな通学路があると分かる絵本です。
色あざやかな写真から、学校に行けることはうれしいことだよとよく分かります。
「学校に行ける」という意味を考えさせられる本です。
                             福島功大

 この本は、写真がたくさん載っていました。その写真には、世界中の子どもたちが、いろいろな通学路で学校に通っている様子が紹介されています。川を渡ったり、船をこいだり、崖を越えたりしながら通う子どもたち。学校に飲み水や机がないので、家からタライに汲んだ水や机を運びながら通う子どももいます。そんな大変な思いをしながら、それでも、子どもたちは楽しそうに学校に通うのです。きっと、学校には、それだけ大変な思いをしてまでも行くだけの何かがあるのでしょう。それが何なのか。功大さんも言っているように、「学校に行ける」ことが当たり前でなく、そこにはどんな意味があるのか、考えさせられました。